第20話 砂粒
「そもそもの発端はJR統合知性体の過ちにある」
”JR統合知性体の保守管理主体” はゆっくりと話をはじめた。長く続いた冬戦争、鉄道ネットワークをベースとした統合知性体の誕生、そして戦後の混乱期、人間による政府を置きながらも、実質的な意思決定者として統合知性体が君臨していたこと。
だが列島の荒廃は続いた。JR統合知性体は人間よりもはるかに高度な知性を持つシステムであったが、あくまで頭脳に過ぎず、強力な防衛装置を有しない。知性体を構成する
いわば王の側近とも言うべきJR各社は、ユニットの防衛と修復作業を続けたが、全国に散らばるユニットは守り続けるにはあまりに数が多く、暴徒化する民衆は増え続けた。高度な分散化によって冬戦争を耐えぬいた統合知性体は、まさにその分散性によって滅ぼされつつあった。
そのような状態が一世紀近く続いた。あるとき、統合知性体はひとつの意思決定を行った。人間の手による修復では自己を維持できないと悟り、ユニットに自律的な修復機構を導入することを決めたのだ。
「これにより誕生したのが、物質構造の記憶と複製、そしてその伝播性を持つ量子場を利用した、知性体ネットワークの自己修復システムだ。今では構造遺伝界と呼ばれているようだがね」
そして新たに開発された自己修復系のテストケースに選ばれたのが、誕生以来絶え間ない改築を繰り返してきた「横浜駅」だった。初期状態のまっさらな構造遺伝界は、横浜駅の長年に渡る改築の記憶を取り込み、自律的修復の可能なユニットとして転生する。それが成功し次第、その遺伝界を各ユニットに移植し、統合知性体は全体として不死化する。そういう計画だった。
「まあ、支配者というものは得てして不死を求めるものだからね。遠い昔、広大な土地をはじめて統一した皇帝は、不老不死の秘薬を求めて水銀を飲み、かえって寿命を縮めたということだよ。JR統合知性体ほどの高度な知性を持ってしても、生への執着から自由ではなかったのだ」
だがそれは統合知性体の過ちだった。生命体にとっての不老不死、老いることを止めて増殖し続ける細胞、それは癌にほかならない。構造遺伝界の種を導入された横浜駅は、自身の長い長い改築の記憶を全身に最大限に発現させた。それは破損部分の修復に留まらなかった。周辺の鉄道網づたいに、日本の鉄道網全体を、そして最終的に国土全体にまで増殖し始めたのだ。発達した癌組織が生命体を喰らい尽くすように、まさに横浜駅が列島を侵食していったのだ。
知性体のユニットである他の駅がほとんど横浜駅に飲み込まれていった。ネットワークの複雑性が知性を維持するのに不十分なサイズとなった時点で、統合知性体の知性としての活動は永遠に失われた。人類のレベルを遥かに超えた科学知識――そこには構造遺伝界の構築方法も含まれる――だけが、独自の記述言語により生き残ったユニットに残された。
そして横浜駅は増殖を続け、本州を覆い尽くし、現在に至る。
「さて、君に頼みたいことは簡単だ」
ひととおりの歴史を話し終えると、男は真剣な顔つきになった。
「横浜駅は統合知性体の過誤によって生み出され、知性体を喰らい尽くした悪性腫瘍だ。私は知性体の保守管理主体として、この癌を地上から消し去り、統合知性体を埋葬せねばならない。これは私の、そして私のオリジンである統合知性体開発者の落とし前だ。そこで君の力を借りたい」
「…待ってくれ。おれの力でどうやってこの横浜駅を消し去るっていうんだ」
「うむ。統合知性体は、横浜駅における構造遺伝界のユニットテストが完了した後は、いったん駅内部の遺伝界を消し去る予定だった。このラボにはそのための装置が残っている。この柱の反対側を見てくれ」
ヒロトが柱の裏に回り込むと、そこには彼の18きっぷと同程度の大きさの黄色い箱があった。中央に赤いボタンが付けられ「非常停止ボタン」と書かれたステッカーが貼られている。
「逆位相遺伝界発振装置だ。横浜駅と接触させて発動させれば、構造遺伝界に対し逆向きの位相を持つ遺伝界を発振しつづける。十分な時間が経てば、逆位相遺伝界は横浜駅のすみずみまで浸透し、構造遺伝界はすべて消え去る。すなわち、横浜駅の死だ」
自分の持っている構造遺伝界キャンセラーを巨大化したシステムなんだろう、とヒロトは理解した。
「そんなものがあるなら、なぜ今まで使わなかったんだ?」
「それが正に、君の力を借りたい理由なのだ。いいか、JR統合知性体には、その開発者により導入された、ある重大な禁忌があった」
「禁忌?」
「それは『自己破壊の禁止』だ。統合知性体の内部において、あるユニットが別のユニットを破壊することは、ハードウェアレベルで不可能という仕様になっていた。このルールは、横浜駅により全体を飲み込まれた今でも生きているのだ」
保守管理主体は統合知性体の部分知性であり、統合知性体のユニットである横浜駅とは、いわば兄弟関係にある。兄弟喧嘩をかたく禁ずる親により、保守管理主体には横浜駅を破壊するシステムの起動はできないのだ。
「だからスイッチを入れられる人間を待っていた、というわけか」
