第8話 その3
マサムネがどうしてもと言うから、僕は美術品や骨董品の鑑定士がつけるような白手袋を装備してドラクエ2のパッケージを包んでいた真空パックを開けた。
プシュッとかすかな音がした。
勇者達が描かれた箱絵は色褪せて、箱の角なんか白く擦り切れて破けかかっている。とても大事に遊んでいたんだろうな。元の持ち主の並々ならぬ愛情がこもっていたというのがよくわかるボロボロ具合だ。
最大限のリスペクトを込めて扱え、と訳のわからないことを言い出すマサムネ。
解っている。解ってはいる。解ってはいる、つもりだが。
ドラクエ2が発売されたのが1980年代だ。それから4、50年経ってこの宇宙タイムカプセルに封印された。そこからさらに60年ほど時が過ぎたんだ。一人の人間の人生よりも永い時間を経て、今、僕のこの手の中にあるんだ。これを奇蹟と呼ばずしてどうする。とは言っても、僕にとってはただの紙の箱なんだよな、これ。大事なのはこの中身だ。奇蹟よりもゲームだ。
僕が遊んだ後、カートリッジはパッケージと一緒に保存処理が施されて、透明な保管ケースにしまわれて、ゲームミュージアムにひっそりと展示されるんだろう。そうなると誰がこのゲームで遊べる? 誰がこのゲームを遊んでやる? それってやっぱりおかしいよ。このカートリッジがゲームであるためには、誰かが遊ばないとならないんだ。
「壊すなよ。破くなよ」
しつこいマサムネを無視して紙の箱をさっさと開ける。チョコレートのプラスチックパッケージみたいに箱はあっさりと開いた。
「そんな乱暴に扱うな! 宇宙で最後のファミコンオリジナルカートリッジかもしれないんだぞ!」
「さすがにそれは大袈裟だろ」
「じゃあ、実際に遊ぶことができる宇宙で最後のオリジナルのドラクエ2かもしれないぞ」
「そう言われると重みを感じるな」
「おまえが持っているのはただの古いゲームじゃない。偉大な歴史そのものだ」
「そこまで言われると逆に引くな」
さっさと遊んでマサムネを黙らせるか。僕は紙の箱をふるふると揺すって中のカートリッジを滑り出させた。
カートリッジそのものもやはりすっかりと色褪せて、ステッカーに描かれた勇者達も色彩を失いつつあった。ひょっとしてずっと撫で続けていたんじゃないか、と思えるほどカートリッジの角は特に色合いがくすみ、滑らかな丸みを帯びているようにさえ見える。
「ほら、こっちはやるよ」
パッケージをマサムネに投げてやる。紙パッケージを与えておけば静かになるだろう。
「おお、すげえ! 紙だぞ、紙!」
いや、誤算のようだ。マサムネのはしゃぎっぷりはますますエスカレートしてしまった。
「うおっ! 説明書だ! 取説まで紙で出来ている!」
そりゃ当然だ。ドラクエ2の発売当時はまだ紙は当たり前のようにあったんだ。確かに宇宙で生活していればパルプ由来の紙に触れる機会はめっきり少なくなるが、地球上では紙媒体はまだまだ現役なはずだ。たぶん。
マサムネの紙フィーバーにいつまでも付き合っていられない。ゲームを始めてしまえば今度こそ静かになるだろう。僕はカートリッジをいったん宙に置いて、ファミコン本体を引っ張り出した。さて、と置いといたカートリッジに手を伸ばした時、あるものが目に飛び込んできた。
「なんだ、これ?」
「ん? どうした、コータ?」
「何か書いてある」
カートリッジの裏面に何か文字が書いてある。カートリッジに直接マジックか何かで書き込んだ跡のようだ。
「書いてあるって、おい、まさか……」
「ああ、名前が書いてある。たかし、って」
「たかし!」
たかし。ひらがな三文字でたしかにたかしと書いてある。元の持ち主の名前か。
「ファミコンのカートリッジに直接マジックで名前を書くって都市伝説は本当だったのか!」
「なんだよその狭い範囲の都市伝説」
