空白の90年
「なぁ、ダンセイニとの戦はどうなってるんだ?」
ダンセイニとはサングリアルと長年戦い続けてきた隣国だ。
2頭の狼が互いの首に噛みつこうとしている形の2つの島が、それぞれ、サングリアルとダンセイニの領地である。
南東の大陸により近いサングリアルに対し、ダンセイニはどこにも行き場がないため、長年サングリアルの領地を狙っていた。
「倒したか? やつら、ついにサングリアルをあきらめたか」
「いやぁ、それが……」
どうにも、90年が過ぎたサングリアルは牧歌的すぎる。外からは民の楽しそうな笑い声が絶えず聞こえてくるし、戦となれば騎士を率いて戦うはずの大献酌は、剣も満足に振れなさそうな細い腕をしている。
これが勝利の上の平和なのか。それならばよし。王として最も喜ばしいことだ。
──だが、平和を勝ち得たにしては目の前の騎士には覇気がなさすぎる。
勝利を収めたのがたとえ何代前であろうとも、
もうひとつの──より悪い可能性も思い起こされる。
「おい。もしや、サングリアルはダンセイニの属国に下ったわけじゃないだろうな? それにしては、搾取される側としての悲壮感ってモンがないようにも思うんだが……」
「いえですね、あのォ……」
属国としての平和、これは王として絶対に見過ごせない話だ。
大陸への足がかりとして、サングリアルの地はダンセイニの兵士らに踏み荒らされ、彼らの食いぶちをまかなうため、民は死ぬまで働かされるだろう。
ひるがえって、大陸からの尖兵は、ダンセイニを落とすために、まずはサングリアルの地を攻略しなければならない。
そうなれば、サングリアル全土が戦場と化し、幾万もの死体の山が築かれることになる。ダンセイニが優勢でも劣勢でも、サングリアルには悲劇の運命が待っている。
「しかし、あの平和な街並み、外から聞こえる笑い声はいったい……」
「いえ、陛下。あのですね……?」
「さっぱり分からん。なぁ、勝ったのか、負けたのか。ペギラン、教えてくれ」
「は、はいっ、陛下! それはですねぇ!」
ヴラマンクがようやく黙ったことがよっぽど嬉しかったのか、ペギランは目に見えて明るい顔をして、ダンセイニとの戦いの話を始めた。
いや、戦いの話ではなく──、
「なに、なんだって?」
「はい、ですから……」
「俺が眠ってから『90年間、一度も戦争が起きていない』って、そういうことか?!」
「あっ、いえっ! 60年ほど前には大陸から侵攻してきた国もありましたけれど、大きな戦にはならず、撃退しております。
ペギランがしたのは戦いの話ではなく──『戦いが無かった』話だった。
確かに、大陸の東部でその勢力を強めていた騎馬民族は、馬で渡れない土地に興味がないと聞いていたから、大陸からの侵攻がないことには納得がいく。
しかし──、
「じゃあ、ダンセイニとは一度も戦っていない、ってことか?」
ふと脳裏によぎったのは90年の眠りに就く前の大戦の記憶だった。
軍として形が保てなくなるという“3割”の死傷率をはるかに超える死者を出し、それでもなお、退けばサングリアルの命運は尽きると、死にもの狂いで挑んだ戦だった。
サングリアル軍の奮闘の甲斐あり、敵軍に甚大な被害を与え、最後はヴラマンクの持つ〈
王を失った敵軍は敗走し、そこでサングリアルは撤退することも出来たはずである。しかし、ヴラマンクは半分近くにまで減った軍で敵を追走し、停戦条約を突きつけた。
その期間、100年──。
ダンセイニが条約を守るなどとは思っていなかったため、すぐさま国に戻って、王国の復興に尽力していた。そして、ある晩、いつものように眠りに就いて、目が覚めたら──、90年もの月日が過ぎ去っていたのである。
「やつらが100年もの停戦を求めた条約を守り続けるとはとうてい思えんぞ」
しかし、他に思い当たる理由がない。
「でも、げんに一度も戦争はおこっていないのよ?」
