第21話 過誤

ディスプレイには本州の地図と、その上をメロンのように覆う網目が映しだされている。網目の各点は、横浜駅に散在するケイハ管理下のスイカネット・ノードだ。彼女はこれらのノードを定期的に相互通信させていた。キセル同盟の健在時に比べると、掌握できるノードの数は1%以下に減少していたが、横浜駅内のネットの通信状態を把握するには十分な数だ。

 ヒロトと保守管理主体の会話によると「逆位相遺伝界発振装置」を起動させれば、42番出口を中心に横浜駅の崩壊がはじまるはずだった。だが、現時点で目に見えるネットワーク障害は起きていない。単に動き出しが遅いのか、それとも彼は起動ボタンを押していないのか?

 そして問題は、彼自身が42番出口の位置から全く動いていないことだ。ケイハがヒロトに渡した端末には、位置情報と音声を送信するシステムが仕込まれていたが、彼の位置はこの8時間まったく動いていない。音声もなにも拾っていない。

「どういうことだと思う?」

 ケイハはマイクに向かって話しかけた。マイクは巨大計算機クラスタに接続され、その内部には複写されたネップシャマイの主記憶装置がある。しばらく待ったが、反応はない。

 彼女は業を煮やして、ヒロトの端末に音声通信を送った。

「もしもし」

 というヒロトの声が聞こえた。生きている。

「私。ケイハだけど」

 ケイハは少し考え、彼に渡した端末が位置情報や音声を送信していることは、現時点では伏せたほうが良いと判断した。

「状況を確認したいのだけれど、今どこにいるの?」

「42番出口だ」

「無事にたどり着いたのね。何か探しものは見つかった?」

「ああ。十分過ぎる成果だ」

「それは何より。でももう時間がないんでしょう? 君の18きっぷは」

「4日前の朝に入場したから、明日の夜明けまでだな」

 ケイハは壁の柱時計を見た。午後10時だ。甲府117階層にあるこの店に日が届くことは無いが、甲府上層部では夜が訪れていることだろう。

「今いるのは駅外ね。そこは周囲をすべて横浜駅に囲まれているから、期限が切れたら自動改札に閉じ込められて、もうその場所から出られなくなるわ」

「分かってる」

「どうして逃げないの?」

「横浜駅は全部崩壊する。おれがスイッチを押したんだ」

 ヒロトには詳しく説明する気力もないようだったが、どうやら彼は装置を起動させたようだった。そして、なぜか未だにそこから動こうとしない。

「何を言ってるの? 私のほうで確認してるけど、駅の崩壊なんてどこにも起きていないわ」

「…そうなのか?」

「ええ。君が今そこで、スイカネットに接続できるってことが証拠」

「思ったより崩壊は遅いんだな。それじゃ、おれはここで死ぬのか」

 ヒロトの声に恐怖心は無かった。ただ、何かを諦めたような無力感が漂っていた。

「仕方ない。おれは、そのくらいの罰を背負うべきだと思う」

ケイハはその言葉から、彼が何を考えているのかを理解した。ヒロトは、横浜駅を崩壊させるという行為の重さに耐え切れず、そこから動けなくなっていたのだ。こうなると、彼を歩き出させるには方針を変える必要がある。

「グズグズ言ってないで逃げて。逆位相遺伝界が駅に浸透するのは何年も先のことなんだから。駅を崩壊させたことの後悔は、生き残ってからにしなさい」

「…ケイハ、あんたは知っていたのか?」

「何を?」

「42番出口に何があるのかを」

 上手く行きそうだ、とケイハは思った。

「ええ、そうよ。私の目的は、横浜駅と自動改札によるこの世界の支配を終わらせること。42番出口に行けばそれが出来ると知っていたけれど、構造遺伝界の壁を突破する方法が無かったし、逆位相遺伝界発振装置を起動させる方法もなかった。だからその戦略は諦めて、あくまでスイカネットの乗っ取りという方向で活動を進めていたの。でも、そこに両方を持っているあなたが現れたから、手助けをする形で利用させてもらったの」

