倉高アクトレス

-第26訓- 女子の場合は紅一点、男子の場合はただの奴隷

 七月二六日、土曜日。

 朝寝坊しつつブランチを摂り終った俺は部屋でユーチューブで海外のフェス動画流しながらボケッと過ごしていた。ここ数年でルーパー使いこなすアーティスト増えたよなー。バンドじゃなくても一人で全部やるんだもんなー。すげーなー。


「……一時半か」


 PC画面の右下に目をやりつつそろそろかと思い、出かける準備を開始した。

 服の入っている引き出しを開け、目に入った貰い物のchallengerのティーシャツに古着屋で買ったアウトドアブランドのハーフパンツを選ぶ。

 お次は洗面所。寝癖のついた髪を洗い流し、ドライヤーは使わずにタオルだけで水気を拭き取ってからナカノの6番を少々すくい取って髪の毛に馴染ませる。

 手を洗ってからまた自分の部屋に戻り、小物置きから平打ちの指輪を人差し指にはめ、時計を選び、お出かけ三種の神器である財布とスマホと鍵をポケットにイン。

 ……準備完了。俺は基本、外出の際にバッグは持たない手ぶら主義。

 この間僅か八分。女は外出をする際の準備に何十分もかけるそうだが、俺は十分とかからない。あー、ほんと男に生まれてよかったぜー。


「あら、どこか行くの?」


 白ティーだし白のエアフォース1なら無難か……などと玄関でスニーカーをどれにしようかと選んでいるとこーこちゃん、もとい母親が声をかけてきた。


「ああ、保土ヶ谷に野球の試合観に行ってくるけ。うちの高校の」


「へぇ。あ、それTVKでやるんじゃないかしら?」


 TVKとはテレビ神奈川のことである。いわゆるローカルチャンネルだ。


「マジ? じゃあ録画しとっといて。試合二時半からじゃから」


「了解。スタンドいたらテレビに映っちゃうかもね」


 こーこちゃんは歯を覗かせながら冗談交じりに言ってくる。


「やべー、俺の雄姿が全国のお茶の間に……」


「県内でしか流れてないわよ。それにあんたは応援してるだけでしょうが」


 俺のボケにテンプレートなつっこみを返すこーこちゃん。安定感あるわ。

 すると彼女は思い出したかのように、


「あ、そういえば薫があんた夏休みで暇してるだろうからって組の仕事入れたって言ってたわよ」


「は!? あのクソ親父ふざけんなよ何を勝手に……」


 〝組〟とは七里組のこと。鳶工事など中心に建築関連作業を受け持つ、俺の親父が社長を務める中小企業である。

 つまり俺は一応社長の御曹司ということになるのだが、全然そんな感じはしない。小さい会社だし。


「いいじゃない。ちゃんとお給料も出るんだし、高校生であの高給を即金手渡しなんて他にないわよ。それに組の人たちにも最近ちゃんと会ってないじゃない。挨拶も兼ねて行ってきなさい」


 何か母親っぽいことを言われてしまった。

 まぁ確かに条件はいいし、社員の人たちも親しくしてくれる人ばかりなのだが、いかんせんあのクソ親父に奴隷のようにこき使われるのはかなりの苦痛だ。


「とにかく顔くらい出しなさい」


「……わあったよ」


「よろしい。で、今日は晩御飯はいるの?」


 たぶん要るー、と答えつつ玄関を出て、駐車場に向かう。

 俺の家は会社の事務所兼自宅となっているため、駐車場には自家用車と社用の車などが止まっている。

 その中の俺が高一の時に金貯めて買ったズーマーに跨りつつメットをかぶり、ブルルンとエンジンをかけ、最寄り駅に向けて出発。

 嗅ぎなれてもうよく分からないが、おそらく潮の香る風にあたりつつ、地元を原付で疾走する。

 俺の地元は神奈川の沿岸部、いわゆる湘南地域にある。

 高校のやつらにそれを言うとみんな「いいなー」とか「羨ましい」とか言割れるけれど、実際住んでみると普通に田舎だし交通の便も悪い。今日みたいな休日は観光客で溢れ返るから大通りをさけて駅に向かわなきゃいけないし、海が近いから塩害で車やバイク、自転車はすぐ錆びてダメになる。

