第二節

 夢を見た。

どこかの公園で、顔が真っ黒に塗り潰された少年と遊ぶ夢。

「おねえちゃん!」

その少年はこちらをそう呼んで駆け寄り、自分はその少年の頭を優しく撫でる。

「もうお日様が沈んできてるから、今日はもうお帰り」

「あ、ほんとだ。……また明日もいるよね?」

こくりと頷くと、また少年は嬉しそうに笑った。

「よかった!じゃあまた明日ね!」

少年は手を振り、駆け足で夕日の下を帰っていった。

少年の姿が見えなくなるまで手を振って、ゆっくりとした足取りで夕日の下踵を返して歩き出し――


 そこでファナリヤの目は覚めた。

時計の針は午前八時を指している。

ちゅんちゅんと小鳥のさえずる声が心地よい……

また眠ってしまいそうだが、差し込む朝日の眩しさに睡魔がどこかへ飛んでいった。

(何の夢……だったのかな)

つい先程の夢の情景が今も頭に焼き付いている。

とても懐かしく、心が暖かくなる。過去の自分がかつて体験したことなのだろうか?

そう考えを巡らせていると、こんこんとノックの音。

返事をするとゆっくりとドアが開き、トラベロが入ってくる。

「おはようございます。よく眠れました?」

「……はい。ぐっすり、です」

「よかった。お風呂が沸いてるんで入っていけって団長が。よかったらいかがですか?」

「……あ、はい」

思えば風呂なんてものもいつ以来になるのか。

今入らないと次はいつになるやら……と考えこくりと頷く。

トラベロの案内でゆっくりと向かう。踏んだら大変だからと丁寧に髪の毛を持ってくれていることに対して、少し申し訳なさを抱きつつリビングを経由してバスルームへ。

その途中、一人の女性がファナリヤへ声をかける。

「おはよう。元気になったかい?」

「え、あ……」

突然の声に肩を震わせ、恐る恐るこくりと頷く。

女性は別に取って食いやしないよ、とくすくす笑った。

恐らく彼女がトラベロの言っていた団長という人物だろう。

「風呂のお湯が冷めないうちに入りな。トラベロ、覗くなよ」

「ぶ! な、何言うんですかっ! 僕生まれて一度もそんなことしたことないですよ!!」

「なんて言ってみただけー」

「じょっ……団長、ファナリヤさんが誤解するようなことを言うのはやめてください!!」

けらけらと団長はフライパンを片手に笑う。

きょとんと首を傾げるファナリヤに、トラベロは何でもないですよ、と苦笑しながら答えて引き続き誘導して目的地へ。

「着替え置いてますから、それ着てくださいね」

ひと通りの説明の後、コッソリ耳打ちする。

「僕がドアを閉めたら髪の毛を使っていいですから。出たらまた声をかけてください。じゃあごゆっくり」

ゆっくりとドアを閉め、トラベロは再びリビングへ。

きゅるる、と腹の虫が鳴る。我ながら、相変わらずの勢いが過ぎる音だと苦笑した。


 リビングでは団長が盛り付け終えたサラダやオムレツを並べている。

自身とトラベロ、そしてファナリヤの三人分。

ああおいしそうと分泌される唾液を飲み込み、全員揃うまでソファーに座って新聞を読む。

「あんた凄いね、もう名前聞いたのか」

トースターに食パンを入れつつ団長が声をかける。

「名前以外に何か言ってた?」

「……いえ。多分彼女、記憶喪失なんじゃないでしょうか」

「名前以外は何もわからないって?」

「昔のことは全然思い出せないって言ってましたから……素振りからしても嘘を吐いてるワケじゃなさそうです」

ふむ、と団長は首を捻る。

「どうします? やっぱり警察に」

「つっても証拠も手がかりも何もない状態で動くか?」

「じゃあせめて……」

「……まぁ確かにそうだわな。そうしてみるか?」

互いに首を捻っていると、脱衣所のドアが開く音を耳に挟む。

「……あの、ありがとう、ございました」

ぺこりとファナリヤは頭を下げる。

小さい赤のりボンがあしらわれた黒いワンピースは彼女の白い肌をより際立たせていた。

「気にしない気にしない。女の子なんだから綺麗にしないと。ご飯用意できてるから、髪乾かすからこっち座りな」

ドライヤーとヘアブラシを片手ににこりと笑った。


 「で、ファナリヤちゃんだっけ。トラベロから話は聞いたんだけど……本当に何も覚えてないのかい?」

髪を乾かし終え、朝食を摂りながら本題へ入る。

「……全く。気がついたらずっと、色々な場所を、回って」

「どうしてあそこにいたのかもわからないかい?」

ファナリヤは頷いて俯く。

「そう、か……じゃあ、家も何もわからないよね」

「……すみません」

「いや、別に謝ることじゃないよ? 住処がないなら返してあげようにもあげられないし……引き取ってくれる施設が見つかるまで、うちに置いてあげるのはできなくはないんだけど」

