蔵の鍵を守る者
「うぅ~。結局、150人しか残りませんでしたねぇ……」
先ほどとは打って変わって緊張感のない声で、ペギランがつぶやく。
王家のため残った150人の騎士は、王都の西に広がる平原でジュール率いる反乱軍と対峙していた。
「どうやら、やつらここで俺を討ち取るつもりらしいな」
王城を落とされれば、ヴラマンクは他の領主に庇護を求めるしかなくなる。
しかし、この兵力差なら、大戦時代に造られた堅牢な王城を落とすよりも、まだ10代にしか見えない若造──ヴラマンクを捕えるほうがたやすいと踏んだのだろう。
ジュールは町にいくつもの文を投げ込んだ。
いわく、
『王城に隠れて出てこなければ、町に甚大な被害が出る。自分が暗愚でないと証明したいなら、騎士を連れて合戦にて決着をつけるべし』
また、
『王がもし、王城の奥深くに隠れ、そなたたち民衆を盾にするようなことがあれば、王たる資格はない。そなたら民衆の手で王を我の前に引きずり出せ。我が前に王を連れてきた者には褒美を与える』と。
むろん、ヴラマンクも市街戦をするつもりはない。
騎士たちをつれて、町の外に陣を敷いた。つい先ほど、最後通牒を突きつけてきたジュールからの使者を追い返している。いつ戦端が開かれても、おかしくない状況だった。
「相手は俺を知っているのに、俺はジュールの顔を知らないってのは不公平だよな」
「そうですねぇ。ジュール卿はがっしりとした体格のご老体です。
ヴラマンク、ペギラン、そして、150人の騎士たちは、自分の馬にまたがって反乱軍が動き出すのを待っている。ヴラマンクの股の間で、アテネイが小さな体を縮こまらせていた。
「ジュールのやつはハゲジジイか。俺は90歳になってもふさふさしてたぞ」
すると、ペギランは余計なことをつけ足した。
「そうですねぇ、それから、かなり背がお高いですよ。陛下の倍はあるんじゃないでしょうか」
「あっ、お前、今俺のことをチビだと思っただろ?」
「いえ、そんな! 滅相もない」
「うっさい、この愚かヤロウ! 俺だって、あと7年もすればお前よりなぁ……!」
ペギランのおでこをひとしきり指で小突き──、最後の確認をする。
「それで、ペギラン、分かってるな? 騎士の突進が怖いのはなぜだ?」
「うぅ~……。防ぐ手立てがないこと。陣形を崩されると、各個撃破される恐れがあること。士気の低い軍では、その威圧感に負けて逃げ出す騎士や兵士が増えること、でしたよね?」
「よし、上出来。何日も、馬の稽古をしてきたんだ。いつも通りにやればいい。『たった1回』突撃するだけでいいんだ。あとは何があっても冷静でいろ」
「承知しました。陛下も傷などこしらえませんよう、充分お気をつけて」
「分かった、分かった。……それから、アテネイ」
「はい……!」
アテネイは集中しているのかヴラマンクを振り返らずに答える。
「落ちないよう、しっかりつかまっていろ。……来るぞ!」
ヴラマンクは手にしたかぶとを頭に装着する。かぶとの後頭部には大きな赤い飾り羽が数本後ろに向かってにょっきり生えていた。
ペギランが150人の騎士隊の前を走る。
「大盾、構え!」
ペギランが剣を上げて号令すると、騎士たちは民家から借り集めた木製の扉を、頭上にかかげた。馬は駆れないが、全身を守ることが出来る即席の盾だ。
「来たぞォ──ッ!」
敵の弓兵が一斉に矢を放つ。
騎士たちの数倍に達する矢が、王の軍に向かって飛来した。ヴラマンクは落ち着いて右手を天に突き出す。瞬間、ヴラマンクが乗る馬の足元から、紫の
「吹き飛べっ!」
気合いの声と同時に起こった風が数百本の矢をすべて吹き散らす。騎士には1本も届いていない。
だが、ジュール隊はなおもあきらめず、矢を放ち続ける。
「ふん。無駄だ」
ヴラマンクは再び風を起こし、矢を散らした。
風に流されて勢いを失った矢が数本、騎士たちがかかげる民家の扉に突き立つ。ジュールの騎士隊にはまだ動きがない。
(まだか……?)
