-第12訓- 女子に嫌われない努力に意味はない

「……あんじゃこりゃ」


 今日も今日とて登校すると俺の席には本が山積みされていた。

 これは鵠沼による新たなイジメか何かかと思い、席に近づいていくとその表紙には花々が散りばめられた中にキラキラした柔らかいデザインの笑顔の女の絵が。手に取って中身をパラパラめくると……漫画だ。少女漫画? どういうイジメだこれ? 押し売りでもされんのか、と思っていると、


「七里くーん!」


 朝っぱらにも関わらず元気な声で近づいて来る女子が一人。

 うわ来た。今日は朝から七里更生プログラムのお時間のようですね。

 どうも俺が一人でいるところを狙われがちのようだ。その証拠に稲村たちといる時は気を遣ってなのか来ない。くそ、朝くらいゆったりしたいんだ俺は。そっちの気も遣ってくれ。

 ――しかし、もう俺には強い味方がいるのだ。行け! 和田塚くん! 君に決めた! 

 助けを乞うように彼の席へ目を向ける、が……い・な・い! 席にいない! まだ登校してないのかよ! クッソ、使えねぇ……。


「これ、もしかして由比さんが置いたの?」


 今回は諦めて更生プログラムを甘んじて受けるしかなさそうなので、俺は手に取った漫画を指さして訊いた。言っていくけど押し売りされても買わないよ?


「そそ! うちのじゃないんだけど、優花ゆかに借りたの! これで女心勉強して女好きになろー!」


 由比さんは朝っぱらから元気よく拳を上げる。

 やはり由比さんの仕業か。っていうか少女漫画読んで女好きになるっていう理論がよくわからん。じゃあ少年漫画読むと男好きになるのか? あと何回指摘しても「女嫌いを治す」を「女好きになる」と言っちゃうというね。もう訂正しないぞ。