「……え?」

「もちろん、あんたがよかったらの話だよ」

ファナリヤは思わず団長の顔を二度見し、直後トラベロにも顔を向けると彼もにっこり笑っていた。

「……そ、その。本当に、いいん……ですか?」

「だから言ってるんだよ? な、言い出しっぺのトラベロ君」

「はい。でも本当に、ファナリヤさんがよければですから」

……ああ、この人たちは本当に優しい。

こんな暖かい空間を自分から離れるなんて無理だ。

よろしくお願いしますと、ファナリヤは頭を下げる。

「決まりだね。……よし、食べ終わったら出かけるよ」

「……え、どこに、ですか……?」

「そりゃあ決まってんだろ。あんたのための物を揃えに行くのさ」

団長はそう言ってまた笑った。


 「……うわぁ……!」

車を降りた直後、ファナリヤは感嘆の声を上げる。

目の前に広がるのは巨大なショッピングモール。中へ入るとさらにファナリヤの口から驚きの声が飛び出す。

僅かな記憶を辿っても見たことのない物ばかり広がるその空間は、まるで異世界にきたかのような錯覚を覚えさせた。

「……こ、これ、全部売ってるん、ですか……!?」

「ふふ。ファナリヤさん、お店始めてなんですね」

ファナリヤは勢いよく首を縦に振る。

その顔は朝までおどおどとしていたものとは一変して、瞳を輝かせて嬉しそうな表情をしていた。

「ほらあんたたち、さっさとおいで。はやく買って早くご飯食べて帰るよ」

団長がカートをトラベロに押し付け、彼女を先頭として早速進む。一定の地帯に目星をつけては籠に片っ端から放り込む。

ひょいひょいと摘んではカートに放り、また摘んでは放り。それを繰り返せば気づけばカートに乗った籠にはぎっしりと物が詰め込まれていた。

……数を見るからにかなり金がかかりそうだ。ファナリヤは思わず不安になって口を開く。

「……そ、そんなにたくさん、いいん…ですか?」

「何言ってんの、これだけなきゃダメなやつよ? これ買い終わったら次は下着いくよ。……絶対見るなよ」

「見ませんってば!」

顔を真っ赤にするトラベロを見て団長はけらけら笑う。

……どうやらこの女性はこの手の話でからかうのが好きなようだ。けれど全く嫌味を感じさせないのは彼女の成せる技……いや、彼女とトラベロが信頼関係にある証拠なのだろう。

