第12話 ICoCa直交座標偽装

ICoCa System (直交座標偽装システム)

 体内にSUICAを導入した人間は、その位置情報が常にスイカネットに送信される。使用者がSUICA不正認定された場合、自動改札はその位置情報に従って不正利用者を捕獲する。位置情報は水平座標と垂直座標が別々に送信される(GPS衛星が機能していた時代の名残と言われる)。

 キセル同盟の元リーダー・二条ケイハは、このうち垂直座標を偽装する手法を開発し、甲府の自宅兼店舗である「根付屋」のサーバーから偽装信号を発信し続けている。このため本人は甲府117階層にいるにも関わらず、スイカネットは彼女が最下層にいると認識しており、自動改札もその位置に派遣されている。水平方向の偽装システムは現在鋭意開発中。これらを総称し、直交座標偽装システム Imitation of Coordinate in Cartesian space: ICoCa という。


「つまり、私はいま甲府から出られないの」

 とケイハは説明した。ここから他の都市に移動する場合、どうしても階層構造の薄い場所を通過する必要がある。垂直座標の偽装は横浜駅の厚さの範囲内でしか行えないため、そこで自動改札に見つかってしまうのだ。

「残念だけど、東山って男は半年前に死んだよ。エキナカから来た人間は、外の環境に出ると早死するケースが多い。免疫系がなんとか、って教授は言ってる」

「…そう」

 ケイハは文机の写真を見た。そこには12人のキセル同盟結成時メンバーが写っている。一番多い時では百人ほどのメンバーがいた。サイバー組織にありがちなことだが、彼女が顔を知らないメンバーもいた。

「東山くんたちには悪いことをしたと思ってるわ。人類を横浜駅の支配から解放するなんて大層な題目を掲げていたけれど、もともとは私の個人的な理由でやっていた事なのよ。彼らを巻き込んでしまったのね」

 と彼女は言った。

 同盟が活動していたのは5年ほど前までだという。その活動内容は、主にスイカネットへの侵入だ。

 「スイカネット」は横浜駅に埋め込まれたネットワークで、もともとは自動改札ら駅設備間の情報伝達のために発達したものだった。人間がAPI部分を解読して通信に利用するようになったのは一世紀ほど前だが、その内部構造はほとんど明らかになっていない。

 同盟の究極的な目的は、このスイカネットの通信構造を掌握し、自動改札の行動を支配することだった。自動改札の動きさえ支配できれば、それは横浜駅が人間の手に落ちたも同然であり、支配からの解放を意味していた。いわばキセル同盟とは駅の支配に対するレジスタンス活動であった。同じようなことを考えた組織は横浜駅に幾つかあったが、ケイハの率いる同盟はほとんど唯一実際的な成果を挙げていた。だが破局は突然訪れた。スイカネットへの過度な介入行為が「駅構造の破壊行為」に該当すると判断されたのか、メンバーは全員SUICA不正認定を下されて、自動改札に追われる身となった。

 スイカネットの介入技術を数多く持つ彼女らは、通常の不正者よりもはるかに長く自動改札から逃げ延びたが、結局はみな捕まって駅外のどこかに捨てられた。こうして、ケイハが甲府でICoCaシステムを構築しどうにか落ち着いた頃には、もうメンバーの誰一人として行方がわからなくなっていた。

