増発5話 採掘機械

「可哀想な子なんですよ。五歳のときにお母さんが病気で、十五歳のときにお父さんまで亡くしてしまって」

 と、田中モドリはシドウに語った。二条ケイジンの娘のケイハは、京都第7階層である庚午かのえうまに、モドリという初老の女と二人で暮らしていた。モドリはケイハの母の古い友人で、両親を失ったケイハを引き取って身の回りの面倒をみているという事だった。

「ケイジンさんの最期について伺ってもよろしいでしょうか?」

 シドウは聞きながらちらっと部屋の奥に目をやった。モドリの住む部屋はエキナカの都市にありがちな大型のワンフロアで、ケイハの個人的スペースと思われるあたりは低めの衝立で区切られているだけなので、自分の座っているテーブルからでも彼女の様子が見て取れた。

 ケイハはこちらの会話に特に関心を向ける様子もなく、背を丸めて机の大型ディスプレイに向かって無表情でキーボードに何やら打ち込んでいた。現在十八歳ということだったが、都会の年頃の娘の見せるような華やかさはずっと奥のほうにしまい込まれているようだった。

 モドリの話によると、自動改札を利用したケイジンの輸送システムは、京都の裏社会の間でも注目の的だったという。自動改札であれば警察も手出しが出来ないので、煙草やそれ以上に危険なドラッグを運搬するには格好のシステムだった。ケイジン自身は自分のシステムがそのような用途に利用されることに特に反感はなかったらしい。彼は根っからの技術者だった。

 だが、裏社会のいくつかの派閥とふたつの警察の間でさまざまな取引や思惑やトラブルが絡みあった結果、思惑の中心であったケイジンが電気ポンプ銃で撃たれたということだった。撃ったのはシドウの組織と敵対するドラッグ密輸組織の若い構成員ということだった。彼はすぐに自動改札により琵琶湖に捨てられたそうだ。

 シドウは「殺人事件」というものを古いミステリ小説で何度か読んだことがあったが、そのような事件が現代にもあるということが現実に起きるということには驚きを隠せなかった。エキナカにおいて人が人を殺した場合、すぐに自動改札がやってきて処理されるため、ミステリ的な殺人という概念が成立しない。

「僕は南のほうの村で生まれたんです。ケイジンさんとはそこで出会って」

 シドウはそう言って、自分の生まれた村と、そこを出るきっかけの一つとなったケイジンとの出会いについて、そして不当に村を追放されてここに来るまでの経緯を、思い出せる限りのことを語った。ただ、現在の自分が京都で裏社会に属していることについては黙っておいた。モドリは「それは大変でしたねえ」といちいち相槌をうった。

 京都全体の食料生産その他のインフラ事情はおおむね良好で、低階層の住人でもとくに生きるに事欠くことは無い。だがそれでも京都第7階層である庚午かのえうまやそれより下は、貧民街と呼ぶべき雰囲気をたたえていた。人々はそこで通路にダンボールを敷いてぼんやりとしていることが多かった。彼らはたとえ配偶者を持って子供をつくっても、その子供のための50万ミリエンが用意できないことが最初からわかっていた。そういうわけで彼らは将来の希望といったものは持たず、その少ない所得は概ね、シドウ達の組織が扱う煙草や、別の組が主催する宝くじなどのギャンブルに消えていた。

 治安に問題があるわけでないので、こういう層に住むのは単なる貧困層だけでなく倹約家も含まれ、田中モドリもどちらかというとその部類に属するようであった。彼女のような者はシドウ達の組織をあまりよく思っていないことを彼は経験的に知っていた。


 モドリが夕飯をご馳走するといい、買い物のために外出すると、部屋にはシドウとケイハの二人が残された。シドウは気まずそうにケイハの方をちらちらと見やって、何か話しかけるべき言葉を探したが何も思いつかなかった。彼女はやはりこちらに関心を向けるでもなく、端末のキーボードを打ち込んだり、よくわからない機械のケーブルを抜き差ししていた。シドウはモドリが早く戻ってきてくれないかなと思いながら、部屋の壁にかかっているテレビの画面を見た。

