長命将軍

「放て!」

 甘く豊かな女の声が、冷酷で非情な命令を下したのが聞こえた。空とつながった天井を見上げると、そこから炎の灯った無数の矢が飛び込んでくる。


「火矢か!」

 右手を突き上げ、風を起こす。

 地表から突き上げるような風が、村全体を襲った火矢を次々に消していく。だが、勢いを殺しきれなかった矢が数名の騎士に突き立った。


(くそ、遊んでやがる!)


 わざわざ屋根だけをはじき飛ばし、矢を射かけて、民が逃げ出してくるのを待っているのだ。この村を襲った長命将軍ロンジェ・ヴィテの技量と、底意地の悪さが伺えた。


「騎士隊! 出るぞ!」

 ヴラマンクは雄叫おたけびを上げるや、騎士たちを連れて屋敷を飛び出した。


       †   †   †


 思った通り、アスール村の屋根という屋根はすべてなくなっていた。


「ダンセイニの長命将軍ロンジェ・ヴィテポラック・メルロとお見受けする。その命もらった!」


 わざと大きな声を出し、村の中央で他の騎士たちと合流する。

 騎士の1人が引いてきた馬に飛び乗って、剣を片手に、村の入り口で隊列を組む屍人モールの群れへと突進──、


 と、その時、ヴラマンクの右隣を駆けていた騎士の姿が忽然と消えた。


 左隣の騎士も巨大な槍──いや、丸太のような影に突き飛ばされ後方に消えていく。

 ポラックの足元から、大蛇のように太く長い影が、目では追い切れないほどの速さで伸び、突進する騎士たちを次々と突き落としていった。


「やはり、〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉か!」


 考えうる限り、現時点でもっとも戦いたくない華印フルールを持つ魔風士ゼフィールだった。

 ヴラマンクの眠りの力とは違い、〈鉄棘のいばらフルール・デピーヌ〉は物質的な攻撃力を備えた数少ない華印フルールの一つである。

 艶然と微笑む長命将軍ロンジェ・ヴィテの足元に、大人の胴ほどの太さがある薔薇の蔓がうじゃうじゃと伸びていた。


 美しき敵将は腰に手を当てて、よく通る声で挑発してくる。

「あんたが今のサングリアル王なの? すんごいチビなんだね」

「チビって言うな、ゴラ!」

「ふふん。せいぜいがんばんな、チビ王!」

 敵将ポラック・メルロは馬鹿にしたように笑い、屍人モールの影に身を潜めた。長命将軍ロンジェ・ヴィテはみな自分がダンセイニにとってどれほど重要な『駒』かを自覚している。


(やはり、簡単に隙を見せてはくれないか!)


 魔風士ゼフィールは“風の盾ヴァン・ブクリエ”を持つため、矢による攻撃は届かない。歩兵では遅すぎて相手の元に辿り着く前に殺される。魔風士ゼフィールを倒すには騎兵の突撃しかないのだが──。


「残念だけど、リュードさまに捧げたこの命、あんたにあげるわけにゃいかないよ」

 そう言うと、ポラックはヴラマンク目がけ、いばらの槍を伸ばしてきた。


「ちっ!」


 ヴラマンクは〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉のもつ植生界面エクスクルシフ──華印フルール同士を分かつ防御結界域──を人為的に正面に集めた。

 瞬間、薄紫に光る壁が目の前に現れる。

 極小の“風の盾ヴァン・ブクリエ”とでも言うべき超常の盾が、ポラックの攻撃を上空へとそらした。ヴラマンク一人ならこれで身を守れるが、騎士たちはそうもいかない。


(これだから直接攻撃系はやっかいなんだ!)