それまで2人の話を聞いていたデュードネが小さな子供に教え諭すように言う。
「いや、そうは言ってもなぁ……。仮に、90年前に俺が交わした条約のためにダンセイニが攻めて来ていないのだとしても、その条約だってあと10年で切れるんだぞ?」
ピンと来ていない様子のデュードネに説明していると、ペギランが口をはさんだ。
「けど、陛下。100年近くも戦争がなかったんですよ? ダンセイニの人たちだって平和の素晴らしさに目覚めて、襲ってこないんじゃないですかねぇ?」
そのヘラヘラとした顔を見ていたら、ふつふつと怒りが沸いてきた。
「こぉの、愚かヤロウっ! ダンセイニは急峻な山に囲まれた土地だ。人が住み、畑を耕せる土地も少ない。やつらは肥沃なサングリアルの地を、何百年も狙ってきたんだぞ?!」
「すっ、すみません、陛下!」
「いや、暢気に構えていた俺が馬鹿だった。やつら、停戦条約の期限が切れたら、また襲ってくるに決まってる。軍備は整っているんだろうな? 今、この国に騎士は何人いる?」
ペギランとて騎士を束ねる大献酌である。そのぐらいの数字、すぐに出せるだろう。
「きっ、騎士ですか? そうですねぇ、およそ500人ほどかと……」
「愚かヤロウ! 城内につめている騎士の数を聞いているんじゃないんだ。国中の貴族から、借りられるだけ借り集めて何人いるんだ、と聞いている。1万か? もっとか?」
「いえ、ですから……」
「なんだ?」
「全員集めて、そのォ、500人ほど、かと……」
一瞬、思考が停止した。
「な、に?」
「ですから……」
ペギランの言葉をさえぎるように、ヴラマンクは大声を出した。
「90年前でさえ5千人の騎士がいたんだぞ! なんで減ってるんだっ!」
「なんでと言われましてもぉ~」
「いいから、
大主馬とは、サングリアル王国の4つの鍵を守る番騎士のひとりである。
国王の身辺警護が務めの、どちらかと言えば名誉職的な意味合いが強い大献酌に対し、軍事の実際的なところを司る役職でもある。
「それはむりよ」
思わず立ち上がったヴラマンクに、足元から軽やかな声が反論した。
「だって、デグレさまはいま、ご自分のりょう地に帰っておいでですもの」
「だあぁっ! どうして軍事の要が王城につめていないんだっ!」
激高し、立ち上がったところで急激に頭が冷えた。
「はぁ……。いいか、ペギラン。10年で、騎士を3千人に増やすぞ」
「え? しかし、それは……」
「馬を乗りこなし、いっぱしに戦えるようになるだけでも10年はかかるんだ。今すぐにでも訓練を始めなきゃ、間に合わなくなる」
ヴラマンクが立ち上がると、ペギランとはほぼ目線が同じ高さに来る。
「よく聞いておけ、お前たち。この平和は、もってあと10年が限度。ダンセイニは条約が終わり次第、絶対にサングリアルに攻め込んでくる」
「そんな、まさか。90年も何もなかったんですよ?」
ペギランは本気にはしていない調子で答えた。
しかし、ヴラマンクは語調を緩めない。
「知らないだろうから教えてやる。ダンセイニ国王“
“
ダンセイニに数百年に渡って君臨する、いわば魔王だ。
最凶の“
(やつは絶対に、俺を殺しに来る)
叶うなら、永遠に眠り続けてくれればいいのだが──。
そう願い、首から下げた〈
「な、なんだ?」
「何が起きてるんです?! 陛下!」
風の音がうるさく、ペギランの言葉が聞き取りにくい。“
「陛下!」
王の盟友の声をどこか遠くで聞いていた。強烈な眠気で、頭がぐらぐら揺れる。胸の辺りが焼けるように熱い。
(この感覚、おぼえがある。これは90年前の……)
倒れ込むヴラマンクを、ペギランが支える。その目をしかと見すえ、「いいか!」と、しぼり出すように叫んだ。
「騎士を増やせ! それから“
だが、そこで言葉は途切れ、ヴラマンクの意識は急速に薄れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます