増発(瀬戸内海・京都編)

増発1話 駅胞分離体

(本編・三島ヒロトの旅立ちより1ヶ月程前の物語)


 起伏の激しいコンクリートの地面の上に、梅雨の到来を告げる激しい雨が降り注いでいた。月明かりは雨雲で完全に遮断され、地面を照らすのはエキナカから漏れ出る光だけだ。

 本州を覆い尽くす横浜駅のなかでも西端にほど近い岡山地域には、まだ構造の確定していない未分化なコンクリートが生い茂っていた。多くの人間の行き来する地域では、こういった構造体は自然に通路となって折り重なり、階層状の都市を形成していく。だがこのように人通りの少ない場所では、最低限の通路が出来たあとはただ泡だった石鹸水のようなコンクリートが放置されるのだった。

 屋上部分に出るドアは横浜駅のあちこちにあったが、屋外に出るエキナカの住民は少ない。台風や梅雨の季節はとくにそうだ。冬戦争時代に汚染された雨雲は戦後五百年ですっかり洗い流されていたが、その事実はエキナカに伝わることはない。彼らにとって雨は忌まわしいものだった。

 こんな雨の中で屋上を動きまわる姿があるとしたら、それは人間ではありえない。といって自動改札でもない。そこにいたのは、JR北海道の工学技術の粋を集めて造られた Corpocker-3 型のヒューマノイドだ。外見は幼い少女のように見える。

「ハイクンテレケ、聞こえるか」

 スイカネットからの音声が彼女の主記憶装置に割って入る。JR北海道の技官、帰山の声だ。

「どうもその周辺にネットを遮断できそうな場所はない。自然の地面が露出している丘でもあればいいと思ってたんだけどな。仕方がない、そのまま海へ出てくれ」

「了解です」

 ハイクンテレケは返答を送り、補助記憶装置から地図を呼び出す。瀬戸内海までは直線距離で二十五キロ。電力残量が十分あることを確認し、南に向かって走りだした。高低差数メートルの起伏が続く屋上でも、彼女の特別仕様ボディであれば平地同然に走ることができる。

 一時間ほどで海岸にたどり着いた。駅から海岸線まで数十メートルほど自然の地面が露出し、海岸には松の木が並んでいる。かつて防砂林として人間が植えたものの子孫だろうか。

「こちらハイクンテレケ。いま海岸に到着しました」

「わかった。そのまま海を渡って四国に向かってくれ。瀬戸大橋を使う予定だったが、あまり時間に余裕がなさそうなんだ。自動改札の動きを見ると、かなり免疫記憶が形成されてきている。そのままエキナカを離れたほうがいい」

 帰山の声には不安と諦観のニュアンスが感じられた。おそらく彼自身は橋を使わない横断に反対だが、上の判断で仕方なく指示を出しているということだろう。

「わかりました。そうなると、しばらくネットに接続できなくなりますね」

「…ああ。向こうで極力早めに連絡手段を見つけてほしい。無事を祈る」

「善処いたします」

 ハイクンテレケは通信を切ると、周辺の松の木を切り倒し、エキナカで調達した防水ポリマーを拡げ、天幕付きの簡単なイカダを作った。遠泳も不可能な距離ではないが、あまり長時間ボディを海水に晒したくなかった。自分たちのボディは基本的に防水仕様だと聞いていたが、無用なリスクは避けたい。

 電力残量を確認した。現時点では十分だが、次にいつ充電できるか分からない。なるべく潮の流れに任せ、不要な体力消費は避けたほうがいい。海に漕ぎだした。

 月明かりもない漆黒の瀬戸内海をしばらく進むと、ようやくスイカネットの電波が届かない場所に来た。これで免疫記憶形成は止まるはずだ。ほっと一息をついたが、ここから先は自分の位置が分からないということでもある。

 横浜駅の自動改札は、駅の構成物以外のものを排除するシステムになっている。SUICAは人間を駅の一部とみなすための装置だ。ただこのルールには例外も多く、たとえば六歳以下の子供がこれに該当する。JR北海道の工作員ヒューマノイドが人間の子供に似ているのは、この免疫システムの目を欺く技術のひとつである。

 しかし、彼らがあまりに長時間エキナカを動き回ると、駅の免疫システムが学習を起こして自動改札の排除対象になる。ハイクンテレケは能登半島以来もう何ヶ月も連続してスイカネット圏内にいたために、免疫形成が進行していたのだ。早急にネットの捕捉できない距離まで離れて、記憶を風化させる必要があった。


 航海を続けると、進行方向にぼんやりと明かりが見えた。それは横浜駅の一部のようにも見えたし、瀬戸内海の島に住む人間による明かりのようにも見えた。ネット圏外に出ると正確な現在地が分からない。ハイクンテレケは後者と判断して接近した。

 結論として、それはどちらでもなかった。

 そこにあったのは遠くから見てもあきらかに異様な構造物だった。建物のようにも見えるが、まっすぐ伸びた柱や壁はひとつも無く、思い思いの方向に折れ曲がり、窓ガラスもそれに追従して平行四辺形型にひしゃげ、内部から薄暗い明かりが漏れている。伸長の途中でやる気をなくした横浜駅構造物、あるいは地面を加熱して溶かしたお菓子の家、といった印象だ。