 舌打ちをして辺りを見回した。

 騎士たちはみな、怖気づき、馬を止めてしまっている。


「止まってると、余計、やつの標的にされるぞ!」

 その言葉で騎士たちは一斉に動き始めたが、最初の勢いはもはやない。騎士たちがまごついている間に、いばらの槍は騎士を次々と撃ち落としていく。

栄光の鎧グロワ・アミュール”の効き目が弱かったのか、頭を潰された騎士が馬に揺られ、正面を横切った。


「ルイは左へ! ペギランは右へ! 3隊に分かれる!」


「ボ、ボクは……」

 おびえた声に振り返ると、アテネイを馬に乗せたルイが馬上で震えていた。


「仕方ない! 2隊に分かれて敵を討つ! ペギランは左を頼んだ! 俺は右だ!」

 ルイが覚悟を決めるまで待っている余裕はない。

 ヴラマンクは騎士たちの元へ馬を走らせ、剣を振り下ろすと同時に突進した。


 屍人モールたちが槍を構え腰を落とす。


 生を持たぬ屍人モールに、小さな『死』である眠りの力は効かない。ヴラマンクは極限まで圧縮した風を屍人モールたちの真横に起こした。

 風がほどけ逆巻き、隊の端にいる屍人モールをなぎ倒す。

 玉突きのように屍人モールたちが倒れ、前方へと突き出ていた槍が押されて横を向いた。


「今だ!」

 後ろに続く騎士たちに号令をかける。自身も、手に持った剣で、目の前の屍人モールを斬り上げようとした、瞬間──、


 上下が反転した。


 一体何が起こったのか、瞬時には理解できない。騎士たちがヴラマンクの頭上で次々に倒れていくのが見える。


(なんだ? なんで俺は飛んでいる!?)


 小さく軽いヴラマンクの体は馬から放り出され、逆さまに宙を舞っていた。頭から激突するまでの数瞬に、地面から生えた蔓が、馬の足を取ったのだと気づく。


 必死で体をねじって、大地に向かって風を叩きつけた。

 顔から地面に突っ込む。

 右のほほがぞりぞりとこすれる感触がした。


「ふん、おチビ。あっけなかったじゃん」

 頭の上から鼻にかかった甘ったるい声が聞こえる。


「チビって言うな、チビって!」

 細長い刺突用の剣エペ・ラピスルを手にした敵将が、気味悪いほど白い歯を見せて残虐に笑っていた。


「悪いけど、サングリアルはこれで終わりだね。さよなら、チビ王」

「いいや、終わりじゃない。……それから、チビって言うな!」

 白い足首をつかみ、力を込めた。その途端、美しき長命将軍ロンジェ・ヴィテの顔から笑みが消える。


「──あんたの植生界面エクスクルシフでアタシの華印フルールに干渉してるっていうこと? だけど、それって意味あんの? 確かに2人とも風を起こせなくなるけど、あんたはこの剣で死ぬから」


 熟達した魔風士ゼフィール華印フルール同士の力を相殺させ押さえこむことも出来る。だが、華印フルールを封じたところで、振り上げられた剣には、確かに無力だった。


「うっさいわ、愚かムスメが!」

 ヴラマンクはポラックの足をすくおうとして、思いっきり腕を引いた。──しかし、少年の体では思ったよりも力が入らず、ポラックの足が少し前にずれただけで終わる。


「あー、残念」

「……しまった」

「ふん……」

 ポラックは興味を失ったように、無表情のまま剣を突き出す。鋭利な刺突用の剣エペ・ラピスルの切っ先がヴラマンクへと迫った。その時──、


「陛下! 今、参りますっ!!」

 頭上でペギランの声がする。


 ポラックが慌ててヴラマンクから離れた、次の瞬間、ポラックの立っていた場所を、ペギランの馬上槍が横切った。

 すかさず、ペギラン率いる騎士たちがポラックを取り囲む。


「ちぃっ!」


 舌打ちしたポラックが華印フルールを使うより、ヴラマンクが“寝台の恍惚プティ・モール”の風を放つほうがわずかに早かった。


 しかし、植生界面エクスクルシフを展開され、眠らせるまでには至らない。

 ポラックはふらつきながらも蔓薔薇の槍で正面にいた騎士を叩き落とし、その馬を奪って逃走した。


「デグレはどうしたぁっ!?」


 その時、逃げ出したポラックの向かった先に、数百騎の影が見えた。

「……ようやく来たか」


 使者を通じた打ち合わせの通り、デグレ隊は背後からポラックを急襲するため、付近の森に隠れていたのだ。可憐な敵将を追って、デグレ隊が駆け出していく。


「50騎はこの村に残れ! 屍人モールは剣で斬ったぐらいじゃ止まらないから、しっかりと『破壊』しろ!」


 今の突撃で屍人モールたちの隊列は瓦解していた。今なら、ほどなく掃討できるだろう。

 アスール村の入り口付近で生者と死者の争いが始まった。


「ルイ、ペギラン、アテネイ! ついて来い! ──ポラックを叩く!」

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