決死
霧の中から、今もなお続々と敵軍が姿を現している。
まだ半分も出てきてはいないだろうに、すでに対するサングリアル軍よりも多い。
サングリアル軍は騎士が600ほどで、残りの1500は歩兵ばかり。
せっかくレスカトール王国から輸入した3000頭の軍馬も、乗れる者がなければ意味はない。軍馬はがれきを運搬するための
敵の全軍がまだ平野に達しないうちに、森の奥深くから黒い影が伸びた。
天上におわす
──それが、敵将ポラックの〈
「あんな遠くから……!」
広大な平野に比べれば糸のようなものだろうが、1本1本が宙を飛ぶ
「みんな、散れ!」
すぐさま指示を飛ばすが、歩兵ばかりの隊の歩みは絶望的なまでに遅い。毒づき、馬を駆って隊列の前に走る。
「ポラァ──ック! 俺ならここだ! 俺を狙え!」
おそらく、自分を憎んでいるだろう敵将を挑発した。
だが、いばらの鞭ははるか後方から横殴りの雨のように伸びて、騎士たちと兵士たちを次々に弾き飛ばしていくばかりだ。
「くそ! 俺だ、俺を狙えポラック!」
叫び、単騎で敵軍との中央に躍り出るが、いばらの鞭は一向に意に介さない。
(もし──、やつが高台から、この平地すべてを捕えることが出来るとしたら?)
美しき
疾走する馬の蹄の音よりも速く、騎士たちが突き殺されていく鈍い音が、断続的に響く。
瞬きの間に、1人。
振り返る間にまた1人。
恐ろしい速さで自軍の兵士たちがやられていく。
「アテネイさま、私に“
ペギランが叫んだ。
ルイの馬に乗ったアテネイが手をかざし、白銀を風を起こす。
すでに20本近いいばらの蔓が騎士たちを襲っていた。
ポラックのいばらは大地をえぐっては高台へと消える。だが、何本か、大地に突き刺さったままのものがあった。
ペギランはそのうち1本に駆け寄り、手にした剣で、丸太のように太い蔓を地面へと縫いつけた!
よほど深く刺さったのか、いばらはウネウネと蠢くが、新たな兵を襲えないでいる。
「誰か、ペギランに新しい剣を! それからアテネイ、俺にも“
ヴラマンクも馬から飛び降りざま、渾身の力でいばらの蔓を地面に縫いつけた。硬い外皮を突き破り、ぶちゅんと音を立てて、丸太のような蔓を貫く。
ペギランと2人でいばらを次々に縫いつけていくと、動けない蔓に引っ張られるようにしていばらの出所が少しずつ平野へとさがってきた。
2人で8本の蔓を地面に縫いつけたところで、1本の蔓が低空を横になぐ。ヴラマンクは跳び上がった馬に必死でしがみついた。蔓を地面へと縫いつけていた剣は柄の部分からぽっきりと折れている。しかし──、
「ようやく下りてきたな、ポラック!」
敵将ポラック・メルロが、霧の中から現れたのが確認できた。
魔将の後ろには霧の元凶・
これでようやく、敵の全軍が姿を現したようだった。
† † †
どんなに少なく見積もっても、ダンセイニ軍の数はおよそ7000以上。体中からぶすぶすと煙を上げながら、こちらの3倍を超す大軍勢が平野を覆い尽くさんばかりに広がっていく。
「やはり、
人間の体を完全に焼失させるには高炉で半日は焼き続けなければならない。多少、表面を焦がした程度では
「まだ戦端が開かれてさえいないってのに、もうだいぶやられちまったぞ」
地鳴りのような音が響く。
剣に縫いとめられていた蔓が、再び騎士たちを襲っていた。
「まずい!」
ポラックは片時も手を休めるつもりはないらしい。
距離が縮まった分、いばらの攻撃は一層
先ほどの命令に従い、サングリアル軍は平野に散らばって展開していたが、ポラックの放ついばらの蔓は、騎士も歩兵も端から順に突き殺していった。
「あんなの、どうやって止めればいいんだ!」
思わず、呪詛の声が漏れた。
──これではサングリアルの騎士隊は、一度も突撃することなく全滅してしまう。騎士たちはすっかり怖気づき、かなり浮き足立っていた。
「くそっ! サングリアルの戦士たち! 左翼に向かって撤退!」
号令を聞いた瞬間、騎士も歩兵も全員が弾かれたように逃げ始めた。
戦場の北には高台の森とつながる黒い森がある。逃げるならば、そこが最良の選択肢だった。
逃げ出したサングリアル軍を見て消火に戻ろうというのか、ポラックの追撃が緩む。その時──、
「転進!」
力の限り叫んだ。
ヴラマンクの命令に、騎士たちが再び敵陣へと向き直る。遅れてついてきた歩兵たちを押しのけ、騎士たちが前に進み出て隊列を組んだ。
(食いついてこい!)
