第17話 黒ストッキングと流れ星と ギャラクシアン
女の脚が男の肩を踏む。
形のない何かの輪郭を確かめるように、黒いストッキングに包まれた爪先をきゅっと丸めて、男の肩の筋肉をほぐすように撫でる女の脚。男の手が女のくるぶしに触れる。ウエストのくびれにも似たラインを描く足首を鷲掴みにして、柔らかく張りのある細いふくらはぎに親指を這わすように女の脚を駆け上って行く男の手。人差し指と中指を足に見立てて丸みを帯びた膝に降り立ち、そこからフィギュアスケーターのような軽やかなステップで太ももを走り抜けてエンジ色のスカートの中に滑り込んで行き、女は甘い吐息を小さく漏らす。そして渋みのある男の声でナレーションが入る。
『誰もが思わず触れたくなる肌触りを貴女へ』
某有名女性下着メーカーのテレビコマーシャルを観た時、僕は啜っていたカップラーメンをR-TYPEの波動砲のように撃ち出してしまった。
「月面コペルニクスクレーターにてARムービーを限定配信中」とか言われて、慌ててAR眼鏡を装備して指定タグを入力、そして月を睨む。
間違いない。あれはファミコン誕生日パーティの時に盗撮された僕と桜子だ。まだ消えてなかったのか。
G.O.T.、ごはんを美味しく食べるの会にて、桜子の申し出によりジャレッドの弾劾裁判が急遽開廷された。弁護人であるマサムネの渾身の「異議ありっ!」もミナミナとルピンデルの2名の陪審員があっさりと却下し、公正な審議の下、被告人ジャレッド不在のまま有罪が言い渡された。
裁判の間、僕は何をしていたかと言うと、何もしていなかった。ただドイツビールとドイツソーセージを堪能していただけだった。
「もういいよ、サクラコ。そもそもジャレッドがいないんだ。いまここで何を言っても意味はないよ」
「でもコータくん、私は納得できない」
黒縁眼鏡の奥に光る瞳は、シベリアで狼を撃って暮らしているロシア人のそれだ。桜子がこの目を見せるのは十分にアルコールが回っている証拠だ。実はこうなった桜子の方が素直で可愛い。行動理念がシンプルになり制御しやすくなる。
「僕は君が可愛くて、触りたくて触ったんだ。それでいいじゃないか」
そんな僕の芝居がかった台詞に、桜子はボサボサの髪の毛をわしわしと掻き上げてぷいとそっぽを向いた。
「まあ、私の脚のラインの良さを全宇宙の人類が知ったってだけのことよ」
そしてすとんと椅子に座ってウイスキーを煽る。確かに細くてしなやかな脚のラインはいい。脚はな。
「すごい。コータがサクラコを完全にコントロールしてる」
そう言って小さく拍手するルピンデルに僕はくいっと親指を立てて見せた。みんながいるところではストレートに強く言うと桜子は言うことを聞いてくれる。後で二人きりになった時に土下座の一つ二つしてやれば機嫌が悪くなることもないし。
「結局ジャレッドはいくらぐらい儲かったのかな?」
ミナミナがドイツソーセージをパキッといい音立てて食い千切って言った。
「まあ、地球に降りてアキハバラと温泉行くって言ってたからな。けっこうな臨時収入になったんじゃねえか?」
「臨時収入って言うけどね、あんたも共犯者なんだからサクラコにしっかりモデル代と出演料支払いなさいよ」
ルピンデルがマサムネに食らいつく。そうだ。共犯者も何も、マサムネこそがコクピットに隠しカメラを仕込んだ張本人じゃないか。
あのクレーターで上映された動画を観た女性下着メーカーの広報課がけっこうな額の映像使用料をジャレッドに支払ったらしい。向こう三ヶ月の放映権も手に入れて、例のストッキングの売れ行きはかなりのものだそうだ。
「映像観た限りじゃ誰が誰だかわかんないし、僕とサクラコに迷惑はかかんないからもういいって。出演料だけで」
「そう言う訳にはいかない。私だって温泉行きたいんだ」
黒縁眼鏡の奥にロシア人の目を輝かせて桜子が言う。吹雪の中を彷徨うジャレッドに、ピタリ、ライフルの照準を合わせているんだろう。
「そこで私は考えた」
桜子はいつもの黒ジャージのポケットから一枚のカードを取り出した。ぱっと見、何の特徴もないクレジットカードサイズの真っ黒いカードだ。
「コータくん、眼鏡でARゲーム起動して」
ARゲームはAR眼鏡の拡張現実機能で、例えば壁とかデスクとかに単色のシートを貼り付けて、そのシートにゲーム画面を投影していつでもどこでも手ぶらでゲームが楽しめるって一時期けっこう流行ったアプリだ。
「マーカーを読んで」