その調子で他の物も次々と買い揃えていく中、ファナリヤはふと一つの物に視線を向ける。

白い熊の小さなぬいぐるみだ。シンプルだがとても愛らしい。

「……かわいい」

思わずぽつりと呟くと、隣にいたトラベロも釣られて見る。

「あ、可愛いですねこのぬいぐるみ」

「す、凄く、かわいい……です」

ぬいぐるみを見つめているファナリヤの顔は先程と同じく目が輝いている。どこにでもいる普通の年頃の少女と変わらない。

「よしトラベロ、買ってやれ」

さらに後ろから団長が不意打ちのように声をかけ、二人して驚く。

「女の子のそんな顔見て買わずにいるとか男じゃないだろ」

「それ団長が今考えただけのことですよね!? ……まぁ、買うつもりでしたけど!」

「え……あ、い、いいですよ……っ」

「お値段張ってないですから気にせず気にせず」

ぬいぐるみを手に取り軽い足取りでレジへと向かう。

一分程して戻ってきたトラベロははい、とそのぬいぐるみをファナリヤに差し出した。

「はいどうぞ」

「……あ、ありがとう、ございます……!」

その縫いぐるみを腕でぎゅ、と抱き締めてファナリヤは嬉しそうに笑う。

「ふふ、やっぱり買ってよかったです。やっぱり、暗い表情より笑顔の方がいいですよ」

「そ……そう、ですか?」

「はい! 笑顔の方がとっても素敵ですよ?」

途端にファナリヤの顔が真っ赤に染まり、ぬいぐるみに顔を押し付けもじもじと動く。

……あれ、何か変なことを言ったかな。

トラベロは首を傾げるが、団長は腹を抱えて笑い出した。

「あっはははは! トラベロあんた、そんな直球な口説き方したらそりゃファナリヤちゃんだんまりだよ!」

「くどっ……!? ち、違いますよ僕別にそんなつもりじゃ」

「へいへいそうしとこうかねこの天然タラシめ」

さっさと飯行くぞとにやにやしながら団長は先を行く。

それに悪態をつきながらトラベロもファナリヤを連れて後を追った。


 食事を終えて店を出ると、日はまださんさんと照りつけていて程よく肌を刺激する。

「……おいしかった……」

ぽつりと呟くトラベロの表情はとても満足気で幸せそうだ。

何故かファナリヤには、彼の犬の耳のように大きな癖っ毛がぱたぱたと動いているように見える。

しかし勝手に耳が動くハズもない、気のせいにした。

「……トラベロさん、食べるの、好きなんです……ね」

「そうですねぇ。僕は単純ですから、おいしいご飯を食べるだけで幸せです……」

「気をつけなファナリヤちゃん、こいつはとんでもない大飯喰らいだからあんたのご飯いつか取られるかもよ」

「人のご飯に手は出しませんよ!?」

また団長がからかってトラベロが言い返す。

今日はそればかりを見ている気がする。

けれど――ああ、楽しい。何て楽しいひとときなんだろう。

この暖かい空間にいられることの幸せを心から噛みしめる。

このままずっと暖かさに浸っていたい。そうしていられたらどんなにいいだろう。

――けれど。

(でも、わたしの力は)

包帯に覆われた手をきゅ、と握りしめる。

いつかは、この力のことは改めて打ち明けなければいけない。

けれどそうしたらどうなるだろうか。

――確かに彼は、トラベロは自分が力を持っていることには何も言及もなく、色眼鏡で見ることもなく。こうして自分が過ごしやすいように黙ってくれている。

だが団長はどうなのだろう。

ファナリヤが神秘力者だと知ったらどんな顔をするだろう。

もしかしたら拒絶されるかもしれない、それはとても怖い。

けれど共に過ごす以上は、いつかは隠しきれなくなる。

打ち明ける日は嫌でも訪れる以上は……

「……ファナリヤさん? どうか、しました?」

「……あ、だ、大丈夫…です。何でも、ない……です」

――考えるのは今はやめよう。

まだ時間はある、ゆっくりと身の振り方を考えればいい。

少し小走りに先を行く団長とトラベロの後を追って、帰路に着こうとしたその時だった。

「…………あ、っ……!」

急にファナリヤの身体中を嫌な寒気が駆け巡る。

とても悍ましい何かがきているような、そんな感覚が彼女を支配し、がたがたと手を胸に押し付けて震え出す。

「……ファナリヤさん? どうしたんですか、何か……!」

「来、る。来る、来るっ! 嫌! わたし行きたくない!! 行きたくないよぉっ!!」

「ちょ、ちょっとどうしたんだい!? 何をそんなにっ」

その場に縮こまり震えるファナリヤはどう見ても明らかに尋常ではない。ただひたすら何かが来ると、行きたくないとうわ言のように繰り返し、近くにいたトラベロにしがみつき離れない。

一体何が……そう考えているうちに一人の男が接近する。

「――失礼、少しよろしいかな?」

その声にはっとして振り向くと同時にファナリヤの怯えが更に酷くなる。黒いジャケットにサングラス、そして黒帽子。

一般的なマフィアのイメージを彷彿とさせるような男性は穏やかな声でまた口を開く。

「いきなりだが、そちらの少女をどこで保護された?」

「……それがあんたと何の関係があるんだい」

「いや、他人の空似だったら済まないのだが、我々が探している人物によく似ているのだよ」

ファナリヤの顔がさらに引きつる。

最初からそう言えば彼女が何らかの反応を示すと確信して発言したのだろう、それを見るなり男はニヤリと笑った。

「ああ、やはりお嬢さんはお心当たりがおありのようだね? 