“
「矢は無駄だぞ……!」
思わず、本音が漏れた。
サングリアル王国では弓兵よりも騎兵を重んじてきたという歴史があるため、ヴラマンクの思惑通り、ジュール軍の弓兵はあまり練度が高くない。
(しかし、矢ばっかり射かけられていたら動きが取れん)
“
ヴラマンク軍とジュール軍では10倍近い兵力の差があった。
しかし、ヴラマンクは騎士たちに言った「決して死なせない」という約束を本気で守るつもりでいた──。
その時、ようやく矢が無駄と気づいたのか、ジュール軍の騎兵隊が動く。
「騎兵隊、来るぞっ」
ジュール軍の騎兵隊のうちおよそ半数が一気に襲いかかってきた。
まるで小さな山が地響きを上げて迫ってくるかのような騎兵たちの突撃──。いつしか、絶えず飛んできていた矢は止まっていた。
(よし!)
ヴラマンクは騎兵たちをぎりぎりまで引きつけ、そして、
「逃げろォ──ッ!」
力の限り絶叫した。
150人の騎士が、一斉に左右に分かれてその場を逃げ出す。
ヴラマンク軍は散り散りになって難を逃れた。しかし、少人数に分かれたところを狙われれば、ひとたまりもない。戦場にぽっかりと開いた空白地帯に、ヴラマンクは飛び込んだ。
カンカンカン! と、王宮から時を告げる鐘とは違う鐘の音が聞こえる。
鐘の音が鳴るや、ばらばらに逃げていた騎士たちが、ヴラマンクの羽飾りを目指して集まり始めた。
(よし、いける! あとは気力の勝負だ)
王宮の物見塔から、ルイが戦況を見て合図の鐘を鳴らす手はずなのである。ヴラマンクはこのまま逃げ続けるつもりだった。
(騎馬隊による突撃が恐ろしいのは、陣形を崩されるせいだ)
だが、ヴラマンク軍はそもそも集団戦の経験が浅いため、ろくな陣形も組めない。とにかく逃げて、各個撃破されないように再び集まる。それだけに徹するつもりだった。
ジュール軍の初撃は不発に終わった。ジュール軍はすぐさま隊を返して再びヴラマンクたちを狙ってくる。だが、またしても、ヴラマンク軍は刃を交えず、逃げに徹する。
(こいつらは単なる様子見の先駆け。まずは本隊から、騎兵を出来るだけ引きずり出す)
突撃をかけてきたのはおよそ250騎。本隊には350騎近くが残っていた。
三度目の突撃。
二度の突撃で学習したのか、ジュール軍はふた手に分かれて、ヴラマンク軍を挟み撃ちにしてきた。少し離れた空き地に逃げたところに矢の雨が降る。
「ちっ!」
右手をかかげ、“
「危ないっ」
味方の騎士が逃げ遅れ、騎兵に狙われていた。
ヴラマンクは“
ジュール軍の本隊から新たに50騎が出た。
(本隊の騎兵は300騎……。まだこちらの倍も残っていやがる)
矢の雨で逃げ場を塞ぎ、3隊に分かれた騎兵隊が時間差で襲いかかる。第1陣を避け、第2陣で軍を分断されたところを、第3陣に急襲された。
ヴラマンクは騎兵隊の先頭に“
その惨状を見かねたのか、ジュール軍の本隊から70騎あまりが投入された。
(あと230騎……)
さらに、ジュールは歩兵隊の一部を前線に送り出した。
槍を持ってゆっくりと進む歩兵には騎兵ほどの機動力はないため、広い草原では簡単に側面をとられてしまう。だが、彼らは騎士たちの行く手を阻む堅牢な壁となる。
そこから、本隊の数はなかなか減らなくなった。時には矢の雨を散らしてその中へと飛び込み、時にはヴラマンク自身が囮となって、騎士を逃がした。そうこうしているうちに、ヴラマンクの体力がだんだん尽きてくる。
(まずいな、おそらくあと数十人しか眠らせられない)
思っていた通り、ヴラマンクは力の衰えを実感していた。それから、ヴラマンクの股の間で必死に手綱を握っているアテネイに声をかける。
「大丈夫か、アテネイ?」
アテネイは蒼白な顔で振り向き、小さくうなずいた。
「もう少しの辛抱だ。耐えてくれ」
馬から振り落とされないようしがみついているだけでも、馬上にいる者は刻一刻と体力を削られていく。まだ小さなアテネイにとって、かなり過酷な状況のはずだった。
(しかし、一瞬でも気を抜けば死人が出る)
まずは絶対に死人を出さないこと。
もしも、ジュールを討ち取る好機に恵まれても、その後ろで騎士が死ぬならば、ジュールを討つつもりはヴラマンクにはない。そのことはルイにも厳命してあった。
すでに、弓兵以外の歩兵はすべて投入されている。ついに、ジュール軍本隊から80騎ほどの騎兵が参戦した。
(これで敵は、3倍近い騎兵、それとほぼ同数の歩兵、それから矢の嵐ってことか)
鋏の刃が麻の布を裁断するように、人ひとり分の隙間さえなく、前後からジュール軍の2隊が突撃をかけてくる。
精鋭なのだろう。
わずかでも馬の制御を誤れば、正面から激突してもおかしくはない精密な挟撃を受け、ヴラマンク軍は真っぷたつに割られた。逃げた先では歩兵隊が左右に2列、隙間なく隊列を組み、前後を騎兵隊がふさいでいた。
(まずい、誘い込まれた! どうやって逃がす?)
