第7話 その2
73度に設定したオーブンで箱を焼くこと約4分。ようやく箱の表面に変化が見えた。オーブンの中で浮かぶ箱の一面が突起状に盛り上がり、カーボン繊維を押し上げた。
「きたきた」
オーブンを覗き込んでいるとまるで晩飯の準備をしてる気分になる。僕はオーブンの蓋を開けてミトンをつけてずしりと重い箱を慎重に引っ張り出した。ただただ真っ黒い箱もオーブンから出て来ただけで美味そうに見えてしまうから困る。
「なんて言うか、ミトンが似合うな、コータ」
マサムネが十分にあったまった箱をクッションで受け取って言った。
「そりゃあまあ、下手すりゃこの狭い居住スペースで三ヶ月も生活するんだ。オーブンから料理を取り出す手際も良くなるって」
無重力空間でフライパンに油をひいて火にかけてみろ。それこそ地獄の釜の蓋が開いたような阿鼻叫喚が展開する。
「よし、温度が下がる前に突起を押せ。押し込め」
突起が上を向くようにクッションの上で箱を置き直し、マサムネがプラスドライバーを突起にあてがって力を込めた。作用反作用の法則に従ってマサムネの身体が浮き上がる。マサムネはアクロバティックに空中で姿勢を回転させ、居住スペースの天井部に脚を突き立て、両手で握りしめたプラスドライバーをまるで聖剣エクスカリバーであるかのように頭上に掲げて、僕から見れば逆さまにひっくり返って箱の上にドライバー一本で突き刺さってるように見えるが、ぐいっとドライバーを押し込んだ。
「どうだ? けっこう手応えあるぞ」
箱の突起が内側へめり込み、ドライバーの先端もずいぶん箱の中に潜り込み、ついにカキンッ小さく軽い金属音が箱の中から聞こえた。
「外れた。開くぞ」
パキンッとさらに音が鳴る。すると黒い小箱はするすると絡まった糸が解けるみたいにカーボン繊維が束になって緩んで、花が咲くようにぶわっと広がってほつれた。
「やっちまった! コータ、ほら、やっちまった! もう引き返せないぞ!」
バラバラになったカーボン繊維の束の奥vから食べかけのパンの耳みたいな直角に折れ曲がった灰色のパーツも無重力空間に散らばっていった。これらが組み合わさって箱になっていたんだろう。芯の部分である形状記憶合金のパーツを押し込んだから、これらを押さえていたいわゆる要石的なパーツが外れ、密閉された箱が解体されたという訳だ。
「こりゃもう戻せないぞ! やっちまった!」
「うるさいな。そもそも戻すつもりなんてない」
何故か興奮状態のマサムネがバラバラと広がっていく箱だったくの字のパーツを掻き集めた。たしかに、この無数の直角に曲がったパーツを組み合わせて箱を再現しろなんて言われても不可能だ。おそらくカーボン繊維も箱を固定するのに一役買っていたんだろう。
「お、コータ、これすげえ軽いぞ」
「うん。箱の第一層で光の遮断と外部的衝撃を吸収するんだろうな。このパーツの軽さは中空のハニカム構造かなんかだろ」
「でも箱そのものはすごい重さだったぞ」
「その秘密は第三層にあるのさ。でもその前に第二層の解除だ」
箱の中身はグレープフルーツくらいの大きさの乳白色した球体だった。片手でぐっと掴めるぐらい小さいのに、とてつもなく重い。表面はしっとりとして指に吸い付くような素材で覆われていて、半透明の乳白色の向こう側にドラクエ2のパッケージの形がぼんやりと見て取れた。
「ようやくご対面だな。で、次はどうする?」
マサムネが球体を目線の高さまで持ち上げた。そしてまた縦軸を固定してゆっくりと横回転させる。
「第二層は耐熱フィルムだ。大気圏突入もできる耐熱性があるってよ。さあ、第二問だ。どうしましょうか?」
「ヒントはないのか?」
解除のヒントね。今度こそちょっとした優越感って奴に浸らせてもらうよ。
「ヒントは、第一層とコンボになってるってことかな」
乳白色の球体をよく見れば、ちょうど真ん中らへんに継ぎ目のようなラインが入ってるのが解る。だからと言ってもちろんそこから手で破けたりカッターで切れたりするレベルの強度じゃない。
「第一層は光の遮断と衝撃の吸収分散。第二層では断熱。よく考えれば第一層で光を遮断する必要はないんだよな。わざわざ表面積が大きい外側に偏光塗料使うのももったいないし。てことは、こいつは光に弱い。どうだ?」
僕は無言でポケットからスマートフォンを取り出した。無言のままマサムネの方をちらりとも見ずにカメラアプリを立ち上げる。
「……正解のようだな」
どうしてこうもあっさりと見破るか。しっかりと論理的な考え方しやがって。
「知らないよ。耐熱フィルムの一部に光触媒素材を使用してて、強い光を当てると破断するらしい」
「強い光? どれくらいの?」
僕はやはりマサムネの顔を見もせずに乳白色の球体をスマートフォンで撮影した。ストロボが焚かれて、一瞬だけど鈍い色した乳白色がすっきりと真っ白く光って見えた。
「これくらいの」
すると球体がぴりっと小さく音を立てて、継ぎ目のような色違いのライン部分がぴちぴちとヒビ割れて裂けていく。
