小さな死

 見張り塔の屋上へ駆け上がったヴラマンクとルイは、“王樹竜アルブル・ドラゴン”たちが続々と上陸する様子をその目で見た。


 だが、1体だけ、沖合いに浮かんだまま動かない“王樹竜アルブル・ドラゴン”がいる。


「ルイ、あれだ、見えるか? おそらく、あれに“魔風士ゼフィール”が乗っているはず!」

「分かりました!」


 ルイが“太陽王の剣ロワ・ソレイユ”を天高く突き上げる。

 その先端に小さな火球が宿ったかと思うと、火球はみるみるふくれあがり、砦の敷地よりも大きくなった。


 大地に降り立つ太陽のごとき巨大な炎は、真下にいるヴラマンクたちを毛ひとつ焼くことなく、静かに輝いている。


「行きますっ!」


 ルイはかけ声とともに“太陽王の剣ロワ・ソレイユ”を振り下ろす。

 “太陽王の剣ロワ・ソレイユ”の先に宿った巨大な火球は、残る長命将軍ロンジェ・ヴィテが乗っているだろう王樹竜アルブル・ドラゴンに向けてゆっくりと進み始める。

 その進路に2体の“王樹竜アルブル・ドラゴン”が割って入り、進路を塞いだ。塔よりも高いその首は、ルイの放った火球に触れただけで消し炭と化す。


「あ、あんな簡単に……」

 思わず、ルイが怯えた声を出した。


「チッ、だが、2体倒せたはいいが、火が消えちまったぞ。ルイ、もう1発今のやつ、撃てるか?!」


 ヴラマンクが叫んだ、その時、大地が揺れるような轟音が響く。


「王さま、下です!」


 途端、見張り塔の下から霧とともに長い首が伸び、ヴラマンクたちを見下ろした。


「まずい、いかずちだ!」


 天が割れたかと思えるような轟音。満足に目を開くことすら出来ぬ閃光。

 いつだったか、騎士たちを一瞬で焼き焦がした神なる鉄槌は、今はその何倍もの太さの一条の光の奔流となって、ヴラマンクたちを襲っていた。


 むろん、ヴラマンクたちに、それを知覚してから躱すすべなどない。しかし、2人がその様子をまじまじと見ることができたのは、竜王の怒りを太陽王の剣ロワ・ソレイユがただその一身ですべて受け止めていたからであった。


「うっ、わっ、ちょっ!」


 耳に障る大音声の中で、ルイのか細い声が聞こえていた。なおも竜はいかずちを吐き続けていたが──、ルイの持つ太陽王の剣ロワ・ソレイユが、それを喰らい続ける。


「ああああああっ!」


 剣に体を振り回されていたルイが体制を立て直し、剣を振るった。瞬間、いかずちは千々ちぢに裂け、見張り塔にいくつもの穴をうがつ。


 竜は──、“半神華フルール・ピュイサン”の末裔たちの王たる竜は、しばらくの間、動かなかった。


 不審に思ったヴラマンクが1歩進んだとき、“王樹竜アルブル・ドラゴン”の長い首がゆっくりと手前にずり落ちていった。その切り口は、黒く焼け焦げている。


き切った、ってことか……」

 あまりのことに、ヴラマンクはしばし呆然と立ち尽くす。


 と、その頭上に、いくつもの巨大な影が下りた。


「王さまっ!」

「……おい! おいおいおいおい!」


 轟々と、風がうねる。竜が、頭上を羽ばたいていた。


「あんなの、俺は見たことないぞ!」


 190年生きたヴラマンクでさえ知らなかった。“王樹竜アルブル・ドラゴン”が、飛翔することなど。蔦を幾重にも編んだような翼を伸ばし、4体もの“王樹竜アルブル・ドラゴン”たちがこちらを見下ろしていた。


 咆哮。

 それに相前後して、竜の全身からポラックのいばらよりも太い、数百もの蔦の槍が伸びる。


 だが、


「王さま、ボクの後ろに!」


 ルイがひとたび剣を振るうと、2人を死へといざなう数百もの樹槍は、その半ばで切断され、燃え尽きながら塔の下へと落ちていった。


 4体の竜が、一斉に霧を吐く。


「おい、ルイ! また──!」

「大丈夫です、王さま」


 応じるルイの声は冷静だった。

 ルイはただ、頭上に剣を掲げただけだった。


 先ほどの数倍もの轟音が響く──!

