増発4話 京都立体格子都市

 熊野シドウが村を追放された理由はごく単純だ。彼の幼なじみの婚約者であるミミに、五階住人一家の息子が目をつけたからだ。彼には既に四階出身の妻がいたが、他にも三階、二階の何人かを愛人として囲っているということだった。そういうわけでシドウの存在が邪魔になり、彼には身に覚えのない罪状の書かれた追放書が渡された。「秩序」とか「叛逆」とか「紊乱」とかいった難しい漢字が書かれていた気がする。名前が「熊田シドウ」になっていたことは覚えている。

 村には裁判や控訴の制度があるわけではなく、五階の住人がいちど決めたことを覆す方法は無い。

「お前はとてもいい子なのに、どうして神様はこんなひどい仕打ちをなさるのかねえ」

 とシドウの母親は泣いて悲しんでいた。母の言う「神様」とは五階の住人ではなく、文字通りの意味での神様のことだ。三階の住民にとって、ほとんど会う機会のない五階の人間たちが勝手に決めるルールと指令は、人間の意思というよりは自然現象の一種のようなものだった。それは当のシドウにとってもそうだった。ただ彼にとって、その自然現象は災害というよりも、ある種の新しい季節の訪れのように感じられた。

 あの自動改札を操る男と出会って話してからというもの、彼の深層心理にはむくむくと「この村を出ていきたい」という思いが膨らみつつあった。追放令を受けることで、それがついに具体的な形をなし始めたのだった。そういうわけで彼は、身の回りのものをまとめると、追放書に書かれた期日よりも数日早く、さっさと村を出て行くことにした。ミミには「君はなにも悪くない」とだけ書いて送った。

 他にあてが全くなかったので、ひとまず二条ケイジンのところまで行くことにした。数年前の「来れば雇ってやる」という口約束がまだ有効かどうかは分からなかった。受取ったスイカネット・アドレスに連絡を入れてみたが、そのアドレスは既に使われていない、という通知が来るだけだった。ネットアドレスは駅構造の増殖によって勝手に変わることがあるのだ。仕方ないので、直接京都まで行くことにした。ケイジンがいなくても、都会に行けばなにか仕事はあるだろう。


 旅路を急ぐ理由は何一つなかったので、山間部のエスカレータ斜面を通らず、まず山を下り、奈良盆地をゆっくり北上し、その場で日雇いの仕事をこなしたり、名所旧跡を見て回ったりして過ごした。

「このあたりは古墳石がとても多いんだ」

 橿原で出会った老人は壁を指してそう言った。そのあたりの壁は、横浜駅の標準的なコンクリート壁とは全く違う、かといって映画などで見る自然の岩とも違う、不思議な形をした壁が広がっていた。あえて形容するならば、自然の岩を削って、駅構造のような直方体に近づけたといったところか。

「ずっとずっと昔の時代、ここには王族たちの墓があったんだよ。この岩はその時代のものなのさ」

 と老人は言った。歴史小説で得たシドウの曖昧な知識によると、古代の王たちがこのあたりを治めていたのは二千年以上前で、横浜駅の広がるよりもずっと前のはずだった。なぜ駅の中にその岩があるのかが分からなかったが、ひとまず老人の話には興味深そうに頷いておくことにした。

 そのように寄り道をしながら進んだため、京都にたどり着いたのは追放後一ヶ月ほどしてのことだった。

 京都は盆地らしく、流れこんだ横浜駅が何層も重なった階層構造都市を形成していた。ただ甲府のような他の階層都市と違う点は、その通路がきわめて規則正しく、格子状に生成されている点だった。構造遺伝界がかつての条坊都市の記憶をとりこんで、それをそのまま何層にも重ねたものらしかった。

 最後の連絡によると、ケイジンの事業所の住所は「北大路きたおおじ堀川ほりかわ庚寅かのえとら7」とあった。京都における住所表記は、南北・東西・上下を表す三つの座標からなる。北大路とは都市の北端近く、堀川は中央やや東寄り、庚寅は第27階層という意味だ。この時代の京都の最上層は甲午(31階層)だったので、庚寅はかなりの上層だ。京都における階層は自分の村のような身分制度ではないと聞いていたが、それでも富裕者ほど上層に住む傾向があるには違いなかった。事業は順調なのだろう。