駅胞えきほう分離体」ハイクンテレケはつぶやいた。「はじめて見た」

 それは、横浜駅の構造物がなんらかの理由で離島に飛散し、そこで独自に増殖した建造物だった。構造遺伝界が不完全でまともな建物の構造を成さず、増殖能力も横浜駅本体に比べて非常に弱い。

 飛散の理由は、構造遺伝界に感染した船舶の行き来や資材の漂着などさまざまな理由が考えられている。本土から近すぎず遠すぎない距離にある離島でまれに見られる現象だ。JR北海道が把握している範囲で数か所に存在する。

 横浜駅とは物理的に接触していないため、スイカネットによる免疫記憶が伝わる心配もない。そのうえ電力があるようなので至れり尽くせりだ。ハイクンテレケは島に上陸することに決めた。

 近づいてみると、駅胞分離体は東西二キロほどの島の西半分を覆っているようだった。東側は自然の地面が露出し、地面は起伏が多く、樹木が茂っている。島の東側に上陸すると、流されないようにイカダを砂浜に上げた。

 手頃な丘に登って周囲を見渡してみた。視界はあまり開けていないが、分離体から漏れ出す光以外には明かりは見えない。だがハイクンテレケは慎重を期して、聴覚と視覚の感度を上げた。

 その奇妙な建物の周囲を歩きまわり、観測データの収集を始めた。分離体は、横浜駅の性質を理解する上で非常に重要な情報源なのだ。北海道近海の離島をつかって研究用の分離体を生成する計画もあるほどだ。リスクが高すぎるということで反対されているが。

「質量炉反応…なし。分離された構造遺伝界に質量炉の情報が欠損しているのか、それとも分離体のサイズが小さすぎて炉を形成できないのかは不明。エネルギー源はおそらく屋上に生成されている吸光子盤。構造遺伝界の変異度から、二百年近く前に分離したものと思われる。本体に比べるとエネルギー供給密度が非常に低いため成長が遅く、未だにこの島を覆うに至っていない…」

 といったコメントを、観測データの付加情報として補助記憶装置に送り込んだ。後でデータを全部送る段階になって、きちんとコメント付をしておかないと札幌の本部が混乱してしまう。


 慢性的に資源不足なJR北海道が苦しい財務のやりとりをして、どうにか一体だけ製造した特別仕様ボディ。なぜ自分に与えられたのか、ハイクンテレケは今でも納得しかねていた。それはサマユンクルの割当だとずっと思っていたからだ。

 まだ自分たちが互いにケーブルでつながれていて思考のやりとりが容易だった頃から、彼の優秀さは際立っていた。少ない情報から的確に状況を判断することが出来たし、同じデータを反芻させてもその定着性は格段に高かった。自分たちが何であるかを教えられることなく理解して、JR北海道の技官たちを驚かせたのも彼だった。

 特別仕様体を用いて、あの横浜駅の果てまで遠征する任務は彼にこそ相応しい。あの中にいた十六人は、少なくとも彼自身を除く十五人はそう思っていたに違いない。

 だが特別仕様のボディに搭載された主記憶装置はハイクンテレケだった。中庸な出来をもって自認していた彼女は自分が選ばれた理由がわからず、担当技官の帰山を問い詰めたが、ユキエさんの指示だとしか教えてくれない。「とにかくあの人を信じろ、あと俺を信じろ」と彼は言った。

 出発の一週間前。高性能すぎるボディにまだ体が馴染まず、ぎこちない足取りで施設を歩きまわっているところに、通常型ボディの少年が一体現れた。

「やあ、テレケだよね? ぼくはサマユンクルだよ」

 と彼は微笑んだ。まるで本物の人間のような自然な笑い方だった。この微笑むという動作がハイクンテレケは苦手だった。鏡の前で口角をあげる動作を何度かやってみたのだが、どうしても顔写真を折り曲げて作った不自然な形になってしまう。横浜駅での任務を二年近く続けた今でも、この顔の動作はほとんど使っていない。必要性もあまり感じない。

「東北地域の担当になったんだ。ヤイエユカルと一緒。二ヶ月後に出発するよ」

 とサマユンクルは言った。本社から一番近く、重要性も危険性も比較的少ないと思われる地域だ。おそらくネップシャマイあたりが妥当だろうと彼女は思っていた。

「そう。私は四国」

 とハイクンテレケは答えた。口を動かしながら喋るのにもいまいち慣れない。

「知ってるよ。来週出発なんだってね」

 と彼は答える。ひょっとすると彼は、特別仕様ボディと重要な任務が自分に与えられたことに不満でも言いに来たのだろうか、とハイクンテレケは考えた。だが彼はそんな様子はまったく見せず

