第9話 G.O.T. ファミリートレーナー その1

「つぅがるーかぁいきょぉおうーふぅゆげぇーしぃきー」


 ルピンデルのコブシの利いたパワーのある声にエコーがかかって耳に染み渡る。艶やかな黒髪を震わせて、小さな握り拳をきゅっと作って歌に力を込める。これが心で歌うというやつか。


 ルピンデルは優雅に一礼してテーブルにマイクを置いた。いえーっと桜子とミナミナが大きく拍手をして、すぐにまた料理に手を伸ばす。この三人組と一緒にカラオケに来るのはひさしぶりだけど、相変わらず歌とごはんをシステマティックに切り替えて楽しんでいるな。


「さ、終わったな。ディスプレイ借りていいか?」


 とは空気が読めないでお馴染みのジャレッド。ルピンデルが歌ってるそばから大きなバッグをごそごそとやっていたんだが、また何やら秘密のアイテムを持ってきたのか。




 G.O.T.という会がある。会と言ってもそんな大袈裟なものじゃあない。単に友人達が集まって食事しようって、言うなればシンプルな飲み会だ。桜子が軌道港の管制オペレーターをしていた時の仲良し三人組と、僕のゲーム仲間との合コンみたいなものが原型だ。


 インド系日本人のルピンデル・川崎。ブラジル系日本人のミナミナ・デ・シルヴァ・宮地。そしてロシアの血が混じった那須野・ヴィーシュナ・桜子。みんな管制オペレーターだ。お互い日本人ってところで仲良くなったらしい。


 男連中はレトロゲーマーの僕とイギリス籍のゲームコレクター、マサムネ・ガードナー。そしてゲームマニアのジャレッド・アクロイド、アメリカ人。その六人でよくごはんを食べに行っている。




 ジャレッドが取り出したのは一枚の大きなシートだ。畳よりもちょっと小さいくらいの正方形で、その正方形の中にさらにカラフルな正方形のマークが並んでいる。


「何それ? またジャレッドが変なの作ってきたんでしょー?」


 ミナミナがフライドチキンを手掴みにして噛み付きながら聞いた。ルピンデルがちらっとカラオケの楽曲本から視線を上げて言う。


「ディスプレイ使うの? 次の曲決まったのに」


 大きな身体を揺すりながらジャレッドは、まあいいからって言って何の説明もせずにカラオケ用ディスプレイに勝手に持参のゲーム機を接続する。ゲームをストレージできるそのハードは携帯型のハードディスクのように片手で握れるくらい小さく、ファミコンソフトならその全てをストックできるくらいの容量があったはずだ。


 カラオケルームの一角に広げた厚みのあるビニールシート状のものをまるでワイン職人が樽に詰められたブドウを足で踏み潰すみたいに器用に踏みならして、僕達にもったいぶった笑顔を見せてきた。


「ダンスダンスレボリューションのゲームマット?」


 桜子がワイングラスを傾けながら言った。確かにそれっぽい足踏みボタンみたいなのが並んでいるが、そのボタンの持つ意味がDDRとは違うようだ。


「これはファミリートレーナーの足踏みゲームパッドだな。もちろんオリジナルじゃないが、まあまあの美品かな」


 と、マサムネ。なるほど、マットの上で足踏みしてゲームの中のキャラクターを動かすコントローラだ。で、ジャレッドはこいつで何をしようと言うのか。


「そう、ファミリートレーナーの足踏みパッドを改造した。ボタンをそれぞれファミコンコントローラに対応させて、ファミコンのゲームを身体で楽しめる」


「で、それって楽しいの? ファミコンコントローラは指先のテクニックを最も効率的に機能させるためにあの形になったのに、それをこんなにしちゃって」


 ルピンデルが相変わらず融通の利かないことを言う。カラオケの曲番号を入力して、いつでもオーケーだと言わんばかりに操作パッドをひらひらとさせた。


「何事もチャレンジさ。考えるより動け、だ」


「あんたの場合は考えてから動け、ね」


 ミナミナがチキンの骨でジャレッドを指す。ポイと骨を投げ捨て、ゆっくりとくるくると回転する骨が皿に落ちる前にもう一本のチキンを摘み上げてかぶりついた。


「考えていたら、何も成し遂げられない」


 ジャレッドが何かを成し遂げたのを僕は見たことがない。ということは、ジャレッドは何事も考えていることになる。それは大いなる矛盾だな。


「まあ、見てな」


 もうこうなったらジャレッドは止まらない。桜子は足を組んでソファにもたれかかりワイングラスを傾け、ミナミナは手掴みでチキンを味わい、ルピンデルはカラオケの端末を持ったままディスプレイが空くのを待っている。マサムネは足踏みゲームパッドの手触りを確かめている。僕は僕でフライドポテトを楽しみながら、みんなが何を見て、そして何を見たがっているのかを想像してる。


「パッドの上を歩けばマリオも歩く。走ればBダッシュ。そしてジャンプすればその圧力に応じてマリオのジャンプも高くなる。ここにいるみんなならもう説明はいらないだろ?」


 ディスプレイに映ったのはスーパーマリオブラザーズ。世界で、いや、宇宙で最も有名なヒゲのゲームだ。


「よし、見てろ」


 ジャレッドはいつも何かしらのゲーム周辺機器を改造してはレトロゲームに新たな可能性を見出そうとして、販売ライセンスを獲得して一儲けしようと企んでいるが、人生そう簡単なものじゃないのだ。とにかくよく考えろ、ジャレッド。おまえはいつも何か一手が足りないんだ。


 ててってってれってっ。


 おそらく世界で最も聞かれてきたゲームミュージックのイントロ部分がカラオケルームに響き渡る。それと同時にジャレッドが大きな身体を小刻みに振動させるように強烈な速さの足踏みを始めた。ジャレッドの動きに感応して宇宙一のヒゲ、マリオさんも猛ダッシュ。そしてスーパーマリオの第一関門、世界中のプレイヤーを葬ってきたクリボーが接近してくる。


「ジャンプだっ!」


 ジャレッドが跳ぶ。飛ぶ。ぶっ飛ぶ。


 ジャレッドの巨体はオリンピック走り幅跳びの選手のように大きく羽ばたき、そのままの軌道で大きく大きく飛び上がり、カラオケルームの天井に頭から激突して跳ね返り、背中から落ちてきてバウンドして壁に突っ込んでいった。


「まあ、あの勢いでジャンプしたらこうなるよね」


 桜子がぼそっと呟いた。そりゃそうだ。ここは月だ。月面の低重力下において全力で跳び上がれば、地球の六分の一の重力をあっさりと振り切ってとんでもない跳躍になってしまう。


 そして宇宙で最も聞かれてきたゲームミュージックのあのメロディが鳴り響いた。マリオ氏はジャンプミスしてクリボーに突撃してしまった。てれっててれててー。


「終わったよね。カラオケに戻すよ」


 ルピンデルが実に作業的にテキパキとディスプレイをカラオケに戻す。そしてすでに入力済みだったのか、モリマサコの『越冬つばめ』のイントロが流れ始めた。

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