第39話 その4 第一部 最終話

 意外にも弾丸は一発で強化プラスチック窓を撃ち破った。


 脆いもんだ。僕は思った。


 強化ガラスにヒビが走り、小さく丸い穴が空く様子を、僕は冷静に見つめていた。シューティングゲームで遊んでいて、迫り来る弾幕がスローモーションに見える時が稀にあるけど、こんな時でもスローに感じるんだな、とぼんやりと見ていた。それとも単なる処理落ちか。


 すぐにリアルは呆けた僕の頬っぺたを鋭いビンタでばちんと張ってくれた。意識がやけにクリアになる。


「どんっ! 声出して!」


 つきさっきとはまるで逆だ。マスドライバーで打ち上げられた時は肉体を残して魂だけが後ろに持っていかれる感覚だったが、今回は目の前の小さな黒い穴が僕の身体を強引に持っていこうとしている。


 目に見えないはずの空気が、まるで漫画でよく見る集中線のように小さな穴に吸い込まれて行く様子が見て取れた。


 無数の手に身体の前面をめちゃくちゃ掴まれて、手の群れは小さい穴に僕を引きずり込もうとする。無重力状態だから足の踏ん張りも効かず、拳銃の発射で後ずさった身体がぐんぐん引っ張られていく。


 僕は両腕、両膝を壁に押し付けて、壁に垂直にひざまずくようにして身体を突っ張って耐えた。


 ほんの目の前、数十センチ先にある小さな穴の先は宇宙だ。宇宙服なしでは一瞬だって生きられない、本来なら人間が立ち入ることも許されない世界だ。


 後ろを振り返る。桜子はブリギッテに覆いかぶさるようにして、そしてブリギッテはコンテナにしがみつくように、それぞれ悲鳴に近い声を出して空気の激流に揉まれていた。


 何秒経ったか。


 カーゴの空気を抜き過ぎてしまっては元も子もない。空気の噴出でカーゴの軌道を変えて、なおかつ、救援を待つ間に僕達が呼吸する分も残しておかないとならない。カーゴ内の気圧を下げ過ぎてもまずい。体液に溶けていた窒素が気泡となって血管を塞いでしまう。いまこの状況でどれくらい空気を残しておけばいいか、目に見えない空気を目分量で判断するしかない。


「ええい、わかんねえ!」


 もういい。カンだ、カン。どう考えたって空気の基準量なんてわかるはずがない。


 僕は持っていた断熱材を強化プラスチック窓に押し付けた。窓に空いた穴は毛布みたいに分厚い生地の断熱材を吸い込み、ぎゅっと詰まって、空気の流出が緩やかになったのが体感的にわかった。


 まだだ。まだ空気は抜けている。気圧の変化でパンパンに膨れたペットボトルを開けて、断熱材を咥え込んでいる穴の辺りに少しずつ水をかけていく。水はかけていくそばからパキパキと凍りつき、ペットボトル一本分の水で窓をがっちり覆うだけの氷を作れた。


 終わった、かな?