「ねえ、十六人のうちボディの割当のなかった四人は、どうなるんだと思う? 指令があるまで待機なのかな?」

 と聞いた。ハイクンテレケはその指令は無いだろうと分かっていた。同じ教育を受けた中でもサマユンクルが際立って優秀だったように、際立って劣っている者もいた。希少金属を大量に使うボディに比べると、主記憶装置は形成時間はかかるが生産コストはそこまで高くない。次のロットの生産ももう始まっているはずだ。おそらく余った四人は、もう使われることはない。彼女は何も答えなかった。サマユンクルは少し肩をすくめると

「しかしまあ、せっかく体が手に入ったのに、テレケとはしばらく会えないね。任務、緊張してる?」

「してる。私のミスで貴重なボディを失ってしまうかもしれない。十分に任務を果たせずにエキナカで野垂れ死ぬかもしれない」

 あれはサマユンクルを使うべきだった、と言われるかもしれない。そこまでは口に出さなかった。

 実際、エキナカへの派遣は危険な任務だった。前世代の Corpocker-2 は技術的な理由で人間に似せられず、代わりに自動改札に似せていた。知性も低く、ほとんどスイカネットを介した遠隔操縦だった。彼らは派遣から一年以内に全滅した。免疫記憶が生成され自動改札に排除されるか、エキナカ住民によって破壊されるか、故障によって連絡がとれなくなった。

 これに続いて製造されたのが、ハイクンテレケらの第三世代型だ。人間に偽装すればエキナカ住民に破壊される心配はほとんどない。免疫記憶も前世代よりも形成されにくい設計になっている。だが、危険性はゼロとは言えない。

「もしかしたら死ぬかもしれないわけだ。ぼくたちは死んだらどうなると思う?」

 とサマユンクルは言う。

「複製できる」

 とハイクンテレケは無表情で答える。

「完璧にやるのは無理だよ。ぼくたちは厳密にはデジタルデータじゃないんだ。複写はどうしたって劣化を伴う」

「それは技術的な問題で本質じゃない。私達はいまは1個だけれど、2個になることもあるし3個になることもある。それなら0個になることもある。それだけだと思う」

「音が遅れてるよ。ちゃんと口の動きに合わせてしゃべらないと不自然だ」

 と言って彼は自分の頬を指差す。

「まあ、そうなると、ぼくたちには死後の世界なんてものは無いのかな」

「人間にだって無い」

「そう思うかい」

「クルは信じてるの」

「別に」

 と彼は笑った。


 エキナカでの任務を開始してから二年近くが経つ。他のメンバーの任務がどうなっているのか、概観的な情報は帰山から送られてきているが、なぜかサマユンクルの話になると彼は巧妙にぼかしてしまう。まだ東北地域での任務を続けているのか、それとももう本社に戻っているのかさえ分からない。工作員どうしのスイカネットによる直接通信はできなかった。技術的には問題ないはずだが、そのためのモジュールが装備されていない。

「どうしてぼくたちの直接会話を禁じるんだと思う? ユキエさんは、ぼくたちがエキナカで団結して謀反を起こすのを恐れてるのかな?」

 と出発する前にサマユンクルは言っていた。「謀反を起こしたいの」と聞くと、彼はまた「別に」と言って笑った。

「でも本社に反抗するんだったら、たしかにテレケの力は借りたいなあ。いちばん戦力になるし」

「つまり私のボディが目当てなわけ」

 とハイクンテレケは答えた。サマユンクルは一瞬キョトンとした顔で彼女を見て、それから腹をかかえて笑いだした。それで初めて、自分の言ったことが冗談になってるんだと気づいた。外表膜が破けそうなくらい笑う彼にちょっと腹を立てたけれど、怒るときの顔の動かし方が分からなかったので無表情のままでいた。

 彼との会話のほとんどは、まだ自分たちに補助記憶装置が接続される前のもので、内容が音声として正確に記録されているわけではない。だから自分たちの言葉を一字一句正確に辿れるわけではない。それなのに、ハイクンテレケはそのころ自分たちが話していたことを、印象そのものの形で自分の中に保持していた。おそらくそれは人間のいうところの思い出に近いものだと彼女は考えていた。


「…ミミ?」

 ふいに声が聞こえた。駅胞分離体の背後に広がる森から何者かが現れたのだ。観測に気をとられて、背後の警戒が疎かになっていたのだ。

 現れたのは、一見して野生の熊と見紛う男だった。大柄な体つき、濃い髭に覆われた顔、そして羽織った毛皮。もちろん動物の毛皮がいまの日本列島で手に入るわけがない。あれは確かエキナカの近畿地方で生産されている耐水フェイクファーだ。おそらく四十歳前後。

「ミミじゃないか。どうしてここにいるんだ?」

 男は言った。熊のような外見に似合わぬ甲高い声だった。そのまま弱弱しい足取りでハイクンテレケに近づいてきた。目も悪いのか、細めた目でこちらをじろじろと見ている。

「誰?」

 ハイクンテレケは叫んだ。雨のせいかうまく声が伝わらない。

「ミミ? いや、違うか…? ああ、違うよな、そんなわけが無いものなあ…」

 男は感慨深そうにため息をついて

「すまない。人違いだった。昔の知り合いに似ていたんだ」

 と頭を下げた。

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