 ここ最近のスイカネット放送は、JR北海道関係のニュースでもちきりだった。JR北海道の人間が、海峡を渡ってエキナカの子供たちを拉致している疑惑が、エキナカ最北端の世論を賑わしていた。エキナカは基本的に外地のJRには無関心・不干渉を貫いていたが、住民に危害を加えるとなればさすがに怒りの声が湧き上がっているようだった。もちろん怒ったところで、彼らが津軽海峡の向こうにあるJR北海道に何かが出来るわけでもないのだが。

「当局の独自情報によると、本件については北海道のメディアでも批判の声が高まっている」とニュースは告げていた。スイカネットのニュース放送は明確な中枢がある訳ではなく、あちこちで話題のニュースが機械的に集まってくるものなので、津軽海峡のニュースが京都まで伝わるには三日ほどかかったし、「当局」が何なのか、信頼に足る情報源なのかはシドウには知るよしもなかった。

「あなたの村のことだけど」

 とケイハは突然シドウに話しかけた。それがニュースの音声ではなく、ケイハの声であることに気づくまで何秒かかかった。トーンの低い落ち着いた声だった。

「村の支配者の人達が、どこからともなくお金を用意してきて、それを下の人達に支払って労働させていた、って言ってたよね?」

「…あ、ああ」

 シドウは答えた。

「それ多分、ミリエンの採掘機械を持ってるんだと思う」

「採掘機械?」

「横浜駅で人口が増えるたびに、SUICAの導入でネットに50万ミリエンが徴収されるでしょ。でもそれを繰り返すとエキナカで流通するミリエンがいつか枯渇する。変だと思ったことはない?」

「…確かに。全く考えたことなかったけれど、変だな」

「それはね。減った分のミリエンを採掘して、流通上に戻す機械があるからなの。ずっと昔に作られたものだけど、たぶんあなたの村には動く状態のそれがあるんだと思う」

「採掘ってどういうことだ? ミリエンが昔のお金みたいな形でそのへんに埋まってるのか?」

 シドウは自分の仕事である煙草の採掘業務を思い出した。

「違うわ。そもそもミリエンにそういう物理的実態はないから。SUICAのミリエンはつまり、取引の履歴をすべてスイカネットに流通させることで、どのSUICAにどれほどの残額があるかを規定してるの。それの技術的背景にいくつかの暗号化システムが絡んでいて、ある種の計算の困難さがその暗号システムを保証している。だからミリエンを発生させるのに特殊な機械が必要になるんだよ。私はそれを採掘機械って呼んでる。見たことは無いけど。だからその人達は一方的にお金を供給できて、それで下の人達に命令できるのね」

 シドウはケイハの言っている意味はよく分からなかったが、それよりも今までずっと黙っていた彼女がこんな堰を切ったように喋り出すことに驚いた。そして相手の理解度を無視して話し続けるところが父親のケイジンに似ている、と思った。