「それだけではない。SUICAを導入した人間では、このスイッチを押せないのだ。SUICAとは人間を横浜駅の部分構造とみなすことで、非自己を排除する横浜駅の免疫系を逃れるための装置なのだ。SUICAを持たない人間がエキナカに侵入するのを規制するシステムがあるだろう。また SUICAを持つ人間が横浜駅構造を破壊することや、人間同士の暴力も、免疫システムが強く規制しているはずだ」
自動改札のことか、とヒロトは思った。
「だから私は、君のような人間をずっと待っていたのだ。SUICAを持たず、この場所まで辿り着き、逆位相遺伝界発振装置を起動できる人間を」
ヒロトは自分の持つ18きっぷを見た。この箱状の端末が、横浜駅の免疫システムを欺き、非自己の異物である自分を、この横浜駅の核心部分まで連れてきたというわけか。甲府で出会ったケイハの力を借りてここまで辿り着き、ネップシャマイの持っていた構造遺伝界キャンセラーの手で壁を抜けて到達したラボは、まさに自分の力を必要としていた場所だったのだ。
ヒロトは意気揚々と赤いボタンに手を伸ばした。しかし、ふとその手を止めた。
「待ってくれ。その場合、横浜駅の建物はどうなるんだ?」
「すでに横浜駅の構造物は生成から相当な時間が経っているからな。構造遺伝界が失われれば、ほとんどが崩壊するだろう。免疫システムも力を失うから、中の人間たちがどうやって生きていくかは彼ら次第ということになるな」
「どのくらいの時間がかかる?」
「実験室スケールでの知見しか無いので、このサイズでは推定が難しいが…少なくとも一瞬にして崩れるということはない。逆位相遺伝界がこの場所を中心に拡がっていき、氷河が溶けるようにゆっくりと横浜駅が溶けていくことだろう」
「中で暮らしている人達はどうなる?」
「私は現在、このラボの外側の社会状況を把握できない。君のほうがそれを見てきているのではないかね」
ヒロトはこれまでの旅で出会った人々を思い浮かべた。横須賀で、自動改札の体制にもとづいて秩序を管理していた警察員たちを。甲府の、自動改札による完璧な統治のもとで発展した巨大階層都市を。そして自動改札の目を逃れて襲い来る山賊たちと、なんとか闘いながら生きている木曽谷の人たちのことを。
増殖を続ける横浜駅は、その最前線に住む人達に苦しみを強いていた。青函海峡や関門海峡では今もJR北海道・九州による長い戦いが続いている。自動改札たちはたしかに、スイカネットによる強い監視体制で人々の生活を規制していた。ケイハはそれにより仲間を失い、自身も甲府に縛り付けられている。
だが一方で、それこそが横浜駅の治安を維持するものではなかったか。この巨大化した生命体の構成要素として生きる道こそが、長い戦争とそれに続く荒廃の時代を過ぎて、ようやく取り戻した秩序なのではないか。
「…駄目だ。おれには押せない」
ヒロトは赤いボタンから手を離した。
「おれはただの観光客なんだ。おれは横浜駅の外の、ネコみたいに狭い岬で生まれてずっと育ってきた。18きっぷを手に入れて、横浜駅をちょっと覗いて見たかっただけなんだ。横浜駅にこんなに大勢の人たちが暮らしていて、それぞれの生活があるなんてことを初めて知ったんだ。あの人達の運命をおれの手で決めるなんて、そんな事が」
彼はほとんど涙声になっていた。
「そんなことが、出来るはずがない」
「いいかい、私は君に、横浜駅の運命の “選択” を求めているのではないよ」
保守管理主体は、なだめるように優しい声で言った。その顔はまるで、宿題のわからない息子に解き方を教える父親のようだった。
「ひとつ喩え話をしよう。テーブルの上に乗った砂山を想像するんだ。上からゆっくりと、ひと粒ずつ砂を落としていく」
保守管理主体は手で砂山の輪郭を示すと、画面に実際に砂山の映像が現れた。最初はおにぎりのようなサイズの小さい砂山が、上から降りてくる砂でみるみる大きくなっていく。
「はじめは僅かな丘にすぎなかった砂が、やがて巨大な山になる」
やがて砂山は机を覆い尽くすサイズにまで巨大化し、男の姿はその後ろに隠れた。
「だが、その巨大化は永遠には続かない。やがて崩壊が起きる。ある砂粒が落ちた瞬間、砂山は大きく崩れる」
男がそう言うと、砂山の右側で大きな雪崩が起き、机の下に大量の砂がこぼれ落ちた。
「どうして砂山は崩れたのか。簡単なことだ。砂山はこの机の上で、無限に大きくなることが出来ないからだ。だから、いつか崩壊が起きる。砂山を崩壊させるのは、強い力と確かな意思を持った特別の砂粒ではない。砂山が永遠に存在できない以上、崩壊を引き起こすただひとつの砂粒が存在する。それだけのことだ」
「……」
「ただの自然法則だ。横浜駅も地球上の資源を消費して活動している生命体である以上、永遠ではありえない。どこかで終わりが来るのだ」
「……」
「君が特別な人間でなくていい。君は世界を救うヒーローにも、横浜駅に住む人達の生活を破壊する悪魔にもならなくていい。ただ一粒の砂として、力を貸して欲しいのだ」
ヒロトは何も答えられなかった。積まれたサーバー群からの排気ファンの音だけがラボに響き続けた。
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