絆されし呪縛

 目に飛び込んできたのは、片腕を亡くし、今にも死にそうに細い息をしている白髪交じりの男。包帯を巻かれた腕を固く握りしめ、その目はただ石畳の床だけを虚ろに見つめている。


「こ、これは……」


 ヴラマンクは言葉を失った。

 サングリアル城の居館、普段ならここで宮廷を開くはずの大広間に、多数の民が押し寄せ、手当てを受けていた。

 下女がせわしなく清潔な布を運び、年老いた城内騎士が階下から肉や野菜を煮た鍋を運んでくる。


 呆然と立ち尽くしていると、まだ壮年と言っていい城内騎士がヴラマンクに気づき、駆け寄ってきて膝を折った。


「こ、国王陛下!」

「あぁ。これは、一体なにがあった? ……いや、それより、ルイとペギランはどこにいる」


 何があったかなど、知れている。少なくとも、ダンセイニの仕業であることだけは明白だった。


「皆様、国王陛下の執務室にいらっしゃいます」

「分かった。民をくれぐれも頼む」


 ヴラマンクが大股で執務室へ向かおうとすると、民が足元にすり寄り、まるで花神の使いでも崇めるかのように拝み始めた。


「陛下」「国王陛下」「どうか、民を」「我々をお救いください──」


 ヴラマンクはひとりひとりの肩に手を置きながら、広間を横切った。

「あぁ。分かっている。何とかする。通してくれ──」


   ◆


「フラマンタン、壊滅!」


「レーニャも被害甚大! 逃げ延びた民が、なおも続々と王都に押し寄せています! このままいくと、いずれは備蓄が底をつきます!」


「み、みなさん、冷静に。今、ダンセイニ軍はどのあたりなのです」


「それが、皆目見当も……!」


「あの辺りを治めるナナン卿から、再三の援軍要請が!」


「分かっています! ナナン卿には、ひとまず近隣の村々の民をかくまうよう、文を……」


 執務室には怒号が飛び交っていた。

 寝衣のまま駆けつけたヴラマンクは、騒然とする室内に響くよう声をあげる。


「おい、ダンセイニは、今……!」


 瞬間、騎士たちに指示を出していた様子のペギランが振り向く。

 と、その目がいきなり潤んだ。


「──へ、陛下!」


 いつだったかと同じように駆け寄ってきて、石畳の段差につまづく。そのまま這うように進んで、ヴラマンクの手を取り、その甲にキスをした。


「お、起きて下さったんですね! あぁ、だ、誰か、外套を早く……!」


 わたふたと動くペギランを半ば無視し、ヴラマンクは歩を進める。

「構わん。──俺はどのくらい寝ていたんだ。ルイ、状況は」


 すると、いつの間にかヴラマンクの後ろに控えていたルイが羊皮紙の束を片手に答えた。


「王さまはまた2週間もぐーすかとお眠りでした。──そのわずか2週間の間に、王国の北半分は甚大な被害を受けています。


 報告が上がってきているだけで、20余りの村々がほぼ壊滅し、わずかな村人が庇護を求めて押し寄せています。やつら、砦や城塞都市は無視し、ロウィーナ砦周辺の農村をひたすら焼打ちにしているようですね。全滅し、報告すら上がってこない村は、もっと多いでしょうが……」


「鬼畜め」


 短く吐き捨てる。

 ──だが、力の弱い農村を滅ぼして回るのは、非道なれど、効果的な戦略だった。城や砦を落とすより簡単なうえ、確実にサングリアルの国力をむしばむ。


「それから──、これは関係あるかは分かりませんが、逃げる途中、全滅した村を通ってきたという民の話では、まるで獣に食い荒らされたかのようだったと」


「獣だと? まぁ、屍肉を求めて山から下りてきたんだろう。他には?」


「とにかく敵の動きが早く──。デグレ卿が騎士を集めるかたわら、農村を回って避難を呼びかけてくれているのですが、いまだ交戦すら出来ていない様子。その間にもどんどん被害は広まり……」


「それでこの惨状、というわけか」

 村々から逃げのびた民を、居館の広間で匿っているのだろう。何よりも、今彼らに必要なのは食べ物と暖かい寝床だ。


「それから、デグレ卿の密偵によれば、ロウィーナ砦に出入りする敵の総数は2千ほどだそうです。これは、どうやら確かな情報であると」


 ルイの話を聞いて、脳裏に浮かべた地図に敵を配置し──、あることに気づく。

「……ふむ。やつら、やけに慎重だな」


 ヴラマンクの呟きに、ルイが考え込んだ。

「そういえば……。今なら、簡単に王都を攻め滅ぼしてしまえるでしょうに」


「残念ながら、そうだろうな。しかし、それをしてこないのは……。やつら、サングリアルに大戦のときほどの兵力がないってことに、気がついていないのか?」


「そんな、まさか──」


 だが、考えられないことではなかった。

 むろん、迅速な反撃がなければ、こちらに兵がいないことはすぐに見抜かれてしまうだろうが──。


「ジュールはどうした?」


「主塔の地下室に幽閉してあります。ジュール卿の率いていた騎兵隊も、正式に、騎士として王国軍に編入いたしました。今は、アテネイさまのお父上、パルダヤン卿がまとめてくださっています」