桜子は椅子から少し脚をずらし斜めに座り直すと、大胆にもエンジ色のミニスカートをちょいとつまんで黒ストッキングに包まれた太ももを露わにし、指に挟んだ黒いカードをそっと添えた。
なるほど、黒いカードと黒ストッキングが同化して単色のエリアに見える。自分の脚をディスプレイ化させるボディディスプレイだな。久しぶりに桜子の太ももをじっくりと観察しつつも眼鏡の視界越しにマーカーをタップ。
読み込むこと数秒、桜子の太ももに現れたのはギャラクシアンのスタート画面だった。
「わーお、今日のサクラコなんかエロかわいいよー」
「ちょっと恥ずかしいけど。まだテスト段階だし」
「ARゲームの欠点って長方形以外は読み取れなくて、曲面を認識出来なくて表示がズレちゃうはずだよね」
「それを逆手に取るわけ。まあ見てて」
「イエスッ!」
女の子達がワイワイとかしましく黄色い声で喋っていたのを、マサムネのイエスがピタッと止めてしまう。
「マサムネの視線はいやらしいから5メートル離れろ」
桜子が低い声で唸るように言った。そしてその薄い灰色の瞳で僕をじろりと睨む。
「何かコメントはないのかしら?」
「あ、はい。すごくキレイなギャラクシアンだ。誰もが思わず触れたくなるよ」
「ふうん。まあ、いい。どう? やる? 1プレイ千円でいいよ」
「高っ!」
どこのぼったくりバーですか。桜子のメイドロイドカフェに行ったことはないが、そういうお店なのか?
「うちのメイドロイドカフェはそこらのメイドカフェと違って、生身のニンゲンはもうイヤだって人が通うカフェなの。千円でもきっと払ってくれるよ」
それにしてもギャラクシアン1プレイに千円か。太ももを見ると、ギャラクシアンのデモが始まった。
桜子の太ももを星が流れ、敵機が編隊を組んで落ちてくる。ちょっと痩せてる太ももからするりと流れ落ちて膝で大きくカーブを描き、滑らかなラインのふくらはぎに消えていく。自機が撃った弾はふくらはぎをよじ登り、膝でぐっと加速するように這い上がり、太ももを舐めるように突き進んで桜子のミニスカートの中に消える。スカートの中はどうなってるんだろう。想像力、妄想力がチクチクと刺激されまくるじゃないか。何故か千円でも高くない気がしてきた。
「本当はメイドの格好をしたメイドロイドにエプロンドレスをたくし上げさせてプレイするからもっと刺激的になるよ」
メイドの格好をしたロボットがいる時点でもはやまともな理論が通る店とは思えないが、そういう店に通うお客さんにとってはこのギャラクシアンは魅力的なのだろう。僕もそう思えてきた。
「ねえねえ、あたしもやってみたい」
「ミナミナならもちろんフリープレイだよ」
「違う違う。あたしも脚をディスプレイにしたいのー」
突然のミナミナの参戦表明に色めき立つ僕達。偶然にもミナミナも黒ストッキングを装備しているじゃないか。
「これってサクラコがコマーシャルしてる例のストッキングだよ。静電気が抑えられてほんと履き心地いいよー」
「イエスッ!」
本日二度目のイエス発令。
「僕千円払うよ」
思わず手を上げてしまう僕。
「ミナミナのボディディスプレイならもう最高! 脚出して脚出して」
桜子も酔っ払ったおっさんみたいにミナミナの脚にすり寄って行った。
「ねえ、思ったんだけど」
ルピンデルがビールジョッキを傾けながら静かに言う。
「1プレイ千円よりも課金制にしない? 弾1発につき1円課金とか」
衝撃が走った。その発想はなかった。ギャラクシアンの弾1発につき1円。無駄弾を撃たないプレイすれば、千円なんかよりずっとお得にプレイ可能だ。
「そうね、いいアイディア。さすがはルピンデル。でもちょっと、ゲームを変えるね」
桜子がAR眼鏡越しに仮想キーボードを打ち始めた。僕には桜子の考えが読める。ギャラクシアンよりも連射性の高いギャラガにゲームをチェンジするつもりだろう。そうすればより多く弾を撃つことになり、さらなる課金地獄にはまることとなる。
「オッケー。マサムネ、プレイする?」
しかし桜子は僕の予想の遥か上を越えて行った。ミナミナのセクシーな脚に映し出されたゲームはギャプラスだった。連射性能も連打の必要性もギャラクシアンとは比べ物にならないシューティングの登場だ。
「弾1発につき10円ね」
しかも弾1発の価値は10倍に跳ね上がる驚異のインフレ率を見せた。
どうする、マサムネよ。
そして、僕は彼女らに3,800円支払い、マサムネは47,650円のお会計だった。定額課金制の導入が急がれる結果となった。
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