「…そうか。よく分からんけど、大変だったんだな」

とヒロトは言った。

「東山はあんたのことを本当に尊敬してたんだ。リーダーはすごい、あの人は天才だってずっと言っていた」

 ヒロトは言った。それは九十九段下の住民を見下す発言とセットで行われていたから、彼らにとってあまり良い思い出ではなかったが。

「でも、彼の最後がそれなりに平穏だったのはとても嬉しく思う。わざわざこんなところまで来てくれて申し訳なかったけれど、それが聞けただけでも良かった」

 とケイハは言った。

「ごちそうさま。美味しかった。うどんにカボチャが合うとは知らなかったな」

 ケイハが呼んでしてくれたの出前を食べ終わると、ヒロトは箸をおいた。

「しかし驚いたな。おれの故郷にもスイカネットに接続してデータを拾ってるやつはいたけれど、位置情報の偽装だとか自動改札の行動支配とか、そんな技術があるなんて」

「君の持ってきた物のほうが私にはよほど驚きよ。この子のことももちろんだけど」

 ケイハはネップシャマイの電光板を置いて、構造遺伝界キャンセラーに目を向けた。

「構造遺伝界を消せるなんて…正直、信じられない」

「使って見せてもいいぞ。これもバッテリーが気になるんで、あまり無駄遣いはできないが」

「それなら、ちょうど穴を開けてほしい場所があるわ。頼める?」

「ああ。夕飯の礼もあるしな」

 そう言うなり二人は店の外へ出た。ケイハは店の電灯を消して「本日は閉店しました」という札を立てた。

「店って言っても形だけだからね。一日中機械をいじってても怪しまれないように、電機屋の看板を立ててるだけ」

「自動改札が怪しむのか?」

「まさか。あいつらにそんな知性はないわ。警察の人たちよ。私がSUICA不正判定を受けていることは、人間の道具でもやろうと思えばチェックできるの。そうなると色々面倒でしょ。とくに警察たちは、横浜駅の意思の執行者だなんて名乗ってるわけだから」

 そういうと二人はエレベータに乗り、91階層まで降りた。

 他の階層よりもひときわ厚みのある甲府91階層は、エレベータ付近のわずかな住宅街を抜けると、巨大な果物工場が広がっていた。赤い色の照明の中でぶどうや桃が視界いっぱいに広がる。何人かの工場労働者が歩いているのが見える。

 工場内には動く歩道が張り巡らされている。ケイハについて歩く途中、あちこちに労働者の宿舎らしい部屋が見えた。こんな真っ赤な部屋で暮らしていて目がおかしくならないのだろうか、とヒロトは思った。

 やがて二人は工場の端に到達した。そこにはガラスの隔壁があり、その向こうにはまた別の工場が広がっている。何列ものベルトコンベアーには、機械のアームが流れている。

「なんだここは? 機械を作っているのか」

「ご名答。ここは自動改札の生産工場よ」

 ベルトコンベアの奥の方では、べつの自動改札が流れてきたパーツを黙々と組み立てているのが見える。

「全て自動化されているの。ここに人間はいないわ。工場全体が構造遺伝界を含んだガラスで覆われているの。原材料と完成品を出し入れするゲートが開いているだけ」

 駅の外の住民であるヒロトにとっても、外とエキナカの境界を守る自動改札は昔から馴染み深いものだったが、その生産現場を見るのははじめてだった。

「一体、誰がこんな工場を作ったんだ?」

「横浜駅以前に、こういう自動工場がどこかにあったんでしょうね。それが構造遺伝界に取り込まれて、あちこちに複製されているの。いくつかの都市で同じ形の施設を見たわ」

「自動改札ってのは、横浜駅よりも前からあったのか?」

「そう考えるのが自然ね。横浜駅は自分であんな複雑な構造を生み出せないもの」

 二人はガラス隔壁に沿って工場のまわりを移動した。しばらく歩くと果物工場から離れ、自動改札工場となにもない空き地が広がるだけの場所に来た。

「このあたりに穴を開けられる? できるだけ目立たないところがいいわ」

「これくらいなら問題ない」

 ヒロトは構造遺伝界キャンセラーをガラス隔壁に、人が通れる程度の大きさに照射する。足でどんと隔壁を蹴ると、構造遺伝界が消えた部分だけに綺麗にひびが入った。もう一度蹴ってガラスを割ると、がしゃんと音を立ててガラスが粉々になった。照射量を最小限にとどめたので、電池残量に目に見える変化はない。使い方にも慣れてきたようだ。

「…すごい。本当に構造遺伝界が消えてるのね」

 ケイハは言いながら、破片も気にせずにするりと工場の中に入った。

「どうしても欲しいものがここに沢山あったのよ。運ぶの手伝ってもらえる?」

 ケイハはそこら中に置かれているプラスチックの箱からいくつかの電子部品を取り出し、無造作にコンテナに入れた。次にそこら中の端末にケーブルを挿し、データのコピーをしはじめた。組立作業に従事する自動改札たちは、レジスタンス組織のリーダーにして自動改札最大のお尋ね者であるはずの彼女が堂々と窃盗を行うのを、気付きもしない様子で作業を続けていた。