なら話が早い。……恐れながら彼女をお預かりした――」

「お断りします」

男の言葉を遮ってトラベロが強い口調で言い放つ。

しがみつくファナリヤを庇うように腕を広げ、翠の瞳は鋭く男を睨みつけていた。

「どこの何方かは存じませんが、彼女がこんなにも怖がっている人なんかにはお預けしたくない。お引取りください!」

真っ直ぐに男を見つめて反発の意を示すと、男はふぅ……と溜め息をつき帽子を被り直す。

「やれやれ……坊や、君は彼女がどういう存在か知っているのかね? その少女は人とは違――」

「知っています。けれどそれが何ですか?」

男が意外そうな表情を浮かべてトラベロを見やる。

「人とは違うから、怖がる女の子を無理やりに連れていってもいいと、そう言われるんですか。

 彼女の意思を、無視していいと! そう言うんですかッ!!」

ファナリヤが先程とはまた別の意味で驚いた顔で彼を見る。

そんなことを言ってくれた人は初めてだと顔に書いている。

「トラベロの言う通りだ。これ以上無理に続けるつもりなら警察を呼ぶよ」

携帯を取り出し、団長が脅しをかけると男はくつくつと笑う。

何がおかしい、と聞くと笑顔で答えた。

「いやぁ、別におかしくも何ともないさ。ただ……通報できるものならして見られるといい」

「は? 一体何を言ってるんだ。まぁいい、引き下がらないからにゃ通報す……っ……!」

信じられないものを見るような目で団長は自らの腕を見る……こともできなかった。

――身体が、動かない。

まるで時が止まっているかのようにぴくりとも動かない。視線も動かせず、嫌でも男と目が合う。

「……あ、あんた、一体何を……!?」

「さて、そちらの坊やも少し席を外してもらおうか」

団長の問いに答えることなく男は静かに手を前に出す。

するとどうしたことだろうか、何らかの力が働きトラベロの身体が宙に浮き上がったのだ。

そしてその手が左右に動くと釣られて右や左へあちこちに引っ張られ――

「うぁっ!!」

終いにはすぐ傍の車のドアに叩きつけられる。

ずるりと崩れ落ち激しく咳き込む。立ち上がろうとすれば背に激痛が走り動けない。

「やれやれ、あまり事を荒立てるつもりはなかったのだがね」

「……げっほ、ごほ……っ……貴方、まさか」

「こんなものを見せつけられてそれ以外の選択肢は流石にないだろうね。

 その通り、私は神秘力者。そちらの少女と同じく、な」

瞬間、ファナリヤの顔が大きく形相を変える。

瞳孔は見開き、白い顔からさらに血の気が引き冷や汗と涙が混ざり合ってぐしゃぐしゃに濡れ始める。

「……な、何言ってんだ。女の神秘力者なんてそんな、いるワケが」

「それがいるのだよ、ご婦人。確かに女性の神秘力覚醒率は男性の約五分の一以下……けれどゼロではない。そしてその証拠をお見せするには……」

また男はトラベロへと手を翳して握り、無理やり宙へ上げる。

「この坊やにもっと痛い思いをしてもらわねばならないな」

ぱ、と手を開くと今度は地面に叩きつけられる。

また激しく咳き込むが男はすかさずまた手を動かし、為す術ないままにトラベロは自由を奪われた。

「次はあちらに叩きつけて差し上げよう」

また手を左右に振るとトラベロが引っ張られる。

勢いをつけ、男は再び彼を投げ飛ばそうと――

「――やめてぇッ!!」

瞬間、ファナリヤの髪が突如命が宿ったように飛び出した。

男は腕を掴まれるも抵抗せず、そのまま放り投げられるも落ち着いた様子で宙を返り着地する。

「……思ったより早く動いたな。よほど坊やが大事と見える」

男はにやりと笑い、団長は驚きの形相でファナリヤを見やる。

「……ファナリヤちゃん、あんた」

「……う、う……」

――ああ、ついに使ってしまった。こんなに、こんなに早くバレてしまうなんて。

できれば、もう少し暖かさに浸かっていたかった。

涙をぼろぼろと零しながらゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと男へ近づいていく。

「いい子だ。君のような化け物・・・が人間と過ごすことは難しい。

 我々ときてこそ君の力を発揮できるだろう」

「……わたし……」

「その言葉っ、取り消してください……!」

ファナリヤの背後でふらりとトラベロが立ち上がる。

「彼女は、ファナリヤさんは……化け物なんかじゃない! どこにでもいる、普通の女の子です!」

「ほう?」

「普通の人と同じように泣いたり、笑ったり……! 彼女はどこにでもいる女の子です! 貴方がわざとそう仕向けて彼女を追い詰めているだけじゃないんですか!!」

「何故そのような断言ができるのだね、坊や。出会って間もないだけの人間が」

「確かに仰る通りです……けれど貴方たちよりは僕の方が何倍も彼女を知っているし理解しています!」

叫ぶ度に脳裏に夢の光景が浮かび上がる。

自分の手を握る顔の見えない女性の姿が、何故かトラベロの中にあるファナリヤという人物の印象・感情を裏付けた。

人にない力が何だと言うのだろう。

僅かな時間の中で行動を共にした彼女は紛れもない普通の少女なのだ。

その事実は永遠に変わらない。

それでも言うなら何度でも声を大にして言ってやる。

彼女は化け物ではないと!