 やれる事は全部やった。後は結果を待つだけだな。


 僕は壁を蹴って桜子とブリギッテがいるコンテナに舞い戻った。二人ともまだうずくまったままで動こうとしない。


「終わったよ。あとは結果を待つだけ」


 むくりと桜子が頭を上げて黒縁眼鏡の向こうから僕を睨んだ。


「ほんと無茶ばっかして。バカじゃないの?」


「カーゴの軌道が変わった感触はあったろ? 1,000キロ先で数キロ分進路が変わってればいいんだ。余裕余裕」


「今ほど、コータくんを大バカ野郎で、最高に愛しく思ったことはないわ」


「誉めてんのか、それ?」


「身体中が、痛い」


 ブリギッテは小さくうずくまったままつぶやくようにかすれた声を漏らした。


「減圧症だよ。関節が痛いだろ? でも生きてる証拠だ」


「頭痛い。お腹苦しい。吐きそう。バカ」


 それだけ喋れれば心配いらないな。減圧症は高圧酸素療法ぐらいしか治療法がない。このカーゴに酸素ボンベは設置されていないだろうし、どのみち救援の船を待つしかないな。


「さあ、あと10分くらいで防衛レーザー砲の射程距離に入るだろう。撃たれたら僕達は死ぬ。撃たれなかったら、僕達の勝ちだ」




 コンテナの中で、桜子がブリギッテを抱いて、その桜子を僕が抱き締める。そして断熱材でぐるぐるに巻いて、ふわふわと漂う。


 レーザー砲射程圏まであと三分くらいだ。ここまで誰も喋らず、静かに時間が過ぎるのを待っていたけど、ブリギッテが震える声でそっと言った。


「コータくん、何か面白い話して。静かなのは、怖い」


「この状況でか。ハードル高いな、おい」


「ほら、早くお話してよ」


 桜子が僕の胸に後頭部を押し付けて乗ってきた。カーゴ内の気温はマイナス二桁行ってるか。月の影を飛んでいるんだ。このまま時間が経つにつれてマイナス百度越えてもおかしくない。


「そうだなー。ゼビウスってゲームがあるんだ。もう百年以上前のゲームだけど、今だに根強いファンがいるゲームだよ」


「知らない」


 ブリギッテが白い息を吐きながら即答する。そりゃそうだ。10歳でゼビウスを知っていたら将来有望なレトロゲーマーだ。


「僕の船の名前、ソルバルウってのもゼビウスからもらったんだけど、他にバキュラって敵キャラがいるんだよ」


「知らない」


 そう答えたのは桜子だった。君の場合は知ってなきゃダメだろってレベルの問題だぞ。帰ったら補習だ、補習。


「バキュラは空中をクルクル回転しながら飛んでくる破壊不能な敵なんだけど、その破壊不能なバキュラに256発弾を撃ち込めば破壊出来るって都市伝説があったんだ」


 相当冷え込んできたせいかリアクションの薄い二人の背中をさすりながら続ける。


「僕も何度も挑戦したけどダメだった。そもそも256発当てられるほど画面の中にいないんだ。僕は都市伝説の真偽を調べてみた」


 桜子がファミコンカラーの白ジャージの前を開けてブリギッテの小さくて細い身体を胸に抱いて、またじじっとファスナーを閉めた。僕は二人をジャージ越しにさすり続けた。


「答えはネットのすごく深いところに沈んでいたよ。僕はゼビウスの製作者のブログにたどり着いた。とても古いデータだった」


 百年以上前のゲームプログラマーのブログって蠱惑的なキーワードに惹かれたか、桜子もブリギッテも顔を僕へ向けた。


「ゼビウスの敵キャラにはそれぞれカウンターが設定されていて、弾を当てられるとそのカウンターがゼロになって破壊処理がされるんだ。でもバキュラだけカウンターはゼロにならない設定らしくて、それで破壊処理がされない唯一の敵となる」


 桜子の薄い灰色の瞳、ブリギッテのブラウンの瞳。それぞれ潤んだ目で僕を見ている。


「で、バキュラをどうしても破壊したかったプレイヤーが仮説を立てたんだ。カウンターをどんどん進めて、一周してゼロに戻った時にバキュラを破壊できるんじゃないかって。カウンターは8ビットで設定されていた。8ビットの数字の限界は256だ。実際はカウンターは一周しなくて、結局破壊できないんだけどね」


 やっと256の謎に到達した。


「カウンターを一周させてゼロに戻す数字、256。それがバキュラを256発撃てば破壊出来るって都市伝説の元になったんだよ」


 僕の話は終わりだ。


「ちょっと何言ってるかわかんない」


 と、ブリギッテ。


「ごめん、何一つ共感できるものがない」


 とは、桜子。


「えー、なんでさ。みんな、おおって唸るネタだよ?」


「コータくんのみんなって、たぶんすごく狭い範囲だと思うわ」


 ブリギッテが桜子の平たい胸に顔を埋めて言った。桜子がブリギッテをよしよしと撫でて腕時計を見る。


「しかももう三分過ぎてるし。クリアしたね」


 なんだよ、それ。




 それから約8分後、肉眼でもはっきりと形が解るくらい近い距離を、月周回軌道港の巨大な影がものすごい速さで吹っ飛んでいくのが小窓から見えた。




 そしてさらに60分が過ぎ、桜子もブリギッテも、睫毛や鼻、口元を白く霜が覆う頃に、小窓から真っ白い光が差し込んだ。救助船がようやく追い付いたようだ。


 ミッションオールクリアだ。僕の勝ちだ。


 救助船が、ガシンと音を立てて接舷した。




   第一部 おわり

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