第37話 その2

 積み込まれていたコンテナの中身は食糧品と飲料水だった。コンテナは耐熱コーティングのフィルムで包まれていて、コンテナ内は毛布みたいな断熱材で内張されていた。


「ペットボトルのコンテナか」


 透明のラップでぐるぐるに巻かれて24本1セットで固定されたペットボトルがコンテナ内にびっしりと詰め込まれている。


「コータくん、動き出したよ」


 カーゴが微振動を始めた。不安そうに僕を見つめるブリギッテと、急に落ち着きなく無意味な足踏みを始めた桜子。


 確か、このカーゴはまずは超電導リニアモーターで軌道に乗り、そしてレールガンでどんっと打ち上げられるんだ。そのレールガン射出のタイミングまでに身体を固定すればまだなんとかなる。


「サクラコ、ブリギッテ、このコンテナをシート代わりにするよ」


 二人をコンテナ内に呼んで、僕は隅っこにぐったりと横たわっていたブリギッテの父親を引きずって持ってきた。


「そいつ、どうするの?」


 ブリギッテが眉を寄せてあからさまに嫌な顔をしてみせる。


「低反発シートの代わりだ」


 気絶している父親をコンテナのペットボトルケースに寄りかからせて座らせる。もう打ち上げカーゴは通勤モノレールぐらいの速度まで加速し始めている。外の様子をかろうじて確認できる程度の小窓を見れば、リニアレールの左右からさらにごついレールがカーゴを挟み込むように迫っていた。


「何やってるんだよ、二人とも早く来いって!」


 僕の大声に弾かれるように桜子がコンテナ内に飛び込んできた。ブリギッテも揺れが大きくなってきたカーゴ内を覚束ない足取りでコンテナまで近付き、中を覗いてやっぱり眉間にシワを寄せたまま言う。


「そいつと一緒なんてやだ」


「気持ちはわかるけど、わがまま言ってる時間はないんだ」


 僕はブリギッテの胸ぐらを掴んでその小さな身体を強引に引き摺り込んで、あぐらをかくようにして気絶しているブリギッテの父親の上に座らせた。


「サクラコはこっちだ」


 桜子は僕の前に体育座りだ。そして彼女の背中から胸に腕を回して、背後からすっぽりと包み込むように抱く。そのまま背筋を伸ばすようにペットボトルの背もたれに身体を預ける。


「ちょっと、コータくん大丈夫なの? 私ってそんなに軽くないよ」


「知ってるよ」


「いや、そこは否定してくれないと」


「いいから黙ってろ。前にシャトル便の事故報告書で読んだことがある。人体も衝撃緩衝材の一つとして有効であるって」


 ガツンと一際大きな振動がカーゴ内を揺るがした。二本のレールにがっちりと捉えられたサインだ。射出体制が整った。


「口を開けてゆっくりと息を吐くんだ。舌を噛まないように丸めて、首に力は入れるな。あとはだらりと慣性に押されるがままだ」


「声は出した方がいいんだよね?」


「息を吐くためにな。さあ、時速9,000キロの世界を観に行くぞ」


「マジで? 何秒ぐらい?」


 月の重力を振り切れる第二宇宙速度は秒速約2,400メートルだったはず。このマスドライバーの全長は40キロだ。加速しつつ最大で秒速2,500メートルに達するとすれば。


「フルマラソンで人間が2時間ちょいかかるコースを一分で駆け抜ける感じかな」


「凄すぎてわかんない。ムロフシよりも速い?」


「たぶん3倍くらい」


「私死ぬわ」


「大丈夫、僕がいる。ブリギッテも頑張ってみろ」


 僕は左腕で桜子の華奢な身体を抱き締めて、右腕を伸ばしてブリギッテの手を握り締めた。桜子が僕の腕を抱き返して、ブリギッテは無言で強く握り返してくれた。


 いい子だ、と言おうとしたら、見えない何かに首根っこを鷲掴みにされて精神を引っこ抜かれた気がした。


 幽体離脱って言葉がある。肉体から魂が抜け出して、霊魂となり現世をさまようとか言う非科学的な現象だが、もしも本当にそんなことが起こり得るのなら、いままさにそれが発現しているんだろう。ってぐらい、いきなり持っていかれた。