 ヴラマンクはしばし黙考する。

「……ふむ。なら、最低限、反撃できるだけの兵力はあるな。では、一刻も早く、近隣の貴族に非常呼集を──」


 ペギランに外套を着せられながら、地図の広げられた円卓に向かおうとすると、ルイがそれを止めた。


「その前に、王さまにはお伺いしたいことがございます。ペギランさま、人払いを」


「──へ? あぁ、はい。みな、少しの間、席を外してもらえますか」

 王の腕に袖を通しながら、ペギランが命ずる。

「この一大事に!」と、騎士たちの間から非難の声が上がった。


 だが──、


「今は危急の折、あなたたちの不満は分かりますが……。こちらの要件も、国家の存亡にかかわる重大事。どうか、席を外してもらえますか」


 ルイのただならぬ様子を見て、騎士たちは渋々と執務室を辞去した。


 その様子を見ていたヴラマンクは深く息を吐き、問う。

「──それで、なんだ? 話ってのは」


「分かっておいででしょう。王さまの眠りのことです」


「ふむ。言ってみろ」


「──もしや、王さまは華印フルールを使うたびに、眠りに就いてしまわれるのですか?」

 ルイの問いは明瞭である。

 それはヴラマンクも危惧することだった。今回といい、7年前といい、華印フルールの力を使った後で眠りに落ちている。これでは国政もままならない。


「97年前は、自由に華印フルールを使えていらっしゃったんですよね?」


「……おそらくこういうことだとは思うんだが」

 夢で見た戦いの記憶と思い返し、ヴラマンクは推論を組み立てていく。


「97年前の戦いで、俺は“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードに〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の力を使った。眠りとは小さな『死』だ。俺の持てる最大の力は、人ひとりなら簡単に殺せる力だった」

 不審げな面持ちで、ルイがうなずいた。


「やつは〈不滅の沈丁花フルール・ド・ダフネ〉の力で、俺の放った“永遠の眠りソメーユ・エターネル”に抵抗した。というか、今なお抵抗し続けているのだろうと思う」


「今も、ですか?」


「そうだ。俺たちは97年の間、ずっと力比べをしている。互いに両腕で押しあっているようなもんだ。俺の『眠り』の力が強まれば、互いに眠りに就く。リュードの『不滅』の力が強まれば、互いに目覚める。


 やつを封じ込めている間は、無駄な力を使わないように俺も眠っていなければならない、ってことじゃないかと思うんだが……」


 確たる証拠があるわけではなかったが、前の大戦でのリュードの言葉や、今までの出来事を思い返せば、それは多分たぶんに真実を含んだ推論のように思われた。


 両者の力は危うい均衡を保って拮抗していた。

 だが、ヴラマンクが若返ったせいか、リュードの力が増したせいかは分からないが、力の均衡は崩れ、互いに目を覚ました。

 7年前も、2週間前も、ヴラマンクが“寝台の恍惚プティ・モール”を使ったことで〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の力が活性化し、リュードの〈不滅の沈丁花フルール・ド・ダフネ〉の力を上回ったのだろう。


「だとすると……、リュードを眠らせておくためには、王さまもずっと眠っていなければならないということになりませんか?」


「そうなるだろうな」


 その言葉に、外套の埃を払っていたペギランが悲鳴を上げる。

「そんなぁっ! それじゃ、陛下がこのまま眠り続けたら、いつか赤ちゃんになっちゃうじゃないですかぁ!」


「あ、赤ちゃんって、おま……」


「あぁ~、どうしよう、どうしよう。陛下のおしめにできる布を準備しておかなければ。……そうだ! 厨房のおかみさんが使っていた、あれは背負い紐というんでしょうか。あれを譲り受けて……」


「あのなぁ……。この愚かヤロウっ! 少しは落ち着け!」

 慌てふためくペギランの尻を軽く蹴飛ばす。


 おかしな心配をするペギランを横目に、ルイは難しい顔をしていた。

「王さま、〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の力を使わないわけにはいかないんでしょうか」


「……ダンセイニが魔風士ゼフィール無しで倒せる相手だと思うか?」

「それは……、そうですが。しかし、心配です。次に、王さまが眠ったままずっと目が覚めなかったら、そのまま消えてしまったりなどと……」


 ルイに言われてハッとする。

 90年もの間眠っていた自分だ。また再び数十年もの眠りに就いたら、それこそ赤ん坊どころか、産まれる以前にまで若返ってしまうのではないか。そうしたら、自分は消えてしまうのではないだろうか。


 ──だが、それはそれで良い気もした。


 ずっと孤独な生だった。

 同じ時間を生きることが出来る相手など、ひとりもいない。そのため、最愛の幼なじみも失って、伴侶も持たずに今まで生きてきた。人とは反対に、赤ん坊になって影も形も残さず消えていく。このしみったれた生には似合いの幕引きなのかも知れないと、そう思った。


「王さま? どうされました?」

 ルイの声で、自分が思案に沈んでいたことに気づいた。


 リュードが“永遠の眠りソメーユ・エターネル”から完全に解放されたとき、ふたつの華印フルールを結ぶつながりは切れ、2人の王は共に目覚めることになるだろう。その時こそ、サングリアルとダンセイニの最終決戦の幕開けとなるのだ。


(そうだ、あいつがいるじゃないか)


 ヴラマンクは自分と同じ時間を生きる宿敵の存在を思い出した。

 自分よりも長い時間を生きてきた魔王。97年の眠りから目覚めても、今もダンセイニで生きてくれているだろう“不滅王レーネ・イモータリテ”リュード。──やつを倒すまで、自分は死ねない。


 そう思うと何だかおかしくなって、ヴラマンクは笑う。

「とにかく、会議を再開するぞ。早急に、対策を練る」

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