最悪の華印


 ロウィーナ砦の城壁の内側は驚くほど静かだった。


 ヴラマンクとアテネイが起こしていた風の渦がやみ、砦をおおっていた炎は森のほうへ空気を求めたのだろう。火はすっかり消えていた。

 だが、それにしては鎮火が早すぎた。そのため、“魔風士ゼフィール”の力が関わっているのではないかと踏んだのだが……。


(ロウィーナ砦に“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”が残っているというのは勇み足だったか?)

 そう思えるほど、砦からは物音ひとつしない。ときおり、まだくすぶっていた燃えカスがはぜるだけだ。


「陛下、そろそろ教えてくれませんか? ダンセイニに眠る〈ラ・モール〉とは一体なんなのか」

 先頭を行くペギランが振り返らずに問う。


「──あぁ。俺のほうもようやく確信が持てたしな。今のうちに話しておくか」


 デグレが教えてくれた最も大事なものとは、すなわち、『情報』。


 武器庫の奥にはサングリアルとダンセイニの600年にも渡る戦いのすべてを記された軍事録があり、その中に、ダンセイニに眠るという〈ラ・モール〉について書かれた記述があった。

 ──すべては600年前、サングリアルがダンセイニから『あるモノ』を奪ったことから始まるという。


「ダンセイニの地には〈ラ・モール〉と呼ばれ恐れられる、ある華印フルールがあった。いや、単なる華印フルールと言うのも生ぬるい。世界を思うままに支配していた“始原神華メール・ド・フルール”たちの頂点たる13体の覇王──そのうちの1体が変じた、“覇王華印マーニュ・フルール”とでも言うべき華印フルールがな」


「なんなのです? それは」

 最後尾のルイがあたりを警戒しながら聞く。


「〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉という名前で、その“覇王華印マーニュ・フルール”は呼ばれている。人の手に渡れば、世界を簡単に転覆てんぷくさせる力を秘めた最悪の華印フルール

 その“覇王華印マーニュ・フルール”は、はるか昔、大陸で泥沼の抗争を引き起こした。9つの国が滅び、90万の兵士と、9千人にも上る“魔風士ゼフィール”が犠牲になった挙げ句、最果ての地ダンセイニに封じられた、ということらしいな」


「9千人の“魔風士ゼフィール”ですか……」

 ペギランは90万よりも、9千という数字を恐れた。ポラックとの戦いで“魔風士ゼフィール”の恐ろしさが身に染みて分かったのだろう。


「その、最悪の“覇王華印マーニュ・フルール”の暴走を抑えていたっていう『あるモノ』を、昔サングリアルが奪ったそうだ。これは俺ですら知らなかったことだ。……おそらく、サングリアルで最も古い家柄のひとつであるボーフォール家に伝わる秘史だったんだろう」


「じゃ、じゃあ、その『あるモノ』を返せば戦争は終わるんじゃないですか?」


「いや、事態はそんなに単純じゃない。サングリアルが『あるモノ』を奪った理由というのもダンセイニが覇権を唱え始めたからだ、と言うし。

 ──それに、万が一〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉を操ることができる“魔風士ゼフィール”がダンセイニに現れたとしたら? やつらが自制してジョフリー島に引きこもっていてくれるとは、俺には思えない」


 ペギランは、再び言葉を選びながら質問する。

「あのォ……、陛下はこの戦いの前に、敵の“魔風士ゼフィール”をすべて倒せば戦争を終わらせられるかも知れないとおっしゃってましたよね? それはどういう意味だったのです?」


「──ダンセイニの根幹を支えているのが、“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードの持つ〈不滅の沈丁花フルール・ド・ダフネ〉の力だということは分かるだろ? 兵には不死を、“魔風士ゼフィール”には不老の力を与える」


「はい」


「しかし、それでもリュードの力は完全じゃないんだそうだ。リュードの相反する『不滅』の力によって〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉の『死』の力を抑えているため、全力を出せていないらしい」


「そのことと“魔風士ゼフィール”を倒すことにどういった関係があるんですか?」


「〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉は他の“華印フルール”の力を吸って、力を増す最悪の“華印フルール”だ。

 ポラックを倒したとき、やつの“華印フルール”が北の彼方へ飛んで行っただろう? 〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉の元に引き寄せられたんだ」


 華印フルールは“魔風士ゼフィール”に使われることで、自らも力を増す。

 ポラック・メルロという“魔風士ゼフィール”のおかげで、〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉は〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉のくびきから逃れていた。

 だが、“魔風士ゼフィール”を失ったため、再びそのくびきに捕えられた──。


「ダンセイニの“魔風士ゼフィール”を倒すと、解放された“華印フルール”の力を吸って〈甘き死の覇王花フルール・ド・ラフレシア〉が力を増す。すると、その力に対抗している“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードの力は弱まる……?」


「そう。敵の敵は味方、ってこったな。前に話した“つながり”によって、今の俺にはなんとなくリュードの力が感じられる。ポラックが死んでから、リュードはかなり弱っている。サングリアルに上陸した“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”をすべて倒すことができれば、リュードを再び眠らせることができるかも知れない」


 ヴラマンク自身も、確信を持っていたわけではない。

 しかし、〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉が北に向かって飛んで行った時から、自分の力が高まっているのを感じていた。それはつまり、リュードが弱っているという証左に他ならない。


「おーさまっ、あれ……っ!」


 ──突然、アテネイが鋭い声をあげる。

 勘のいい少女が指差した方向──海に面する見張り塔の屋上を見上げると、くすんだ灰色のローブに身を包む、学者然とした面持ちの青年が顔をのぞかせていた。


「構えろ!」

 思わず攻撃を警戒する。


 ──だが、男は嘲りにも似た笑みを浮かべ、奥へと消えていった。


(誘っていやがる)

 おそらく、罠だろう。


 みすみす飛び込むのは危険だが、今は何にせよ時間がない。

 沖合にはまだ数頭の“王樹竜アルブル・ドラゴン”が優雅にその長い首をくねらせている。あのうちの1頭でも、陸の戦が不利と見て上陸すれば、それだけで戦況は激変する。やつらを操る“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”が態度を決めあぐねているうちに、勝敗を決しなければならない。


 ヴラマンクは「いいか」と仲間たちを振り返った。

「“魔風士ゼフィール”同士の戦いは、数の多いほうが有利だ。俺とアテネイの力でやつを押さえつけるから、ルイとペギランが叩いてくれ。──ただし、2人は“華印フルール”の攻撃を防ぐことが出来ないから、充分に気をつけろ」


 全員、神妙な顔でうなずいた。

 4人は一丸となって、見張り塔を駆けあがった。

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