 空気が壁となって押し寄せてくるとか、空気が水面に変わってしまってそこへ飛び込んで行くとか、いろいろな表現を聞いたことがあるが、今回に限ってはそれらは当てはまらなかった。


 空間が僕を残して少し伸びたような気がした。次元の違うレベルでの高速移動のせいで時間ですら間延びしてしまい、加速中は1秒がやたら長く感じられた。目に見える光景は僕から遠くなるにつれてどんどん奥行きが増して、時間あたりの距離が増大していくのが見えた。


 背中のペットボトルがベコベコとへこんでいくのが身体越しにわかる。そしてそれよりも桜子の身体を構成する筋肉、脂肪、骨がどんな風に組み立てられているのかが文字通り肌を通して理解できた。


「んあっ」


 桜子が声にならない声を漏らして身をよじれば、桜子のジャージや僕の対静電気パーカーがあるのに関わらず、お互い裸で抱き合っているかのように筋肉の収縮、骨格の動きがわかった。僕の身体が桜子の身体の形にへこんでいくのも理解できる。


 腕一本動かすにもとんでもない重さを感じる。重力に縛られるというのがぴったりの感覚だ。


 他の惑星、恒星の重力圏を無視して宇宙空間で延々と加速し続ければいつかは光の速さまで近付くことはできる。でもこのマスドライバーでの急激な加速はそれとは違うカテゴリーでの速さだ。いかに短時間で目標の速度に達するかというミニマムな世界での人知が及ばない深みだ。


 何秒経ったろうか。何十秒経ったろうか。加速のベクトルが変化した。水平方向から上昇する力へと、つまり前からだけでなく上からも重力の波が襲いかかってきやがった。


 身体は動いていないはずなのに、ズルズルとコンテナの床下に沈んでいくような感覚が背骨の上から下まで走り抜けていく。


「イヤ、落ちる」


 桜子がか細い呻き声をあげた。桜子を落っことさないように、彼女の身体を支えている左腕を動かしてやる。内臓が加速度に持ってかれて下に移動してしまったか、胸もお腹も平たくぺったんこだった。あ、これはいつも通りか。


 ブリギッテを見ると、父親の腹の中にめり込むようにうずくまっていた。それでも必死に歯を食いしばって、僕の手を握り締めてくれている。


 ムロフシで打ち上げられた時、超高速スクロールシューティングでお馴染みの「ザナック」を思い出した。今は、そのザナックの自機を操縦している架空のパイロットが不憫に思えてきた。高速で飛んでいるかと思えば、停止しているくらいのスピードまで急激な減速を食らって、また超高速まで急加速で吹っ飛んでいく。次にプレイする時はちょっと優しく操作してやろう。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか桜子の身体が浮き上がっているのに気付いた。加速が終わったようだ。自由落下状態に入った。


「よし、クリアだ!」


 無重力になればもう僕を縛り付けるものはない。目の前で浮かんでいる桜子をくるりと回してみる。


「大丈夫だな」


 黒縁眼鏡がずれ落ちているが、しっかり目は見開いている。意識は保てているな。ブリギッテの方を見ると、ぷかりと浮き上がった彼女は身体を丸めたまま僕に拳を突き出してきた。親指をぴんと立てて。


「普通は大丈夫か、って聞くもんだろ」


 桜子がかすれた声で抱きついてくる。


「いいから、時間がないんだ。次は軌道計算だ。早く軌道を変えないと、僕達はレーザーを撃たれて蒸発だ」


「計算って、どうやって? スマホの電卓じゃ無理だし、演算アプリだってダウンロードしてる余裕あるの?」


 僕はカーゴの中を見回した。どこに飛んで行ったかな。


「アレを使うんだよ」

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