 俺のようなこの辺で生まれた人間は基本的に観光地は近づかないし、海にも全くと言っていいほど行かない。地元のメンツで遊ぶ時もそれらに行こうと提案するやつさえいない。

 なぜか、ここが地元の子供たちは物心ついた時にはもうそれらに魅力を感じなくなっているのがデフォルトなのだ。みんな観光地より都会、海よりプールの方が好きになってしまっている。


「あっちぃ……」


 夏休み間近を思わせる炎天下の中、最寄り駅に着いて駐輪場にバイクを停める。そのまま電車に乗り、揺られ揺られて保土ヶ谷へ。

 出口の改札が見えてくると、そこには既に見覚えのある顔が二つ。


「お、ななっちゃーん」


「ななさーん。こっちこっち」


 俺の存在に気づいた長谷と江島が俺を呼ぶ。私服姿は少し新鮮だ。


「うぃっす。俺が最後か、悪いな。んじゃ行こうぜ」


 結局、というはやはり、稲村は部活があって来られなかった。

 なので、終わったあと遊ぼうと提案したら、まだ行けるか分からないから部活終わったら連絡するとのこと。

 一応由比さんに言われた通りにやったが、これでいいのだろうか。

 というか、この間LINEを聞かれた際のいざこざでその辺を言及しそびれてしまったが、由比さんが稲村を呼びたがる理由は何なのだろう。

 一度由比さんから今日の詳細についてのLINEが来たが、『了解』と返しただけでそのあとは特にやりとりをしていない。返した時間も寝る前だったしな。あっちの既読がついたのも朝になってからだ。


「ってか球場行くの地味にダルいねー。あんまりバスも本数少ないし」


 駅前のバス停で十数分待ち、乗り込んでから席を確保すると江島が言った。


「まぁ、ああいう施設は基本交通の便の良いところにないからの。大抵駅からある程度は離れたところにある」


 つっても俺も保土ヶ谷球場に行くのは初めてなのだが。


「今日はノリで来たけど、そもそも俺、野球全然興味ないんだよねー。細かいところになるとルールがよくわかんない。インフィールドフライとか。何であれアウトになるの?」


「ああ。ありゃ塁上にランナーがいる場合、野手がわざと落球してダブルプレーやトリプルプレーをすることを防止するためにあんだよ。まぁ滅多に出るもんじゃないけどな」


「……何か複雑ぅー」


「そうか? 野球はほんとよくできた球技だと思うけどな。野球と麻雀を考えたやつはマジで天才だと思う」


 何かで読んだが、野球のルールは『世界で一番よくできた法律』って言われたりするくらいらしい。麻雀は知らん。


「へー。でも俺やっぱサッカーのほうがいいや。わかりやすい」


 逆に俺はサッカーあんまりだわ。ワールドカップくらいは観るけど。

 すると江島は「長谷ちんもそうでしょ?」と同意を求めた。そらそうだろ。元サッカー部だもんよ。


「ん? んーまぁ。でも今日はめっちゃ楽しみだぜー」


「お、マジ? お前そんなに野球好きだったっけ?」


 何か前に「野球と麻雀好きとかオヤジかよー」みたいなこと言われた気がするが。

 すると長谷は呆れた顔をし、はぁとため息をつく。あ? んだコラ。


「……ななっちゃん。そんな硬派気取るなって。もっとあるでしょ? 大事なことがさ~」


「は?」


 いや待て。わからん。マジでなに?

