第13話 JR統合知性体
「むかしむかし」と、二条ケイハはおとぎ話を始めるように言った。
JR統合知性体とは、かつて存在した、日本の鉄道ネットワークをベースにした巨大人工知能である。人間の脳に関する研究から、十分な複雑性を持つネットワークから知性体が構成できるということは古くから知られていた。これを国土を覆う鉄道ネットワークに適用することで巨大な知性を得るというのが、このプロジェクトの概要である。
冬戦争のさなか、戦略用人工知能は各企業がしのぎを削って研究開発を行っていた。東京に巨大なサーバーを置く中枢型や、一般家庭のコンピュータを接続した分散型など様々なものが提案されたが、どれも宇宙からの爆撃やコンピュータウィルスによるサイバー攻撃に耐え得ないという問題を有していた。
そんな中で提案されたJR統合知性体の最大の特徴は、日本列島にあまねく存在するネットワークノード(駅)の過半数を敵側に物理的に押さえられない限り、知能としての信頼性を維持できるという頑健性にあった。さすがに領土の半分を押さえられる頃には戦争が終わるだろう、という考えから、首都制圧も危ぶまれていた日本政府はこれを認可。戦後しばらくも、混乱の続く列島の実質的な統治者として存在し続けたのだ。
「でもある時期から、統合知性体の構成ノードの一つだった横浜駅が自己増殖を始めたの。原因は分かっていないわ。それで鉄道ネットワークが路線沿いに飲み込まれて、人工知能としての機能は死んだ。残ったのは本州を覆い尽くす横浜駅と、機能を失ったかつての知性体のノードだけ、ってわけ」
「つまりJR北海道は、『駅』を掘り起こして、昔の技術に関するデータを取り出したってことなのか。キャンセラーや、シャマイみたいなヒューマノイドの技術も」
「駅のあった場所なら、掘り出すこと自体はそんなに難しくないわ。九州の人たちもやってるはず。でも問題はそこからなの」
JR統合知性体は、当時まだ世界中を覆っていたインターネットに接続しそのデータをネットワーク上で反芻させることで、独自の思考様式と言語体系を生成していた。しかし横浜駅の膨張により知性体が機能停止して以降、その言語は誰にも解読できず、バイナリデータの形で放置されていた。
かつて天才的な科学者の脳を保存して、その頭脳の秘密を探ろうという荒唐無稽な計画があったらしいが、統合知性体のデータを解読するというのはそれと同様に無謀なことだと思われた。
「だけど『ユキエさん』はそれに成功したってことか」
「ええ。ちょっと現実的じゃないけど、可能性としては一番まともなアイデア」
本州の横浜駅化以前の歴史について、ヒロトたちの知っていることは少ない。科学技術は今よりもずっと発展していたが、国と国がたがいに戦争して荒廃していた、ということを大まかに聞いている。そんな時代の技術を掘り起こせれば、それは確かに横浜駅に対抗する手段になりうるかもしれない。
ヒロトはケイハの壮大な歴史談義を聴き終え(半分ほどは理解できなかったが)、
「おれはただの観光客だからな。東山からあんたを助けるように頼まれてたけど、もう18きっぷを貰った義理は果たしただろう。残りの三日は好きにするさ」
「行くアテはあるの?」
「教授に言われたんだ。『42番出口』に行け、ってな。いまいち正確な場所がわからないんだが」
「教授?」
「ああ、うちの岬にいた爺さんだよ。昔はエキナカに住んでいて、どこかのラボで教授をやっていたんだとか。言葉がよく通じなかったので、詳しくは分からないが」
というと、ケイハは怪訝そうな顔で言った。
「言葉が通じなかったの?」
「ああ。なんかこう、日本語っぽいんだけど全体的にちょっと違う、って感じだった。最初はエキナカの話し方かと思ってたけど、ここらへんの連中はおれたちと殆ど違わないし、もっとずっと遠くの方から来たんだと思うが」
「そんなはずはないわ。スイカネットがある以上、言葉なんてどこでもほとんど違わないもの。私の故郷はここからずっと西にあるけれど、いくつかの語彙が違うだけ。通じないほど違うなんて有り得ないわ」
