第19話 42番出口
そこは「出口」と呼ぶにはあまりに奇妙な場所だった。
コンクリートの壁が見渡す限り続き、その少し手前には黄色の点字ブロックが並ぶ。壁にはポスターひとつないが、非常に長い時間光に当てられて表面は色あせている。いまヒロトの立っている位置から全貌は見えないが、ケイハから受け取った端末の地図によると、この壁は周囲三キロほどの領域を円形に取り囲んでいるらしい。そしてこの内側に「42番出口」があるのだ。ちょうど横浜駅がこの「出口」を忌まわしいもののように封じ込める形で。
「危険ですので黄色い線の内側までお下がりください」というアナウンスが響く。だがこの配置ではどちらが内側なのかが分からない。幾何学的に考えれば壁の向こうが内側だが、いま立っている場所が「エキナカ」であることを考えるとこちらが内側と言えないこともない。
ヒロトは壁を周り、地図上で「42番出口」と書かれた点の近くまで移動した。壁に構造遺伝界キャンセラーを照射し、小さな穴を開ける。バッテリーの残量は残り16%。おそらく使えるのはあと1回程度だろう。
壁の向こう側には、電灯の組み込まれた黄色い看板に黒い囲み文字で書かれた「42」「出口」の文字、右方向を示す矢印。そしてその下には
『統合知性体開発研究所 方面』
と書かれていた。
「研究施設…? こんな山の中に」
とつぶやいた。壁の内側を歩いて行くとやがて床からコンクリートがなくなり、自然の地面が露出しだした。どうやら山を覆う横浜駅の中に、閉じ込められた泡のように半径一キロほどの駅外の空間が存在しているようだった。高さ十メートルほどの場所に天井があり、電灯はない。壁と天井の隙間からわずかに光が差しこむだけの薄暗い空間だ。目を凝らすと、周囲に自然の岩がごろごろと転がっているのが見える。
18きっぷのバックライトを懐中電灯代わりにして慎重に歩いていく。目が慣れてきたころに突然、目の前に部屋が現れた。
それは、建物というよりも、部屋自体が直接地面に乗っかっていると言うべきものだった。ドアは明らかに内装向けのもので、壁の一部にはコルクの掲示板やホワイトボードが張られていた。あきらかに外からの雨風を想定していない仕様だ。全体の印象としては、もともとどこかの建物の一部だった部屋をまるごと取り外して、そのまま山中に打ち捨てて、まわりを壁と天井で覆って封印した、という印象だった。超電導鉄道の封じ方に似たものを思わせる。構造遺伝界は超電導物質を嫌うためにあのトンネルを壁で封じた、とネップシャマイは言っていた。
ドアの脇には金属製のプレートに
『統合知性体開発プロジェクト 一宮研究室」
と書かれ、その下には
「不在」
と書かれたプラスチックの板が吊るされている。
ヒロトはゆっくりと「一宮研究室」のドアを開けた。
部屋の電気がついた。目を覆う光のなかで、まず現れたのは巨大なサーバーラックだった。内部にいくつもの板状のコンピュータが挿し込まれ、配線がスパゲッティ状に絡み合っている。
「ジャーン」という荘厳な起動音が響き、サーバー群が動き出した。赤や緑のランプが激しく点滅し、排気ファンが回転しはじめる。おそらくドアを開けたことでセンサーが働いて、部屋全体の電力が復帰したのだろう。
ヒロトはその光景を見て、甲府にあったケイハの部屋を思い出した。だがよく見ると雰囲気は大きく違っていた。機械類は近づくとむせ返るほどのホコリが積り、床には得体のしれないぬめぬめとした物質が広がっていた。あまりに長い時間、この機械類はここで眠っていたのだろう。
部屋の中央には、幅が一メートル近くある巨大な柱があり、そこには縦長のディスプレイが四面に据え付けられていた。「起動中」のマークがくるくると回転し、しばらくすると「データ同期中」に変わった。さらに少し経つと
「そこに誰かいるのかな?」
という声がスピーカーから流れだした。四枚のディスプレイには、机に座った一人のスーツの男が、ニュース番組のアナウンサーのように映しだされていた。男の姿には見覚えがあった。
「…教授?」
「ほう、私を知っているのかね」
「いや、似ているが…おれの知っている教授よりもずいぶん若い。それに声が違う」
「ふむ。この姿は複写時点のものだからな。声は現代式の発音をたった今ダウンロードして自動翻訳している。不自然かもしれないが、なにぶん起きるのは久々なんでね。更新データが浸透するまで少し待ってくれ」
というと、ディスプレイの男は大きなあくびをした。
「私はずっとここで眠っていたようだ。どういうわけか電力供給が絶たれてしまったからね、備蓄を無駄にしないように機能を停止していたんだ。ところで今は西暦何年だ?」
「…セイレキ? 何だそれは」
「ふむ。ずいぶんと時間が経ってしまったようだな。まあ、いいだろう。しかし見たところ君はずいぶん疲れているようじゃないか。のどが渇いてるんじゃないか? 隣の部屋に食料品のストックがあるはずだから、良かったら勝手にやってくれ」
男はそう言うが、どう見ても部屋はここ一つしかない。
「おい、あんたは誰だ? 今どこから話しているんだ? おれは教授に、ここに来れば全ての答えがあると言われて来たんだが、あんたは教授の親戚か何かか?」
「質問を急がないでくれ。私はあまり並列処理性能が高くない」
男はそう言うと、画面に現れた湯のみから茶をひとすすりした。
「順番に答えよう。まず『どこから』ということだが、私はここから話している。いま、君の背後にあるサーバー群だ」
男はヒロトの背後を指した。ラックに積まれたコンピュータ群がファンをきゅるきゅると回転させている。その排気には年代を感じさせる独特の臭気がある。
「人工知能なのか」
「古典的な言い方をするとそうなるな。次に『誰か』ということをだが、私はJR統合知性体の保守管理主体を任されている。いや、任されていた、というべきだろうな。そして君の言っている教授というのはおそらく私のオリジンのことだろう。彼は、JR統合知性体の開発責任者だ」
「開発責任者…? 待ってくれ。統合知性体が生まれたのは、何百年も前のことのはずだろ?」
ヒロトはケイハに聞いた話を思い出していた。
「何百年? ずいぶん待たされたものだな。ラボの連中は何をしていたのだ…? まあ良い。時間はかかったが、どうやら上手くは行ったようだな」
そう言うと、男はまた一口お茶をすすった。
「いいかな。色々と聞きたいことはあるだろうが、まずこちらの結論を言う。今から横浜駅をこの地上から消し去る。君に力を貸してほしい」
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