前後左右を囲まれて逃げ場のないヴラマンク軍の頭上に、さらに矢の雨が降る。これだけ密集していたら、ヴラマンクたちを囲む歩兵たちにも被害が出るだろう。とっさに風を起こし、矢を散らす。
──だが、それも予測済みだったようだ。“
(しまった!)
歩兵の列が作る1本道の前後から、騎兵の大軍が迫ってくる。
(ダメだ、逃がせない!)
思考が止まる。
──そして、絶望がやって来るまでの
新たに現れた騎馬隊は、歩兵の列を割って駆け抜けていく。その男たちにヴラマンクは見覚えがあった。
「お前たち!」
それはヴラマンクに「戦になったのはお前のせいだ」と叫んだ騎士たちだった。
矢を吹き飛ばした風を、正面から迫り来る騎兵隊へと向ける。
突撃の速度がほんの少しだけ緩んだ。その隙に、仲間が空けてくれた穴に全員が飛び込んでいく。
騎士たちはがむしゃらに走った。
円を描くようにして戦場を逃げ回り、その間に再び結集して、ジュール軍から少し離れた位置に集まる。
その時、城から早鐘が響いた。
ルイが物見塔の鐘を、火事でも起きたように何度も何度も打ち鳴らしている。
咄嗟に、ジュール軍を振り返った。今まで投入された他のどの隊よりも近く、本隊がいる。彼らはヴラマンクたちに隊の横腹をさらしていた。
「アテネイ、いけるか!」
股の間に座るアテネイの肩を叩くと、アテネイはこくんとうなずく。
アテネイの小さな肩は服の上からでも分かるほど、汗でぐっしょりと湿っていた。白く細い、今にも折れそうな右腕を高々とかかげ、宣言する。
「“
術の名を宣言することで、使いたい能力に意識の焦点を合わせる“
「ペギラン、行け!」
最初の突撃から一度も顔を見てはいないが、サングリアルの騎士たちを束ねる
「サングリアルの騎士たちよ、私に続け──ッ!」
騎士たちが戦場を駆け抜けた。無防備に横腹をさらす反乱軍の本隊を、サングリアルの勇者たちが襲う。風が麦穂を押し倒していくように、ジュール軍の本隊が2つに切り裂かれていった。
その先に、金銀で装飾された鎧を着こんだハゲ頭の老人がいる。
(あれが、ジュールか!)
ペギランたちが反乱軍の本隊に風穴を開けてくれたおかげで、ジュールとヴラマンクの間をさえぎるものは何もない。
突撃には加わらずに集中し、身の内から絞り出した風に眠りの力を込める。
「これで、終わりだ!」
少しでも遠くに投げ飛ばすように、右手を振り下ろした。薄紫色に輝く風が平野を渡っていく。
だが──、
「どけぇぇぇっ!」
しかし、ヴラマンクの願いは通じず、盾となった騎兵の頭ががくんと後ろに倒れる。ヴラマンクが放った風は、ほとんど消え入りそうなほど薄まっていた。
(もっと、もっと力を!)
