第23話 その2

『こんにちは。僕はドロボウではないです。この箱が僕の部屋にあって、開けてみたらファミコンがあったからちょっと借りただけです。君は誰? どうやってこの箱に手紙を入れたの? コータ』


 その箱を使って僕と謎の少女との奇妙な文通が始まった。まあ、文通なんてそんな甘酸っぱくて心ときめくものじゃないが。


『こんにちは。コータさん。わたしはショウコです。この箱はわたしの部屋の押入れにあるんです。押入れはコータさんの部屋じゃないです。あのファミコンはお父さんからもらった大切なファミコンなんです。借りたものはすぐに返してください』


『ショウコさんへ。ファミコンはちゃんと返すけど、それよりもこの箱が不思議な能力を持っていることが気になる。君はどこにいるの? 僕はいま月から68時間の距離にいるよ』


 まさかな、と言う思いでメモ用のプラスチック紙にメッセージを書いて箱に入れて蓋を閉めると、一瞬の間を置いてすぐに箱の中身が変わったと言う手応えがある。箱の中が揺れると言うか、箱を持つ手が空気の波を感じると言うか、とにかく感覚で理解できる。


 箱にメッセージを入れて、感覚的に時間差もなく中身が変わったと感じ、開けてみるとそこにはショウコの手紙が入っているんだ。


『コータさんへ。コータさんは宇宙人なんですか? わたしは地球の日本という国の横浜というところのおばあちゃんの家にいます。コータさんはUFOに乗っているんですか?』


 どうやら箱を閉じた状態がオンラインで、箱が開いている時がオフラインのようだ。オンの時は時間に影響されずダイレクトに情報のやり取りができて、オフの時は時間が作用しなくて僕とショウコは箱から切り離される。どちらにしろ、この箱は時間に囚われていない。


 僕の手には負えない。直感でそう判断した僕は桜子に電話してとにかく僕以外の第三者を巻き込もうとした。誰かがそばにいないと、僕を止める役目をする僕以外の誰かがいないと、このままでは僕はこの箱に入りたくて入りたくて、とんでもないことをしでかしそうだ。




 モニターの中の桜子に状況を説明する。黒ジャージの桜子と白ジャージのヴィー子がうんうんと頷いている。


 桜子はちょうど風呂上がりだったようで、いつものようにボサボサの寝癖頭ではなく隣に座るメイドロイドと同じように濡れた髪の毛をきちっと七三に分けて、火照った頬っぺたで黒縁眼鏡を曇らせていた。桜子と同じ顔をしたメイドロイドのヴィー子は目を閉じて検索中とつぶやいている。


『出ました』


 ぱちっとヴィー子が目を開けた。桜子と同じ薄い灰色の瞳でヴィー子は言う。


『コータさん、量子テレポーテーションって現象を知ってますか?』


 量子テレポート。聞いたことはあるが、自分の理解の範疇を越える言葉だ。感覚としては理解しているつもりだが、言葉でそれを説明出来ない。


『コータさんの身に起きた事象からキーとなるワードを検索にかけ、そこから導き出された情報を解析して、共時性量子テレポート現象が発現したというのが私の解答です』


「共時性? 要するに、ファミコンとか手紙がテレポートしたってことか?」


『コータくん、それは違うよ』


 黒ジャージの桜子が割って入ってきた。


『量子テレポートってのは物質の瞬間移動じゃなくて、もつれ合った量子間での情報の伝達のこと。モノはどこにも移動してなくて、こっちの情報があっちに伝播したってことだ』


 白ジャージのヴィー子が桜子の言葉を補う。


『それが普通の量子テレポートで、シンクロニシティを伴って二つの量子が同じ情報を共有するのが共時性量子テレポートです』


 なるほど。さっぱりわからない。


『私の仮説ですけど、コータさんがそのダンボール箱を蹴飛ばしてしまった時に、恐ろしいほどの偶然に偶然が重なって、ショウコさんの箱とまったく同位してしまったんだと思います』


「箱が同じになったってことか? 現在の僕の箱と過去のショウコの箱と?」


 居住区のコタツの上にぷかりと浮かんでいる箱を見つめる。何の変哲もない合成ダンボール紙の箱だ。蹴った時のちょっとへこんだ跡がある。


『いいえ。二つの箱によって作られた密閉された空間が、その形から体積まで分子レベルで一致した結果、それらは二つの空間ではなく、時間も空間も関係しない量子としてもつれ合い、情報を共有したんだと思います』


