第23話 通常モード
18きっぷの期限は残り1時間に迫った。
ヒロトは現在位置を確認する。18きっぷが切れ次第、自動改札が現れてヒロトを「最寄りの駅外」に追放するだろう。現在の位置で捕まった場合、西方向およそ3キロにある、待合室ほどの狭いスペースに永遠に閉じ込められる。確実なゲームオーバーだ。
「私のシステムで自動改札は極力遠ざけているけれど、あくまで時間稼ぎの措置だから。可能なかぎり急いで」と通信端末越しにケイハが言う。
ケイハは自動改札の行動アルゴリズムを概ね把握していた。横浜駅内部における彼らの挙動はごく単純だ。彼らはできるだけ均一にエキナカに分布し、侵入者やSUICA不正者などが現れた場合は、一定距離以内にいる自動改札が現場に急行する。山間部と都市部とで密度の差はあるが、基本はそれだけだ。
自動改札の制御システムは特定のプログラマにデザインされたものではなく、構造遺伝界がスイカネット上の必要性に応じて進化させたものに過ぎない。それほど複雑なものには成り得ないのだ。
ケイハの作った撹乱システムは、自身の管理下にあるスイカネット・ノードを使い、指定した位置(この場合はヒロトの位置)の周囲に、多数の自動改札がいるという偽装情報をネットに流すということだ。これならば彼のまわりの自動改札密度が過剰になるため、本物の自動改札はヒロトから遠ざかっていく。
ただ、これは現時点でヒロトが自動改札の排除対象になっていないことが前提だ。18きっぷの期限が切れてから、自動改札の出現までの時間を多少伸ばすに過ぎない。先ほどの警察員の捕獲過程がそれを実証していた。もちろん既にSUICA不正判定をされているケイハ自身には、このシステムは通用しない。
足の痛みはもうほとんど感じなくなっていた。ただ失血のためか意識が朦朧とし始めている。ケイハの指定した「目的地」まではまだだいぶある。間に合いそうにない。エスカレータに流されながら、ヒロトは眼を開けたまま夢をみていた。
それは教授がまだ九十九段下の岬に来て間もないころのことだ。まだ頭がハッキリしていて、かわりに言葉がほとんど通じなかったころだ。
「なあ爺さん、あんたはずっと遠いところから来たんだろ? 故郷はどこなんだ、エキナカか、それとも四国や九州か」
とヒロトが地図を見せると、教授は地図のある一点を指して、なにかを主張していた。
「ずいぶん山の中だなあ…あんたのその訳の分からん言葉は、そのへんの方言なのか?」
思い出してみると、あれは42番出口を指していたように思う。そのあと教授は、手でなにか大きな長方形を描いて、そこに自分が寝そべっている姿を体で表した。
数年経って、教授がヒロトたちの言葉を覚えて、代わりに頭のほうが不明瞭になってくると、「自分はラボというところにいて、ずっと寒かった」ということをしきりに言うようになった。
ヒロトはそれを聞いて、山の中だからおそらく寒いのだろう、と思った。スイカネットで流通する映画で、雪山を探索する男たちのシーンを見たことがある。だが今から考えてみると、横浜駅はたとえ山頂付近でも空調が完備されていて、寒いということはほとんど無いのだった。
「ピーッ」という音がして、ヒロトの意識は現実に引き戻された。彼はエスカレータに座ったまま眠っていたのだった。かばんを見ると、18きっぷの画面には「本券の有効期間は終了しました。ご利用ありがとうございました」という文字だけが無感情に表示されている。全身に緊張が走った。
既に42番出口から続いた下り斜面は終わり、平坦な通路に入っていた。だがケイハの指定した目的地はまだ先だ。いまのところ自動改札の姿は見当たらない。ヒロトは18きっぷをかばんに仕舞い、通信端末を取り出した。
「ケイハ、おれだ。期限が切れた。間に合いそうにない」
「そう。一番近い自動改札は経路で1キロ先にいる。10分くらい稼いであげたわ。とにかく今は目的地に近づいて」
「わかった」
数分歩くと、山岳地帯の細くて曲がりくねった通路を出て、平地の太くて直線的な通路に移行した。看板には「木曽方面」「中津川方面」と書かれている。ヒロトは端末の情報に従い、中津川方面に向かう。
やがて、進路数百メートルのところに自動改札が二体現れた。アナウンス音声を流しながらこちらに近づいてくる。
「お客様の18きっぷは有効期間を終了しています。ただいまより駅からの強制排除が実行されます。お客様のご理解とご協力をよろしくお願いします。」
すぐに、反対側の木曽方面からも自動改札が二体現れた。
「18きっぷの再発売の予定はございません。詳細はJRグループ各社までお問い合わせください。」
アナウンスを流しながら迫ってくる。挟み撃ちの格好だ。
「仕方ないわ。そのまま中津川方面に進んで、一歩でも長く」
ケイハの声に従いヒロトは進んだ。意表をついて脇をすり抜けられないかと思ったがそんなことは無く、二体の自動改札は機械的な反応速度でヒロトの行く手を阻んだ。九十九段下でエキナカに侵入して120時間と11分、ついにヒロトは四体の自動改札に追い詰められた。
「ただいまより拘束を実行します」
改札のうち一体がワイヤーを伸ばし、器用にヒロトの体をぐるぐる巻きにして、両腕で抱きかかえた。予想に反して痛みは全くなく、むしろ歩きづめだったヒロトには快適にさえ感じられた。そのまま、彼を抱えた自動改札の周辺を、他三体が正三角形の位置で囲んで歩き出した。
