第5話 Philia

コンクリートに容赦なく照りつける日の光

無論、そのせいで体感温度は右肩上がりになってゆくのは自分たちのせいであるけども。熱い。コンクリートジャングルはまさしくこの世の地獄ともいえよう。

そしてその炎天下の中を軍隊の様に、蟻の様に

全身黒で統一された衣装を身に纏った人々が所狭しと歩き回り又は走り回り

ある人は出て行き、又ある人は帰る場所である高層ビルが立ち並ぶオフィス街の奥。

深く、隠れ家の様に、いやおそらく誰も気づかないであろう、奥深く更に奥深く

路地裏を通り、ビルの隙間の獣道を真っ直ぐに突き進む。

まさしくジャングルの獣道のように。


その更にもう一つ奥に入ったその一角に「ソレ」はあった。


「ソレ」の見た目は所々窓が割れているコンクリート製の建物で誰も住んでいない。

いや、ボロボロのビルなのだから管理人すら夜逃げしたのではと思う様な風貌。

コンクリートの建物なのになぜか木製のドアにはスプレーで書いた落書きが汚らしく陣取っていた。真っ黒なスプレーで書かれているのは絵でもなく。ましてや訳も分からないがデザインセンスに富んでいる文字でもなかった。いや。文字ではあるのだが「英語」なのだ。


英語で―


【Philia】


一体、何人の人が「ココ」にたどり着き

そしてこの「英語」の意味を正しく理解してくれたのだろうか。


回答はおそらく0に近いだろう。


❀             ❀             ❀


【Philia】には入ってすぐ左右に沢山のドアが並んでいる。

それぞれ部屋のドアに番号の書かれた札が取り付けられている。数字の意味なんて部屋番号に決まっている。

無論、建物(ビルなのだが)は一階だけではなく四階まであるのだから階段もあるのだが間取りは俺しか理解していない筈だ。

札の取り付けられた何も変わらず何の変哲のないドアを左右に眺める。

少し気が狂ってしまうような空間を耐え、真っ直ぐ進んだその先に一際大きな円形のドアが見える。ひまわりの絵が描かれているのがポイントの大きな大きな、正直ドアをここまで大きくする必要があったのか誰もが一度は思うそのドアを開いた「その先」に「アジト」とでもいうような空間が広がっていた。

簡単に「アジト」を説明するとするならばリビングだと思ってくれていい。

大きな天窓からは太陽の光だけでなく、晴天ならば青空が、夜には輝く星々が都会の真ん中であるに関わらずよく見える。電気など要らない、晴れの日は。


部屋を大きく分けると二つに分ける事ができる。憩の場と生活の場。

入って左は憩の場であり、最新型のテレビが二つ取り付けられている。大小大きさ様々、色も色々なソファーがあちらこちらに設置されている。一見乱雑に見えるがそんな事はない。床には緑のカーペットが敷かれておりゴミ一つ落ちていない。


一方右側、生活の場。

広く使いやすい台所に大きな棚。有名人が住んでいるかのような豪邸の台所と呼んでも過言ではない。一度も使った事がないのではと疑ってしまうぐらいにピカピカに磨き上げられてシンクに業務用の大きな冷蔵庫が二台。

更に奥深くにはお風呂、洗面所と広がっている。

外見のボロさをカバーするにはオーバーすぎる空間が広がっている。


【Philia】


何しろココは俺が買い取り、申し訳程度にリフォームした廃ビルなのだから。


❀            ❀            ❀

「んぅ~」

喘ぐような声が「アジト」に響き渡る。

実際、喘いでいるかもしれないかって?

