誘拐犯

 ソレイユ家と言えばサングリアルの四大貴族家のひとつである。臣下の姫君のゆくえが知れない以上、探しに行かぬわけにはいかないだろう。

「その、ソレイユ家の姫君の名は?」

「でゅ、デュードネ様と。白い絹のドレスを着ておいでです。ドレスには向日葵の刺繍が施され、髪は肩まで届く褐色で……」


「分かった。……剣を貸せ。俺が行く。お前も代わりの剣を持ったら、すぐに探しに出ろ」

 それだけ分かれば充分だった。ヴラマンクは青年の言葉を遮り、馬首を回した。


「えええっ、そんな、陛下の身を危険にさらすわけには……!」

「いいから、貸せ。大丈夫。……おそらくこれも、お前よりは使える」

 半ば強引に剣をもぎ取り、薄く笑う。鞘で青年の馬を叩いて走らせ、ヴラマンクは逆方向に自分の馬を駆った。


「誰か! 絹のドレスを着た、褐色の髪の小さな女の子を見なかったか?」

 声をかけて回ると、ヴラマンクの周りに人だかりが出来た。興味深そうにのぞく人垣の中から、年かさのご婦人に声をかける。

「お嬢さん。白いドレスの少女を見ませんでしたか」

「は、はひぃっ」

 10代の後半ほどに見える青年に『お嬢さん』と呼ばれ、婦人は裏返った声を出す。貴族であるデュードネのドレスは町人たちよりもさらに白く、明るいはず。労せずに見つかると思ったが……、それは人さらいにとっても同じだった。


「その子なら、さっき、あちらに……まっ! なんてこと!」

 と、婦人が指差した方向に目を走らせると、男たちに路地に連れ込まれる幼子の姿が見えた。──褐色の髪に向日葵の刺繍。間違いない、デュードネ・ソレイユだろう。


「デュードネ!」

 老馬の腹を拍車はくしゃで叩き、通りを一気に走らせる。ほどなく目的の路地に着いたが、デュードネと男たちの姿はすでにない。


「ここから先は馬は使えないか」

 ヴラマンクはすぐさま馬から降り、薄暗い路地へと分け入った。


「デュードネ、いるか! いたら返事をしろ」

 路地に向かって叫ぶ。だが、もちろん返事はない。


 ──いや、違う。ヴラマンクの卓越した聴覚はデュードネのかすかなうなり声を確かにとらえた。路地の奥へと突き進み、角を曲がる。──声が、わずかに大きくなった。


「こっちか!」

 狭い路地を走り、袋小路の一角にあるぼろぼろの食堂に辿り着く。その時、「痛ぇ!」と野太い男の悲鳴が聞こえ、同時に「助けて!」と叫ぶ声がした。


「ここだな!」

 剣を抜き放ち、木製の扉を蹴破って中に入る。


 瞬間、横合いから、ヴラマンクの頭上に剣が振り下ろされた!


 ──不意に、ヴラマンクの体が急激に沈み込む。強靭なひざで恐ろしく低い姿勢まで一気に沈み、賊の剣をかわした。振り返りざまに剣を振るって、自分を襲った剣を叩き落とす。

 地に落ちた剣を遠くに蹴飛ばして室内を見渡すと、斬りかかってきた男の他にも、3人の男がそれぞれ剣を構えていた。全員薄汚れた麻のローブをまとって、無精ひげを伸ばし放題にしている。


 真ん中のひとりがデュードネの首筋にその剣を当てた。

「近寄るとこいつの命はねぇぞ」

「まぁ、そうだろうな」

 そう答えながら、ヴラマンクは1歩踏み込む。


「お、おい」

「まぁ、待て、待て。4人もいるんだから全員で俺を始末すればいいだろ」

 そう言って、また1歩。


「そもそも人質なんて自分が劣勢であるときにとる作戦だろうが?」

 もう1歩進む。

 男たちはヴラマンクの迫力に気圧されたかのように後じさった。


「なんで止まらねぇ!」

「お前らの限界を量っているのさ」

 途端、デュードネを捕まえている男の両隣のふたりが、一斉に斬りかかってきた。


(左右から同時か。悪くはないが、こういう場合は突きのほうが怖い)

