-第25訓- 女子のこの胸は甘く満ちてはち切れるほどに願い事を焦がされて何処までも苦しい

 球技大会の打ち上げが始まった。


 クラスのほぼ全員が参加し、他の客はほとんどいないとはいえ、それらへの迷惑も省みずわいわいがやがやと盛り上がっている。もうちょっと静かにしろよ。

 鉄板が設備された六人掛けのテーブルを囲み、俺は稲村や江島や長谷、他の男子数名と胡坐をかき、お好み焼きを食い散らかしていた。


「見ろ! トッピング用の鰹節に油混ぜて土台作って焼いた俺のお好み焼き! これならタダだぜタダ!」


 男子数人のひとり、長谷がしょうもないことでテンションを上げていた。

 いやここ食い放題だからむしろ損だろ。さすがアホ。

 だが他のメンバーは「すげー!」だの「うまくねー!」だのと盛り上がっていた。所謂男子のアホなノリである。


「だろー? 名付けて『タダのみ焼き』だ!」


 なんだそれ。


「つーかみんな夏休み予定とかあんのー?」


 長谷がタダのみ焼きを四等分しながら言う。あ、俺それ要らねーからな。


「部活」


「部活だわ」


「マジ部活」


「超部活」


 と、俺以外のメンバーは口を揃えてそう答えた。


「んだよそれー。高二の夏だぜ? 遊ぼうぜ」


「かー、長谷はいいよな帰宅部で。俺も部活なんかやんなきゃよかったわ」


「マジそれ。お盆くらいしか空いてねーもんなマジで」


 と、皆口々に愚痴をこぼす。


「ま。俺もバイトばっかだけどね。ってあれ? ななっちゃんも帰宅部じゃん。予定あんの?」


 長谷はこの中で唯一帰宅部仲間である俺に問う。


「ああ、俺はたぶん予備校の夏期講習行くわ」


「えー! もう受験モード? 早くね?」


「別に普通だろ。お前も一緒に来るか?」


「や、いいっす。予備校ってななっちゃんの地元の方の通うんだろ? 遠いわー」


 いや、どっちにしろ来ないだろお前。

 でも確かに、俺はどちらかといえばみんなより比較的遠いところから高校に通っている。通学時間はドア・トゥ・ドアで1時間弱。五十分くらいかな?

 なので、長谷の言う通り俺の生活圏内の予備校に通ううちの学校の生徒は将来的なことを考えてもほとんどいないだろう。

 中学の時に通っていた塾は同じ中学のやつらがわんさかいたが、予備校ではそうはならなそう。

 そうなると俺は予備校でずっと一人なんだろうか。それとも地元のやつらと偶然鉢合わせたりするのだろうか。もしくはそこで出会った人間と友達になったりするのだろうか。

 ……まぁ勉強なんて独りでやるもんだし、割とどうでもいいけどね。

 あ、やべっ。考えごとしてるうちにお好み焼きがみんなに食われる! 男子高校生の食欲パンパねぇからな。俺のもとっとけよ。

 そんな風に、男子たちはガツガツ飯を食っている最中さなか


「由比、足。パンツ見えてるから」


「それ。あたしも今言おうとした」


 通路を挟んで向かい側の席に座る女子たちからそんな声が聞こえた。

 な、なんだと……!?

 すると俺たち野郎どもは無意識に一斉に箸を止め、ものすごい勢いで声のするほうへ目を向けた。ちなみに俺も向けてた。これは男の本能である。仕方がない。


「あれま。ありがと二人とも。今立とうとして変な位置で止まっちゃってたからさー」


 由比さんはそのまま立ち上がり、トイレにでも向かうのか、そのまま通路をぱたぱたと進んで行ってしまった。

 ちっ、見えなかったぜ……。

 男子たちは皆そんなことを考えていそうな顔つきで、彼女を見送る。

 そして諦めて食事を再開しようと向きなおりかけた矢先、


「…………」


「…………」


 さっき由比さんを注意していた鵠沼が物凄い形相で「なに見てんだよ殺すぞ」とでも言いたげにこちらを睨んでいた。

 それともう一人、彼女と一緒に注意していた楽寺さんも「……最っ低」と汚物でも見るような目をしていた。

 うわやっべ、バレてる……。

 その視線に気づいた男子たちは何も言わず粛々と食事に戻る。あー早く焼けないかなーこのお好み焼き……。

 男が女子の胸などをバレないようにチラッと見た際、実はそのほとんどが本人に気付かれているとか聞くが、これもそれに近いものなのだろうか。


「…………」


 しかしよ、そんなにパンツ見られたくなきゃそんなバカみてぇに短ぇスカート穿くなよ。何でパンツ見られるのは嫌なくせにそんなにスカート短くしたがんの? こいつら自分たちが矛盾してるの気づいてないの?