ポラックの攻撃が再開される。
ヴラマンクのすぐ横を通り過ぎた影が、哀れな騎士の鎧を内側にへこませた。
最前列に並んだ騎士たちが1人、また1人と突き飛ばされていく。だが、騎士たちはなおもその場に留まり、赤く充血した眼を平野の先に向けていた。
「サングリアルの騎士たち!」
もう一度、ヴラマンクが叫ぶ。
「今日がそなたらの死ぬ日! ここがそなたらの死地だ! 死を恐れるな! 死は我らと共にある!」
アテネイの“
「死を友とし、破滅へと進め! そなたらの仇敵に、我らの死に様を見せろ!」
敵の
「我らは死の申し子! 破滅をもたらす者! やつらを打ち滅ぼす赤き魔獣ぞ!」
雄々しく空を進む2頭の
(まだだ、騎士たち、こらえてくれ……!)
騎士の数は、もはや開戦時の半分にまで減ってしまっている。
「敵の心臓にそなたらの槍を突き立てよ! 突け! 貫け! 刺し殺せ!」
敵陣の背後にいた
──ヴラマンクはカッと目を見開き、風を切る音を立てて剣を振り下ろす。
「突撃ィ──ッ!」
待ち切れなかった、といったふうに騎士たちが飛び出して行った。
わずか300ほどの騎士たちが、7000の軍に立ち向かっていく。
その後ろから、こちらも900近くにまで減った歩兵たちが全速でついて来ていた。
──ヴラマンクはゆっくり引き伸ばされたような感覚の中、その光景を見ていた。
左腕をだらりとぶらさげながら、右腕に槍を抱え持つ騎士がいる。
顔面にいばらの槍を叩きこまれた騎士が、目を見開いて蔓に噛みつきながら、馬から落ちていくのが見えた。
馬のいななきと
自分の鎧が軋るのがやけにうるさい。
正面に、生気のない顔をした
「右だ! 来るぞォ──ッ!」
ポラックの放ついばらの鞭が右手側から横なぎに来るのが見えた。
ヴラマンクは最右翼へと馬を走らせ、強度を高めた
──刹那、ヴラマンクとともに最前列を走っていた騎士の体が、馬もろとも、バラバラになって零れ落ちる。
天空から
(眠らせるか? いや、ダメだ! ──これで終わりじゃない)
ヴラマンクの力は、後列に控える大物のためにとっておかなければならない──。
その時、ペギランが馬から跳び上がって
(逃げろ、ペギラン!)
そう思うが、言葉にならない。悪い想像に、口の中がからからに乾く。
だが、ヴラマンクの心配は杞憂に終わった。
なぜか、
音を立てて、ペギランをぶらさげた
やがて、最強の
「あいつ、やりやがった!」
しかし、喜べるのも束の間に過ぎない。ぶ厚い敵の布陣に阻まれて、はじめの突撃の勢いは完全に殺されている。戦場は混戦の様相を呈し始めていた。
「くそ! これじゃ、歩兵が合流したところで、『
サングリアルの兵士たちは、圧倒的な数の
「おい、ヴラマンク。あきらめて降参したら? まぁ、許してはやんないけどな!」
上空から、自分を呼ぶ声がする。
襲い来る
「いいや、その前にお前を引きずり落とす」
「そんなの……、出来るわけない」
呆れたようにため息をついて、ポラックが豊満な胸を支えるように腕を組む。
高い鼻の穴が自尊心のせいか、大きくふくらんで見えた。
ヴラマンクの言を負け惜しみだとでも思ったのだろう。しかし、ヴラマンクは必勝の笑みを浮かべ、ポラックをにらみ返した。
「いいや、出来る!」
その耳にはすでに勝利の音が聞こえていた。
「あれは……、荷馬車? なんだってあんなものが」
ポラックが呆然とつぶやく。
いばらの攻撃に耐えかねて、サングリアル軍は戦場の北へと逃げた。
そちらに向けて布陣し直したダンセイニ軍のガラ空きになった南には、がれきを運ぶのに使った荷馬車と、3000頭の軍馬が目立たないよう集められていた。
「え」
ポラックの顔が凍りつく。
ヴラマンクの位置からは見えなかったが、3000台の荷馬車が妖艶なる
ポラックの座るいばらの椅子が、逆さの振り子のように大きく揺れる。荷台に隠れていた義勇兵たちが突進の勢いに任せ、いばらの柱に斬りつけたのだろう。