「たかし! オークション出品者に確認しなきゃな。亡くなった曽祖父の名前がたかしなら、これはもう間違いないぞ」
「間違いないも何もたかしはたかしだろ」
「ん? なんだこれ?」
今度はマサムネが何かを見つけた。興奮して振り回してしまったドラクエ2の取扱説明書から何かがこぼれ出したようだ。ふわりと宙に浮かんだそれをマサムネがひょいとつまむ。
「折りたたんだ紙、だな」
慎重にその紙を開く。それに記されていたのはカタログのように並ぶ生鮮食品の画像とたくさんの数字の羅列だった。
「これは……?」
「カタログ、じゃないな。スーパーのちらし、か?」
「おまえにはこれがちらしに見えるのか?」
マサムネは手に持った紙をくるりと回して裏を見せてくれた。
「うわっ、スーパーのちらしじゃねえか!」
そして自分で驚く。いちいちうるさいぞ、マサムネ。手首を返すようにして紙の表裏をくるくるとひっくり返し、スーパーのちらしの面と何やら細かく文字列がかきこまれた面とを交互に見せてきた。
「パスワードだな」
ゲームを中断した時に続きを遊ぶためのパスワードだ。これがあれば、たかしが遊んでいたその続きを僕が遊ぶことができる。百年以上前のプレイの続きをだ。
「おう、こりゃすごい。すご過ぎるぞ。スーパーのちらしの裏に手書きのパスワードだ。また都市伝説の再現だぞ」
「ずいぶんとまたローカルエリアな都市伝説だな」
そう言って僕はドラクエ2のカートリッジの端子部分にふうふうっと息を二度吹きかけて、ファミコン本体にセットしようとした。パスワードを発見したんだ。もうやるべきことは決まってるだろ。
「息を吹くな!」
いきなりマサムネが大声を出した。
「なんだよ。ファミコンは息を吹きかけてからカートリッジをセットするのが始まりの儀式だろ?」
「それこそ都市伝説だ。端子が呼気の湿気で錆びる」
「メンテすれば平気だよ」
えいやっとドラクエ2をファミコンにセット。
「おまえのそういうとこがダメなんだよ。ゲームに対する愛が足りない」
「知らないよ」
そう言うマサムネを無視して電源オン。さあ、よみがえれ、ドラクエ2。百年の時を経て、たかしの思い出と共に。
やや待って、真っ黒い画面に電子的なファンファーレが鳴り響き、ドラゴンクエスト2のタイトルが現れた。
「よし、画面は荒いけど、リメイク版と変わってないな。その紙を貸してくれ」
このパスワードはたかしが遺したメッセージだ。たかしの意思は僕が継ぐ。
僕はマサムネからスーパーのちらしを受け取ってパスワードを入力した。って、なんなんだよ、この長いパスワードは。しかも手書きの文字の読みにくいこと読みにくいこと。おそらくたかしの小学生時代の文字だろう。正直言ってひらがなの羅列は相当認識しづらい。
「よし、入力完了」
いざ、ドラクエ2の世界へ。
ふっかつのじゅもんがちがいます。
「おーい! ちゃんと入力しろ!」
パスワード入力ミスのメッセージが表示される。
「いやいやいや、僕は間違ってないって」
この読みにくいひらがなの羅列が悪いんだ。そもそもこのパスワードが正しく記録されたかどうかだって怪しいもんだ。
「間違ってなかったら続きができるはずだろ? よく見ろ」
「見てるよ。これは『な』か『ね』か?」
「『ぬ』じゃねえか?」
そして52文字のパスワード入力4回目のチャレンジにて、ようやくパスワードが通った。たかし、待たせたな。今度こそ、百年の孤独な時間が終わりを告げて新しい時間が刻まれるんだ。
しかし、ゲームが始まったが、主人公の名前はたかしじゃなかった。さとし、だった。
「誰だよ、さとしって!」
僕とマサムネのツッコミは宇宙にむなしく染み込んでいった。
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