「じゃ、何だって言うんだ?」
ケイハは数秒黙りこんでから
「…わからない」
と言った。長く話していた彼女が「わからない」というのはこれが初めてであるような気がした。
「でも、そのおじいさんの情報は確かなの? 42番出口に何かがあるっていう」
「確かかどうかは分からないな、ボケも進んでいたし。ただ、岬では一番物を知ってる人だったよ。いちど岬で病気が流行ったときも、駅から流れてくるよくわからない袋から役に立つ薬を見つけ出してくれた」
「ふーん…」
と言いながらケイハは端末のキイを叩く。
「42番出口。ちゃんとスイカネットの横浜駅構内案内図にも登録されてるわ。場所はここよりもっと西の方ね」
「ああ、場所が分かるのか。前にエキナカの端末で経路検索してみたけど、経路が見つからないって言われてたんだ」
「…たしかに経路は見つからないでしょうね。ほら」
と見せた。地図は、前にキヨスク端末で見たものよりもだいぶ情報量が多く、ごちゃごちゃしている。そこには「42番出口」と書かれた赤い点が、灰色の太線で囲まれている。縮尺表示によると、囲みの直径は一キロほどだ。
「この灰色は?」
「駅の壁。つまり構造遺伝界の壁で覆われてるってこと。出口に行くための出入口は存在しない。だから経路も出なかったのね。でも」
ヒロトは自分の構造遺伝界キャンセラーを見た。
「遠いのか」
「直線で100キロくらい。平地なら三日じゃ難しいけれど、間にいくつも山脈があるからたぶん問題ないわ」
「高低差があるほうがいいのか?」
「そりゃそうでしょ。エスカレータが生えてるもの」
そういうとケイハは地図をズームアウトする。本州の全域が画面全体に表示される。
「まず南アルプスを横断して、伊那まで降りる。そこから駒ヶ岳に登って、木曽に降りる。あとは一直線に登れる。エスカレータ自体の速度だけなら三日でギリギリだけど、自分の足で歩けば間に合う」
端末にはエスカレータを使った最短経路と、予想時間が表示される。聞いたことのない地名ばかりだ。遠くに行けるということにヒロトは妙な興奮を覚えた。
「この地図はできるだけ最新の情報を入れてるけど、エスカレータの配置は常に変化するからね。いつ出発する?」
「今日はもう遅いから、明日の朝かな」ヒロトは壁の柱時計を見て言った。21時を指している。
「あなたの朝は何時頃?」
「…普段は6時頃に起きてるが」
「なんなら、奥の部屋を使っていいわよ。私はいつも7時から14時くらいまでを夜にしているから」
そう言ってケイハはふすまを開けた。一番奥の部屋には、また何台ものマシンがごうごうとファンの音を立てており、その真中にはきちんと三つ折に畳まれた布団が一組あった。
「助かる。昨日は留置所の硬いベッドだった上に、深夜にそいつに起こされたからな」
ヒロトはネップシャマイの電光板を指した。
「この子については、あなたが起きるまでに出来る限りのことはするわ。でもあまり期待しないでね」
「わかった」
寝具を広げながらヒロトは聞いた。
「なあ、エキナカの…このあたりの人間は太陽を見たことが無いのか?」
「まさか。もっと上の階層に行けば見られるわ。お正月はみんな初日の出を見に来るし、日光浴が趣味って人もいる。私は肌が痛くなるから好きじゃないけど」
「そうか」
そう言ってヒロトはふすまを閉めた。
部屋の電気を消しても、周りのマシンの点滅するランプやファン音、隣室でケイハが作業を続ける音が響いていたが、昨日の夜も明けぬ前から歩きづめだったヒロトはするりと眠りに落ちそうだった。
薄れる意識の中でふと「教授」はその「JRなんとか知性体」の一部だったのではないかと考えた。言葉が通じないのはそのためだったのではないか。だが、人工知能が認知症になったりするのだろうか。
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