 ――女は矛盾の塊だ。良く考えるとそのほとんどが理に適っていない。

 例えば、『「私なんて全然可愛くないよー」とか言うくせに「そうだね」と返すと不機嫌になる』。

 他にも、高校生くらいだとそんなこともないけれど『女性に年齢聞くのは失礼とか言うくせに、誕生日は覚えてほしくて祝ってもらいたがる』など。

 何かもうこういうのほんと気持ち悪いわ。おめぇらつっこみどころ満載なのを男は見逃してやってんだぞ。感謝しろ。

 それなのにこの女どもときたら、身に付けている布地をちょっと見ようとしたくらいでネチネチネチネチネチネチ……あー、なんかムカついてきたぞ……よし。


「……んだよ? そんなにこっち見つめてよぉ。なに? お前、俺のことでも好きなの?」


 怯える他の男子をよそに俺はあえて立ち上がり、鵠沼に言い返してやった。


「おいバカ七里!」


「お前なに考えてんだよ!」


「マズいって!」


 みんなは俺を止めるが、動じない。おめぇらもいつもビビってねぇでたまには反撃しろや。あと制服引っ張るな。


「……ふん、由比の下着見ようとしてた変態が何? まじキモいんだけど」


 鵠沼が言う。やはりバレていた。


「ほう。俺を見つめるお前もなかなかのキモさだったけどのぉ」


 だがそんなことはお構いなしに俺は彼女に言い返す。


「は? 誰もあんたなんか見てないんだけど。勘違いしてんじゃねェよバーカ」


 相変わらず口悪いなこいつ。お前ほんとに女なのか?


「ほうかすまんのぉ。男はすぐ勘違いするけぇ、気を付けてくれんと困るんじゃボケ」


 通路を挟んで火花を散らす俺と鵠沼に周りはあたふたしている中、


「ん? え? どうしたの? 七里がまたげぬーにケンカ売ってきたの?」


 スマホに夢中で状況をうまく察せていなかったのか、腰越さんが空気の読めない発言をした。

 ……ちょっと待て。「七里がまた鵠沼に喧嘩売ってる」って何? むしろ俺がいつもこいつに喧嘩売られてるんだけど? 何で女は何でもかんでもすぐに男のせいにするんだよクソが。


「ほらほらまあまあ。せっかくクラスの打ち上げなんだよ? 仲良くしろとは言わないけど、喧嘩はやめようよ。ね?」


 腰越さんは朗らかに俺らをなだめる。が、


「ふん。やかましいわ」


「コシゴエ、ちょっと黙ってて」


 俺らはそんなことでは止まらない。そうだ、いいかげん決着つけようぜ。なぁ?

 しかし、意外にも腰越さんはそこで引かなかった。


「もー。七里もその仁義なき戦いみたいな怖い口調やめてさ。げぬーも別にパンツくらいいいじゃん」


 そこで長谷が「え!? いいの!?」と叫んだがとっさに江島に抑えられた。


「……腰越さ、あんたのそういう甘いところ、どうかと思うよ」


「甘いって。そんな大袈裟なもんでもないでしょー。それにほら……ね」


 腰越さんは意味深に、ムスッとしている楽寺さんに一瞥くれる。

 というか彼女、稲村事変以降ずっとムスっとしている気がする。よくは見てないけど。


「いやでも、ああいう男は一度痛い目見ないと」


「だーかーらー、それは今じゃなくてもいいでしょ? というか今はやめてよ」


 いつの間にか俺と鵠沼が言い合っていたはずが、腰越さんと鵠沼の言い合いになりつつあった。おい。


「や、うーん……ってか……はぁ。はいはい。わかったわかった」


 えー? 鵠沼よっわ。何あいつ女相手だとクッソ弱ぇじゃん。弱いというか甘い。何だよ、甘いのはお前自身じゃねぇか。


「……けっ」


 まさか鵠沼が引くとは思わず、こんな状況になってはさすがに俺も腰を下ろすしかなかった。

 それと、腰越さんがした楽寺さんへの一瞥が意味するところは知らないが、それはおそらくこの場に稲村と楽寺さんがいることと関係しているのだろう。稲村事変以降、稲村イジメは収束しつつあるとはいえ、二人の関係が改善されたわけではない。