──馬を乗りこなし、戦うためには10年の訓練が必要だ。しかし、馬車なら。馬車なら平民でも、真っ直ぐ走らせるぐらいは出来る。
「え、なに」
ポラックはまだ事態を飲みこめていない様子だった。そそり立ついばらの柱が、主を乗せたままゆっくりと倒れていく。
敵陣の背後から、3000騎の馬車兵が突き刺さった。馬車兵によって開けられた陣形の穴を抜け、ポラックが落ちたあたりに馬を走らせる。
すると、
「ナ・メ・ん・なぁ~~~!」
美しい敵将の怒号が、戦場に響き渡った。
と、同時に、敵将がいるあたりから、爆炎のように幾本ものいばらの蔓が噴き出す。
「ちっ、あの程度の奇襲じゃ、やっぱ仕留められないか!」
他の
しかし、ポラックは違う。〈
「こんなもの、壊しちゃえば終わりだっ」
ポラックがいばらをひと振りしただけで、荷馬車は簡単に壊れ、乗っていた義勇兵たちがその場に放り出される。
──馬に直接乗る技術がなかったころ、人は馬に
だが、
「やってくれるじゃんか、ヴラマンク。このあたしが、これだけの兵に囲まれることになるとはね。……だけど、またすぐに見通しをよくしてやるよ!」
そう言った
「くそ! “
今、敵に近づけるのは
「いいね、一騎打ちか」
黒髪の乙女は口の端をあげ、ヴラマンク目がけて幾本ものいばらの槍を伸ばした。
「がっ! くそっ! こんなもんっ!」
めまぐるしく
「ポラック、覚悟しろ!」
馬から半身を乗り出し、敵将を切り上げようと、剣を振り下ろす。
「あーっはっは!」
その時、ポラックの笑みが哄笑に変わった。
瞬間、ヴラマンクの体が馬ごと上空に向かって突き上げられた。いばらの蔓が地面から大木のように伸び、ヴラマンクを空に縫いつける。
「こないだみたいに、あんたはそこで見てるといいよ」
自軍がなすすべなくやられていく様を、黙って見ていろということか。
ポラックは
「くそ、動かん」
ヴラマンクは風を起こし、地面に散らばるがれきを舞い上げた。がれきが
「おい! あんたから殺したって、いいんだよ?」
ポラックが目をむいて怒鳴った。しかし、ヴラマンクはそれに応じず、叫ぶ。
「お前たち、俺に構うな! 敵将を討ち取れ!」
目下に、白銀の風に身を包んだペギランの姿が見えていた。ペギランに率いられた戦車隊の一群が、ポラックに向けて猛然と突進を開始する。
「また、同じことの繰り返しになるだけだってのが、分かんないの?!」
がれきの邪魔をものともせず、いばらは即席の
しかし──、破壊された
(今の突撃は再布陣の時間を稼ぐための囮。がれきの嫌がらせは目くらまし──!)
ヴラマンクが強く拳を握りしめた、次の瞬間、
「は、なに? ……え?」
ポラックの腹に、槍のように長く大きな、鉄製の矢が突き立った。続く数瞬で、その全身に無数の矢が生える。
「え、なに、なんなの……?」
美貌の
「なんだ、これ。なんであたしの体から、鉄の槍が生えてんの……?」
──いかに
弓射など指の形が変わるまで訓練しなければ、使い物にはならない。だが、器械で弦を引く
「初めから、これが狙いだったってこと……? 荷台に、伏兵を隠して……」
弱々しく問う声は、死神のごとき
ポラックの推測通り、攻城戦にも使われる巨大な
射程距離を犠牲にして発射した鉄製の槍は、ヴラマンク1人分より重い。
「陛下、お怪我は?!」
ペギランが主のいない馬を連れて駆け寄ってくる。
ヴラマンクは荒い息をするポラックに、静かに剣を突きつけた。
「今楽にしてやる。もう休め」
「い、いやだ。死にたくないよ……」
ポラックの目には大粒の涙が浮かんでいた。
その胸の中央に、ヴラマンクはゆっくりと剣を刺し込んでいく。
100年以上もの年月を生きた美しき
瞬間、ポラックの胸元が赤く輝く。平野を一面赤く染めた〈
「これで、ようやくひとつ〈
「なんです、〈
不審げに尋ねるペギランをよそに、ヴラマンクの顔にはかすかな安堵の色が浮かんでいた──。
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