広がる不安

「来ました、陛下!」

 その影に最初に気づいたのは物見塔につめていたペギランだった。


 家令卿かれいきょうジュールの率いる反乱軍が、王都にほど近い森からぞろぞろと西の平原に現れた。

 夏の強い日差しがじりじりと鉄の鎧を焼く盛夏。ヴラマンク率いる王国軍は王城に集まり、反乱軍を迎え撃つための準備に追われていた。


「よし、今行く!」

 庭に下りて準備の指揮をしていたヴラマンクは物見塔へと駆け出した。


「うわぁ、本当に来たよ」「死ぬのかなぁ」「勝てるって!」「戦いたくねぇよ」


 ヴラマンクの背中に、騎士たちの弱気な声が突き刺さる。


 物見塔に駆けあがったヴラマンクが見たのは、600人を超す騎兵の大軍だ。さらに、歩兵も800近くはいるのではないだろうか。

 対するサングリアルの正規軍は、7日間で近隣領主から借り集めた騎士を合わせても、わずかに450騎である。


「騎士より歩兵が多いとは思っていたが……、こうして見ると、かなりきついな」


 彼我の兵力差は3倍近い。

 こちらには“魔風士ゼフィール”が2人いるが、ヴラマンクに全盛期の力はないし、アテネイはまだ修行中の身だ。


 その時、ルイがヴラマンクを呼んだ。

「王さま。水やりさまがお話しを、と」


 ただならぬ様子に物見塔を駆け下り、老司祭の前へと歩み出る。


「ヴラマンクさま、投降なさい。さもなければ、あなたを破門しなければなりません」

 浅黒い肌をした白髪の老司祭は思いもよらぬ言葉を口にした。


「なんだって?」


「クロリスは争いを好みません。無限の愛で、きっと良いほうに導いて下さいます。神のご意志に逆らい争いを起こすつもりなら、私はそれを見過ごすわけには参りません」


 呆れて言葉が出なかった。──やや、時間をかけて反論をしぼり出す。

「あいつらのほうから仕掛けてきてるんだぞ?」


「それでもです」


「確かに、俺の首を差し出せば、ジュールが王になり、王都は安全に譲渡されるだろうな」


「民の安全のためです」

 念を押すように老司祭が言う。


 だが──、

「悪いが、それは聞けない。──なぁ、あなたの言う無限の愛を持つ神とやらは、民のために俺に死ねって言うのか? なら、俺は愛されていないことになる。矛盾してないか」


「……死後、あなたの魂は神の御許に召され、そこで神の愛を知ることでしょう」


「詭弁だな。俺には死んでる暇はないんだ」

 ヴラマンクの言葉に、司祭は眉間を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。


「仕方ありませんね、では、残念ですが聖輪教会せいりんきょうかいは正式にあなたを、破も……」

 司祭が「破門」と言いかけたその時──、


いくさになったのはお前のせいだ!」


 司祭の言葉がその背後から投げつけられた怒号によってかき消される。


「みんな! 王は自分の保身のために、俺たちを戦場に送り出すつもりだぞ!」


「死にたくねぇ、戦いたくねぇんだよ!」


 話を聞いていたであろう騎士たちが一斉に罵声をあびせ始めた。


 ヴラマンクに向かって、ひとつの石が飛んでくる。足元に落ちたその小石が呼び水となって無数の石がヴラマンクに向かって飛んできた。


 ルイが、司祭とヴラマンクを守るように立ちふさがり、叫ぶ。


「何をする! 反逆の罪になるぞ!」


「ルイ! 司祭を安全な場所へ」


「しかし、王さまは」


「いいから!」

 ヴラマンクは飛来物などをそらす“魔風士ゼフィール”の基本的な技“風の盾ヴァン・ブクリエ”で、怪我につながりそうな投石はそらしていたが……、さすがに数が多い。


 と。


「お前たち、やめなさい!!」


 物見塔の上から怒気を孕んだ声が降った。

 ペギランだ。


 騒然としていた騎士たちが一瞬静まる。


 一方、ペギランも自分が張り上げた声の大きさに驚いたようで、きょろきょろと落ち着かない様子だった。静かになったのを見計らってヴラマンクは声を上げる。


「戦いたくない者は逃げていいぞ」


 ヴラマンクの告げたひと言に、騎士たちはうろたえているようだった。


「な、何てことを、陛下! これ以上数が減ってどうやって戦うんですか!?」

 物見塔の上から、ペギランが悲鳴に近い声を上げる。


「俺が死んだところで、国王が変わるだけだ。こいつらの生活は何も変わらない。そんな王のために戦ってくれだなんて言えやしない。──だが、少し、聞いてくれ」

 ヴラマンクが1歩前に出ると、騎士たちは気圧されたように後じさった。


「こっちには“華印フルール”がある。それから、今日まで厳しい訓練に耐えてきた勇猛な騎士たちがいる。倒せない相手じゃない。だが、お前たちに危険を冒せとも俺には言えない」


 本来、貴族──王家を含む──と騎士とは契約によって結ばれた、雇用する者とされる者の関係だ。だが、今は雇用契約さえ結んではいないから、騎士の資格を返上すると言われてしまえば、王家が騎士たちに何かを強制することは出来なかった。


「それに、今回の場合に限って、戦闘に出なかったとしても、騎士資格を剥奪するつもりはない。外敵からの侵略ではなく、貴族同士の争いだからな。お前たちにはより良い親分を選ぶ権利ってもんがある」


「いけませんっ、王さま!」

 老司祭を避難させたルイが戻ってきて、鋭い声を上げる。


「この場の騎士たちは、王家直属の騎士だけではありません。出身地の貴族と雇用関係にある騎士もいるんです。王家の一存で、騎士の処遇を決めてはなりません。──近隣の貴族配下の騎士は残れ! 王家は諸君らの領主から、諸君らを借り受けている!」


 ルイは王宮の庭を睥睨し、命じる。


「おい、ルイ。王家が借り受けた騎士だ。王家が自由に使ってもいいだろう」


「いいえ、それは違います、陛下。彼らは自分らの領主から、戦功を上げるように命じられているはずです。その命令を撤回することは王と言えども許されません。領主らが何を思って騎士を貸し出したかお考え下さい。王家に恩を売るために貸した騎士たちが、何もせずに帰ってきたら、彼らの領主はどう思います」


 ヴラマンクは内心で舌を巻いた。困ったことに、ルイの言うことはすべて正しい。


 だが、ヴラマンクにも矜持というものがあった。騎士たちに選ばれないのであれば、自分は王ではいられない。いや、いてはならないのだと、そう思っている。


「配下の騎士がすべて戦闘に出なかったとしても、その領主を恨むことはしないし、その後の待遇に差をつけることもしないよ」


 絶句した様子のルイをよそに、ヴラマンクは騎士たちのほうへ振り返った。


「だけど、あと3年でダンセイニとの停戦協定が切れる。それまでに、国防を充実させておくことが王家としての義務だ。軍備の拡張を良しとしないジュール卿では、迫りくる脅威に対抗出来ない。──それを分かってくれる者だけでも、残ってくれないだろうか」

 騎士たちが互いに顔を見合わせる。


「決して死なせたりはしないと、約束する」

 ヴラマンクが頭を下げると、王宮の庭は困惑に包まれた──。

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