 そいつを蒸し返すことになるのは面倒なことになりそうだし、まぁ良しとしよう。

 そして二組とも落ち着き、お互い別々に再び食事を開始すると江島が口を開いた。


「いやー、やっぱ腰越さすがだね。あのグループの調整役だよマジで」


「それな。鵠沼さんが女王なら腰越は参謀って感じ。今の俺じゃ仲介に入っても逆効果だろうし、助かった」


 それに稲村が答える。腰越さんの力量はどうか知らないが、今の稲村が止め役に入れないのは確かにそうかもしれない。止めなくてよかったけど。


「ななさんさー、鵠沼さんが嫌いなのはわかるけど、もうちょっと自重しようよ」


 江島は俺に忠告する。なに言ってやがんだ。


「お前らが情けないから俺が嫌々前に出てやってるんだろうが。そんなんだから女にナメられるんだよ。あんなのにイモ引いてんじゃねぇよ」


「いや~、別にナメられるとかそういう問題じゃないと思うけど……なんていうか、もうちょっとこう……優しくさ」


 優しく、ねぇ……ったく、わかってねぇな。

 別にそれを悪いとは言わねぇけどよ、『女に優しくする』ってのは聞こえはいいが、その実『女の都合に合わせる』ってことだ。

 女がそういう男の心遣いにちゃんと感謝できるなら問題はないが、そんなことばっか続けてるとそれが当たり前だと勘違いして調子乗り始める女は少なからずいるんだよ。

 ――自分からレディーファーストがどうとか言っちゃう女なんかまさにそれだ。

 そもそもレディーファーストなんて言葉はな、男が女に対して使うものであって、女が自分から主張するもんじゃねぇんだよ。

 だってそういう主張は正直上品とは言えないじゃん? ってかぶっちゃけ下品じゃん? 下品なことをするような女を淑女とは言わないじゃん? レディーファーストは淑女が受けるもんじゃん?

 ――つまり、女は自分からレディーファーストを主張してしまった時点で、レディーファーストを受ける資格を失うのである。

 だからそんな主張はデブが痩せずにエアプで出版したダイエット本みたいなもんだ。説得力がまるでない。

 勘違いしてるやつが多いが、そもそもレディーファーストってのは男の義務じゃねぇ。あくまでただのサービスだ。言ってしまえばボランティアみたいなもんだ。必ずしなきゃいけないことではない。

 それをするかしないかは男自身が決める。それをしたいと思える相手にだけやる。

 女どもは男にレディーファーストしてほしけりゃな、まずは男がそうしてあげたいと思えるような女になれよ。


   ×××


 打ち上げは終了し、みんな膨れた腹を摩りながら各々帰路に着こうとていた。

 今日は割と楽ではあるが、外はもう夏の夜っぽく蒸し暑い。男子の中にはお店で貰ったうちわを仰ぐ者も若干名いる。

 ある者はチャリで自宅へ、ある者はバス停へ。そんな中俺は電車に乗るために駅へ向かう。すると電車通学と駅のロータリーからバスに乗る生徒たちの大所帯で歩道は埋まる。


「あれ。あいつらいねぇ……」


 気を抜いていたらさっき一緒に卓を囲んでいた男子たちは先頭を切って行ってしまっていたらしい。

 仕方なくその大所帯の最後方を一人で歩き、俺は駅へと向かう。眼前には丁度鵠沼軍団を含む女子たちが道を塞いでおり、あれをすり抜けて前方に向かうのは難しい。さっきのこともあるし。あー、邪魔だなー。マジ消えてくんないかなー。