 もしかしてそれ、由比さんが稲村を呼んだことと関係があるのか? んー、何だ……由比さん、稲村、野球、球場、保土ヶ谷、長谷……ダメだ全然わからん。


「またまた~」


 しかし長谷はニヤニヤしているだけで答えを言わない。何だよ本当に。あとそのニヤニヤ顔ウザい、気持ち悪い。


    ×××


 結果から言うと、長谷の言っていたことは由比さんの言っていたこととは全然関係なかった。

 球場に着くと既に試合は始まっており、俺ら三人は急ぎ足でスタンドの三塁側に向かった。

 すると、吹奏楽の音に合わせてベンチに入れなかった野球部員たちが熱を入れて「かっとばせー! やーまもと!」と叫んでいるのが耳に響く。

 そして、それを叫んでいるのは部員たちだけではなかった。


「ゴーゴーレッツゴーやーまもと!」


 赤と白を基調としたノースリーブから覗く二の腕。

 ミニのプリーツスカートから伸びる生足。

 そんな姿の女子たちはこの炎天の空のもと、両手に握る黄色いボンボンを振って笑顔で元気に踊り、打席に立つバッターを鼓舞していた。

 彼女らこそ、由比さんも所属するのバトントワリング部。通称バトン部である。


「……なるほど」


 長谷が楽しみだとテンションが上がっていた理由は、これか。


「あー、眼福だぜー。俺は今日、これを見るためにここに来た! 野球とかどうでもいい!」


「ははは……」


 長谷は鼻の下を伸ばし、江島は苦笑い。

 野球、バスケ、アメフト、アイスホッケーの四大アメリカンスポーツにはチアガールという応援側の文化がある。これはいい文化だよな。女嫌いの俺でもこれは認めざるを得ない。

 しかしアレだよな。見せパンなんだろうけど、チアって普通にスカートの中見えるよな。とても良いことだと思います!

 そして俺たちは必死で応援する彼ら彼女らとは少し離れた場所に腰を下ろした。


「思ったより応援に来てるやつ少ないな」


 改めて辺りを見回すと野球部とバトン部と吹奏楽部、それに親御さんらしき人たち以外にここへ来ているのは俺たちと他数人程度だった。


「何だかんだそんなもんなんじゃない? みんな部活とかあるだろうし」


 そうね。稲村みたいに今日ここに来れないのが普通で、むしろ俺らみたいな方がイレギュラーなのだろう。


「つーか負けてんじゃん、まだ一回裏なのによ」


 スコアボードを見ると既に二点入れられており、こっちはランナーなしでもうツーアウト。やはり相手が悪いようだ。

 そして今バッターボックスに立っている、たぶん三年生であろう山本さんも凡退。あっという間にチェンジである。

 するとスタンドで応援していた面々も「ドンマーイ」と口々に叫んだ後、席に座り始めた。ちなみに野球ってのは自分のチームの攻撃中にしか応援をしない。


 するとバトン部の女子たちのガヤガヤとした雑談が耳に入ってくる。


「ふぅ。いやー、暑いねーほんと。日焼け止め塗りなおした方が……あ。ちょっとごめん」


 そんな中でタオルで汗を拭いながら友達と談笑していた由比さんは、俺たちの存在に気づくと一言残してこちらへ駆けてきた。


「おいっす由比ー」


「踊ってる時パンツ見えてたぞー」


 それに気づいた江島と長谷が声をかける。


「おいっすエトー。長谷ちんは相変わらずだねー。これアンスコだから。残念でした」


 いやアンスコだろうが何だろうがスカートの下見えるなんてありがたいっつー話ですよ。全然残念じゃない。これはお前は女の負けだから。男の勝ちだから。


「みんな連れて来てくれてありがとね七里くん。でもイナっちは来れなかったかー」


 由比さんは俺が連れているメンバーを見渡して言う。


「ああ。で、何でそんなに稲村呼びたかったんじゃ?」


 ずっと気になっていたので早速聞いてみた。


「え? う、うーん……あ! 試合終わったらみんなで軽くお茶しない?」


 何か知らんが茶を濁されつつお茶の誘いを受けた。……それは掛詞なのかな?

