第二章 サングリアルの騎士たち

王の目ヤニ番

 目の前に白くもやがかかっていた。

 野花の鮮烈な色だけが中空に散らばる宝石のように輝いている。煌めく色彩の中で、褐色の髪の少女が可憐なダンスを踊っていた。


(ああ、これは夢だ)


 立ち尽くすヴラマンクは目の前の出来事が夢であることを知っている。なぜなら、楽しげに舞う少女は、もうどこにもいないのだから。


(アンリエッタ……)


 話しかけたら壊れてしまいそうで、ヴラマンクは声もかけずに少女を見つめている。笑い出したくなるほど切なくて、胸が締め付けられるように痛い。

 すると、少女は微笑み、ヴラマンクへ近づいてきて──ヴラマンクは夢では少年の姿になっている──、その唇に指をふれた。

 少女はヴラマンクのまぶたに、そっとキスを──……‥‥‥


(まぶた?)


 冷たい何かがまぶたに触れている。

 もぞもぞと動くそれは、どうやら指のようだ。ヴラマンクの中で何かがつながろうとしていた。

 夢、草原、まぶた、指、キス──、まぶた、指、キス、まぶた……、


「目ヤニ番か!」

 パッと目を見開き、体を起こす。


 見上げた先にいたのは、夢で見たのと同じ褐色の髪の、まだ若い目ヤニ番だった。

「……デュードネか?」

 その目ヤニ番はデュードネ・ソレイユのように見えた。

 カーテンから差し込んだ光が逆光になって、よく顔が見えないが、デュードネにしては、少し大きいような……、


「いいえ、王さま」


 ややかすれた、少年のような声が返ってくる。

「誰だ、お前は?」

 ヴラマンクがそう問うと、人影は一礼し自己紹介を始めた。


「初めまして。ボクはサングリアルの侍従卿じじゅうきょうを勤めます、ルイ・ソレイユと申します」


 その答えにヴラマンクは少なからず驚いた。

 侍従卿とはサングリアル王国の四つの鍵を守る鍵番騎士かぎばんきしの筆頭であり、宝の鍵と財務を司る役職である。ことサングリアルにおいては宰相と言い換えてもいい。


(こんな子供が? デュードネの父が侍従卿なのかと思っていたが……)


 ヴラマンクは白いカーテンを開けて、まだ十代半ばだろう目ヤニ番の顔を見た。

 薄紫の衣服の上から、銀製の飾り帯をきつめに締めている。

 瞳は青く透き通っており、褐色の髪や、凛々しく整った顔立ちといい、ところどころデュードネの面影を彷彿とさせた。


「ソレイユ家、ということはデュードネの兄なのか?」

「ええ、ボクとデュードネは双子の兄妹でして」

「デュードネはどうした?」

 ヴラマンクの問いに、ルイと名乗った侍従卿は悲しげにまつ毛を伏せる。


「デュードネは三年前、はやり病で……」


「な、死んだ……のか?」

 その時、ルイと名乗った少年の首に巻かれた、包帯のような白いカシュネがヴラマンクの視界に飛び込んでくる。──それはあたかも喪章の不吉さを思わせた。


「う、嘘だろ? 病気でもあったのか?」

「残念ながら……」

 ルイはそれ以上告げず、黙ってうつむいている。


「それは……、残念だよ。あんなに小さかったのに」

 眠る前は90歳であったヴラマンクは、友の死は幾度も経験してきた。だが、いくつになっても別れはつらいものである。それが、あれほど小さい子供であれば、なおさらだ。


 そこで、ふと、疑問がよぎる。

「……いや、ちょっと待て。3年前だと?」


 詳しく話を聞こうとベッドから飛び降りたところで、違和感に気がつく。

 さほど大柄だとも思えないルイの目線が、自分より10オングルほど高い位置にあった。ルイの背はどう見ても5ピエ半に届くかどうか。162~3オングルほどだろう。


 1ピエとは、100年以上前に測ったヴラマンクのかかとからつま先までの長さであり、これは30オングルと等しい。1オングルは爪ひとつ分の幅と考えて良かった。


 ふと気づいて、両手を見る。大戦のころのしわがれた手ではない。むしろ、この前目覚めたときよりも、小さく頼りなく……、


「か、鏡を持ってこい!」

「ええ。今、ペギラン卿が取りに行っております」

 ルイが淡々と告げたのと同時に、部屋の入り口から重い音が響いてきた。


 何やら、悪い予感がしていた。頼りなさげだったペギランの体つきが、がっしりしたようにも見える。


 どしん、と音を立てて大鏡が床に置かれ、ペギランは鏡面をくるりとこちらに向けた。


「──な、な、な、なんじゃああ、こりゃあああ?」


 鏡に映っていたのは14~5歳の少年である。

 少年は豊かな深みのある金の髪をしていた。

 目を縁取るまつ毛は恐ろしく長い。

 白い肌は海岸の白砂の色をしているが、ほほには人らしい赤みがさしている。

 白い裸身の上に、これまた白い絹の長シャツを着ていた。ひざまであるシャツは、うっすら白糸で刺繍が施されている念の入れようである。

 白皙はくせきの美貌、という言葉がよく似合う顔立ちだ。

 宮廷画家が傾国の宝石もかくやと舌を巻いた紅玉こうぎょくの瞳もそのままの、まごうことなきヴラマンク自身である。

 ──ただし、まだ少年だったころの。


 わなわなと手を震わせながら、ルイのほうを見る。

「お、おれ……」

「はい、王さまはおよそ七年間お眠りでいらっしゃいました」


「い、いま……」

「サングリアルにプレシー朝が立ってより、214年になりましょうか」


「だ、ダン……」

「幸いなことに、王さまがお眠りになっている間には、ダンセイニによるサングリアル侵攻は一度もございませんでした」


 驚きのあまり言葉が出ないヴラマンクに対して、ルイがすべて先回りして答える。

「覚えておいででしょうか? デュードネを救おうとして力を使った日、王さまは町の半分を眠らせてしまったのですよ。大きな力を使いすぎたからではないでしょうか?」

 さすがに衝撃が大きく、ヴラマンクはしばらく呆然と自失していた。


 やがて、ふっと息をつき、

「俺もついに190歳の大台に乗ったかぁ……」と、どこか場違いな感想を漏らす。


「王さまが前々回お眠りになられたのが、プレシー歴117年、93歳のときですから、そういう計算になりましょうね」

 対するルイの声はどこまでも淡々としていた。


 ヴラマンクはそんなルイを力なく見つめ、

「なぁ、侍従卿どの。寝てばかりで、てんで役立たずの王の頼みを聞いてくれるか」

 と、そう切り出す。


「なんでしょう?」


「猫を飼いたいんだ。金色の目をした、真っ黒な猫がいい。コバルト青に染めた革の首輪をつけて、名前はクロード・ル・プチ2世」


 しかし、侍従卿はばっさりとその願いを切り捨てた。

「ボクも聞いて差し上げたいのは山々ですが、今は財政に余裕がないので、ダメです」

 財務をとりしきる侍従卿にそう言われ、ヴラマンクはがっくりと肩を落とす。


 7年の空白を急いで埋めなければならないのだが、気力は一向に湧いてこなかった。

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