 右からの剣を自分の剣で受け止め、左からの剣は半身を引いて躱した。剣を躱されてよろけた男の、わき腹の急所に痛烈な蹴りを見舞うと、男は泡を吐いてくずおれる。


「ふたりして体ごと突きこんで来たら、受け止めるわけにはいかんから俺も困ったぞ?」

 片手で軽々ともうひとりの剣を押し返しながら、剣術を教え諭すように話しかける。すると、真後ろから、最初に襲ってきた男が剣を拾って突きを見舞ってきた。


 ヴラマンクは受け止めていた剣を跳ね飛ばし、後ろを振り向く。

「うむ、よろしい」

 突きこまれた剣を弾いてそらし、男の腰を蹴飛ばすと、男はたたらを踏んで転がった。


「だが、素人が腕を伸ばして突いちゃいけない。腹に柄を当てて動かさないように」

 そのままもう一度振り返り、剣を跳ね飛ばされた男の顔面に蹴りを入れる。あっという間に3人が床に転がった。


「さてと、残るはお前1人だが……」

 デュードネを人質にとる男を見すえ、にこやかに笑いかける。


「な、な、な、何者だあんた!」

「俺か? 俺はまぁ、あれだ。王様ってやつだな」

 その時、狼狽する男の後ろの扉が開き、デュードネよりも年下であろう少年が現れた。


「あ、おい、こら。お前は隠れてろ!」

「父ちゃん?」

 細かく縮れた髪は青白い硝子ガラスのように透き通っていて、金というより銀に近い。父親と同じ薄汚れたローブを着ているが、空色の瞳と端正な顔立ちには気品さえうかがえる。


「お前も人の親か」

 男をにらみつけてやると、男は驚いた鹿のように硬直した。


 ヴラマンクがもう1歩進んだところで、少年が男に話しかける。

「父ちゃん、もうやめよう? おとなしくなわにつこう。オレ、しんだ母ちゃんにもうしわけない。母ちゃんいってた。つらくても、“ほこり”だけはなくしちゃいけないって」


「う、うるせぇ!」


(父親をいさめるか、いい子だ)

 父の体にすがりついてこちらを見る少年に、優しく笑いかけてやる。


「食うに困っての狼藉か、それとも先祖伝来の稼業なのかは知らんがな。出来たら、お前らの力は、国のために役立てて欲しいもんなんだが」

 その言葉は男にというより、むしろ、少年に向けて発したものだ。


「なんなんだよ、お前はよぉ!」

「だから言ったろう、王様だっつって」

 その時、男の手がかわいそうなほど震えて──、デュードネの首筋に赤い線を作った。


(しまった! 長引かせすぎたか!)

 ヴラマンクは剣を鞘に納め、右手を高々と上げて宣言する。


「お前には極上の眠りを贈ってやる。法悦ほうえつの至福にも劣らぬ心地だそうだぞ?」


 瞬間──、ヴラマンクの着る服が、身のうちから湧き上がる風によってはためいた。冬の終わりを告げ、“華印フルール”の力を咲かせる、薄紫に輝く風。

 ヴラマンクの首には紫水晶アメジストのように輝く首飾りがかかっている。それは生まれた時からひと時も離れず、ヴラマンクを護っていたサングリアルの宝重ほうちょう

眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド

 開花条件を満たすことで様々な奇跡を起こす、奇跡の紋章──“華印フルール”のひとつである。


「なんなんだ? なんなんだよ、一体よぉっ?」


 体の奥から湧き上がった風は渦を巻いて右腕を吹き上がっていく。その風を包み込むように右手をにぎりしめ──、風を遠くに投げるがごとく、真横から腕をふるった。

 淡く色づいた一陣の風が、優しく室内を吹き抜ける──。


 男の顔が、ふっと、だらしなく緩んだ。


 男が剣を落とし、その場に倒れ込む。

 デュードネも、男の息子だろう少年も、くぅくぅと安らかな寝息を立てて眠っている。〈眠りの薫衣草フルール・ド・ラヴァンド〉の力“寝台の恍惚プティ・モール”が室内を襲ったのだ。


 ゆっくりと3人に歩み寄り、穏やかに眠る少年のほほをそっと撫でる。

(まさか、少年の前で、父親を切って捨てるわけにもいかないからな)


 そうして、ヴラマンクは優しくデュードネを抱え上げた。

「すまん、デュードネ。お前が声をあげていたら、男を刺激して、少々厄介なことになっていたかも知れん。怖かっただろうに、よく黙って耐えてくれた。俺が長引かせたばっかりに、傷まで……」

 幸い傷は浅そうだ。ヴラマンクはいたわるように傷を撫で、食堂を後にした。

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