 しかし──、4体の“王樹竜アルブル・ドラゴン”による同時攻撃でさえも、太陽王の剣ロワ・ソレイユは受け止めてみせた。


 その剣の先に、先ほどと同じように、小さな火球がともる。


「いぃ……っ、けぇぇぇぇっっっ!!」


 火球はたちまち、天を覆い尽くさんばかりに膨れ上がると、4体の“王樹竜アルブル・ドラゴン”の全身を飲みこんだ。


 大地に生まれたもうひとつの太陽は、まるで海へと没するのが自然の摂理であるかのように──、泰然と進んでゆく。


「あれは……、なんつう力だ」

 ヴラマンクが呆れた声を出した。


 ルイの放った火球が海に浮かんだままの最後の“王樹竜アルブル・ドラゴン”を飲みこむ。


 火球の半分が海中に没したころ、“王樹竜アルブル・ドラゴン”の中心から、金の光が北に向かって飛んだ。おそらく、“半神華フルール・ピュイサン”の末裔を操っていた“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”の“華印フルール”だろう。サングリアルに侵攻してきていた最後の魔風士ゼフィールだった。


 巨大な力を前に、ヴラマンクも、その力を放ったルイでさえも、しばらくは何も言うことができずに呆けていた。


「……これで、リュードは再び眠りに就くんですよね?」

「あぁ、そのはずだが……」


 ルイが力なく尋ねた、瞬間、海とは反対側、サングリアル軍が戦う戦場から怒号と悲鳴が聞こえる。


「王さま、まだ、“屍人モール”が!」


 見張り塔の屋上からは敵味方が入り乱れて分からない。

 優勢な方がダンセイニ軍だとするなら──、その数は、まだ6000以上はいるはずだ。

 対するサングリアル軍は、哀れなほどに少ない。散り散りになった兵士をすべて合わせても、1500に届くかどうかといったところだろう。


「リュードはまだ眠ってはいなかったのです! 早く、加勢に行かないと!」

 先ほどの火球ではサングリアル軍もろとも消し飛ばしてしまう。ルイが急かすが、ヴラマンクはルイを押しとどめた。


「いや、いい。行くな、ルイ」

「ですが! まだ戦いは終わっていません! 兵士たちを助けなければ!」


「いいや。もう終わりだ。これでな」

「そんな……! あきらめるのですかっ?」


 そう叫んだところで、ルイはヴラマンクが風を集めていることに気づいたようだ。

「え、なに……?」


「ルイ、俺とリュードの『力比べ』の話は覚えているか?」


 ヴラマンクの『眠り』の力が強まれば、2人の王は共に眠る。

 リュードの『不滅』の力が強まれば、2人の王は共に目覚める。

 それは前の大戦の際、2つの“華印フルール”が力を及ぼしあったときからの宿命だった。


 ヴラマンクが右手に集めた風が暴風のような勢いで辺りをなぐ。

 ルイは何か言おうとしていたが、風の勢いが強く、言葉を発することも出来ないようだ。──だが、風の中心、ヴラマンクが立つ場所だけは無風の状態である。


「いいか、ルイ。お前が持つ〈太陽の向日葵フルール・ド・ソレイユ〉には、もうひとつの力がある。──それは太陽の力を、他の“華印フルール”にも与えること」


 薄紫色の風はますます勢力を増し、砦の外にまで影響を及ぼし始めた。砦を囲む森の木々が折れ、倒れる音が、断続的に耳に届く。


「太陽の力を借りて、初めて使えるようになる俺の最高の力。“屍人モール”どもを安らかな眠りへ誘う力。それが“死の眠りソメーユ・モール”だ」


 その力をひとりに向けたことで、魔王リュードさえも100年の眠りに堕とした術だった。


「王っ……さまっ、やめて……、くだ、さ……!」

「ルイ、いいんだ。これが俺の役目だ」


眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の開花条件は『答えて下さい』という思いだ。

 武器庫には、初恋の幼なじみの遺書も入っていた。

 しかし、ヴラマンクはその遺書を開けることがずっと出来ないでいる。──答えを知るのが、怖かったから。


(俺を愛してくれていたのだろうか)


 思いは、届かないからこそ募る。胸をなぐ郷愁。切ない思いが頂点に達し、ふいに、風が止んだ。


 ヴラマンクの手には紫色に輝く光球がにぎられている。それは、極限にまで圧縮された力の結晶だった。


「王さま! 今、力を使ったら、今度は何十年眠ってしまわれるか……!」


 おそらく、今この時、リュードの力は極限まで弱まっている。

 その状態でヴラマンクが力を使えば、以前のように100年近く眠ってしまうことも考えられた。いや、それよりも、赤ん坊になって消えてしまうほうが先か。


「もう遅い。力はすでに満ちた」

 ヴラマンクは右手を高くかかげ、力を開放した。


 輝く球形の風が戦場の中心へと飛んでゆく。球体がはじけ、その場を中心に、台風のごとき大風が起こった。


 閃く影が、大地をないでゆく──。


「王さまっ!」

 ルイが後ろから抱きついてきた。


 眼下で“屍人モール”たちが魂を抜かれたように次々と倒れていくのが見える。

 残ったダンセイニ兵は、1000にも満たないだろう。


「俺が消えたら、リュードは再び目覚める。……その時は、サングリアルを頼む」

 ルイの返事はもう聞こえなかった。


 ヴラマンクの全身を心地よい疲労と眠気が襲う。それは懐かしい友人に出会ったような、奇妙な懐かしさをともなう感覚だった。


(眠りとは、小さな『死』か……)


 この感覚こそが、『死』と呼ばれるものの正体なのかも知れない。足から力が抜け、ルイに抱きとめられる。意識が失われるさなか、ヴラマンクはそんなことを思った……。

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