「つまり、その箱の中にある物質がどちらの箱にも存在したってことか?」


 白ジャージのヴィー子は首を横に振った。


『物質の共有ではなく、情報の共有です。箱を開けた瞬間に、その量子は分断されて二つに分かれます。そこで量子テレポートが発現します。二つの量子は同じ情報を持ちます。そして箱の中の情報が箱の外の情報を統合するために時間という概念もなく情報を構築したんです』


『てことは、何? 箱を開けた瞬間に箱の外の世界が構築されたってこと? 箱の中身は変わらずに、外の世界がまるごとテレポートしたって言うの?』


 黒ジャージの桜子が眉をしかめて言った。そんな怖いことがあるものなのか。僕は箱を開けたが、実は箱を開けた僕もその周りの空間も時間も、箱を開けた瞬間に構築されたってことか? 箱の中こそが変化しなかった情報だってのか。


「もし、僕が箱を開けなければ?」


『箱を開けない状態と言うのは、つまり、共時性量子テレポートが発現する可能性と発現しない可能性とが同時に存在したということです。コータさんの世界も、ショウコさんの世界も同時に存在していました』


「シュレディンガーの猫、か」


 箱を開けたことによって、僕の世界の情報が構築される。ショウコが箱を開けたから、ショウコの世界が構築された。じゃあこの世界ってなんなんだよ。観測者次第で、どうとでも構築され、そして構築されない世界じゃないか。構築されない世界ってなんだよ。それって情報として存在しないって意味じゃないのか?


『あくまでも私の仮説ですけどね』


 白ジャージのヴィー子がモニターの中でニコリと笑う。


『コータくん。早くショウコちゃんにファミコンを返してあげて。いつまでも箱の中が同一でいられるとは限らない』


 黒ジャージの桜子が白ジャージのヴィー子を押し退けてモニターの中に現れた。


 そうだな。それがいい。いつガンマ線が箱を貫通して分子を傷付けてしまうかわからない。ショウコの大切なファミコンはショウコの箱の中にあるべきだ。


 僕は早速例のファミコンを箱の中に戻した。慎重に、慎重に、箱の中に浮かべて、そして僕のコレクションである当時のモデルを忠実に再現したリメイク版のスーパーファミコンとスーパーマリオワールドのカートリッジも箱に入れた。


『スーパーファミコンも入れてあげるの?』


「もう壊れてしまったお父さんからもらったファミコンを大切にとっておく。そんな女の子が今はおばあちゃんちに住んでいる。なんか、訳ありっぽいじゃないか。スーパーファミコンは僕からのプレゼントだ」


『ショウコちゃんの世界じゃまだスーファミは発売されてないかもよ? 大丈夫?』


 モニターの桜子にショウコからの手紙を見せる。それはカレンダーの裏に書かれたものだった。カレンダーの日付けは、1990年10月。スーパーファミコン発売一ヶ月前だ。


「大丈夫だよ。ショウコなら、きっと大事にしてくれる。ニンテンドーのロゴマークが入っていないスーファミだけど、きっと向こうの世界でも遊べるだろ」


 僕は箱をゆっくりと閉じた。これで箱は分断されたもう一つの量子であるショウコの箱に情報を伝えたはずだ。


 ショウコが箱を開ければ、箱の中の情報がショウコの世界を構築し、ショウコは大切なファミコンと僕からのプレゼントのスーパーファミコンを手に入れるだろう。


 と、箱にまた手応えがあった。開けてみると、ファミコンもスーファミもなくなっていて、箱の底に一枚の紙があった。


 色鉛筆で書かれた『宇宙人のコータさん ありがとう!』と、デッサンの歪んだマリオのイラストだ。


 僕はショウコからの最後の手紙を受け取ると、その箱を潰した。もう二度と情報の伝達が行われないように。


『お疲れ様。コータくん、不思議な体験したね』


 モニターの中の黒ジャージの桜子が潤んだ灰色の瞳で僕を見つめていた。


『早く帰ってきて。抱き締めてあげるから』


「……サクラコ。って、おまえヴィー子だろ? 何言ってんだよ』


 いつの間に着替えたのか、白ジャージを着込んだ黒縁眼鏡の桜子がモニターの中の黒ジャージのヴィー子を押し退けた。


『ちっ。ばれたか』


「眼鏡忘れたろ。メイドロイドにちょっとくらっと来たぞ。危なかった」


『ふーんだ。気を付けて帰ってくるんだぞ』


 桜子は人差し指と中指を揃えて唇に押し当てて、少し照れたようにはにかんだ笑顔でそのキスをモニターにくっつけてくれた。


『おやすみっ!』


 そして一方的に接続を切る。急に居住区が静かになってしまった。


 さて、平安京エイリアンの続きでもやるか。僕は居住区のすぐ外でポーズ状態で固まっているエイリアンを眺めた。

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