第26話 統治者

JR九州の関門海峡前線基地を覆う抗構造遺伝界ポリマーは、開発者が想定した耐用年数をとうに過ぎてあちこちが破れ、裂けた部分が日光によって膨張し、基地全体が巨大な広葉樹に覆われているように見える。

 ポリマー張替えの予算が計上されない理由は二つあった。海峡防衛の重要性が年々低下していること、そして、より重要な作戦が進行中で、そちらに費用がとられていることだ。

「腫瘍の状態はこんな感じっすね」

 基地の一室にて、情報部門の大隈はテーブルに表示された地図を指差す。彼の社内階級を表す胸のバッジは、同期入社の者達を遠く抜いた高位を示している。この数年の情勢変化によって、情報部門、とくに大隈の所属するスイカネット監視の重要性が急増したためだ。

「ほぼ同心円状に拡大しています。拡大速度は一定でないので確かなことは言えませんが、早ければあと一月、遅くても半年で海に達するでしょう」

 スイカネットの通信状態を表す網目で覆われた本州は、木曽山脈を中心とした黒い穴で覆われていた。

「じきにスイカネットは東西に分断されるということか」

 いまや軍事部門の総指揮に近い立場にある川上はそう言った。

「ええ。っていうか、もう東西じゃまともに通信できてませんよ。送ったデータのうちの半分も届けばラッキーって感じです」

「なるほどな。となると決行は近いぞ」

 そう言うと川上は「八咫烏作戦 企画書」の表紙ページを端末に表示して大隈に見せた。「八咫烏」は古代の王が九州から畿内に攻め入って日本政府を確立した神話になぞらえた作戦という意味だ。

「社長から辞令があった。分断が確認され次第、我々は横浜駅への進攻を開始する」

「おー、いよいよやる訳ですか」

「第四次調査隊からの報告によると、腫瘍の内部はすでに幾つかの武装勢力によって分割されつつある。混乱状態がある程度収まるまでは手を出すべきではないというのが上の判断だったが、ようやく許可がおりた」

 横浜駅の「腫瘍」とは、中部地方で十年前に発生したスイカネットの通信異常、自動改札による住民統制の消滅、一部の建築物の崩壊といった異常現象の総称だ。原因がわからないままに徐々にその範囲は拡大し、いまや横浜駅の中部地方一帯がこの「腫瘍」に覆われていた。

 横浜駅の短期的・局所的な異常はこれまでも観測されていたが、すぐにその部分が倒壊し、周辺部分からの再構築が行われることが知られていた。だがこれほど長期的で大規模な異常が起きるのは、記録されている横浜駅の歴史ではじめての事だった。

 自動改札らによるSUICA認証もまともに行われなくなったため、JR九州では何度も腫瘍内部に調査隊を派遣するようになった。彼らの報告によると、腫瘍内部はすでに四国のような混沌状態にあるということだった。完全に暴力を統制されたはずの横浜駅だったが、ひとたび自動改札による制御が失われると、庭石を裏返して出てくる虫のように多数の武装勢力が現れたのだった。

 そして当初のカオス状態から数年が過ぎ、現在の中部地方は数個の勢力に割拠されている。山岳地帯を拠点にしていた山賊の一団、横浜駅を信仰するカルト化した警察組織、そして海から現れた非SUICA所持者の集団などだ。

「あまりに待ちすぎて、相手の集団が統一されて我々に反抗してきたりはしませんかね」

「問題ない。やつらはせいぜい電気ポンプ銃で武装している程度だ。何世紀も横浜駅そのものと戦ってきた我々とは、そもそもの火力が違う」

 エキナカで流通している武器の多くが、JR九州の脱走兵らによる横流し品であることは二人も知っていた。だがそれはせいぜい四国の治安維持に用いられる程度の対人武器であり、より決定的な戦力――構造遺伝界を含んだ横浜駅をも破壊できるほどの兵器――は、一兵卒には到底手の届かない形で厳重管理されていた。

「なるほど。もし我々に対抗しうる勢力があるとすれば、北の連中だけということですか」

 大隈は地図のいちばん北を指した。

「うむ。それがネットの分断を待っている理由でもある。情報技術に関して言えば、彼らの技術は我々よりも上だろうしな。ネットがつながっている状態では、こちらの行動が筒抜けになる可能性が高い」

 それは大隈が一番理解していることだ。彼らはおそらく記述言語の解読に成功しているのだ。JR統合知性体の持つ知識を一部でも読み取れれば、どのような行動が可能になるかは全く予測できない。

「連中が脅威になる可能性は」

「まったく未知数だ。もちろん、協力して横浜駅の中心にJRの旗を立てられる可能性はある。もともと我々はひとつの国営企業だからな。だが、長く分断されていた組織が対等に統一できた例なんてものは、歴史にほとんど記されていない。現時点で言えるのはそれだけだ」

 川上が言うと大隈は小さく溜息をついて、テーブルにじかに置かれたチョコクッキーをつまみ、紅茶をひとすすりした。ポリマーの化学臭は十年前に比べかなり収まったとは言え、この慢性的に不清潔な基地で飲食できるこの男の気が知れない、と川上は思った。