馬鹿な。ハハハ。

「お楽しみ中」ではあるが「オタノシミ」ではない筈である。

僕を含めて君たちはまだ子供なのだからその世界はまだ知らなくてもいい。

沢山あるソファーの内、少し大きめの赤いソファーの影になって見えなかったが

ツインテールの少女が脱ぎ散らかされた衣服と男物の下着の散乱の中、恍惚そうに「それら」を嗅いでいた。

頬を赤らめ、声を震わせ、体をよじらせ。

喘ぎ声に聞こえたあの声はニオイを嗅ぐので必死だっただけなのだ。



言いたいことは分かる。

この光景を見て平然と居られる人の方が少ないぐらいだ。

それは僕でも分かる。



しかしそんな、すっかり自己の世界に浸透してしまっているツインテールの少女をよそにその世界をぶっ壊すかのような怒号が響き渡る。


「ちょっと!!誰、着た服と下着脱ぎ散らかしている奴は!」

「んぅふぁ!!だぁれぇ?」

「またアンタ!まぁ、……だと思ったけどね…

ロシューのでしょ。それ」

怒号の主であるスタイルのとても良い美人がやれやれと呆れ顔になる。

溜め息と共に自らの手を額に当てる。

「うるっさいなー!リリィⓒの至福の時間を邪魔するなんて

ほんと空気読めないのね!!このビッチ!!!」

自身の事をリリィⓒと名乗るツインテールの少女は更に手元にあったジーパンとシャツを投げつけた。飛距離はそんなにない。ふわりと飛んでゆく程度だ。

非常に無礼である「ビッチ」という言葉を吐き捨てられた美人はジーパンをかわし、シャツを空中でキャッチするとリリィに向かってこう言い返した。

「何とでも言いなさい。でもね、あんたのその癖直してから私をビッチ呼ばわりしては?下着のニオイ嗅いで興奮するの止めてよ」

一息置かずに更に口を回す。

艶めかしくツヤのある赤い口紅を塗った口元がパクパクと動く。

「それにそれ、ロシューのでしょ。あの馬鹿、外に出ていないでしょうね。

てか、外に出してないでしょうね?」

「しょうがないでしょ!生理現象よ!せ・い・り!!

ロシュ―?外出させるわけないでしょ!ロシューはクラムボンのとこ!邪魔しないでよ。全く」

リリィⓒが美人から目を逸らす。

だがそれでも左手は下着へと。今度は靴下が狙いらしい。

「…学習しないサルめ……」

美人は靴下を片そうとリリィⓒ(サル)よりも先に手を伸ばす。

美人の魂胆に本能で勘付いたのであろうリリィⓒ(サル)はそれを阻止すべく我が先に小さな手をこれまた必死に伸ばす。

バチバチと小さな雷を起こしつつ、そんな実に下らない攻防戦が始まろうとした矢先のことであった。


あーああ、また始まっちゃったよ。今日こそ和解してくれないかとここでほんのささやかな期待を抱いて黙ってドア前で待機しているんじゃなかった。

バッチってなんだかんだ言って頼りがいのある姉さんポジションに位置しているけどリリィとの喧嘩はなんとかならないものかな…。

まぁ、ここでそんなことを一人で考えたところで事態は変わらない。

寧ろ悪化の一途を辿って行くだろう。

そう考えた僕は大きく溜め息を吐き、ゆっくり深呼吸をすると淀んだ空気を放ちつつあるリビングへと歩を進めた。


「…そうそう。クラムボンのところ。外には出てないよ。大丈夫。俺言ったもん。

『今度、変な恰好で外出たらクラムボン禁止』」

単調に言葉を並べながら顔色一つ変えずリビングに入ってきた僕を見て、リリィは慌てて靴下から手を放す。

ご自慢のツインテールを指でいじりながら、あら?といかにもいかにもな態度で話し掛ける。

「トーマ!居たの?」

「あぁ、うん。向こうの部屋で寝てたんだけどさ、二人の声が聞こえたから来てみたら案の定…」

僕はリリィの後ろにある大きな赤いソファーに寝転びつつ喧嘩の度に口にする上記のセリフを再度口にする。

「(ぶりっ子め…)」

リリィを睨みつけるバッチの心の声はお見通しだ。

毎度毎度のことなのだから。

きっと「(ぶりっ子め…)」とでも呟いているのだろう。

バッチというのはとてもスタイルの良い…要約すればリリィと喧嘩していた女性である。

バッチというあだ名は僕が考えた。

別に水商売をしているわけでもないし、異性にだらしない人というわけでもないのだが、コロコロと表現することが可能になるぐらい恋人が変わる、そんな彼女の人格を見て、リリィが「ビッチ」と呼び始めた。

