第38話 その3
今までいろいろなレーザーを撃ってきた。横にびーって真っ直ぐ真一文字のレーザーから、リング状のリップルレーザー、誘導性能の高い追尾レーザーや極太のドラゴンレーザーまで。もちろんゲームの中でのことだ。しかしまさか、リアルで軌道港防衛衛星のレーザー砲にロックオンされることになろうとは。
「軌道計算してどうすんの?」
月周回軌道上250kmを秒速1.5kmで回っている月軌道港。それに僕達が乗るカーゴが衝突すれば、それこそ人類史に残る大惨事となる。でも理論上では衝突することはあり得ない。こんな小さなカーゴでは、防衛レーザー砲の射程距離に入った瞬間に蒸発させられてしまうからだ。乗っている僕達は生身のまま宇宙空間にばら撒かれることになる。
「エンジンもスラスターもないこのカーゴの軌道を変える方法は一個だけあるんだ。僕達が助かる確率を上げるため、正確な軌道を知らないと」
僕はコンテナを抜け出して、後方の壁際を漂っているブリギッテのバックパックを拾った。ブリギッテ、失礼して勝手に開けるよ。
「これこれ。日頃の行いの良さがものを言うね」
壁を蹴り、カーゴに据え付けられている小さなディスプレイに向かって飛ぶ。
「ブリギッテ、きつかったら寝てていいぞ」
コンテナからのそのそと這い出ようとしていたブリギッテに声をかけてやる。真っ白い顔したブリギッテは無理矢理笑顔を作って見せてくれた。よし、強い子だな。
「コータくん、まさかそれで軌道計算しろって?」
「宇宙史上初めて月面に着陸したアポロ11号の誘導コンピュータと比べて処理速度は10倍、メモリ容量は100倍だ。計算するだけなら申し分のないコンピュータだろ?」
ブリギッテのバックパックからファミコンを取り出す。カジノで当てて、ブリギッテにプレゼントしたニンテンドーセットだ。ファミリーベーシックと専用キーボードも引っ張り出し、据え付けのディスプレイに接続する。今のファミコンはユニバーサルスタンダードデザインだ。ほとんどのディスプレイと接続できて、どんな電源からも電気を受け取れる。
「ああ、もう! こんな時までファミコンって!」
ファミリーベーシックはファミコンの周辺機器の一つで、BASICと言うプログラミング言語を使ってプログラムを書き、それをファミコン上で走らせるプログラミングの疑似体験ができるようなソフトだ。ファミコンロボット同様、昔は画期的なアイテムだったんだろうが、今の時代はコレクターズアイテムぐらいしか存在意義はないだろうな。
「大先輩のアームストロング船長はファミコン以下のコンピュータでやったんだ。トップオペレータだったサクラコにだって出来る」
ぷりぷりと怒りつつも、桜子は僕の側までふわりとやって来てキーボードの上で指を踊らせた。
「何かキーの感触がぐりっとしてる」
「やれるか、なんて言わないぞ。やるぞ」
「BASICで計算プログラム書いて数値を代入すればいい訳ね。いいよ、やってやる。その代わり」
「代わり?」
桜子は低い声で僕の耳元で囁いた。
「I ALWAYS WANTED A THING CALLED TUNA SASIMI. OK?」
「吐くまで食わせてやるよ」
「よし、やる気出た。コータくんはマスドライバー施設の座標を調べて。あと打ち上げ時のグリニッジ標準時間」
桜子はスマホでどこかに電話をかけながら、ファミリーベーシックでプログラムを書き始めた。キーボードの重そうなキータッチの音がカーゴ内に響く。
僕はスマホで検索。マスドライバー「タカマガハラ」の正確な座標だ。
「月面緯度北緯8.6度、月面経度東経31.5度。打ち上げ時間はグリニッジ時間で21時32分だ」
桜子は肩にスマホを挟んで、細い首を傾げるようにしてキーボードを叩き続けている。
「ルピンデルー、電話出ろー。このカーゴの速度は?」
「秒速2.5キロ。時速で9,000キロだ」
「仰角わかる? あっ、ルピンデル! 聞いて。月軌道港の現在座標と速度教えて。高度も!」
「打ち上げ角度は66.6度だったはず」
「今それどころじゃないって、こっちもそれどころじゃない!」
運良くルピンデルが勤務時間中で電話に出てくれたようだが、確かにそれどころじゃないだろうな。月面マスドライバーから軌道港へ向けて所属不明機が射出されたんだ。間違いなくテロ認定されてるな。
「そう、それ! 私がそれに乗ってるの! コータくん、何度だって?」
「66.6」
「コータくんも一緒! 何でって、私が知るか!」
不意に僕の対静電気パーカーが引っ張られた。振り向けば、ブリギッテがパーカーの裾を握って浮いていた。
