増発3話 自動改札運送事業

(離島生活者・熊野シドウの話)


 シドウが生まれたのは、エキナカの紀伊半島南部にある小さな村だった。おそらく村と呼ぶべき規模の集落だ。大都市につながる通路はほとんどなく、それも案内板が不正確で迷路のように入り組んでいたから、外部から人が来ることは滅多になかった。

 村は山の斜面に沿って形成されており、一階から五階まであった。人口規模が小さいため、村がそれ以上成長することはなく、少なくとも曽祖父の代からこの構造が維持されているようだった。

 シドウらの熊野家は三階にあった。彼の家は代々にわたる生体電機技術者だ。仕事は、村の子供にSUICAを埋込んで、スイカネットに認証の手続きを行うことだった。認証によって50万ミリエンがネットに徴収され、それとは別に手数料をシドウたちが得る。この金で一階で作られる食糧や、二階の工業製品などを買う。

 村から少し離れたところには食糧の生産工場があった。赤色光源が点灯した巨大な広場に米や野菜が大量に植えられていた。ここは人間の労働力が必要なタイプの工場で、村の法ではここで働くのは一階の住人と規定されていた。二階の住人は、駅のあちこちから排出されてくる食糧や機械部品、燃料などを回収し、機械の組み立てなどの単純労働に従事していた。彼らはこれの一部を自分で消費し、一部を上の階に売る。

 一階の住民にとって、SUICAを得るのに必要な50万ミリエンはほぼ彼らの生涯所得に相当したため、生まれた子供にSUICAを与えることがほとんど唯一の貨幣の存在意義だった。つまり一階に生まれた者たちは、ただ横浜駅にあり続けるための費用を稼ぐために一生の労働を費やしているのだった。払いきれない労働者の子供は、自動改札によってどこかに捨てられることになった。その人口はほぼ一定に維持されていた。


 たいていの都市では社会的な地位の高い者ほど上の層に住む傾向があったが、この村ではそれが明確なルールとして存在していた。家ごとに職業が決まっており、職業ごとに住む階が決まっていた。三階で生まれた者は三階の身分となり、ずっと三階に住むことになっていた。ずっと昔からそうなっていた。

 シドウたち三階の住人は、いわば単純労働者階層に対する専門技術者階層となっていた。生体電機技師のほかにスイカネットの管理や、下層労働者の指揮などを行っていた。

 四階の住人は村の統治のための官僚的な手続きを行っていて、五階は支配者の一家族が住んでいた。彼ら上層の階の住人は、たまに下の階に降りてきては、新しい制度やら法律やらを提示して、住人から物資を購入して帰っていった。村に税金のような制度はなく、彼らがどのようにして下の住民に支払うミリエンを得ているのかは、誰も知らなかった。

 この村の身分制度はきわめて安定していた。そもそも村自体が外部から隔離されていたので、このような身分制について疑問を持つ者自体が少なかった。ほかの都市にあるような警察組織もなかった。たまに二階や一階の者が労働に耐えかねることはあっても、自動改札がいるので暴力的な革命など起こしようはなく、彼らに出来ることはもっぱら村から逃げ出すことだった。

 それに比べると、シドウたち三階の生活は不満の少ないものだった。生活必需品は十分にあったし、たまに現れる行商人から贅沢品を買う程度の余裕はあった。労働時間も少なかった。三階の子供達にはちょっとした義務教育と専門技術の指導があったが、それを終えると、少年時代のシドウはおおむねネットから購入した書籍を読んで過ごしていた。その多くは小説本で、甲府や松本といったエキナカの大都市で繰り広げられる、匿名的な人間たちの群像劇だった。彼はそれを読んで、そういう大都市に一度行ってみたいと思いつつも、思うだけに留めていた。

 彼は、幼なじみのミミという少女と結婚の約束をしていた。それは二人の仲が特別に良かったからというよりも、十分に血縁が離れていて、年齢が近く、同じ三階住みの女がほとんど居なかったからだ。生まれてまもない頃からほぼ自動的に決まっていることだった。幼いシドウは、自分はここでずっと暮らしていくのだろうと思っていた。少なくとも横浜駅の外に追い出される日が来るなんてことは、まったく想像していなかった。


 村に奇妙な男が現れたのは、シドウが二十歳の頃だった。迷路を抜けて現れた彼は一階の住民たちを前にして

「やあやあ、こんなところにも人里があったんですね!これは大発見ですよ、素晴らしい成果です!」

 と、まるで珍しい動物でも見つけたかのように一人で騒ぎ出した。だが、村人たちの方の驚きはそれどころではなかった。村の外から行商人が来ることは時々あったが、大抵の場合は彼らは背中に大きな箱を背負うか荷車を引いているのだった。ところがその男は、荷台をあろうことか数体の自動改札に牽引させていたのだった。ある村人は「横浜駅の神が人の姿で現れた」と崇めたてて、別の者は悪い呪い師が現れたと慌てて子供を部屋に隠した。