「よくこんな量学校まで持って来たな」


 持ち主であるらしいユカとかいうのが誰だかは知らんがご苦労なこった。


「違う違う! これ優花が学校にずっと置きっぱにしてあるやつなの! 七里くんは漫画好き?」


「ん~、普通……」


 別に漫画が嫌いなわけじゃないが特別好きでもない。追っている連載作品もない。暇な時にその場にあるやつを嗜む程度。


「普通かー。ってうちもあんまり読む方じゃないんだけどね。小学生くらいの時はちゃおとか読んでたけど」


「ああ、俺もガキの頃は親父が持ってた昔のヤンキー漫画とか適当に読んでたわ」


 漫画に対するスタンスは意外と由比さんも俺と似たスタンスだった。すると彼女は「へ~」と言いつつ少し訝し気になる。


「うちヤンキー漫画とか読んだことないなー。喧嘩ばっかりするんでしょ? やだー」


 女は暴力とかバイオレンス嫌いだもんな。俺も別に好き好んで読んでたわけではないが。それしか家になかっただけで。


「俺も少女漫画とか読んだことないわー。どうせ恋愛ばっかしてるんだろ? やだー」


 と返すと由比さんは「そりゃするでしょ少女漫画だもん」と笑った。それもそっくりそのまま返すぜ。……いや待てよ。


「少女漫画みたいな恋愛もののやつ……読んだことあるわ。稲村がよく薦めてくるやつ。アニメだったかもしれんが」


「えー意外! 七里くんが恋愛もの!? どんなやつどんなやつ!?」


 どういうイメージで俺のことを見ているんだ。別にいいだろ恋愛もの読んだって。まぁ確かにそんなにハマりはしなかったが。


「何かこう……一人の男をたくさんの女たちが奪い合う、みたいな」


「……ん? 逆じゃないそれ? イケメンたちが主人公を奪い合うんじゃない普通? それほんとに少女漫画?」


「たぶん。恋愛ばっかしてるし。知らんけど。稲村が好きなやつ大体そんn」


「――何? 俺の話?」


 そこへ急に稲村が現れた。丁度登校してきたところなのか、かばんも持ったままこっちまで来た。


「うわっ、急に出てくんなびっくりするわ」


 相変わらず朝からイケてる雰囲気を醸し出すこの男は微妙に香水の香りを漂わせながら颯爽と現れたのが何かムカついた。


「何だよいいだろー? で何? 俺がどうしたって?」


 稲村は俺と由比さんを見比べて訊いてくる。


「うっさいのぉ。お前の話なんかしとらんわ」


 面倒くさいので適当に嘘をついたが、


「あー、さては俺の悪口言ってたな? 酷い……七里のことは親友だと思ってたのに」


 そういうのをあえて拾ってわざとらしく泣き真似して寸劇を始める稲村。


「うわキモ。親友とか」


「キモかねーだろむしろ気持ちいいだろ」


「急に長谷みたいなこと言うな」


「あ、やべ。確かにそれはマズいわ」


 そこはマジレスすんのかい。あとな、


「俺はの、じいちゃんから『男のくせに親友とかいう恥ずかしい単語を平然と使うやつは信用するな』って言われてんだわ」


 ちなみの俺には広島に住んでいるじいちゃんがいて結構仲が良いのは事実だが、こんなことは別に言っていない。


「はー? もういいわお前とは絶好だわもう二度と話しかけないで! ……ってなに笑ってんだよ由比」


 稲村の言葉を聞いて由比さんの方を見ると確かにニヤニヤしていた。


「あ、ううん、気にしないで。続けて続けて」


 そう言ってダチョウ倶楽部ばりにどうぞどうぞという仕草をする。


「……違ぇんだよ由比。これはここでお前が仲裁に入ることでオチがつくんじゃねーか。わかってないわー」


 嘘つけ。今思いついただろそれ。結構テキトーなこと言うからなこいつ。


「え!? そうなのごめん! 普通に『男の子だな~』と思って見入っちゃった」


 稲村の適当な発言にマジレスする由比さん。つか『男の子だな~』って何? どういう感想? と思ったのは俺だけじゃないようで、


「何だそれ。意味わかんねーやつだなー」


「えー、何かいいじゃん男の子同士が喧嘩っぽい感じでじゃれ合ってるの。見てて微笑ましい」


 さっき「喧嘩ばっかしてるんでしょ? やだー」とかなんとか言ってなかったか?  どっちだよ。


「ほーん。まあ確かに七里普段あんまノリ良くないけど、こういうのは結構乗っかりがちだよな」


 おい。しれっとディスんな。ノリいいだろ俺。音楽とかかかれば踊るタイプだぞ? と心の中で反論しているのに対し、由比さんは「うん……」と何かを思い出すように、


「……だってうち、そういう七里くん見て――――」


 と言いかけてハッと我に返り口を噤んだ。

 その瞬間俺も背筋に何かが走った。


「ん? そういう七里……? なに?」


 由比さんの歯切れの悪さに稲村は違和感を覚える。


「ち、違う! あの、その……七里くんがイナっちから少女漫画がよく借りてたって!」


 あからさまに慌てる由比さんは咄嗟にさっき二人で話していた内容を告げる。


「あ? 少女漫画? あーそうそうこの山気になってたんだわ。これ楽寺がロッカーの上に置いてるやつだろ?」


 そう言って稲村は山から一冊抜き取り「俺、姉貴二人いるから結構少女漫画は読んできたんだよなー」と呟く。なんとか誤魔化せたようだ。

 ふー……よかった。よかった? 冷静に別にそこまで隠すことじゃないのか? でもなんとなくな。あとさっきから由比さんが言ってたユカって楽寺さんのことなのね。

 

「イナっち漫画好きだもんね! でさ、七里くんにどんな少女漫画のオススメしてたの?」


 ……この由比さんの感じみるに彼女は他言はしたくないのだろう。なら俺もそっちに従おう。俺も変につっこまれたりイジられたりすんのは面倒だしな。


「俺が七里に薦めてるのはラブコメな。少女漫画じゃないぞ」


「……? それって違うの?」


「違う違う! 全ッ然違う! 俺の言ってるラブコメは男向けの漫画でな――――」


 しかし由比さんは何で口を滑らす。なかったことにしてくれと俺は言ったし、彼女も承諾したじゃないか。だったらもう忘れてくれよ。

 ……あれ? 承諾、してたよな? え? してたよな?