 たいていの都市では不規則に発達した横浜駅に無理やり住所をあてて混乱を来していたため、京都のこのシステマチックな住所体系は誰もが感心するところだった。もっともシドウの村ほど小規模だと、そもそも住所を表すという概念がなかったが。

 ところが書かれた住所の場所にケイジンの姿はなく、区画は湯葉料理店となっていた。店主に聞いてみると、前の事業主は三年前にここを引き払ったということだった。どこに行ったかは知らない、という。しばらく周辺の人に聞き込みをしたが、どうやら既に自動改札による運輸事業は消滅しており、ケイジンの行方は分からないということだった。

 仕方なく彼は別の食い扶持を探すことにした。だが、他所者に冷たい京都で身元保証人もいない彼が正規の就職口を得るのは難しい。彼の専門技術といえばSUICAの導入だったが、信用第一のこの仕事をシドウのような流れ者がやるのは不可能に近い。下層のスラム街に住み着いて日雇いの仕事を探し続けたあと、結局、煙草業者の運び屋に落ち着いた。あちこちで発見される煙草の自動販売機から取り出された商品を、嵐山や比叡山にある喫煙所まで運ぶのが彼の仕事だった。警察に見つかると面倒の多い仕事なだけに、彼のように使い捨てできる人材は歓迎された。

 この頃の京都にはふたつの警察があった。東側と西側でそれぞれ別の警察組織が社会生活を管理していて、それぞれ左警察、右警察と呼ばれていた。両者は互いに自分の正当性と相手の不当性を主張していた。

 左警察は、自分たちは日本政府時代から存在した京都府警の系譜を継ぐ組織であると言っていた。一方の右警察は、京都府警は冬戦争のころに完全消滅したのであり左の言い分は完全なでっち上げだ、むしろ戦後の混乱期に京都の治安を守った自警団がわれわれの前身だ、と主張していた。住民は、そんな歴史はどうでもよいから警察同士のトラブルを無くしてくれ、と言っていた。

 右警察と左警察では法制度が微妙に違っていた。左は煙草を違法とみなして罰金を徴収し、右は合法としたうえで高い税金を課してきた。この金は運び屋が自腹を切ることになる。最悪なのは朱雀大路近くで見つかることだと先輩の運び屋は言う。このあたりは左右両方の警察がうろついているので、片方に見つかるとすぐにもう片方がやってきて、両者からそれぞれ金を徴収されるのだ。


 シドウが仕事をはじめて一ヶ月目のある日、左警察の東山という警察員に捕まって服の内側に仕込んだ煙草を見つけられた。シドウは観念して規定の罰金である三万ミリエンを支払おうとしたが、この末端の警察員はそれを止め「自分のSUICAに個人的に一万ミリエンを支払え、そうすれば見逃してやる」と言った。当然ながらシドウはそれに応じた。

 この東山という男は、長年左警察に勤めているのに持ち前の人を見下した態度のせいでちっとも階級が上がらないので、裏の組織から賄賂をせしめている警察員だった。シドウは定期的に彼に金を渡しては、左警察の巡回コースなどの情報を得るようになった。彼らはネットで指定されたコースを機械的に巡回しているだけなので、事前にその情報を取っておけば容易に避けられる、ということだった。そういうわけで彼の運び屋としての成績は優良なものとなり、組織のボスの覚えもめでたくなっていった。

 煙草の運び屋をしばらく続け、京都の裏社会というものに詳しくなってくると、二条ケイジンに関する噂もいくつか聞くようになった。自動改札による運輸を使えば、煙草やもっと危険なドラッグ類もより安全に運べるはずだったので、ケイジンの事業は注目の的だったらしい。だが事業所は三年前に閉鎖され、彼自身の行方も知られていない。ただ彼にはケイハというまだ二十歳にならない娘がいて、京都のどこかに住んでいる、ということだった。

 シドウは東山に金を握らせて、警察員権限で個人情報のデータベースにアクセスしてもらい、二条ケイハが六条烏丸ろくじょうからすま庚午かのえうま、つまり第7階層に住んでいることを突き止めた。

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