「……やっほ。何で一人なの?」


 俺の存在に気づいたのか、その女子集団から由比さんが出てきた。来なくていいのに……一人でいるの見られるの何か恥ずかしいし。


「稲村たちに仲間外れにされた。俺イジメられてるから」


「あー、それは可哀そうに~」


 彼女は俺のくだらない冗談に付き合う。結構ノリいいのな、この子。


「ってかね、あれだ。お菓子ありがと。明日学校持ってくね」


 由比さんは改まって俺にお礼を述べる。


「別にいい。それにあれだ、セクハラの罪滅ぼし的な」


「あー! あれは酷かった! うちじゃなかったら逮捕もんだよ? ってかうちだからやったんだろうけど……あれ? うちナメられてる?」


「ははっ」


 何だか可笑しくて笑ってしまった。


「あ! なに笑ってるの! また頭ぶつよ!?」


 悪い悪い、と謝ると彼女は「もー」と頬を膨らませる。

 ……そういやぶたられたんだっけか。なんとなくそれを喰らった部分を触る。

 女子にぶたれたのなんていつ振りなんだろう。まさかこのミソジニストである俺様を殴る女がいるとは。

 しかし、そこまで悪い気がしないのはなかなかどうして……はっ! マゾヒストの血がっ……俺集計によると女嫌いの男は意外とMが多い。俺もMだし。『M男が~に~される』みたいなAV好きだし。でも鵠沼みたいな強気な女はいっぺん泣かせてみたい。どっちだよ。


「でも、今日は楽しかったね」


 俺がよくわからない願望を胸に抱いていると、由比さんがそう言った。


「ああ、完全に食いすぎたけどな、俺」


 食べ放題だと少しでも元を取ろうと注文しすぎて胃袋が破裂しそうになるのは男子高校生の習性である。


「違うよ。打ち上げも楽しかったけど、一緒に遊んだじゃん。そっちのこと」


「ああ、そっちか。セクハラされたのにか?」


「うん。セクハラされたけど楽しかった。セクハラされたけど」


「セクハラネタ引っ張るな、おい」


 そう言うと彼女はきししと悪戯っぽい笑みを浮かべた。彼女のこの子供っぽい笑い方、たまに見るな。

 確かに俺も……ああいう感覚、しばらく体験してなかった気がする。新鮮ではあったかな。


「あ、撮ったプリクラさっき見てたんだけどさ、七里くんプリクラの補正でも目全然大きくならないんだね! くくく……」


 由比さんは堪え切れずに笑う。おい。


「笑うなよ……」


 ぶつよ? 今度は俺が。


「だってプリクラで目大きくならないって有り得なくない!? ほんとはいつも目瞑ってるんじゃないの? ってさっきみんなで爆笑してたんだ。ぷくくくく……!」


 え。由比さんだけじゃなく、鵠沼軍団の笑い者にされていたのかよ……屈辱。

 人の生まれ持った顔を笑うとか、やっぱあいつら嫌いだわ。やはり消えてほしい。


「あー面白かった。あ、そうだ。七里くん、明後日ひま?」


 ひとしきり笑い終わった由比さんは急に俺の予定を聞いてきた。明後日といえば一学期終業前の最後の土曜、休日。

 しかしこの「いついつはひま?」って誘い方って卑怯だと思う。だってたとえ「暇だ」と答えたとしても、その誘いが自分の受けたいものじゃない場合、断りづらい。


「えと……何で?」


 なので俺はそうされた際、必ずその内容を先に言わせる。

 もしそれが嫌な誘いだと判明したら「あー、その日微妙だわー。行けたら行く」とか言っておいて、まず行かない。「行けたら行く」ってほんと便利な日本語よね。


「うんとね、その日保土ヶ谷球場で野球部の試合があってバトン部としてうちらも遠征に行くんだけど、七里くんたちも応援しに来ないかなーって」


 うちの野球部は公立の割には強い方で既に二回戦まで勝ち上がったのだが、次の三回戦で強豪の私立高校と当たってしまい非常に厳しい状況、という話は聞いていた。

 なので、野球部を応援するバトン部所属の由比さんとしては、たくさんの生徒を呼びたいということなのだろうか。


「……うん、まぁいいよ、一緒に行くやついれば。保土ヶ谷ならそんな遠くないし、野球は好きだし、野球部に友達もいるし」


 特に嫌な誘いでもなかったので、俺は了承した。長谷あたりなら暇そうだし誘ってみるか。


「あ、それでね。お願いがあるんだけど……イナっちも誘ってくれない?」


 由比さんは妙にかしこまってそう言ってきた。


「……? 何で稲村?」


 まぁもともと誘ってはみるつもりだったが、あいつも部活じゃね?


「いや、うーん……ちょっと色々あって」


 由比さんは茶を濁す。んんん?


