幕間 アテネイ

「アテナイス。貴族でいなくてはダメよ。貴族でいるということは、“誇り”を持ち続けるということなの。あなたのお父様は、残念ながら、貴族ではなくなってしまったわ。あなただけは貴族であり続けることを忘れてはダメ。“誇り”を失っては、いけませんよ」


 病床の母は、3歳のアテネイに繰り返し貴族としての生き方を説いて聞かせた。

 父は食うにつめて犯罪に手を染めていたが、母は高潔であろうとし続け、そして、絶望して、心と体を病んでいった。


 母が亡くなった後、アテネイは自分が父を諌めねばならないと心に誓っていた。

 もし、父の悪事が見つかって罰せられるようなことになれば、自分の命と引き換えにしてでも父の助命を嘆願しようと決めていた。

 もし、自分が死ぬことで、父が貴族としてまっとうな生き方を思い出してくれたら、それはアテネイにとって本望だった。


「アテネイ嬢ちゃん、あ、あ、あ、あっしが、嬢ちゃんをお守りしやすから」

 父の手下にタラオという背のかがまった小男がいて、父が忙しくしている時は、アテネイの世話を焼いてくれていた。


「す、す、す、少しでいいんです。嬢ちゃんの体に、触らせてほしいんでさ」

 アテネイが労をねぎらうと、タラオは必ずそう答えた。

 その手つきが何だか怖くて、いつも断るのだが、するとタラオはまるで母親に叱られた子供のように落ち込むので、アテネイは決まって、タラオの肩を揉んでやるのだった。


 ある日、父が女の子をさらってきて、美しい青年が取り返しに来た。ついに父は死刑になるのだと、そう思った。


 だが、アテネイはいつの間にか眠ってしまい、青年と女の子はいなくなっていた。

 その日から、父は変わった。


 手下を連れて、町の治安を守ろうと奔走しはじめた。始めは煙たがられていた父だったが、やがて町の人にも受け入れられていった。


 青年が父の“誇り”を取り戻してくれたのだと、6歳のアテネイはそう思った。青年に恩返しがしたかった。だが、1年が過ぎ、2年が過ぎても、青年は見つからなかった。


 アテネイは自宅の食堂を手伝うようになり、幼い頃ほど自由に青年を探しには出れなくなった。


 4年が過ぎたある日、タラオが「た、た、た、大変でさ」とアテネイを呼んだ。

 父の手下の古株2人が、アテネイの探している青年を知っていると言ったのだ。とある貴族の屋敷で、見たという者がいると。


 アテネイは母の残した遺品の中から、1着だけ残してあったドレスに袖を通した。

 ドレスはまだ小さなアテネイには大きく、裾も袖も余って歩きにくいことこの上なかったが、徒歩で半日かけて、郊外にあるその貴族の家に出向いた。


「あっはっは。そんななりで貴族だというのかね? そんな小汚い服で、よくもそんな嘘がつけたものだ」


 たまたま、馬車で帰宅したばかりだったその家の主は、屋敷の前で門番と押し問答をしているアテネイを見て、馬鹿にするというよりもむしろ、心底おかしそうに笑った。

 結局追い払われたアテネイは、その日、静かに涙を流しながらひと晩中天井を見つめて過ごした。──それでも、諦めることなど出来なかった。


 話を持ってきた古株2人が、屋敷に忍び込むのを手伝ってやると言った。そうすれば、あの青年に会えるだろうと。


 結論から言うとそれは罠で、アテネイと、その護衛としてついてきたタラオは、都合よく囮として使われたのだった。

 2人はたちまちのうちに見つかって、屋敷中を逃げ回るはめになった。古株たちはその間に別宅に忍びこんで、金目のものをあさって逃げたという。


「じょ、じょ、嬢ちゃん!」


 逃げ回るさなか、タラオが指差した先に、何年もずっと探していた青年がいた。

 ひと目で、それが王だと分かった。

 この国で、眠った顔の絵姿を描かれるのは、王だけであったから。ようやくアテネイは、青年の正体を知ったのだった。


「じょ、嬢ちゃん! 危な! あ、あ、あ」

 アテネイが壁にかかった絵に見とれていた一瞬のすきに、タラオは衛士に斬り殺されてしまった。


 アテネイはタラオの頬に最後のキスをし、なんとか1人で逃げ延びた。それから、自警団として捜査に来た父に見つかるまで、屋敷の隅の茂みの中で、まんじりとも動かず朝を待った。


「お前の力を貸してくれるか、アテネイ?」


 7年が過ぎ、ようやく再会した王はそう言った。

 ずっと、ずっと、待ち焦がれていた言葉だった。

 王は困惑していたようだったが、アテネイはあふれ出る涙を止めることができなかった。ようやく、アテネイのちっぽけな半生を賭けた思いが報われはじめるのだ。


「おーさま。おーさまになら、オレのぜんぶをあげてもいいよ」

 アテネイは誓う。

 ヴラマンクへの忠誠を。


 それが、アテネイの“誇り”だった。

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