バヅンッて大きな音が居住スペースに響き渡り、グレープフルーツ大の乳白色の球体は一皮めくれて人の頭くらいの大きさした透明な球体へと変化した。
「うわっ、デカくなった!」
「この大きな第三層が大質量の原因だ」
破けて剥がれた耐熱フィルムをくるくる丸めてゴミ箱に捨てて、僕はこの透明な球体をつんと突ついて言った。無重力空間で軽く突ついても動かないくらい質量がある。
「おいおい、捨てるなよ。それも貴重な資料だぞ」
マサムネがゴミ箱を漁ってぐるぐる丸められた耐熱フィルムを拾い上げた。コレクターのなんでもかんでも取っておく心理は理解できない。それは何の変哲もない耐熱フィルムだ。大事なのは中身だろ。
「それはドラクエ2と関係ないもん。いらないよ」
「おまえ何拗ねてんだよ」
「拗ねてない。ヒントの出し方が下手な自分自身に対してかける言葉が見つからないだけだよ。だから第三層の解除方法のヒントはなしだ」
「はいはい、もうヒントはいらねーよ。これは、かたやわらかいって言うかやわらかたいって言うか、ゲル状になった水か?」
今日のマサムネはやたら冴えているようだ。しかし第三層の正体に近付いたからと言って解除方法にたどり着ける訳ではない。
「そう、これは水だよ。高吸水性高分子、いわゆる吸水ポリマーだ。すごい圧力かけて超保水させたポリマーを巻きつけているらしい」
「つまりこのドラクエ2は紙おむつに包まれてるのかよ」
「それもたぷたぷに水分含んだ奴にな」
マサムネがサッカーボールぐらいの大きさの水の球体をがっしり掴んだ。爪を立てようとしてるが、無駄だよ。それはただの水の塊じゃない。
「その大きさで20リットルは保水しているらしい」
「20リットルかよ! 重いはずだ」
「しかも高圧力で保水してるから爪どころか剃刀の刃すら入り込む余地がない」
この水の第三層が宇宙放射線からドラクエ2を守る。高圧保水の効果で1メートル四方の水槽と同じレベルでガンマ線を遮断できるらしい。
第一層で光による刺激を遮断し、物理的衝撃も吸収分散する。第二層の耐熱フィルムの膜が熱の伝導を抑える。そして第三層は対放射線の防御シールドだ。酸素にも触れず、放射線にも晒されず、重力も温度変化も光の照射も無いまま地球の衛星軌道上で等速運動を続けるこの箱は中の物の物質としての劣化を完全に防ぐ。
それに正しい手順で解除しなければ正しく開かない。例えばいきなりレーザーなどで第一層のモノカーボンを焼き切るとか、そうすれば光に弱い第二層は一気に弾け、熱に弱い水の第三層は一瞬で沸騰して中の物に重大なダメージを与えてしまう。そんな機密保持能力と複雑な解除方法も手伝って、開けたくても容易には開けられないタイムカプセルにもってこいの箱だ。今やバラバラになって無残な姿を晒してるけど。
「これ、このゲルはどうやって剥がすんだ? 熱で水分を蒸発させるったって、中のドラクエ2が無事でいられるかわかんねえし、ちゅうちゅう水を吸い出せるのか?」
「それなんだけど、実はマサムネはさっきから正解の解除方法を試していたんだよね」
そう。今日のマサムネはやたら冴えている。偶然だろうけど、マサムネがしていたそれはまさしく第三層の解除方法そのものだ。
「俺が? 何かしたか?」
「うん。さっきから何度もこれをくるくる回してたろ? 実はあれが最後の解除方法だ」
首を傾げたまま水の球体を睨みつけるマサムネ。こればっかりはいくら口で説明しても理解するのは難しい。僕も解除方法を知った時はまったくイメージできなかった。しかし現物を目の前にすれば、なるほど、合理的な解除方法だと納得できる。
「縦軸を固定して横回転させるんだ」
僕はさっきまでマサムネがやっていたように水の球体にそっと手を添えて軸をぶれさせないようにしてくるっと回転運動を与えた。
「正解は、回転させる、だ」
軸のぶれに気を付けてもう一度勢いよく回して回転速度を増やしてやる。マサムネは透明な球体の中でくるくると回るドラクエ2を見つめて、そうか、と頷いた。
「遠心力か」
「そう。第三層の解除方法は遠心力でポリマーを剥がすんだ」
音もなく回転し続ける水の球体はなんとなく最初の頃よりも楕円形になってきたように見えた。
「地球や火星の重力圏内じゃこんなにうまく回らないからポリマーを剥がすだけの遠心力を得られないんだ。でも無重力空間なら、ほら」
目で見て解るくらいドラクエ2を包み込んだ球形が楕円になっていく。
「見てるだけでこうもあっさりと、か。月のミュージアムに持って帰ってたら、開けられなかったかもしれないな」
「ミュージアムに持ってく前に僕が遊ぶんだ。だからこの船の中で開封したんだよ」
ドラクエ2を抱いた水は、もう球体を保てないほどに形を歪めて、やがてゲル状のシートがゆっくりと音も立てずに剥がれた。
後にはドラクエ2のパッケージが静かに回っているだけだった。
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