老王ヴラマンク

「はぁ、茶がうまい……」

 草の葉を湯で煮出して飲もうと考えた人間は天才ではないかと、ヴラマンクは思った。

 デュードネを助けたヴラマンクは再び、王城の主塔、その最上階にある自室へと戻ってきている。本来、この場所に立ち入ることが出来るのは、サングリアルの中でも特に赦された四大貴族と、それに連なる者たちだけ。今はソレイユ家の姫君と、それからもうひとりがヴラマンクのそばに侍っている。


「今、新しい茶葉を持ってきましたから、おかわりもございますよ」

 そう言って素焼きの瓶を傾けたのは、先ほどヴラマンクに剣を貸してくれた騎士だ。木匙で茶葉を押さえながら、陶製の湯飲みショップに茶を注ぐ。

 この“茶”という飲み物は、ある種の葉を揉み、発酵させたものを煮出したものだそうで、喉を潤す手段といえば井戸や沢の水、果物のしぼり汁くらいしかなかったヴラマンクに新鮮な驚きを与えていた。


「うっさい、この愚かヤロウ! 俺はまだ、信じたわけじゃないからな!」

「ひぃん! そ、そう言われましてもぉ……」


 涙目の騎士は、濃紺のローブを着て、左肩からは橙色の飾り帯をかけている。飾り帯は腰のところで革製のベルトにしぼられ、股にたらしてあった。サングリアルの四大貴族にしてたるの鍵と乾杯を司る鍵番騎士かぎばんきし大献酌だいけんしゃくという役職にのみ許された格好である。それは、長年の友・セルバローの役職でもあった。


「お前のようにひ弱な男がローザン家の跡取りなはずがあるか。いいから、さっさとセルバローを連れてこい。貴様、本来なら勝手にその服を着ただけでも打ち首ものなのだぞ」


 湯飲みショップからかぐわしい湯気が漂い、ヴラマンクは茶をひと口含む。


 すると、騎士は片膝をつき、懐からひと巻の羊皮紙を取り出した。


「申し訳ありません……。セルバローを連れてくることは出来ませんでしたが、彼の最期の言葉なら、こちらに」

「最期だと……?」


 うやうやしく差し出された手紙、それを封じた紋様には見覚えがあった。ヴラマンクは慌ててひっつかみ、中をあらためる。

 その独特の文字の癖は、確かにセルバローのものであった。


「わたくし、ペギラン・ローザンは、陛下にお仕えしたセルバローから数えて4代後に当たります。不肖ながら、今のローザン家の当主は、このわたくしめでして。陛下の赦しなく大献酌だいけんしゃくを名乗った罰はいかようにもお受けしますが、まずは話を聞いてはいただけないでしょうか……?」


 セルバローの手紙──遺書には、ヴラマンクが眠りに就いてから、何年も何年も目を覚まさなかったこと。生きて再び酒を酌み交わすことはどうやら叶いそうにないこと。生への未練、そして、いつの日にか眠りから覚めるであろうヴラマンクに、子供たちを頼みたい、と、そう綴られていた。


「今はプレシー朝が興ってより207年目にあたります。陛下は90年もの間、お眠りでございました」


「せ、セルバローが引退でもして、息子のお前が俺に勝手に大献酌を継いだわけじゃないのか? も、もしそうなら本当のことを言えば、今なら許してやるぞ」

「ええとォ……」


 ペギランが言葉をつまらせると、それまで黙っていたデュードネが、腰に手を当てて平たい胸をそらした。


「んもう! 王さま、めっ! ペギランさまが、こまっておいでだわ!」

 自分の10分の1も生きていないような幼子にいさめられ、ヴラマンクは涙目になる。


「じゃ、じゃ~、クロードは? クロードはどうしているんだ」

「は? クロードさまですか?」

 ペギランがぽかんと口をあける。


 分からないのも無理はないだろう。クロードとはヴラマンクの飼い猫の名前であった。まだほんの小さな黒猫で、生涯ついに妻を持たなかったヴラマンクの無聊ぶりょうを慰めてくれた唯一の家族だったのだが。


「フーケは? アンディジョのベルナールは!?」

「お、おそらくは、皆さま、陛下が眠っていらっしゃった90年の間に、お亡くなりに……」

 ペギランが申し訳なさそうに告げる。


「う、うぅ~、い、嫌だ! 認めんぞ、俺は! 俺はもう1回寝る! これは夢、そう、悪い夢だ! お前が変な夢を見せてるんだな。出てけ。出てけ、この!」


 今にも泣きそうな顔で空になった湯飲みショップ木匙きさじを投げる。

 と、ペギランが木匙を防ぎながら言った。


「わ、私のせいじゃありませんよぉ。そ、その……陛下の胸にかかった……」

 そこで、ヴラマンクはぴたりと止まる。

 ペギランはヴラマンクの胸元を指さしていた。乱れてあらわになった胸元に、紫水晶アメジストのように輝く首飾りがかかっている。

「不思議なことに、お休みになられているうちに、陛下のお体はどんどん若さを取り戻していったそうでして。私が初めて陛下のお傍に上がった頃と比べても、今はさらに若返っておられるようです」


「……“安眠ソメーユ・サン”か」

 その話を聞いて〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉が持つの力のひとつを思い浮かべた。

 確かに、眠りを司るこの“華印フルール”のおかげで、ヴラマンクはどんなに疲れていても翌日には回復していたものだ。しかし、眠るたびに若返っていたのだとすれば。


「ど~も、人より年を取るのが遅いとは思ってはいたんだがなぁ……」

 恐ろしく相性が良かったのか、国宝の“華印フルール”は生まれてからずっとヴラマンクの首にかかっている。たとえ放り投げても、不思議な呪力によって再び舞い戻ってくるのだ。


「はぁ、茶がうまい……」

 椅子に深く座り直し、茶をすする。その姿を見て、デュードネがおかしそうに笑った。


「王さまったら、おじいさんみたいね」

「ああ。そうなのだ、小さなご婦人。俺は90歳の、爺なのだよ」


 ペギランが言う。

「デュードネ様に感謝なさってくださいね。陛下のが止まったのにいち早くお気づきになったのも、陛下が城の外に出てゆかれるのを見つけて下さったのも、デュードネ様ですからね」

「えっへん」

「そうか……。ありがとな」

 ヴラマンクがぽんぽんとデュードネの頭をなでてやると、その顔が嬉しそうにほころんだ。


「王さまが眠っていたあいだ、みんなずっとず~っと、おきて下さるのを、まちわびていたのよ。まいにち王さまのお体をふいて、目ヤニをとる“目ヤニ番”だっているんだから」

 想像してみると、ちょっと気恥ずかしい。


「……よく、権力争いなんかが起きて国が割れなかったよな」

「みなさん、欲のない方々ばかりですからねぇ~……」

 自分が眠りに就いてから、朝議ちょうぎは荒れに荒れたと、記録には残っているらしい。


 ヴラマンクには子がおらず、当時の鍵番騎士筆頭の子を養子としていたが、国王が死んでもいないのに、養子が次の国王を名乗るわけにもいかない。

 やむをえず4人の鍵番騎士の合議で国を導いていくと決め、90年の間、そうして政治をとりしきってきたのだという。


 ペギランの暢気な言葉に、先ほどから胸に渦巻いていた疑問が口をついて出る。

「なぁ、ダンセイニとの戦はどうなってるんだ?」

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