 そう思い俺はあの日の由比さんの家でのことを思い出す。

 確か俺の元カノとの身の上話をして、俺は由比さんが好きになるような人間じゃないと説明して、だからあの告白はなかったことにしてくれと問うた。

 それに対し彼女は確か……、


『……はぁあ。難しいね、恋愛って』


 枕を抱きしめ、ベッドに倒れんでそう呟いた。

 ……これってもしかして――――承諾してない、のか?

 いやまさか違うだろしてるだろ。してないなら否定の言葉を返すはずだ。承諾した上で俺の身の上話に対する感想を述べただけ……だよな?


「おい七里。聞いてんのか?」


 稲村のその言葉にハッと我に返る。完全に一人の世界に入っていた。


「え? あ、何だっけ?」


「だからよ、俺がお前に薦めてきたのはラブコメであって少女漫画じゃないって話よ。ちょっとエッチでワクワクする男の夢が詰め込まれたラブコメの魅力を由比に伝えてただろうが」


 どうやら俺が考え事をしている間に稲村と由比さんで何やら談義していたらしい。


「男の子向けのラブコメってそんななのー? やだー」


 ヤンキー漫画に続いてちょっとエッチなラブコメも由比さんは苦手なようだ。

 すると稲村は俺と由比さんを見比べて、


「てかさ、お前ら最近ちょくちょくつるんでるけど、そんな仲良かったっけ? つーか由比は何で七里に少女漫画読ませようとしてんの?」


 なかなか鋭い質問をしてきた。

 いや俺はつるみたくてつるんでるわけじゃない。由比さんが一方的に絡んでくるだけ……でもこれを説明するには由比さんの告白や俺の女嫌いのくだりを話さなくてはならない。

 話を振られた由比さんは明らかに慌てて俺の方もちらちらみながらおどおどしていた。


「いやそのえーっと……ほら美化委員一緒でそれでよく話すようになったの! それで七里くんが女心がわからないって話になって……的な感じ!」


 よく話すようになんてなってないし、女心がわからないなんて話にもなってないが、まぁ由比さんにしては上出来な方便か。ならそういうことにしておこう。


「七里が? マジかよウケんだけど……! お前そんなこと言うキャラじゃないだろ」


 さすがに勘のいい稲村は「確かに女心微塵も理解してなさそうではあるけどさー」と笑うが由比さんの返答に違和感を覚えているよう。どうすんだよこれ。上手い言い訳考えなきゃじゃねぇかめんどくせぇ。


「イナっち~。まーたあたしの漫画読んでんのー?」


 俺が頭を悩ませていると、金髪のお団子頭も首をつっこんできた。

 現れたのはこの少女漫画の持ち主、楽寺さん。稲村が手にしている自分の漫画を見てそう言ってきたようだ。


「ん? ああ、これ? 違う違う、由比が七里に読ませてんだってよ」


「ふーん……。ま、さくらから聞いたけど」


 そういう楽寺さんは俺に冷ややかな視線を送って来る。うわーこの子俺のこと嫌いなんだろうなー。由比さんに告られた次の日に非常階段でヒスられたしな。由比さんもよくそんな俺に漫画貸す許可貰えたな。


「これで女心勉強するらしい。ウケるべ?」


 面白おかしく笑う稲村に対し、楽寺さんは真面目な顔で、


「いや、マジで七里は勉強した方がいい。マジありえないから」


 上から見下ろすように言ってきた。

 何がありえないのかさっぱりわからんが、由比さんを振ったことや非常階段での俺の言動に未だに根を持っているらしい。うぜ。漫画貸し出しの許可出た理由はなんとなくわかったけど。

 そんなナイフのような楽寺さんを見て稲村が口を開く。


こわぁ。何で怒ってんだよ楽寺」


「怒ってないよ」


「いや怒ってんじゃん」


「怒ってないし。そういうのしつこいの、陽菜ちゃんにやると嫌われるよ」


「何で陽菜が出てくんだよ……」


 陽菜とは稲村が中学時代から付き合っている彼女の名前だ。前に一回だけ会ったことがある。会ったと言っても稲村と遊びに行く時にニアミスした程度で挨拶くらいしかしたことないが、いかにも稲村の好きそうな派手すぎない2軍女子の中の可愛い子、的な感じの人だった。


「つーかよく名前知ってんな。教えたっけ?」


「知らなーい。……うまくいってんの? 最近」


「ん? まぁ普通かな」


「なにそれ全然わかんない」


 なぜかわからんが今日の楽寺さんは微妙にご機嫌ななめっぽい。俺がいるからかな。それなら稲村にまで当たるなよ。可哀そうに。

 ふと由比さんの方を見ると喋っている二人を見比べてちょっとそわそわしているような表情をしていた。


「とりあえずこれ読めばええんかの?」


 稲村と楽寺さんは二人でなにやら稲村の彼女論議をしているので、そっちは放っておいて由比さんに尋ねた。今回の更生プログラム漫画読めばいいだけだろ? ちょろくて助かる。これなら和田塚くんの出番なくてもなんとかなる。


「え、あ、うん! 今度感想聞かせてね!」


 感想でいいのか。何か本来の目的忘れてね? そんなことより稲村と楽寺さんの方を気にしているご様子……この二人、何かあんのか?

 とりあえず朝のホームルームまで暇だから読んでやりますか、この少女漫画とやらってやつをよ。



 ×××


「……っぬ」


 雨の降る今日は少し体が冷えるからか、本日二回二の便意を催した俺は休み時間、一人トイレへと向かった。


「お。ういっす」


 そこで偶然、小の方で用を足す和田塚くんがいたので、俺は横で同じく用を足し始めると同時に彼に挨拶をした。


「あ、マスター」


 だからその呼び名……もういいや。めんどくせ。

 そして二人してちょろちょろとあまり上品でない水音をたてる。


「…………」


「…………」


 ふと、和田塚くんに目をやる。

 ちなみに一瞬彼のち○こも見てしまった。男なら分かると思うが、トイレに並ぶと何の気なしについ見ちゃう時がある。なんなんだろうあれ。別に見たくもないのに。まぁよく見えなかったけど。

 ……そんなことはどうでもよくて、前と比べると和田塚くんは見た目が少し変わった。

 初日に俺が言った身嗜みに関して、色々と努力をしているらしい。

 明らかに慣れていないが、あれから髪は毎日セットしてきているし、制服も着崩している。一回香水はつけすぎて臭い時もあったが、今はそんなこともなくなった。

 彼は彼なりに、色々と頑張っているのだろう。言うほど協力もしてないので、よくは知らないが。

 確かにあれ以降、俺は和田塚くんとちょっと仲良くはなったが、もともとつるむメンツも違うし、今でも別にしょっちゅう話をしているわけではない。学校というのはどうしても仲の良いメンツだけで集まってしまうところである。

 だからそういうグループみたいなものから離れる時間にくらいしか彼とは交流を持つタイミングがない。


「何か最近見た目いい感じじゃん。この間由比さんに絡まれた時に和田塚くん呼ぼうとしたんだけどいなくてさ」


 とりあえず評価して自信をつけさせよう。


「ありがとう。あーあれでしょ? 少女漫画薦められたんでしょ?」


 知ってんだ。由比さんが話したのだろう。


「実は自分も薦められたんだよね。これ超泣けたーとか言って」


「へー。でもいいなそっちはちゃんと作品選んで薦められて。俺なんか由比さんも読んだことないの適当に渡されたぞ。女心勉強しろとか言って。楽寺さんにまで言われたしよ」


「はは。あー、何か自分のことのように怒ってくれて嬉しくもあるけどちょっと困ってるって言ってたよ由比も。二人には仲良くなって欲しいのにって」


「無理だろ―。ったく他人の恋愛にいちいち感情移入すんなよ。自分で勝手に恋愛でもしとけよ」


「……一応してるみたいだけどね」


「あ、そうなん? じゃあ俺らのことなんて構ってないでそっちに集中しろや」


「んー、でも楽寺が好きな人……彼女持ちらしいから。色々頑張っているみたいだけど」


「へぇ。浮気相手にでもなろうとしてんのか? クソみてぇな女だな」


 そんな話をしているうちに和田塚くんは用を足し終え、チャックを締めながら洗面台に向かう。


「そういうことではないと思うよ。自分は楽寺に、結構同情しちゃうしね」


 ……そういえばそうか。和田塚くんも思いを寄せる相手に彼氏、ではないけど好きな人がいた状態だったわけだし、状況は似ている。しかもそれが俺という。不用意なこと言ってしまったか。 


「わり、そういうつもりじゃ」


「……でもアプローチしないと始まらないんだよね、恋愛って。楽寺見てるとそう思うよ」


「…………」


 確かに、何もしないで好きな人が勝手に自分を好きになることなんてことは、ありえない。

 『恋人がいる』ってのは、『恋人をつくる努力をどこかでしていた』ってことだ。

 今でも中学の頃からの彼女と付き合っている稲村や、最近仲良く彼女と一緒に下校している江島はもちろん、休日に子供を連れているお父さんお母さんも、早朝に仲良く手を繋いで散歩する老夫婦も、果てやスウェット姿で深夜のドンキに買い物しに来るチャラチャラしたカップルまで、みんな過去にその努力をしていたのだ。その結果二人は一緒にいるのだから。