「一応聞いてみるけど、あいつ自分の部活あるんじゃね? 試合って昼間でしょ? たぶん無理だと思うけど」


 そう、土曜の昼なんて大抵の運動部は試合やら練習やらの予定が入っているはずだ。稲村の所属するハンドボール部もその例に漏れない。


「それだったら……野球部の試合は午後の最終だし、それ終わった後の夕方くらいからでもいいから来てもらえるようにしてくれない、かな……?」


 えぇ? 何それ? だってそんなの……、


「それ、稲村が行く意味ないじゃん」


 野球の応援に稲村を誘いたかったんじゃないの?


「そうなんだけど……ごめんなさい。そこは深く聞かないでほしいっていうか……。それとこれ、うちに言われたからじゃなくて、部活終わったら保土ヶ谷で遊ぼう的なノリでイナっちを誘ってもらえると……助かります」


 ……? わけわかんね。

 また今日みたいに稲村と遊びたいってことなのか? でもそれだったら明後日じゃなくても保土ヶ谷じゃなくてもいいよな……。 


「別にいいけど……あいつに無理って言われたら無理だぞ?」


「うん! それならそれでいいから! ありがと!」


 何なんだろうかこれは。そもそもそんなに稲村を誘いたいなら由比さんが直接あいつに言えばいいのに。連絡先も知っているだろうし……何でわざわざ俺を経由するんだ。


「あ、そうだ。七里くんLINE教えてよ。詳細連絡するし、プリクラのデータも送らないと」


「え……」


 思わず、躊躇してしまった。


「あ。ダメ、だった……?」


 そんな俺の反応に由比さんも困惑する。

 俺は元カノと別れて以降、女子とLINEを交換したことがない。というか交換しようと言われたことがない。

 これは俺がミソジニストとして女子を基本的に避けていた上での結果なのだが、まさかこんな不意にその機会が来るとは思わなんだ。

 別にそれに変なこだわりを持っているわけではないが、女子とLINEの交換という出来事に慣れておらず、変な反応をしてしまった。


「……俺、既読スルーとかザラだぞ」


 俺はポケットからスマホを取り出す。

 ここまで来て断るのもおさまりが悪いし、それくらいは構わないだろう。そもそもそんなやりとりなんてしないだろうし。


「えー、ちゃんと返してよー」


 などと、由比さんは苦笑いを浮かべながらスマホを操作する。

 そしてふるふるで彼女とIDを交換。すると画面に、さっきバッティングセンターで見せてもらた愛犬をトップ画にしている『さーぼう。』というアカウントが表示された。これかな?


「……さーぼう、って何?」


 純粋な疑問として、口から出ていた。


「ああ、それね。うちの名前『さくら』じゃん? それでチビだし妹だからか家族からたまに『さー坊』って呼ばれるんだ。キモくてごめんね」


 なるほど。稲村あたりが知ったら多用しそうだ。「おい、さー坊。焼きそばパン買ってこいよ」みたいな。


「別にキモかないだろ。俺もこーこちゃ……母ちゃんに変な呼ばれ方されることあるし」


「言い直さなくていいよー。こーこちゃん、可愛いじゃん」


 うん。だからそれは何が可愛いの? 俺がこーこちゃんって呼ぶのが可愛いの? こーこちゃんが俺を変な名前で呼ぶのが可愛いの? 俺が可愛いの? こーこちゃんが可愛いの? どっちなんだい! 


