アスール村


 ヴラマンクが目覚めた翌々日。


 ロウィーナ砦から20リュー、馬なら1日、徒歩で2日ほどの距離にあるアスール村の領主屋敷に、ヴラマンクたちは潜伏していた。

 屋敷の中には無数の騎士の他、ペギランやルイ、アテネイの姿もある。他にも、村の随所に騎士たちが隠れていた。

 屋敷の採光窓の木戸は閉め切っていたが、隙間から入る光が薄暗い室内を照らしている。


「本当に来るんでしょうかねぇ?」

 ペギランが窓の外を覗き、不安そうに聞いた。


「デグレからの使者の情報を信じるしかないなぁ」

 デグレとは使者を通してしかやり取りが出来ていない。

 使者によると、ロウィーナ砦の周辺で唯一まだ襲われていないアスール村は、いち両日中に襲われる可能性が非常に高かった。


「た、頼みの綱だった、デグレ卿が近隣の領主から借り集めてくれた騎士も、900騎ほどでしたし。王都の騎士やジュール卿の騎兵隊を合わせても、来れたのは1700騎しかいないじゃないですか。相手は2000ですよ。──か、勝てるんですかねぇ」


「ジュール軍と戦ったときだって、150騎で1400の兵を相手にしただろうが。村の焼打ちに全軍が出てくるはずもない。多くて200程度だろう」


「うぅ。それは、そうですけどぉ。──だ、ダンセイニは、死人を兵にしてるって話じゃないですか! そんな相手に、どうやって戦えば……」


「あぁ、“屍人モール”の軍か……」

不滅王レーネ・イモータリテ”リュードの力によって『不滅』の力を与えられた不死者の軍団だ。確かに厄介な敵だが、ダンセイニが真に恐ろしい理由は他にある。


「ダンセイニには人が住める土地などほとんどない。ろくな耕作地帯もないし、食べる物にも事欠くありさまだ。──そんな、人口わずか6万人未満のダンセイニ王国が、サングリアルを脅かすほどの力を持つのはなぜだと思う?」


 人口比で言えば、97年前でさえサングリアルの半分だ。この時代にどれだけ人口を増やしたかは分からないが、サングリアルより多いことはないだろう。


「それは、ですから、その“屍人モール”とやらの軍が──」

 ペギランが怯えた声を出すのを途中で静止し、ヴラマンクは答える。


「それもある。だが、屍人モールなど、力自体は普通の人間とそうは変わらない。もっと大きいのは魔風士ゼフィールの存在だ。5万人に1人と言われる魔風士ゼフィールに、リュードが不老の力を与え、その数を確保している。人口6万に満たない97年前のダンセイニに、7人の魔風士ゼフィールが確認されている。これは異常な数字だ。

 リュードによって不老の力を与えられた魔風士ゼフィールは、特別に“長命将軍ロンジェ・ヴィテ”と呼ばれる。──やつらは年を取ることがない。中にはリュードと同じ400歳近い者もいるって話だ」


「よ、400歳ですか……」


 熟達した魔風士ゼフィールひとりで数千から数万の軍に匹敵するという。それが7人。対するサングリアルはもっとも多かったときでも魔風士ゼフィールは3人しかいなかった。


「……ただし、リュードと違うのは殺せば死ぬところだ。例え屍人モールとしてよみがえったとしても、屍人モールには華印フルールが使えない」


 その説明に、それまでヴラマンクの隣でおとなしく話を聞いていたアテネイが声を上げる。

「じゃ、おーさま? この村をおそいにくる魔風士ゼフィールを倒されたら、ダンセイニはすっごくまずいんじゃないの?」


 ヴラマンクを見上げる勘のいい少女の問いに、思わず笑みがこぼれた。

「そういうこった。魔風士ゼフィールは確かに脅威だが、逆に言えば、1人倒すだけでダンセイニは大きく弱体化する。所詮、ダンセイニは国力が貧弱な分を、リュードの力で何とか誤魔化しているにすぎない。──な、希望が見えてきたろ?」


 アテネイの頭をなでてやると、少女は嬉しそうに目を細める。ペギランがまだ不安そうにおろおろしていると、外を見張っていたルイが鋭い声を上げた。


「王さま! 来ました!」


「──むっ! ルイ、代われ! どいつが出てきた?」

 採光窓の隙間を覗くが、長命将軍ロンジェ・ヴィテの姿は見えない。


(村の焼打ちに適した華印フルールの持ち主というと……)


 ヴラマンクが記憶を辿っていると、代わりに面白いものが見えた。

「おい、ペギラン。見てみな。あれが屍人モールだ」


「い、いやですよォ! へ、陛下、やめてくださ……。う、ん……、あれ?」

 嫌がるペギランを窓際まで連れてきて、外を見せる。

 初めは頑強に抵抗していたペギランだったが、ヴラマンクが無理やり目を開けると、観念したように外を見た。


 同じく窓の外を見ていたルイが、つまらなそうにつぶやく。

「あれが本当に屍人モールなので? ……ボクには普通の兵士にしか見えませんが」


 そこには綺麗に隊列を組む200人ほどの集団が見えた。

「よぉ~く見てみろよ。少し動作が遅いだろ? ダンセイニには生きた兵士のほうが少ないぐらいだしな。おそらく、あの辺りはすべて屍人モールどもじゃないか?」


不滅王レーネ・イモータリテ”リュードの能力は、その名の通り『不滅』である。彼女の力によって屍人モールになった者は、腐ることもなく永遠に生前の姿を留めるという。


「まぁ、あれは『新鮮』なほうだな。あっちには、ホレ、お前たちの期待通り、腐ってだいぶ経ってから屍人モールになったやつらがいるぞ」

 ペギランの顔を隊列の右側に向ける。


 途端、領主屋敷にかん高い悲鳴が響いた。

「う、うぎゃぁあああああ……ん、んむ……んぐ」


「この愚かヤロウ! 大きな声を出すなっつの!」

 慌ててペギランの口を押さえ、小声ながら鋭い声で叱る。


「んむ、ぐ」


「分かったか?」

 ペギランがこくこくと首を縦に振る。


「まったく。せっかく奇襲しようってときに、気づかれたらどうするんだ」


「す、すみません。……け、けど、ひどいですよねぇ。あんなに綺麗な女の人まで屍人モールにされて戦わされているなんて」

 ペギランが取り繕ったように笑う。


「……女だと?」

 ペギランの言葉に、違和感を覚えた。

 特別な場合でもない限り、屍人モールになると知能はかなり鈍くなる。あのリュードが腕力の劣る女性を、兵員目的で屍人モールにするだろうか……。


 採光窓に張りつき、隊列の右側を見る。

 隊列の奥で、17~8歳ほどの少女が右手を掲げていた。蛇のごとくうねる腰まで伸びた髪は、黒い海のように艶めいている。頭頂部でウサギの耳のように結んだリボンで前髪を引っ張り上げ、可愛らしい白く丸い額を出していた。豊満な胸を際どいドレスで隠した少女に、ヴラマンクは見覚えがあった。


「あれは……」

 記憶の底から、少女の恐ろしさが浮かび上がってくる。それよりもわずかに早く、少女の周りに血よりも赤い颶風が逆巻いた。


「みんな、伏せろっ!」


 振り返って叫んだ。

 次の瞬間──、領主屋敷の屋根が跡形もなく吹き飛んだ!

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