増発2話 離島生活者

「僕はシドウ。熊野シドウだ。この島に住んでいるんだ」

 と、彼はその図体に似合わぬ甲高い声で名乗った。

「君は誰だい? どこから来たんだい?」

 ハイクンテレケは咄嗟に、その四十歳前後とみられる男からSUICA特性脳周波が検出されないことを確認した。

「…ハイクンテレケ」

「変わった名前だね。四国の人?」

 ハイクンテレケはうなずくような否定するような微妙な首振りをみせた。ひとまずこの男が四国と行き来のない人間であることが分かった。となると元々はエキナカの住民だったのだろう。SUICAの痕跡さえも見えないことから、もうずいぶん長いこと横浜駅の中に入っていない。おそらく、不正認定を出されて追放されたのだ。

「あの舟で海を渡ってきたのか。逃げてきたのか?」

 男が海岸に引き上げられたイカダを指して言うと、ハイクンテレケは黙って頷いた。この男の正体がつかめない以上、なるべく情報を与えたくはなかった。このあたりの感覚は工作員の間でも個性の出るところで、関東地域担当で派遣されたネップシャマイは必要と思えば聞かれてもいないことをやたらと喋る。

「やっぱり四国はいま大変なのかなあ。僕はこの島に住んでだいぶ経つけれど、あっちの方には怖くて近寄れないよ」

「この島には他に人はいるの?」

「いいや。何年も住んでるけど、人が来たのはきみが初めてだよ。この島は四国からだいぶ遠いから、向こうの人がここまで来たことは無い。小豆島や豊島あたりには少し人もいるみたいだけれど、ここはやっぱりあの変な建物があるから、怖がって近寄れないんだろうね」

 ハイクンテレケは島の名前と補助記憶装置の地図情報から、いまの自分の位置を概ね特定した。男は地面に置いていた大きな袋を両手でよっこいせと持ち上げた。

「雨の中なんだし、よかったらうちに来るかい?」

 熊野シドウはそう言って歩き出した。ハイクンテレケは黙ってそれについていった。分離体の調査を進めるにあたって、まだしばらくはこの島に滞在する必要がある。そのためには、この男が何者なのかも見極めておくべきだった。


 シドウの家は、島の南側の見晴らしのいい丘の上にあった。家屋は冬戦争中に流行したコンテナハウスだった。金属製の箱のなかに必要最低限の住居設備を仕込んだものだ。諸都市攻撃が激しかった時期に、何かあればすぐトラックで逃げられるようにこのタイプの家が大量に生産されたのだ。北海道の道東地域では、今でも同様の家屋が多く使われている。

 ただシドウの家はずいぶん長いこと動かされた痕跡はなかった。とうの昔に受信する電波のなくなった衛星TVアンテナには、太い樹木が絡みついている。おそらく昔この島に住んでいた人間のものを拝借しているのだろう。

 シドウは家につくとポリマー袋を開けて、

「お腹すいているか? よかったらお食べ」

 とパンを手渡した。長さ二十センチほどのコッペパンだが、なぜか両端にちぎったような跡があった。ハイクンテレケは黙ってパンを口に入れて噛んだ。有機物を消化できるわけではないが、ひとまず人間のふりをしておくべきだと思った。

 シドウはそのまま、ポリマー袋の中から両端のちぎれたコッペパンを大量に取り出して、多くは戸棚の中に入れ、ひとつは自分で食べた。

「水は飲む? ろ過した雨水ならあるけど」

「要らない」

 ハイクンテレケは答えた。

「どうしてこんなところに住んでるの」

「僕も逃げてきたんだ。僕の場合はエキナカからなんだけどね。エキナカっていうのは分かる? 北のほうにあるすごく大きな島のことだけど」

 シドウという男はどこから説明するのか考えあぐねているようだった。相手を六歳程度の子供だと思っているのだろう。となれば自分もそういう振りをするべきだろうと思ったが、実際の六歳の少女がどの程度のものなのか自分にはよく分からなかった。そういう記憶は主記憶装置のどこにも残っていない。

