第22話 シュレディンガーの箱 スーパーファミコン その1

 シュレディンガーの猫。


 言わずと知れたやたら名前のかっこいい思考実験だ。


 青酸ガス発生装置付きの密閉された箱の中に猫を入れ、たとえば1時間以内に青酸ガスが発生する確率を50%と設定し、さて1時間後に箱を開けると可哀想な猫は生きているでしょうか。それとも死んでいるでしょうか。とまあ猫好きにとっては身悶える問題だ。


 解答としては、50%の確率で生きていて、同時に同じ確率で死んでいる、という二つの因子が重なり合った状態であり、言うなればオンでもありオフでもある量子が箱の中でもつれ合いとかなんとか、なんとも猫好きをバカにしたような思考実験であり、そんなことよりも猫が可哀想だろ、猫よりも自分がその死の箱に入って実験しちまえシュレディンガーさんよ、という宇宙中の猫好きを敵に回す箱の中身は何でしょう実験だ。


 要するに、箱を開けてみなければその中身は解らず、観測者が箱を開ける時点までのワクワク感がとっても素敵な量子だよ、と説明すれば大抵の人がなんとなく納得してくれる。実際問題として言葉で解説されても感覚的に理解し難い実験だ。




 月周回軌道まで残りフライト時間が72時間を切った頃、僕はとある箱を開けた。


 開けるまでその箱に何が入っているか解らなかったが、その箱は僕と言う観測者をずっと待っていたんだろうと思った。そしてその箱のもう一人の観測者も、きっと箱を開けるのを楽しみにしていたんだろう。


 もう一人の観測者。


 それは、僕が箱を開けた観測者だとしたら、彼女は箱を閉めた観測者だ。




 僕がその箱の存在に気付いたのは、定時連絡も規定業務も終えて睡眠義務時間まで暇になったから、船内通路を利用してAR眼鏡で平安京エイリアンをプレイしていた時だ。


 床に岩肌っぽいゲーム画像を投影し、3Dで敵エイリアンを歩かせる。指先をコントローラにして少し大きなアクションで床を指し示せば穴が掘れて、その穴にエイリアンを落として埋め直せば倒せるシンプルなゲームだが、船内は平安京らしく格子状の通路ではなく、入り組んだ狭い通路となっている。迷路のような行き止まりのある通路での穴掘りプレイは先読みが出来ずに予想以上に手強く、思わず熱くなってしまい睡眠時間も忘れてしまった。


 しかし平安京エイリアンの敵の素体が粗いドット絵であまりに味気ない。そこであのギーガーデザインのエイリアンの3Dモデルをダウンロードしてゲームに組み込んでみた。


 そしたらそれがまた怖くて怖くて割と本気で船内を逃げ回ってしまい、いつからそこにあったのか居住区の物置にあった両手で持つのにちょうどいいくらいの大きさの箱を蹴飛ばしてしまった。


 エイリアンから逃れて物置に隠れようとしてその箱が脚に当たった時はすごく軽い音がして感覚的に空っぽの箱だって思ったが、無重力状態の居住区をふわりふわりと漂って壁にぶつかった瞬間にごとりと質量を感じさせる音が鳴り、箱が少し揺れたように見えた。


 初代XBOXを二つ積み重ねたくらいの大きさの箱だ。素材は合成ダンボール紙で、表面にはラベルも貼ってなければ、内容物など情報も特に何も書かれていない。こんな箱あったかな、とすら思った。


 僕は平安京エイリアンをいったんポーズし、ふわふわと浮き漂うその白い箱に手を伸ばした。触れてみると、確かに中に何か入っている重量感があった。ついさっき脚に当たった時は質量も何もない完全な空箱だと感じたんだけど。


 その合成ダンボール箱はテープなどで閉じられてることもなく、ほんの少し上蓋が開いていてその隙間から中を覗き見ることができた。


 居住区の明かりが箱の中身を薄っすらと照らしている。くすんで黄ばんだ白と光沢のない小豆色が見えた。このカラーパターンはもう宇宙でもアレしかない。僕はワクワクしながら箱を開けた。


 やっぱりファミコンだ。初代のデザインのファミリーコンピュータだった。


「こんなとこにしまったっけ?」


 思わず呟いてしまう。この宇宙船内には少なくともファミコンは5台あったはず。壊れて動かなくなったのや、正規販売ライセンスを取ってない怪しいメーカーが作った偽物とか、遊んでないファミコン本体もあるので予備にと買っておいて置き忘れてしまったものだろうか。とにかくこのファミコンに関してはまったく記憶にない。


「どれ、動作確認してやるか」


 僕は箱への興味がすっかりファミコン本体に移ってしまい、箱を無造作にそっちへ放っておいて、早速ファミコンをディスプレイに接続しようとした。


 そして、僕はこのファミコンがひょっとしたらとんでもない代物なのかもしれないと悟った。


 RFスイッチ。むかしむかし、ファミコンが登場した時代に、それはファミコン本体とテレビとの接続に使用されていた高周波切替スイッチだ。そのRFスイッチが本体に差し込まれていたのだ。


 今の時代、さまざまなゲームメーカーがファミコン本体の販売ライセンスを取得してオリジナルファミコンを販売している。色褪せたカラーリングから素材の質感まで当時のモデルを忠実に再現した懐古趣味的モデルやら、すべてのファミコンソフトをインストール済みの資料的価値のあるスマートフォンタイプのモデルまで、もうありとあらゆるファミコンがある。


 しかし僕の知る限り、すべてはゲームで遊ぶためのファミコンであり、もはやディスプレイに接続するために不要な同軸ケーブルのRFスイッチを採用したモデルなんて存在しないはずだ。たとえRFスイッチを再現した物好きなメーカーが存在したとしても、ディスプレイ側でそれに対応できないからゲームで遊ぶことが出来ない。ゲームで遊べないファミコンなんてこの宇宙に存在する訳がない。


 そしてこのファミコンのコントローラは四角いボタンを実装していた。カチカチとしたプラスチックの丸ボタンではなく、グニグニとしたゴムの四角ボタンだ。


 これは決定的だ。このファミコンは確実に初代ファミリーコンピュータだ。とても信じられないが、宇宙船の物置にあった箱から初代ファミリーコンピュータが出てきた。


「これは、いったい、どういうことだ?」


 訳がわからない。


 あ、箱だ。あの箱に何かヒントはないか? マサムネかジャレッドがサプライズでこっそり仕込んでいたか? 桜子からのプレゼントか?


 僕はふわりふわりと浮いていたあのダンボール箱を手に取り、それこそ初めてファミコンにゲームカセットを挿す時みたいに慎重に、ゆっくりと箱を開けてみた。


 と、何やら一枚の紙らしきものが入っている。さっき見た時はファミコン以外に何も入っていなかったと思ったが、気のせいか?


 その紙片を手にして、僕はますます混乱してしまった。これはただの合成紙じゃない。本物の紙だ。そしてその本物の紙にはこう書いてあった。




『ドロボウさんへ。そのファミコンは壊れててもう動かないけど、わたしにとってはとても大事なファミコンなんです。お願いです。返してください』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る