「そういえば七里くん、女好きになった?」


 LINEを登録し終わると、由比さんは唐突に聞いてきた。

 だからそれニュアンスが違う……言いたいことはわかるけど。

 しかし久々な気がする。彼女にそれを聞かれるのは。


「いや、全然でしょ。この間のブス発言見てなかったのか?」


 更には稲村事変でもっと女嫌いになったまでだ。さっきも鵠沼と喧嘩みたいになったけど、由比さんの耳には入っていないのだろうか。


「……そっかー」


 由比さんはさらっとそう言ってスマホに目を戻す。

 ……あれ? まーた「えー! ダメだよ! もっと努力しなきゃ!」とかお節介なこと言われるのかと思ったんだが。


「…………」


「…………」


 そのせいもあった急に話題が途切れてしまい、お互いに黙って歩くのみ。

 俺が何か話を繋げるべきだったのだろうか。でももう今更か。

 コツコツという二人のローファーの靴音と、アスファルトを蹴る車の音が妙に耳に入ってくる。

 この微妙に気まずい雰囲気に呑まれ、由比さんはたった二ヶ月前に俺に告白してきた相手だという要らないことを思い出してしまう。すると俺だけ勝手に気まずさが増す。

 彼女はこの沈黙をどう思っているのだろうか。俺のように内心気まずい思いを抱いたりしているのだろうか。なんて思うのは俺の自意識が過剰だからだろうか。

 そんなことを考えていてもなお、互いのローファーがコツコツと鳴らす音は気になったまま。

 すると「うんしょ」と由比さんはカバンを背負い直す。

 ……もしかして、歩くペースを落としたほうがいいのか? 由比さんは小さいし、実は俺についていくのが大変だったりしてるかもしれない。

 ってかあれだな。せめて車道側歩くべきか、男としては。そうだな、それをきっかけに歩くペースを落とそう。

 俺は前から歩いてくる帰宅途中のサラリーマンをかわすと同時に、スッと由比さんの後ろを通って彼女の左側にポジションを変える。


「あ。ありがと」


「……いや」


 俺の気遣いに彼女は気付いてしまったようだ。少し照れくさい。そのせいもあって更に会話をしずらくなってしまった。クッソ、この沈黙耐えられん。


「あ、暑いな。今日」


 天候に関する話題なんて完全に会話の墓場なのはわかっていたが、いかんせんそんなものに慣れていない俺にはこれ以外に思い浮かばなかった。

 しかも微妙なことに、今日は確かに暑いことには暑いのだが、七月にしてはまだ楽なほうだということだ。けれど手持ち無沙汰でつい口に出てしまった。


「うん、蒸し暑いねー」


 彼女はそう言うが、汗ひとつかいていない。俺に合わせてそう答えただけかもしれない。でも、本当に暑いと思っているのかもしれない。

 ――だが、今の俺はそれを知る術を持っていない。

 そうしているうちに、彼女の方が言葉を続けた。


「うち暑いの苦手なんだよね。寒いほうがまだマシだー。冬は服も色々着れて楽しいし」


 先の犬派猫派の話ではないが、これもたまに話題に上がる夏派冬派議論。

 冬派に多い意見としては「夏は脱ぐのに限界があるし、いくら薄着でも暑いものは暑い。けど冬なら着込めば暖かい」などがある。

 それと由比さんのようにファッションのバリエーションが増えるという意味で冬派になる人間も多いだろう。


「……わかるわ、それ」


 俺はそう答えたが、本当は寒いのが超苦手。冬なんて嫌いだ。

 しかし今はなんとなく、彼女に同調したい気分だった。変に意見をたがえてまた話題が途切れるものアレだし。

 ……いや待て、その方が逆に話は弾むのか? お互いにその季節について好きな部分を主張し合ったりして……あーもう、何かよくわかんなくなってきた。これだから女と会話するのは嫌だ。


「…………」


「…………」


 どうも後者が正解だったらしい。またしても俺らは黙ったまま。

 ふと由比さんの顔を見てみたが、彼女も変わらず平然と前を向いて歩くのみ。

 ……ふぅ、と思わず小さなため息が出る。

 しかし、由比さんはどうしてこんなにも俺に優しくしてくるのだろうか。

 彼女がお人好しだから? ちゃんと和解したから? それとも俺のことがまだ……なんてことはねぇか。

 ――まったく、女は本当に何を考えているのかわからない。

 でも由比さん、あんたは俺を嫌っていいんだ。

 本来ならあんな酷い振り方をした俺を嫌うべきなんだ。俺は嫌われるためにアレをやったと言ってもいい。

 だからもっと嫌えよ。何を仲良くなったように振るまっているんだ。そんなことしてないで嫌えって。こいつは最低の男だと、嫌いになってしまえばいいんだ。だから、

 ――嫌って、くれ。

 じゃないと俺はミソジニストなのに、女のあんたを拒絶しづらい。

 そのせいで俺は、俺が今まで大事にしていた何かがブレてしまいそうで、嫌なのだ。


「…………」


 そして俺は何かを求めるように空を仰ぐ。星に願いを唱えるかのように。

 けれど、夏の夜空というはどうしようもなく雲が多くて星は全く見えず、それはただただ焦がされるだけだった――――。

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