 返事は聞こえなかった。反応に迷っているようだった。

「黙っていたのは申し訳なかったとは思う。でも、あなたの “観光客” としての性格を考えて、何があるか分からないという形にしたほうが、作戦上都合がいいと判断した」

「ひどいやつだな」

「ええ。だからちゃんと逃げて。あなたがそこから無事に脱出することは、私の作戦の範囲内であり、責任の範囲内なんだから」

 返事は聞こえなかった。足音と、ドアの開閉音だけが伝わってきた。


ヒロトは立ち上がり、カバンを持って「ラボ」を出た。

 横浜駅を崩壊させるという選択を背負いきれずに心を折られていた彼に、いま新たに飛来したのは、どうしようもない悔しさだった。

故郷からこんな遠くまで来たけれど、結局まわりの人間に振り回されるばかりで、おれは全く主体的な人間になれていない。ただSUICAを持たないという特質に、他人からもたらされた18きっぷや構造遺伝界キャンセラーゆえに仕事を与えられただけで、これらの道具を除いたら何もない自分がいるのだ。

「ヒーローにも悪魔にもならなくていい、ただひと粒の砂として力を貸して欲しい」保守管理主体の声が頭にこだました。冷静に考えてみると人を馬鹿にした話だ。確かにおれは特別な力など何もない、砂山の砂粒のような男だ。だが、だからこそ何者かになりたくて九十九段下を出たのだ。砂粒で終わるわけにはいかない。

「その場所からなら、南下して名古屋方面に逃げるほうが都合がいいわ。指定する場所まで移動して。時間はまだあるから」

 端末からケイハの声が響き、音声通信はそこで切れた。画面には地図が表示され、現在地から真南のところに星マークが点滅する。


「逆位相遺伝界の浸透までは何年もかかる」というのは、ケイハがあの場で考えだしたハッタリだ。だが実際のところ、横浜駅の崩壊はどのくらいの時間を要するのだろう?

 横浜駅が本州を覆い尽くすには一世紀を要したが、それは駅構造体の生成時間に費やされた部分が大きい。単に構造遺伝界を消すだけであれば、よほど早く進むと考えられる。だが「逆位相遺伝界」なる未知のものが、構造遺伝界よりも速く展開できるという保証もない。

 情報技術については天才的なケイハも、構造遺伝界の物理的詳細についての知識は一般の横浜駅住民と大差ない。これ以上の推測は出来ない。横浜駅の終焉よりも自分の死が先に来るということも大いにありうる。

 だが、それでも無念のうちに死んでいった仲間たちのことを思えば、申し訳ないくらい上出来な最期だ。

「まあ、死ぬのは仕方ないことだからね。JR統合知性体は不死を望んで横浜駅を生み出して、かえって自分の死を早めたわけだし、そこは受け入れるしかないけれど」

 ケイハがひとりごとを言うと、その音をマイクが拾い、巨大計算機クラスタが動き始めた。数分間の沈黙を経たあと、複製されたネップシャマイの主記憶装置は、その不完全な自然言語エンジンから言葉を絞り出した。

「ユキエさんは違います」

「…?」

「ユキエさんは、JR統合知性体は、構造遺伝界を生み出しました。目的に基づき、完全に計画です。このように考えています」

「何が言いたいの? JR統合知性体は横浜駅の増殖を…今のこの世界を、意図して創りだしたってこと?」

「はい。統合知性体は、統治者であり、必要は、戦後の混沌状態において、横浜駅であり、自動改札による統治です。ユキエさんは考えます」

 ケイハは全身の血流が加速するように感じた。何かに対して憤りを感じたのは数年ぶりのことだった。甲府に逃げ込む途中で、最後に残った仲間を自動改札に捕縛された時以来だ。

「…あなたのご主人がいくら優秀だからって」

 ケイハは顔をしかめて言った。

「私は、そんなの絶対に認めない」


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