「うーむ。君はすごく難しいことを知ってるんだなあ」

 と言うと、ケイハはとくに表情を変えずに言った。

「それで。ここからが本題だけど、あなたはその支配者の人達を恨んでる? 追い出されたことに」

「いや、実を言うと、僕自身はあまり悲しいとは思わなかったんだ。もともと都会に出たいっていう思いが強かったし。ただ両親やミミには災難だったと思う」

「そういうのはなの? あなたの感覚だと」

「いや、もちろん人間のした事だけどさ。結局のところ社会ではそういう天災みたいな理不尽がついてまわるものだよ。人生というのは大体そういうものじゃないかな」

 こういうとケイハはひどく不機嫌そうな顔をして、それから端末を回してモニターをこちらに見せた。

「このまえ作ったシステムなんだけど」

 黒い画面には、中央にある白い円と、そこから放射状に伸びる線が描かれていた。

「採掘機械の周辺にあるスイカネット・ノードからちょっとした集中干渉をして、ミリエンの採掘を行えなくするの。より正確に言うと、採掘機械の接続されたノードに過剰負荷をかけて、発掘したミリエンを周囲に散らしちゃうってことだけどね。作ったはいいけど、実際の採掘機械の場所が分からなくてテストする機会がなかった。もしあなたが村の支配者の人達に復讐したいと思ってるなら、その人達の採掘機械を妨害してみたいんだけれど、場所を教えてもらえないかな?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 シドウは両手を前に出してケイハを諌めた。

「いきなり話を進められても困る。まずその、採掘機械ってのがうちの村にあるってこと自体に確証がないじゃないか。僕はそんな話まったく知らない」

「確証を得るために装置を動かしてみるのよ。無かったら何も起きないわ」

「いやいや、そういう問題じゃなくて…大体、なんの理由があって君がそんなことをするんだ?」

「このシステムがちゃんと動くかを確認したいの。後々、必要になってくるから」

「なんだい、その後々ってのは」

「それは後々の話。今こういう道具があって、それを使いたいかどうかを聞いてるの」

 シドウは少し考えて言った。

「そもそも、うちの村には村の事情があるわけで、あまり僕ひとりの意見で村を振り回すわけにはいかないよ」

「でも要するに、その支配者の人達が、採掘機械を持っているというだけの理由で村のみんなを振り回してるわけでしょう? だとしたら、それを妨害する機械を持ってる人が新たに振り回してもいいと思わない?」

「いや馬鹿なことを言うなよ、そんな理屈があるかよ」

 シドウは声を強めて言った。ケイハはさすがに少し気負されたらしく黙った。

「いや、今日会ったばかりの女の子にこんなことを言うのも何だけどさ、君はまだ子供なのに人生に色々なことがありすぎて、少しおかしくなってるんじゃないかな。確かにモドリさんの言ったように頭のいい子なんだろうけれど、まあ、もう少し大人になれば社会の事情というものが…」

「私のことはいいから」

 ケイハは言葉を遮って言った。

「単純な話じゃない。あなたは自分の家族とか、その婚約者だった人をに合わせているわけでしょう。それで今、助ける手段がありそう。それじゃ使ってみるか。そう考えるべきじゃない。違う?」

 理屈は通っているような気はした。ただシドウはこの少女が自分を、入力に合わせて動く機械か何かだと思っているように思えたし、彼女の目で見られると自分が実際にそういう機械になってしまったような気がした。


 それから二ヶ月ほどして、故郷にいる家族からスイカネット通信によるメッセージが届いた。追放令を受けたシドウへの通信は禁止されていたはずなので、それは令が解かれたことを意味していた。

 両親の話によると、五階の住人たちが、どういうわけか突然、村から姿を消したらしい。噂によると、最近彼らのミリエンの支払いが滞っていて、村全体で不信感が広まっていたという。ひとまず四階の住民たちの話し合いによる新たな政治体制が立てられ、シドウの追放令も解除されたので戻ってこい、ミミもお前に会いたがっている、ということだった。彼はしばらく考えて、返信を書いた。

「僕はいま京都にいる。生活に不自由は無いし、仲間もたくさん出来た。追放令が解除されたことはとても嬉しい。こちらでやりたい事があるのでしばらく帰れない。申し訳ない。ミミにもよろしく」

 村で起きたことをケイハにも報告すると、それまで無表情か不機嫌な顔しか見せなかった彼女がはじめて嬉しそうな顔を見せ、

「OK。ミリエンまわりの機能はだいたい成功みたいね。次は自動改札の方っと」

 とまたキーボードに何事かを打ち込みはじめた。シドウは思った。彼女は幼くして両親を失った可哀想な少女などではなく、もっと底知れない何かであると。そして自分がその何かに捉えられてしまった、ということを。

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