「大丈夫。今んとこ問題なしだ」
不安げな顔で漂うブリギッテを抱き留めてやる。動かないように、どこかに流れていってしまわないように、優しく、でもしっかりと手を握り締める。
「サクラコはな、こう見えても軌道港の管制オペレータをやってたんだ。あのミリタリーロリータ調の制服が可愛いでお馴染みの」
「うん、可愛いの知ってる」
「その管制オペレータ時代に、オペレート能力、パイロット達の人気ともにベスト3に入るまさに軌道港のアイドル的存在だったんだよ」
「そのアイドルをどうやって口説いたの?」
「ツナ刺身をたくさん食わせたんだ」
「食べ物で釣ったの?」
ご想像の通り、月でのマグロは超のつく高級食材だ。地球産の天然物になったりすると中トロ一貫で吐き気がするほどのお値段になったりする。
「わかった。とにかく、パルスレーザー照射が止められないなら、衝突コースから外れたら撃たないよう言って。こっちには事故に巻き込まれた3人が乗ってるんだから、あくまでも人命尊重って方向で」
桜子のキーボード上を踊る指の動きが止まった。
「ありがと、ルピンデル。救助船の手配をお願いしていい? 大丈夫、コータくんが一緒だから」
桜子は通話を終えた。大きな深呼吸を一つして、うん、と頷く。
「いま軌道港は地球に引っ張られて高度が270キロ。速度は変わらず秒速1.5キロ、時速5,400キロ」
桜子はこっちを振り向いて両手の拳を宙に浮かせて説明を始めた。
「私達は秒速2.5キロで打ち上げられて、いったん高度350キロぐらいまで達してあとは月周回軌道を半周して重力圏を飛び出していくみたい」
桜子の右の拳が大きく回って右斜め上の方へ吹っ飛んでいった。
「その半周の時に、軌道港にやや上から打ち下ろすように追いかけるようにして接触、衝突するっぽい」
今度は左の拳でゆっくりと円を描き、右の拳を速く動かして楕円を描き出して、顔の真ん前で両方の拳をぶつけ合わせた。
「その時の速度は秒速1.0キロぐらい。28分後。今から1,600キロぐらい先のこと」
「28分か。思ったより余裕あるな」
「パルスレーザー照射は、約20分後。軌道港まで500キロの位置」
20分後。腕時計を睨む。ちょうど22時くらいか。
「ファミコンでできることはここまで。あとはなんとかしてこっちの軌道を変えないと」
「軌道を変える方向として、上下左右前後で言うとどっちかわかるか?」
僕は動きながら桜子に聞いた。ブリギッテの父親を別のコンテナに移し、コンテナを再び密封する。気絶してるし、数時間は呼吸も大丈夫だろう。
「前後は無理。ブースターでもつけない限り速度はそんなに変わらない。上下も同じ。月の重力を利用しているから、今更仰角を変えても無意味。衝突は避けられないと思う」
次はコンテナの内張りの断熱材を剥がす。毛布のような大きさの物が何枚も取れた。
「左右で言うなら、左がいいかな。私達から見て右側へ落ち込むように軌道港が過ぎて行くから、こっちの軌道を左に曲げられれば、回避の確率は高くなるはず」
「うん。サクラコの計算なら間違いないよ。左に曲げてやる。二人ともこっちに来て」
桜子とブリギッテを呼んで、新しいコンテナを開ける。こっちも飲料水のコンテナだ。剥ぎ取った断熱材を桜子に手渡し、二人の顔を交互に見つめる。
どこかすっきりとした表情を見せる薄い灰色の瞳の桜子と不安げにブラウンの瞳を泳がせているブリギッテ。二人の肩に手を置いて、ぎゅうっと抱き寄せる。
「僕がよーい、と言ったら胸いっぱいに空気を吸って、どんって言ったら耳を塞いで大声で叫びながら息を吐くんだ」
桜子はハッとした顔を見せ、すぐにうんと頷いてくれた。ブリギッテは眉を寄せて首を傾げたが、すぐに桜子に習って笑顔を見せてくれた。
「任せたよ、コータくん」
僕は無言で頷いて、断熱材一枚と飲料水のペットボトルを二本手に取り、カーゴの真ん中から右側、ようやく外を確認するのがやっとの大きさの小窓を睨み付けた。
さて、最後のミッションだ。びしっと決めて、オールクリアと行こう。
対静電気パーカーのポケットから拳銃を取り出す。さっきブリギッテの父親が使おうとした拳銃だ。そしてゆっくりと腕を上げて、小窓に照準を合わせる。
「よーいっ!」
僕の声に合わせて桜子とブリギッテが息を吸い込む音が聞こえた。
弾丸が跳ね返って来たら怖いからちょっとだけ角度をずらして、僕も息を大きく吸い込んで、迷わず真っ直ぐ引き金を引いた。
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