「エキナカでちょっと色々なことをしてね、偉い人たちに追い出されちゃったんだよ」

「悪いことをしたの? 何かを壊したりとか」

「悪いことはしていない。でも、エキナカの偉い人たちに怒られちゃったんだよ。それで逃げてきた」

「偉い人って何?」

「自動改札っていうんだ。とても怖い人達だよ」

「ふーん」

「君は行くところはないの? よかったらここにいると良いよ。ここなら水も食べ物も十分手に入るから、人が増えても困らない」

 そう言うと熊野シドウは優しく笑った。


「現時点での状況。瀬戸内海の島に上陸。駅胞分離体で半分が覆われている(添付画像1)。ネット圏外につき正確な位置は不明だがこのあたりと思われる(座標1)。住民が一名。熊野シドウと名乗る男、エキナカからの追放者。年齢は四十前後、素性は不明(添付画像2)。分離体についての情報を収集するため暫くこの島に滞在する。ハイクンテレケ」

 通信モジュールに取り急ぎの情報をストックした。これでスイカネット電波が少しでも受信できる場所に入ると、自動でこの内容がJR北海道まで送信される。ただ、それはずいぶん先のことになりそうだった。島のどこを歩いてもネットの電波は拾えず、再び海に出るには天候が悪すぎた。長い梅雨はまだはじまったばかりだった。

 ハイクンテレケはこの島で、駅胞分離体の観測データ収集を続けた。不完全な構造遺伝界に生成されたその建築物は前衛芸術のような外見だったが、横浜駅の本体と同様に内部でいろいろな物質を生産し排出していた。

 ただ生産されるものは、建築物自体と同じくあちこちデッサンが狂っていた。シドウがいつも渡してくる両端のちぎれたコッペパンは、この分離体が生産する一本数十メートルある奇怪なコッペパンをちぎったものだった。といってもこれは食品名がわかるという点でまともな部類だ。他には凝固したタンパク質の白いブロックや、ビタミンを含んだ繊維の塊のようなものもあった。シドウはこれらを「卵」「野菜」と呼んで食べたが、もし人間であってもこれは食べたくないなと思った。他に深緑色のドロドロした液体が出るパイプがあり、コンテナハウスに備え付けられた分離槽を通すと、燃料となって家全体に電気を供給した。周囲数キロほどもある分離体だったが、どこで何が出るかをシドウは知り尽くしているようだった。

 ハイクンテレケは分離体の構造を調べるかたわら、シドウの日々の糧を得る手伝いをした。シドウは屈強な野生動物のような外見とは裏腹にずいぶん体を悪くしているらしく、三日のうち一日はほとんど動けずに家で寝ていた。彼は「君が来てくれてからずいぶん楽になったよ」といいながら、まだ小さい子供を働かせることに申し訳無さを感じているようだった。

 分離体の内部も調べたかったが、構造遺伝界キャンセラーの効きが悪く、侵入するだけの穴を開けるのは難しそうだった。おそらく構造遺伝界の波形が本土の横浜駅と違いすぎるせいだ。キャンセラーを改造して波形データを書き換える手もあった(内部構造は自分の補助記憶装置に保存されていた)が、完全に壊してしまう危険性があった。ハイクンテレケは機械いじりが得意ではなかった。サマユンクルなら出来ただろうが、と思う。あとで知ったことだが、彼があんなにも人間らしい自然な動きが出来るのは、自分のボディをいくらか自分で改造したかららしい。

 夜はシドウの話を聞いて過ごした。彼女は自分自身のことはほとんど語らなかったが、彼はそれについては特に気にしなかった。「辛いことがあったんだね」「話したくなった時に話してくれればいいよ。僕は君がいてくれてずいぶん助かっているからさ」ということを言った。四国本島から何かの都合で逃げ出してきて、心に深い傷を負っている女の子、とかそんなふうに勝手に思っているのだろう。

 24時間のサイクルに従って動くのはずいぶん久々のことだった。エキナカでは一日のサイクルがあまり重要な意味を持たない。記憶の集中反芻のために睡眠は必要だったが、適当な時間に適当に安全な場所を見つけて休むのだ。

 何日か経つと、シドウはじきにハイクンテレケがとても五歳か六歳の少女には思えないほど賢いことがわかってきて、より具体的な話をするようになった。それによると、シドウはかつてエキナカの京都という都市に住んでおり、「キセル同盟」と呼ばれる組織のメンバーだったということだ。

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