だが、みんなの意見としては「ビッチと人のあだ名として付けるのはあまりにも汚く、失礼である」だったのでビはバ行という幼稚園児にでも分かる理屈をリリィに説明し「バッチ」とあだ名を新しくしたのだ。僕が。

あぁ、そうそう。張本人の意見は「別にビッチと呼ばれてもいい」とあまり気にしていなかった。流石大人である。大学生だけど。

ソファーに寝転がった僕をリリィが見つめている。そんな中バッチは無言でここぞとばかりに衣服と下着を片付け始めた。


不機嫌そうに口を尖らせつつ、片付けを開始したバッチを横目に僕はチラとリリィを見た。

リリィは僕と目が合うと「はぅ!?」とびくりと小さな肩を震わせ慌てて目を逸らした。

そのままそそくさとどこかへ行ってしまった。


なぜだ?

リリィは一方的に僕を見てくるくせに僕がリリィを見ると避けられてしまう。

いつもいつも。

少し傷つく…


トーマと目が合ってしまったサルはそそくさと下着をその場に残したままどこかへ行ってしまった。

毎度のことながらトーマはサルもといリリィのその行動に傷ついているようだった。

「…鈍いなぁ」

サルのことは嫌いだけど、こういうのは初々しくて大好きだ。

この恋が実ることはあるのだろうか。サルのことはやっぱり嫌いだが、人さまの恋愛を邪魔する趣味を私は持っていない。

しばらくは様子見になりそうだ。

しかもこれはきっと長期戦だ。


「ねぇ、バッチ」

「何かしら?」

「どうしてリリィはいつも僕のことを見てくるくせに僕がリリィを見るとあんな態度を取るんだろう」

「さぁね」

「バッチでも分からないかぁ」

「人の気持ちなんて簡単に読めるものじゃないわ、ましてや読まれてたまったものじゃないからね」

「…そっか」

「安心しなさい、嫌われているわけじゃないと思うわ」

「そうかな」

「そうよ」

「そうだね」


「…その逆なのに……」


「ん?何か言った?」


「何も?」


小声で出したヒントはやはりトーマに届くことはなかった。

まぁ、リリィが今後どうなるのか楽しみにしようじゃないの。


こんなことを考えるなんて、私、相当疲れているわね。

ババくさい。


甘酸っぱいそれを見守りながら今日も私はバカザルの荒らしたリビングを片付けるのだった。


              ❀


一方、部屋番号「1」


「へっくし、へっくし!」

ベッドに寝転んでいる少年がかわいらしくくしゃみをした。

それもそうだ。だって少年は「全裸」なんですもの。

「全裸」とは言ってもバスタオルを体に巻きつけている状態だ。

白いシーツのダブルベッドの上、少年と少女がゴロゴロと寝転んでいた。

比較的大きなダブルベッドがすっぽり入り、大きな棚が三つもそびえ立っている広い部屋の中。

少年の隣で文庫本を読む少女は慣れているのか、目もくれず本を読み続ける。

無機質でもあり、無表情の少女はやがてゆっくり口を開いた。

「服、着れば?」

「リリィにあげてきたからね!」

話し掛けられたことが嬉しかったのか全裸少年は目を輝かせながら会話のキャッチボールを始める。文字通り体通りの「全裸全力待機」であった。


「ロシュー。うるさい。しかも着ていた服はプレゼントするものじゃない…」

「ごめんね!」

「ロシュー、楽しい?」

「うん!最高!!

ところで今くしゃみが出たけどさ、これってさこれってさ!

もしかしたら噂されちゃってる系ですかね!?」

「…二回は悪い噂だよ」

「ええ!?マジでかよ~」

「うん」

「ねー」

「何」

「好きだよ」

「はいはい」


バスタオルをグルグル体に巻きつけている少年と本を読んでいる少女がベッドに居るなんて、カオスなことこの上ない。勘違いされても全くおかしくはない。

↑少女は服を着ているが。



しかしなんてことはない。彼らはお互いの好きなことに没頭しているだけなのだ。


華が事件に遭遇してここへ連れて来られる5日前の出来事であった。




【Philia】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Philia @penntomino121

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