「これはこれは。彼女はとても良き理解者に恵まれたようだ。

 しかし残念だが、神秘力のない君についてくる資格は」

そこで男の言葉は止まる。……ファナリヤが髪を束ねて男を殴りつけたのだ。

その場に卒倒する男。ファナリヤは間髪入れず髪を巻きつけ投げ飛ばして、先程男がトラベロにしたのと同じように車に勢いよく叩きつける。

さらに近くの車のガラスを叩き割って発煙筒を取り着火。

顔に目掛けて投げつけ動きを封じる。

「ファナリヤさ――」

「来ないでっ!」

震えた叫びが駆け寄ろうとするトラベロの足を止める。

「……ごめん、なさい。わたし……行きます」

「そんな、ファナリヤさんは何も……!」

「……さよならっ」

目を合わせることなく、髪の毛をバネ代わりに飛び上がり、車の上を走って駐車場の外へと逃げていった。

先程までうずくまっていた男もすぐに起き上がり、彼女を追って走りだす。

「ファナリヤさんっ! 待ってください、待って……っ」

その後に続けて駆け出そうとした瞬間、腕を掴まれて動きを止める。団長が彼を止めようと手を出したのだ。

「離してくださいっ! ファナリヤさんが……!!」

「追いかけてどうする! あたしらが手を出せることじゃない、警察を呼んで任せた方が」

「そんなの待ってられませんよ! いつくるかわからない警察がくるまでに捕まったら元も子もないでしょう!?」

「だからってあんたにできることは何もないだろうが!!」

ぴたり。……トラベロの勢いが止まる。

「あいつもあの子も神秘力者。だけどあんたは違う、ただの一般人だ。

 そんなあんたが彼女を助けるなんてできるワケがないだろうが! 悔しいのはわかる、けどな」

「……ない」

「は?」

「関係ない! そんなの関係ない! 神秘力の有無なんて関係ありませんっ!!」

強烈な怒号に団長は言葉を失う。先程の男に向けたのと同じ、あるいはそれよりも鋭い目で見据えてトラベロは言い放つ。

「僕たちは、僕は一度彼女を助けた!

 彼女が望んだんじゃない、自分たちの善意という身勝手な感情で助けたんです!

だから彼女を最後まで助ける義務がある! 責任がある! 一度助けておいて、何もできないから放棄するなんて……!

そんなの、神秘力以前に人として間違ってますッ!!」

腕を振り解いてトラベロは走り出す。

待て、と言おうとして団長は口を噤む。言ったところで今の彼が聞くワケがない。

一度引き受けたことは何があろうと、彼は最後まで投げ出さない。

団長とてファナリヤを放置する気はない、むしろ助けたい。けれど自分にそんな力などない。

なら、いったいどうすればいいのか……!

「……あの、大丈夫、ですか?」

後ろから声がして振り返る。

そこには一人の小柄な少年が立っていた。

整ったスーツやリボンタイを纏ったその姿は、育ちの良さを感じさせる気品を放っている。

翠の髪を揺らし、心配そうにその鮮やかなピンクの瞳は覗きこんでくる。

「たまたま通りかかったんですけど……何か、大変なことになってるみたいですね」

「……ああ、悪いね。こんなところで騒がしくして」

「いえ。貴女がたの方がとても大変だったでしょうから気になさらず。……一部始終を見たところ、神秘力者絡みの事件、みたいですね?」

「……それが、どうしたってんだ? まさかあんたも」

「ああ、失礼。僕はこういう者でして」

少年が懐から名刺を取り出し団長に渡すと、すぐさまに受け取って表記の内容を読み上げる。

「【神秘力者支援団体ティルナノーグ所長 スピリトゥス・フォン=プリンシパリティ】

 ……所長? あんたが?」

こくりと少年は頷いた。

「スピル……と呼んでください。神秘力者の扱いに関しては心得があります。

 ……もちろん、それ絡みの事件にも」

「……あんたに任せりゃ、あの子らを助けてくれると。……そういうことか」

その問いにスピルはにこりと微笑みながら答えた。

「ええ。責任を持って彼らの保護をすると、約束致します。

 どうか、僕たちにお任せ頂けませんか?」

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