「ヒロト、聞こえる?」
右手に握られた端末からケイハの声が聞こえる。あらかじめ音量を最大にしておいたのだ。
「ああ、ギリギリな。端末の画面が見えないが」
「問題無いわ。今どっちに歩いてる?」
「中津川方面だ」
そう言うと、わずかにケイハの安堵の溜息が聞こえた。
「ギリギリセーフね。その経路で行けば、あなたは中津川にある喫煙所まで輸送される。その途中に目的地を通る。合図を出すから全力で攻撃して。できる?」
「手元は動く。問題ない」
「十秒前からカウントダウンする」
「了解」
自動改札は二人の会話にまったく頓着せずに歩き続けた。そもそも彼らには、会話を理解するような機能は備わっていないのだ。彼がその両手に握っている物については何の関心も払わない。
その頃ケイハは、甲府の自分の店で、ヒロトの移動経路と目的地の位置関係を確認していた。北東から南西に伸びる通路に対し、目的地を示す線は三十度ほどの角度で交差している。許される誤差は十メートル程度。スイカネットの位置情報はときどきひどい誤差を出すことがあったが、今は信じるしか無い。
「あと少し。準備はいいね?」
「ああ」
「…十秒前。九。八」
ヒロトは左手に握られた構造遺伝界キャンセラーのスイッチに指をあてた。出力設定はすでに最強にしてある。電池残量は16%。すべてを一瞬で使い切るつもりだ。
「三、二、一、ゼロ」
カウントダウンに従い、ヒロトはキャンセラーを自動改札の足元に向けて最大出力で照射した。太陽をエキナカに持ち込んだような強烈な光が木曽・中津川間通路に広がった。反射光で周辺の壁や天井までが溶け出すのが見えた。床のコンクリートは既にすべて溶け去り、その一つ下のフロアの床まで溶かし、通路の幅いっぱいに広がる大穴が穿たれた。
円陣を組んでいた四体の自動改札はすべてヒロトとともに落下した。ガシャン、ガシャンという強烈な機械音が四つ分周囲に響いた。二フロア分落ちたにもかかわらずほとんど痛みは無い。自分を拘束した自動改札がとっさにその関節のバネを使い、ヒロトを落下の衝撃から守ったようだった。
落下した場所は、覚えのある独特の湿気とカビ臭さがあった。
「超電導鉄道…ここまで通っていたのか」
それは、かつてヒロトがネップシャマイとともに甲府に侵入した通路だった。横浜駅の拡大よりもはるか昔、冬戦争以前の高度文明時代に人間の手によって作られ、構造遺伝界を阻む超電導物質によって横浜駅の拡大からも守られてきた巨大トンネルだ。
「ええ。そこはもう横浜駅の外よ。もう自動改札は追ってこないはず。ずっと西へ行けば、名古屋を通って伊勢湾に出られるわ」
ケイハの安堵の混じった声がトンネルに響く。
落下した四体の自動改札のうち、三体はその四肢を回転させながら衝撃を吸収し、無傷でトンネルに着地していた。だがヒロトを拘束していた一体は腕と首が完全に折れており、ケーブル部分が露出していた。その手足は陸に上がった魚のようにぴくぴくと震えている。
おそらくヒロトを庇うために、適切な姿勢制御フェーズを取れなかったのだろう。ヒロトは申し訳無さを覚えながらも、折れた腕から伸びる拘束ワイヤーを解いた。
生き残った三体の自動改札は、何かを探すように首や手足を振り続けたが、やがて
「位置情報が不正です。改札機能を実行できません。」
「位置情報が不正です。改札機能を実行できません。」
「位置情報が不正です。改札機能を実行できません。」
と、わずかにタイミングをずらして同じ音声を発した。トンネルの壁に反響したせいで、異様に重なったエコーが響き渡る。
「改札プログラムを終了し、通常モードに移行します。」
「通常モードの初期設定を開始します。この作業には数分かかる場合があります。少々お待ちください。」
三体の自動改札はそう言ったきり手足の動きを止めた。代わりにその体内で、何かガシャガシャという金属が擦れ合う音が聞こえる。内部構造を作り変えているようにも見える。
「待ってくれ。ケイハ、聞こえるか? やつらの様子がおかしい」
「…聞こえるわ。すごくイヤな予感がする。とにかくそこから逃げて」
ヒロトは走りだした。だがやはり足が言うことを効かず、ほとんど早歩きの速度しか出ない。
自動改札は侵入者やSUICA不正者を駅外に排除する存在だ。だが自動改札自体が駅外に出たらどうなるのか。生まれた頃から自動改札にエキナカへの道を阻まれて生きてきたヒロトも、そんなことは一度も考えたことがなかった。彼らがいる場所がエキナカなのだ、と思っていた。
ヒロトが走り去った数分後、自動改札はふたたび動き出した。
「戦術ノードとの通信を確立しています………戦術ノードが見つかりません。」
「衛星からの電波を待機しています………電波が受信できません。屋外への移動経路を探索しています………屋外への移動経路が見つかりません。」
「上位命令系統からの指示が検出されません。本機はこれより、自己防衛フェーズに移行します。」
「小隊内の一体が破壊されました。敵軍はすぐそばにいるものと予想されます」
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