 モテない男女はカップルを見ていちいち僻むが、それはそんな彼ら彼女らが努力をしていたことなど察することができないからだ。

 なのに何のモテる努力もしないで、振られて傷つくことを何よりも恐れて、勝手に他人の幸福を憎むなど身の程を知らない行為なのだろう。

 すると和田塚くんは呟く。


「でも怖いよね。もし変にアプローチして嫌われたり、キモがられたり、ウザがられたら……って考えると、身が引ける」


 そう、人は皆、強くはない。

 そんな努力もできなくて、傷つくことを何よりも恐れて、他人の幸福を憎んでしまう人だって、たくさんいる。

 俺はもう恋愛なんてする気はないし、別にカップルを羨ましいとも思わないし、女にどう思われようが構わないけれど、昔はどちらかと言えばそっちの人間だったと思う。

 だから、和田塚くんの気持ちは、なんとなく分かる。嫌われることを恐れて立ち止まってしまう、彼の気持ちが。


「……俺の地元のツレにとんでもねぇ〝女誑し〟ウーマナイザーがいてな」


「え?」


 突如として俺が呟くと、和田塚くんが反応した。


「そいつはとにかくモテるから色んなやつにアドバイス求められてたんだけど、ある時言ったのよ」


「『何でお前ら女に好かれる努力しないで、女に嫌われない努力ばっかしてんの?』的なことを」


 そいつには「これやって引かれたり、嫌われたりしたらどうしよう……」などという発想すらなかったのだ。

 奴は容姿端麗だし、変人だし、そもそも日本人ですらないのだが、鋭いこと言うなと当時感心したので今でも覚えている。


「…………」


 それを訊いた和田塚くんは黙っている。

 だがこの言葉、和田塚くんに伝えていいものか迷った。今の和田塚くんにとってはかなり厳しい言葉になってしまうかもしれないと思ったからだ。


「まぁ、これはモテる男の、強者の理論だから、あんま気にすんな」


 続いて俺も用を済ませ、二人で手洗い場に向かう。長ぇしっこだったな。


「……するよ」


「え?」


 横で手を洗う和田塚くんが発した言葉に、俺は振り向いた。


「由比に好かれる努力、するよ。嫌われることを恐れずに」


 おいおいおい。


「……マジか。言うのは易いけど、するのは難いぞ、これ」


 まさかその意見を受け入れるとは思わなんだ。


「でもこのままじゃ何も変わらないから。というか――――ずっと変わらなかったから」


 そう言う和田塚くんはなんかこう、悟っているようだった。

 そして彼は、過去を振り返るように語りだす。


「自分、中学の時は全然女子と交流なんかなくて、それは高校に入っても同じで、でも当時は別にそれでもいいって思ってたんだ」


 ……ちょっとだけ、今の俺に似ている。俺の場合はむしろ拒絶してしまっているが。


「でも一年の遠足の時に、お台場行ったじゃん? そこでジョイポリスのアトラクション並んでたら丁度由比たちのグループが俺らの後ろに並んできて、そしたらいきなり『ねね、ちょっと聞きたいんだけど……みんながこのアトラクション昔事故起きたって言うんだよー、嘘だよね?』って話しかけられたんだ」


 あの遠足か。なぜかお台場でバーベキューした後に観光するという趣旨のよくわからない遠足だったな。

 俺と稲村同じ班だったんだけどつまんなくて途中で班を抜け出してレジャーランドのバッティングセンター行ってたわ。懐かし。

 しかし、由比さんの第一声なんなんだ? いきなりそんなこと訊かれても困るわ。やっぱあの子ちょっと変だよな? 俺にもいきなり告ってくるし。

 そして和田塚くんは話しを続ける。


「由比とはクラスも違ったし、てっきりそれきりだと思ってたんだけど、由比、その後も学校で会う度に話しかけてきて、びっくりして、そんなことが何度もあったから、もしかして俺のこと好きなのかなとか思うようなってさ」