 ってか何だ? 何を隠してんだ? もしかして稲村を呼ぶのって俺にとって何か都合の悪いことなのか?


「いいねー! 行こう! バトン部の可愛い一年女子紹介してくれ~!」


 由比さんに突っ込もうとしたところで、長谷に邪魔された。おい。


「いやいや長谷ちん。来るとしても二年生だけだからね。とりあえずうちとあと何人か来る予定」


 え……知らない女子とお茶とかマジ無理なんですけど。絶対居心地悪い。


「俺パス。お前らで行ってきて」


 なので断る。当然の帰結。


「えー? ななっちゃんナイわー。嘘でしょ? チアガールとお茶できるんだよお茶。断る理由ないでしょー」


 チアガールて。普段同じ学校にいるただの同級生じゃねぇか。お前、女子がみんなチアの格好のままでお茶しに来るとでも思ってんの?

 すると、江島が申し訳なさそうに手を挙げた。


「あー……。俺もちょっと難しい」


 何と彼も俺と同意見だった。だろー? 何が悲しくてどこの馬の骨かもかわらんような女どもと茶なんぞ飲み交わさなきゃいかん。

 しかし、彼がこれを断る理由は俺と全く持って違っていた。


「彼女がさ、そういうのあんまりよく思わないから……」


 ん? どゆこと? と一瞬思ったが、


「あーそっか。エトの彼女さん、そういうの厳しいもんね……」


 由比さんが言う。あーそうだったそうだった。相変わらずめんどくせぇ女と付き合ってんな。俺だったら速攻で別れてる。というか付き合ってない。

 すると長谷が「おいおいー」と声を上げる。


「ふざけんなしー。さすがの俺も一人はキツいわー」


 へぇ。意外。だがここは長谷を一人で行かせれば俺は帰れそうなので、


「いいんじゃねぇか。ハーレムだぞハーレム。お前そういうの大好きだろ」


 半分冗談のつもりで言ったのだが、長谷はなぜか真面目くさった顔で「ななっちゃん、いいことを教えてやろう……」と俺の肩を叩いた。……んだよ。


「大勢の男の中にいる女子は紅一点として無条件にお姫様のように扱われるけどな、逆に大勢の女の中にいる男はどんなやつでも、どう頑張っても――――奴隷にしかならないんだよ……!」


 やべー、何それホラー? 夏だからっていきなり怪談始めないでくれよ。

 しかし言い得て妙だな。女子というのは複数人集まると女独特の固有結界を生成する。そしてその中に一人の男子がいようものならそいつは確実に異物として扱われる。

 まず、会話にほとんど入れてもらえない。必ず女子たちはガールズトークとやらをおっ始めて男を蚊帳の外に追いやる。もし会話に入れてもらえるとしても何か小ばかにしたようにイジられる。この二つのどちらかだ。

 稀にそういう空間に溶け込める中性的な男子は存在するが、ほとんどの男にとってあれは地獄だ。


「えー!? それじゃあ誰も来なくなっちゃうじゃん!」


 結局男子は誰も行かなくなりそうなこの空気に由比さんは嘆く。


「……っていうかさ、何でそこまで俺らを呼びたいの? それ、稲村を呼んだことと関係あんの? いいかげん、全部吐いてくれんかの?」


 さすがにここまで引っ張られると無理やりにでも聞かざるを得ない。一体何なんだ。由比さんは何をしたいんだ。俺はそういうはっきりしないのは嫌いなんだよ。


「あ、う……ごめんなさい。それ言うと七里くん絶対協力してくれないと思って……わかりました」


 対戦校の声援が響く中で、由比さんはやっと事情を話し始めた。

 そして、その事情とは――――。

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