鹿狩り


 早朝。

 王都のそばにある森に、ヴラマンクの鋭い声が響く。


「それでも騎士たちを束ねる大献酌だいけんしゃくか! ペギラン!」

「も、申し訳ありません、陛下!」


 ヴラマンクは近隣の貴族らを誘って、森へ鹿狩りに来ていた。


 本来なら貴族の社交の場である獣狩りだが、貴族ではない即席騎士たちも多数参加している。何のことはない、ヴラマンクは獣狩りにかこつけて、騎士たちを少しでも長く馬に乗せておきたいのである。


 自分の馬にアテネイを乗せ、ヴラマンクはほとんど後方で成り行きを見守っているだけだ。

 貴族らの多くは今日1番の獲物を狩って勇名を馳せるよりも、まだ子供にしか見えない伝説の王のひととなりが気になるらしく、先程から入れかわり立ち代わり、ヴラマンクの元に訪れている。


「ご機嫌麗しゅう、国王陛下。伝承によれば、陛下の見分は海より広く、遠地で災禍あればたちまちのうちに見通して、その類まれなる英知の及ぶところとなり、冴えわたる妙手ですぐさま解決なさってしまうとか。なれば、陛下はもうすでに我が領地アルザブールの民は、みなこれ陛下への信認あつく、平穏無事に過ごしていることもお聞き及びのことでしょう……」

 などと、要は自分の領地には手を出すな、と、暗に釘を刺しに来るものや、


「わしは認めんぞ。貴様のようなガキが我らが主君であるなどと。どう見てもまだ毛も生えておらぬ子供ではないか。四大貴族はついに国王を殺して、傀儡でも擁すことにしたか!」

 などと、直接来て文句を言ってくるものもおり、ヴラマンクはその相手に忙しい。


「まったく。こんな面倒事を俺1人にやらせやがって。サングリアルの侍従卿じじゅうきょうは何をやってるんだ。ルイのやつが半分受け持ってくれれば、かなり助かるんだがな」


「おーさま。ルイさまは、今日は教会で礼拝の準備があるって」

 ヴラマンクの股の間に座っているアテネイが、ヴラマンクを見上げて答える。


「──あいつ、あんな破廉恥な生活をしているくせに、なかなか敬虔けいけんなところがあるじゃないか。そう言えば、そろそろ百合の礼拝の季節か」


 聖輪教せいりんきょうでは聖花である百合の季節になると、全教会をあげてお祝いをするのである。そのうち、国王からもサングリアルの司教座に祝い状を送らねばなるまい。


「はれんち?」


「いや、いい。気にするな」


 ヴラマンクがはぐらかすと、アテネイが不満そうにほおを膨らませた。

「あのね、おーさま。オレ、別にそういうこと、分かりますよ……?」


 アテネイは聞こえるか聞こえないかの声でぼそぼそと続ける。

「──父ちゃんの食堂に、男の人をなぐさめるのが仕事の女の人が、よく来ていたから。別にオレ、そういうこと、分かるんです。もしも、おーさまがさみしいなら、オレ……」


 と、その時、森の奥でひと際、大きな歓声が上がった。


「おっ! 誰か大物を仕留めたらしいぞ。見に行くか、アテネイ!」

「んっもう! おーさまの、ばか!」


       †   †   †


 馬を走らせ現場に着くと、騎士たちが悲鳴をあげ、空中を見上げている。

「おーさま、あれ、あそこ! 何か、浮かんでる!」


 騎士たちが見上げていたのは、首根っこをつかまれたような格好の兎だった。

 ただの兎ではない。

 数羽いた兎たちは、長く垂れた耳をはためかせ、空中を飛んでいたのだ。


「おお。これは珍しい。飛兎ラパンヴォランか!」


 アテネイが首をかしげる。

「おーさま? 飛兎ラパンヴォランって、なんですか?」


「前に話しただろう。“始原神華メール・ド・フルール”の子供らのことを」


「はい。オレの〈勝利の釣鐘草フルール・ド・カンパニュラ〉も、“始原神華メール・ド・フルール”のひとつがたくわえてきた力が、死んだ後に結晶化したものなんですよね?」


「そうだ。“始原神華メール・ド・フルール”は言ってみれば、すべての花々のお母さんだな。俺たちの持つ“華印フルール”は、その力が結晶化したものだ。アテネイの持つ釣鐘草カンパニュラたちのお母さんもいれば、俺の持つ薫衣草ラヴェンダーたちのお母さんもいた。