 そういう経緯いきさつだったんだ。じゃあもう一年くらい片思いしてるってことだ。


「でもそれは勘違いで、すごく仲良くなったつもりだけど、それは友達としてであって、恋愛的には何も進展してなかったんだ」


 和田塚くんはそこで軽くふっと笑う。


「まぁそうだよね。だって自分、何もしてないもん。何もしてないのに、由比が自分なんか好きになるわけないよ」


 そして彼は「まぁなんかしたところで、好きになってもらえるかも微妙だけど」と付け加えてから、


「だから……待ってるだけは、もうやめる」


 俺は驚いた。いやさっきからずっと驚いていた。

 もちろんこの決断になのだが、個人的には彼が自分の恋愛についてこんな風に話せてしまうことにも驚いていた。

 俺は自分の恋愛にまつわる話なんか基本的にしたくない。話したくなどない。

 なぜなら――――かっこ悪いからだ。

 確かに俺と和田塚くんでは事情が違うが、二人が持っているのは決してかっこいい恋愛エピソードではない。

 むしろ恥ずかしかったり、情けなかったり、惨めだったりといった話。

 それをこんな風に堂々と話すことは、俺には無理だろう。由比さんに話すのもかなり躊躇ったくらいだ。

 そう思ってしまう俺は変にプライドが高い人間なのだろうか。まぁプライドが低い方ではない自覚はあるが。

 話を戻すが、もちろんその由比さんに本格的にアタックするという心意気もすごい。すごい、確かにすごい、けれど……、


「いやぁそれは……どうだろうか」


 微妙に協力とかしておいてアレだけれど、正直言ってそれは難しいと思う。理由は……色々ある。


「うん。わかってる。わかってるんだ。けど……男なら死ぬ時はたとえドブの中でも前のめり、じゃん?」


「え……」


 思わず声が出た。だってそれはまるで「自分が由比さんと付き合えることはないだろう」とでも言っているようで。

 ……ああ、そうか。そうなんだ。

 和田塚くんはもう、知っているんだ。

 クラスで一番派手なグループに属し、男女ともに人気があって、明るく元気な由比さん。

 クラスでは比較的地味なグループに属し、女子とはあまり関わりがなくて、決して目立つ方ではない和田塚くん。

 誤解を恐れず言ってしまえば、由比さんと和田塚くんは――――格が違う。

 学校とは残酷な場所だ。

 体育祭で応援団を仕切るのは、所謂イケてる男女だけ。

 文化祭でバンドやダンスグループを組んでキャーキャー言われるのも、言うのも、所謂イケてる男女だけ。

 クリスマス、終業式後にパーティやら忘年会やらと称した打ち上げに誘われるのも、所謂イケてる男女だけ。

 バレンタイン、本命チョコや義理チョコ、友チョコを貰えるも、ネタで逆チョコやホモチョコをするのも、所謂イケてる男女だけ。

 そして――――学園ドラマのような恋愛ができるのも、所謂イケてる男女だけ。

 それらを、彼はもう知っている。

 いくら自分が頑張ろうが、努力しようが、この恋がそうそう成就するものではないということくらい、知っているのだ。


「ああ。でもいいんだ、もうこのままは、嫌だから――――」


「…………」


 ……これはもう止められない、そう俺は悟った。

 『男は恋愛をするとバカになる』……これは俺の経験則から得た持論だ。

 俺も中学時代、恋愛をしてバカになっていたから、あの女にまんまと出し抜かれたのだ。

 だからたぶん、和田塚くんもどこかバカになっているのだろう。じゃなきゃこんな選択肢、選ばない。

 でも……、


「……そうか。じゃあ俺はもう、何も言うまいよ」


 そんな彼の姿はとても輝いていて、こっちまで何だか清々しい気持ちになってしまった。

 バカはバカでも、これは愛すべきバカというやつなのだろう。

 ここまでいくと、もはやかっこいいとすら思う。


「ありがとう。じゃっ、先行くわ」


 そう言って和田塚くんは教室に戻っていった。

 和田塚くんの良いところは、何といってもあの『人の意見をちゃんと聞き入れるところ』だと思う。

 俺が言った『身嗜み』、地元のツレが言ってた『嫌われない努力じゃなくて好かれる努力をしろ』、この二つを平然と受け入れた。

 日本人は周りに影響されやすいとか云うけれど、俺は逆に意外と他人の意見を聞き入れられない人の方が多いんじゃないかと思う。

 誰かに「こういうやり方のほうがいいよ?」と言われても、何だかんだで最終的に「それは自分に合ってない」「自分はそういうタイプじゃない」「そういうのは好きじゃない」とか言い訳して、結局自分のやりたいようにしかできないことが多い。

 例えば勉強。夜は早く寝て朝方に切り替えた方が効率が良いとは云うが、大抵の人間はそれがなかなかできなくて「自分には向いてない」と勝手に判断してやめてしまう。

 例えばスポーツ。基礎が出来上がらないとある程度までしか上手くなれないと云うが、大抵の人間は地味な基礎練習を嫌い「自分はもう大丈夫」と勝手に判断して派手で楽しい練習に流れていってしまう。

 これらはわかっていても、なかなかできないことだ。

 俺もこだわりはかなり強い方だから、自分の意見はなかなか変えられないし、変えたくもない。たとえそれが間違っていると知っていても。

 そして厄介なことに、そんな『こだわりの強い自分』に酔っている部分がないと言ったら嘘になる。

 だからそれをあんな風に平然とできてしまう彼は、結構すごい奴なんじゃないかと思うのだ。

 去り際の姿も、かっこよかったぜ。その前の『竜馬がゆく』の引用も非常にクール。

 ……ただ一つ難点を云えば、それはこんな小汚い男子トイレ以外でするべきだったかな。

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