「駅への進攻に際しては情報部門からも多くの人材を派遣する予定だ。能力を見込んでお前をそのリーダーに抜擢する案が出ているが、どう思う」

「へえ、そりゃ光栄ですな。確かにコレの正体が何なのかは興味ありますが」

 大隈はティースプーンで腫瘍を指した。

「ですが俺は御免被りたいっすね。人と戦うのはまっぴらです。発生原因がわかったらこっそり教えてください」


 スイカネットの通信異常がはじまった頃、JR九州が原因としてまず挙げたのが、エキナカ住民による人為的な破壊行為だった。「キセル同盟」と呼ばれる組織が、一時期は京都周辺のスイカネットを完全に掌握し、自動改札の行動制御まである程度達成したということはJR九州も把握していた。だがそのネット掌握はある時期唐突に解除され、組織のその後の顛末はわかっていない。ネットの支配を目的としていた組織がネットを消滅させるはずがないということから、この説は現在否定されている。

 次に、当然ながらJR北海道による攻撃が想定された。彼らは既に構造遺伝界を消滅させる技術まで実用化しているという。北が何らかの攻撃を横浜駅の中心部に仕込んだという可能性はあった。だが本来青函トンネルの防衛を目的としていた彼らが領土欲に野心を燃やして本州中央部に攻撃を仕掛けたというのも、これだけ拡大の進んだ「腫瘍」でJR北海道の戦力がほとんど確認できない事実がその説を否定している。

 こうしていくつかの仮説が提唱されたが、結局のところ「横浜駅自体を崩壊させる動機がない」ということで否定され、腫瘍の生成は何者かの意図によるものではなく、なんらかの事故的な要因、あるいは単純に「老衰」であると暫定的に判断されている。


「だが、ここに残ってもこれ以上の出世のチャンスは無いぞ。横浜駅はこれから縮小していくのだろう。海峡の向こう側のネットもいつまで正常に機能しているか分からん。スイカネット解析が専門のお前にとって退屈な留守番になるだろう」

 と川上は言うが、大隈は鼻で笑って答えた。

「どうせ情報部門は発言力がないんですから、ケチな出世に興味はないっすね。上の人たちは俺たちがどんな成果を出しても、結局は軍事部門の功績にしちゃうでしょ。みんな兵器オタクだからさ。それよりも他にやることがあるんですよ」

 大隈は地図の南東部に目をやった。ユーラシア東岸の輪郭線が描かれている。この男が、いやJR九州の若手社員の多くが「大陸」に関心を持っていることを川上は知っていた。

 外洋航行はJR九州の社規で禁止されている。技工部門の一部が上層部に無断で立てた渡航計画が露見し、懲罰にあったのは去年のことだ。だが現在でもいくつもの「西進派」と呼ばれる勢力が水面下で動いている。

 横浜駅の終焉が近づいている。それが明確になりはじめた頃、ほとんどの者はJR九州が本州の新たな統治者として乗り込むことを提案したが、少数の勢力は逆にこの機会に外洋の新天地へ乗り出すべきだと考えたのだ。どうやら大隈もそちら側の勢力であることに川上は気づいていた。

 科学部門のある研究者は横浜駅を「人間の培養装置」と称していた。完全に制御された物質とエネルギーの循環によって貯めこんだ人口密度は、おそらく地球上のどの地域よりも高い。化石燃料の枯渇した現代としては到底ありえない水準になっていた。横浜駅が完全に崩壊すれば、この列島はもはや人口を支えられない。多くの人間が治安悪化により死ぬだろうが、溢れだした人間による外洋進出も行われるだろう。

 冬戦争末期にはほとんど人の住めない場所となった東ユーラシア沿岸部だが、その後の数世紀で土壌がどこまで回復したのかは、信頼に足るデータが無い。既に内陸からの民族大移動が始まっているという噂もあった。日本列島からの移住が行われるとなれば、早い段階でのイニシアチブ確立は必要なはずだった。だがJR九州は、大陸への興味を持つことを「住民を横浜駅の侵食から保護する使命」からの逃避とみなして嫌悪していた。

 制度疲労。上層部のこの態度に対する大隈の感想はその一言だった。我々は長い間横浜駅と戦っている間に、その単一目的に最適化された組織へと変質し、それ以外の視点を失っているように感じられた。いずれ横浜駅が完全に崩壊すれば、この組織はその存在理由を見失って伴に滅びるのではないか。

「人は老いて死ぬし、横浜駅も老いて死ぬわけです。この会社だってそうでしょう。生きてるからには、ちゃんと世代交代をしないといけないって事ですよ」

 大隈はそう呟いてチョコクッキーの紙袋をまさぐったが、もう1個も残っていなかった。ちょっと買い物に行ってきますと川上に告げて基地の外に出ると、ちょうど日没の時刻だった。海峡の向こうにある横浜駅の白いコンクリートが夕陽に照らされて赤く映える様は、敵ながらなかなか風情があると彼は思っていた。

 ここ数年、横浜駅の連絡通路の射出はほとんど起きていない。腫瘍部分からはじまった駅の老化は、この末端部分にもいくらかの影響を及ぼしているようだった。コンクリートの代謝も減少しているのか、ところどころ経年劣化のような汚れが目立つ。

 だがその姿は、破けた抗構造遺伝界ポリマーでぼろぼろになった自分たちの基地ともだぶって見える。横浜駅とJR九州は戦い続けているうちに似た者同士となって、このまま一緒に消えていくのだろうか。そんなことを考えているうちに、夕陽は大陸のある方へゆっくりと落ちていった。



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