 モニターの黒画面を見ながら「すごい、通信クライアントのソースある! 今まで廃棄されたチップから取り出したバイナリしか見つからなかったのに」「自動改札ファームウェアのコードはさすがに無いか、あれは戦後に消えちゃったみたいね」と一人で騒いでいるのを見ると、むしろ周辺に住む人間に見つかるのではないか、とヒロトは心配になってきた。

「なあ、好奇心で聞くが、こういう工場を爆弾か何かでバーンと破壊すれば、あんたの目的は達せられたりしないのか? 自動改札の生産が止まって、あんたが自由になったりはしないのか」

「構造遺伝界がある限りは何度でも再生するわ。そのキャンセラーで工場まるごと消したとしても、また別のところに出来るでしょうね」

 愚問だったな、とヒロトは反省した。データのコピーが完了すると、ケイハは端末からケーブルを外した。

「破壊工作なんて意味ないのよ。冬戦争時代のゲリラじゃないんだから」

 一時間ほどですべての作業を終えた。回収物を三つのコンテナに収めると、ケイハは箱の上に「根付屋 電気製品の修理請け負います 117階層で営業中 スイカネットアドレス XXX-XXXX-XXXX 営業時間:不定」と書かれたステッカーを貼り、ふたつをヒロトに持たせた。

 二人はコンテナを抱えて117階層の店に戻った。途中、警察員達がじろじろとこちらを見てくると、ケイハは「お勤めご苦労様です」と笑顔をふりまいた。

「まあ、これでおれの話は信じてもらえただろう」

「ええ。あなたが東山くんの見つけた18きっぷでここに来たって事も、JR北海道の電光板君のことも」

 集めてきたデータを自分のコンピュータに転送すると、ケイハは再びネップシャマイの復旧作業を続けた。

「でも、悪いけどちょっとこの子は厄介ね。インターフェース部分はAAT互換だけど、内部構造が見たこと無い形をしてるの。下手に電力を加えると、データの方が飛んじゃいそう」

「確か、主記憶装置で、ヒトの脳に似たなんとか、って本人が言ってたな。『ユキエさん』の技術なんだとか」

 だとすれば主記憶装置のデータはシャマイの人格そのものであるわけで、それが飛んでしまっては、ヒューマノイドにとっては死と同義なのだろうか。彼が自分の死をどう捉えているのかは分からないが。

「キャンセラーもその人が開発した、って言ってたよね」

「ああ。すごい技術者なんだな」

「…あのね。私はここ十年以上ずっとスイカネットの情報を収集・解読していて、その中にはJR北海道の機密通信も結構流れていたけれど、数年前までの技術水準は、九州の方とほとんど違いがなかったのよ。それがある時期から急に通信がなくなったの。正確には、解読できない形になって他のデータに埋もれるようになったの」

 数年前といえば、青函トンネル防衛線が突破され、JR北海道が壊滅したという噂が流れた時期だ。通信が見えなくなったことが、そのデマの拡散に一役買っていたのだろうか。

「それ以来北海道の技術情報は追えていなかったんだけど、ひとり優秀な技術者が現れたくらいで、そんな高度な人工知能とか、人と間違えるほどのロボットとか、ましてや構造遺伝界を消すとか、そんな多分野にわたる実績が数年で出ることはあり得ないの。マンガじゃないんだから」

「つまり、どういうことだ?」

「まず考えられるのは、『ユキエさん』というのが個人の技術者ではなく、大勢の技術者集団、または代表者である場合。でも、そんな集団が急に現れるってのもやっぱり不自然ね。

 もっと現実的な考え方は、『ユキエさん』は自分でその技術を開発したわけではなく、既に開発されていたものを見つけ出した、ってこと」

「誰がそんなものを?」

「そもそもその電光板君は、はじめて見るはずの超電導鉄道を制御してここまで来たんでしょ? それがおかしいの。超電導鉄道に関する技術情報なんて、スイカネットのどこにも残ってないのよ。私が見つけられなかったんだから、間違いないの」

 そういうものなのか、とヒロトは納得することにした。

「ましてや、歴史的に超電導鉄道の無かった北海道に情報が残ってるとなると、可能性はひとつしかない」

 ケイハは語気を強めて言った。

「JR統合知性体。その『ユキエさん』は、統合知性体の言語を解読したのよ」



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