念じる思いとは裏腹に、薄紫の風はますます輝きを弱めていく。ジュールに届いた風は体の表面を軽くなぜるだけで、意識を失わせるまでには至らない。
「ち、こんなに弱くなっているのか、俺は!」
腹の底から力をしぼり出すように、何度もえづきながら右腕を伸ばす。
視線の先でジュールが会心の笑みを浮かべたような気がした。と、その時──、体の中で何かが爆発的にふくらみ、全身がはち切れそうになる。
「なっ、なんっ、だ……!」
腹の底で押さえつけられていたものが不意に解放されたような、奇妙な感覚だった。体中を流れる血が一気に倍増したよう。ヴラマンクの体を内側から押す圧力が痛いぐらいに高まった瞬間──、
嵐が、起きた。
それは、暴風だった。
今までとは比べ物にならないほど力強い輝きに満ちた紫色の風が、王都の西の平野に巨大な渦を巻いた。
と、同時に全身から急激に力が抜けていくのが分かる。
制御不能な紫の嵐は、ジュールだけではなく、その場にいた全ての人間と馬を、見境なく眠りに落としていった。まるで夢の中のような、現実感のない光景だった。
「おーさま! おーさまっ!」
吹きすさぶ風の中で、アテネイの必死な声が響く。
アテネイはひざをついて眠る馬の上に立ち、ヴラマンクの頭を抱いた。年齢のわりに
そのとき、アテネイの全身から、白銀の風が湧き起こる。紫色の嵐の中心を、か細い銀の風が包んだ。
突如、ヴラマンクの頭の中で、物見塔の鐘とは違う鐘の音が響く。
(これは〈
次の瞬間、それまで吹き荒れていた風が、嘘のように中心から一気に消えていった。嵐の余波が平野の先にある王都よりも広大な黒の森の木々を揺らす。
「い、今のは……」
嵐がやんでもしがみついて離れないアテネイを抱え上げて、馬の背から降りた。
アテネイを座らせ、恐る恐る自分の手を見る。今の自分のどこにこれほどの力が眠っていたのか。
ヴラマンクが動けずにいると、“
「ジュール卿を捕えて下さい。それから、反乱軍から武器を取り上げるように」
自失するヴラマンクの代わりに、ペギランが的確に指示を出していく。
アテネイを抱きかかえたまま、どれほど呆けていただろう。物見塔にいるはずのルイが降りてきていた。
「王さま! 緊急事態です!」
「……ルイか?」
かぶとを脱ぎ、何を聞くかも思いつかないまま開いた口を、ルイが片手でふさぐ。
「今はご無礼を。大変です、王さま。デグレ卿から使者がありました」
「デグレが?」
なぜ、今デグレの名前が出てくるのか。意識がかなり散漫になっているヴラマンクは、ぽかんと口を開けてルイの言葉を待った。
「ええ。北部の領地に帰っておられたデグレ卿が敵襲を受けました」
「敵襲?」
「はい。……その、ダンセイニ軍が、ついに攻めてきたようです!」
ダンセイニ王国。何百年もの間、サングリアルの国土を狙い続けてきた仇敵。その名前を聞いて次第に意識が明瞭になっていく。
「ダンセイニ……だと。まだ条約の終了までにはあと3年もある」
そうつぶやいたものの、停戦条約などあてには出来ないことをヴラマンク自身が一番よく知っていたはずだ。むしろ、今まで侵攻がなかったことのほうが不自然なのである。
「ダンセイニ軍はロウィーナ砦を攻め落とし、拠点としている、と」
ロウィーナ砦。
領地に帰るというデグレに密かに守らせていた要衝だった。
サングリアルの民が住むフィリポ島と、ダンセイニの民が住むジョフリー島は、2頭の狼が互いの首筋に噛みつこうとしている形をしている。
フィリポ島の尾は南東の大陸に向かって伸び、ジョフリー島の尾は何もない北西の海に向かって伸びていた。ふたつの島の周りは船乗りが泣いて逃げ出す激しい海流に包まれている。
ダンセイニがフィリポ島に上陸するためには、波の最も穏やかなところ──ジョフリー島が噛みつこうとしているフィリポ島の首筋──に船を停めるしかない。そこを守るのが、要衝ロウィーナ砦だった。
「しかも、彼らはおぞましいことに……、その、死人を兵にしているって……」
自分の体を両手で抱きしめ、震えながらルイが告げる。
“
「分かった。とにかく、今すぐ宮廷会議を……」
しかし、続けて下そうとした指示は言葉にならなかった。
(なん……だ?)
“
急激な眠気がヴラマンクを襲っていた。──それは7年前と同じ感覚だった。ひざをつき、倒れ込みそうになりながらルイにしがみつく。
「いいか。やつらは騎士でしか倒せない! 馬が必要になる。軍馬を輸入し、ろ……」
その時、一層の眠気が襲い、ヴラマンクの意識は闇に落ちていった──。
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