 一方、お母さんには子供もいたんだ。というか、子供たちに力を分け与えたせいで、お母さんは弱って土に還ってしまったんだがな」


「その子供が、“半神華フルール・ピュイサン”ですよね?」


「よく覚えていたな、アテネイ」


 すると、アテネイはほおを膨らませ、

「んもう! オレはたしかに、まだ小さいけど、そんなにものがわからないような子供じゃありません!」と怒った。


「すまんすまん。つい、な」

 ヴラマンクがアテネイの頭をなでてやると、アテネイは機嫌を直し、「へへ」と満足そうに笑みを浮かべる。


「アテネイは、まだ“華印フルール”と深く繋がれていないから分からないだろうが、“華印フルール”は多くのことを俺たちに教えてくれる。“華印フルール”たちの、戦いの記憶をな」


「戦い?」


「あぁ。植物たちは何千万年、いや、何億年も前から、この地上の覇権を争っている」


「んんん? 植物が、ですか?」

 理解できないと言った様子で、アテネイはヴラマンクを見上げた。


「アテネイは、植物が穏やかで優しい性格だと思ってないか?」


「でも、あんなにきれいなのに……」


「だが、草木が根を伸ばし、葉を伸ばすのは、大地と太陽の恵みを奪い合うためだろう? 植物の中には、根から毒を出して、他の植物を枯らすものだっているんだ。人間と同じで、かなり貪欲な生き物だとは思わないか?」


 気味悪そうな顔で、アテネイが首から下げた〈勝利の釣鐘草フルール・ド・カンパニュラ〉を見つめる。


「植物は数億年もの間、ずっと過酷な領土争いを続けている。そんな、気が遠くなるほどの長い争いの果てに“始原神華メール・ド・フルール”たちは生まれた──数億年の戦いで蓄えられた、大地と太陽の力を糧として……。それが、今からおよそ1億数千万年前のことだ」


「えっと、いち、じゅー、ひゃく……」


 まだ“魔風士ゼフィール”として未熟なアテネイには、実感がわかないのだろう。


 しかし、“華印フルール”と深く同調したことがある“魔風士ゼフィール”たちはみな、この感覚を知っている。植物たちが、それこそ気の遠くなるほどの時間を戦い続けてきたことを。


「あのうさぎも、花々のお母さんの子供なんですか?」


「あぁ。子供というか、子供の生まれ変わりというか……」


「んん?」と、再び、アテネイが首をかしげる。


「“始原神華メール・ド・フルール”の力を受け継いだ“半神華フルール・ピュイサン”だが、代を追うごとに、その力は薄まっていき、最後は動物たちに食べられてしまった。


 ──しかし、弱ったりといえども“始原神華メール・ド・フルール”の子だ。食べられてもその力は消えず、不思議な力を持つ動物に生まれ変わった。それが、あそこを飛んでる飛兎ラパンヴォランのような“妖華獣フルール・ベート”たちだ。だから、あの飛兎ラパンヴォランも“始原神華メール・ド・フルール”の子供のようなものかな」


「じゃ、他にもたくさん、あんな動物たちがいるんですか?」


「滅多にお目にかかることはないから、おとぎ話だと思っている者も多いがな。中には樹木より巨大なトカゲ“王樹竜アルブル・ドラゴン”なんていう大物もいるぞ」


 その時、アテネイが前のほうを指さし声を上げた。


「あ、おーさま! 父ちゃんたち、飛兎ラパンヴォランをつかまえようとしているみたい」


 見ると、ペギランや他の貴族たちが飛兎ラパンヴォランを捕らえようと我先に手を伸ばしている。


 この時代においては初めてとなる国王主催の鹿狩りだ。珍しい“妖華獣フルール・ベート”をとらえれば国王の覚えもめでたくなると思っているのかもしれない。


飛兎ラパンヴォランたちって、尻尾のところが花になってるんですね」


 その時、ヴラマンクは頭の片隅で危険を感じていた。

 だが、100年も昔の記憶を掘り起こしていたために、その警笛に気づくのがわずかに遅れる。──飛兎ラパンヴォランが奇妙な動きを見せた。


「まずい、お前ら! 伏せろ!」


 飛兎ラパンヴォランたちが一斉に大きなお尻をふるのと、ヴラマンクが紫色の風を放ったのは、ほぼ同時だった。


 どん、という音を立てて、まさに今、飛兎ラパンヴォランに手を伸ばしていたペギランの後ろの樹が無残にもひしゃげる。


 飛兎ラパンヴォランたちの多くは眠りの風に襲われて落下したが、1匹まだ空に浮かんでいた。


「お~い、逃げろ。そいつ、怒らせると、種子を飛ばして攻撃してくるんだわ」


 気の抜けたようなヴラマンクの言葉に、貴族たちは散り散りになってその場を逃げ出していった──。

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