第四章 眠れる王と眠れぬ王

魔王


 夢を見ていた。


 寝苦しい夜の不快感を何倍にもした気持ち悪さと、誰かを大声で罵るときの浮き立つような興奮、そして、若干の後味の悪さが交互に襲う。

 血に強い酒が流れて、抑えが効きにくくなる感覚。

 ──それは戦場の記憶だった。


 一瞬の迷いで命を落とす極限の状況。

 感覚の一部を麻痺させなければ戦っていられないが、切り捨てたはずの罪悪感がちろちろと頭の裏をくすぐっている。


 暗い色で塗りつぶされた戦場で、そこだけぽつんと光が当たっているように、自分の周りだけが明るかった。


 しわがれているものの、少し高い、凛と通る声が暗い夢の世界に響く。


「そうかい、あんたがヴラマンクかい」


 初めて、宿敵“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードと相対したときの記憶だ。


「なんだい、まだ青臭ぇガキじゃないか。あたしの敵じゃないね」


 色味の一切が抜け落ちた白髪を束ね、後頭部でまとめたシニョンにしている。

 硝子ガラスを丸く削ったモノクルを、彫の深い右の眼窩にはめていた。

 筋ばった首は、片手でも簡単に折れそうなほどに細い。深いしわの刻まれた顔は清楚に整って、若き日の美貌を思い起こさせた。喪服のように黒いドレスは、優雅で緻密なレースがいたるところにあしらわれている。

 前の見えぬ白い絹のベールで顔を隠した女たちが担ぐ輿こしに乗って、戦場には場違いな純白の日傘を差した姿は、死をまき散らす魔王というよりも、まるで夜会へと赴く冥王の奥方だ。


「お前が“不滅王レーネ・イモータリテ”リュードか」

「そうだよ、クソガキ。あんたに『お前』だなんて呼ばれたくないよ」


 枯れてなお品のある美しい声だが、吐き出される言葉は場末の酒場のように汚い。


「80歳のジジイを捕まえてクソガキとは良く言えたもんだな」


「80歳だなんて、あたしが七度目の遠征に出かけたころには、まだオシメも取れてなかった赤ん坊じゃないか。あんたなんてクソガキで充分だよ」


「そうだった、さすが300歳のババアは違うな」

「うるさいよクソガキ」

 その言葉を合図に、2人の王の首にかかった“華印フルール”が輝き始める。


 金色の光が夢の世界を塗りつぶしていった。


 一瞬の閃光。

 そして、夢は次の場面へと切り替わる──。


 次に現れたのは、最後の戦いの情景だった。

「これで終わりだ、リュード。死んで、サングリアルの民に詫びるがいい」


 おびただしい数の兵士たちが倒れ伏す戦場に、担ぐ者のいなくなった輿がある。その黄金の玉座の上で不敵な笑みを浮かべるリュードに、ヴラマンクが詰め寄っていた。


「難しい注文だね。あたしゃ、この“華印フルール”のおかげで死にたくても死ねないのさ」


 そう答えるリュードの胸の中央に、ヴラマンクの剣が突き立っている。これでも死なないとなれば“華印フルール”でとどめを刺すしかない。


「いや、永久にさようならだ、愚かババア。貴様には、二度と覚めない眠りを贈ってやる。俺の〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の最高の力──“永遠の眠りソメーユ・エターネル”をな」


「あたしゃ、死にゃあしないよ。あんたの力が強いうちは優雅に寝てられるだろうが、どうせまたすぐに叩き起こされて、働かなきゃいけなくなるだろうさ」


 心底おかしそうにリュードが笑う。

「くっくっく。また会おうじゃないか、クソガキ」


 ヴラマンクはリュードの言葉を無視して〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉に意識を集中させた。


 ──だが、集中しようと思うのだが、意識がぼんやりとして集中できない。


(輝け)


 そう念じると、首にかけた“華印フルール”が少し輝いたような気がする。


(よし、輝いた)


 いつもの輝きにはまるで達していないのに、頭の中では輝いたことになっていた。なぜかは分からないが気持ちが焦る。しかし、その理由がわからない。


(よし、次は右手を……)


 行動をいちいち思考にしないと、体が動かないことに気づく。

 ──いや、思考したことがそのまま起こるのだ。


 一瞬、良からぬ想像が頭をよぎる。

 すると、その想像の通りに、リュードの目が大きく丸く見開かれ、細い首が伸びてヴラマンクに噛みついてきた!


 思わず、体がびくんと震える。

 ──次の瞬間、ヴラマンクは眠りから覚めていた。


 まばたきをして周囲を見渡すと、すっかり見慣れた白い生成りのカーテンがある。居館に移された寝台に、ヴラマンクは寝かされていた。


 体を起こして二度、三度と深呼吸をする。

 現実の存在感にかき消されるように、夢の感触はさらさらと消えていった。

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