 字も読めずネット端末もまともに使えない一階の住民たちは、秩序の保たれたこの村のまわりを歩きまわる自動改札というものを、この世界における神意の実行者であると思っていたからだ。そんな自動改札を労役させる人間が現れたとなれば、村人の反応は尋常ではない。

 ある女が慌てて指示を仰ぎに三階に続くエスカレータに向かい、たまたま居合わせたシドウに声をかけた。シドウは行商人の男を三階に呼び出して話を聞くことにした。四十か五十歳ほどで、ぎょろりとした目に眼鏡をかけた、いかにも怪しげな男だった。ここから北にある京都という都市から来た技術者で、自動改札を利用した運送技術を研究しており、現在そのテスト運用中ということだった。

「自動改札を自由に動かして運送に使うなんて初めて見たよ、一体どういう技術なんだ?」

 とシドウは聞いた。さすがに三階の住人である彼は、自動改札が神でも悪魔でもなく機械であるということは把握していたが、人間が操作できるたぐいのものであるとは全く考えていなかったのだ。とはいえ、それは自分が田舎暮らしで無知だからであって、都会に行けばそういう珍しいものが沢山あるんだろうな、と思った。

「まあ自由に動かしてる訳じゃないんですけどね。一言でいうとスイカネット干渉ですよ」

 と男は言った。

「自動改札はこの横浜駅に多数存在するのですが、彼らはあるアルゴリズムに従ってエキナカを移動しています。たとえばここで二つの自動改札がこう、グーンと近づいてくるとしましょう。普通はここで、互いが接近したことを把握すると、きびすを返して逆方向に向かうわけです。だから自動改札に荷物を持たせても、あまり遠くに物を運ぶことはできませんが」

 と男は両手の指を近づいたり離したりした。

「しかし、別にこれは自動改札に担当地域が決まっているというわけではないんです。そもそも自動改札に個の概念といったものは存在しないというのがワタシの定説です。全体がひとつのシステムということですね。そこで、こう二体がグーンと近づいてきたときに、ネットに干渉信号をバーンとしてやると、それがこうクルッとなって、こうガーッとするわけですね。これを利用してやれば、京都の自動改札に荷物を持たせて、ここまで歩かせることができるわけです。もちろんある程度のランダムさはありますので、それ以外にも何系統かの干渉信号がいるわけですが」

 と男は激しく手振りをしながら説明した。シドウには全く理解できなかったが、都会にはこういう弁論術があるんだろうと推測した。怪しい男はかまわず話し続けた。現時点ではテスト運行なので自分がついて行っているが、将来的には自動改札だけで遠隔地と物品のやりとりが可能になる。スイカネットの情報だけでなく、物品まで運搬が可能になれば、横浜駅全体をひとつの経済圏とすることが出来る。云々。

「自動改札はこの横浜駅に山ほどいるんです。人間よりも数が多いのですよ。これを経済に組み込まない手はない! ワタシはそう考えています」

 話す内容はほとんど分からないし、その上喋るたびにツバを撒き散らすこの男にシドウは辟易としたが、それでも彼は、これほど楽しそうに生きている人間は生まれて初めて見たなと思った。彼の村に住む人間たちは、みな自分の階層に与えられた役割をこなすことを人生のすべてと考えていた。それは統治者である五階の一家も同じようなものだった。あくまで自分をシステムの一部、村というひとつの生命体の器官と考えているように見えた。


 シドウは四階の村人に謎の男のことを報告し、村の支配者である五階の住人たちとの面会を望んでいるらしい、と告げた。だが暫くすると、そのような怪しげな男とは会うに及ばず、という返答がきた。それから数日すると、自動改札使いの男はこの村から出て行け、という御触れが出た。

「仕方ないですねえ。次の村に向かいましょう」

 と男は言うと

「ところで、ワタシはこの自動改札を用いた運送システムの事業展開を進めていくのですが、それにあたって人手を必要としています! あなたのような若くて体力と好奇心のある方はぜひ来てみませんかね。よかったらここに連絡して下さい」

 ということを早口でまくし立てて、ネットアドレスの書かれた名刺をシドウに渡した。名前は「二条ケイジン」とあった。

 それから三年ほどの間、彼はその後も村の上階身分に煙たがられながらも何度か村の近くまで来て、「色々な地方からの人手がほしいので、君が来てくれたら歓迎しますよ! 多様性は大事ですからね、多様性!」と語っていた。当時のシドウは村を出て行くことなど全く考えてはいなかったのだが、名刺は大事にしまっておいた。

 このちょっとした縁が、後のシドウの人生を大きく変えることとなる。

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