第11話 甲府階層都市
甲府は横浜駅有数の巨大都市である。地図上で逆三角形をなす広大な甲府盆地には、まさに盆に水を注いだような形で厚さ数百メートルの横浜駅が発達し、層状の都市構造体には本州の実に10%以上の人間が生活している。
横浜駅の膨張にともない海上輸送がほぼ消滅した今となっては、東京のような臨海都市よりも、都市間ネットワークのハブとなる内陸都市が発達しやすい。またエキナカの都市の規模は人間の都合に応じて拡張できないため、関東の平野部よりも、立体的に発達する盆地のほうが収容力の大きい都市になりやすいのだ。
このような層状都市では、上層部ほど人が集まりやすく、地価も高い。外部へのアクセスが良いからだ。また人間が上層に集まるほど、さらなる上層部の生成が促される。これも盆地に注がれた横浜駅の巨大化を促す要因となっていた。
反面、都市の下層はほとんど誰も顧みない場所となっていた。ましてや最下層のすぐそばに、超電導鉄道の跡地が走っていることなど誰も覚えていない。
この誰もいない最下層の広場に、6体の自動改札が集まって何もない空間を取り囲んでいた。彼らはしきりにその金属製の両腕を伸ばし、6体のなす円の中心にいる、何もない何かをつかもうとしていた。
「あなたのSUICAは不正認定されています。強制排斥を実行します」「ご不明な点があればお近くの駅員にお申し出下さい」
「あなたのSUICAは不正認定されています。強制排斥を実行します」「ご不明な点があればお近くの駅員にお申し出下さい」
「あなたのSUICAは不正認定されています。強制排斥を実行します」「ご不明な点があればお近くの駅員にお申し出下さい」
そのとき、広場の隅にあるコンクリート壁がふいにぼこりと音を立てて崩れ、中から埃まみれになったヒロトが出てきた。自動改札どうしは互いに目で指示を出すと、6体のうち2体が男へ近づいてきた。
「横浜駅へようこそ。お客様のSUICAが確認できません。申し訳ありませんが、SUICAもしくは入構可能なきっぷのご提示をお願いします」
そう言われたヒロトはカバンから箱状の端末を取り出し、自動改札に見せた。そういえばこの18きっぷ、期限が切れしだいネップシャマイに渡す約束をしていたな、と思い出した。今となってはどうすればいいのか分からない。
「18きっぷを確認しました。有効期限は残り3日と11時間です。本日も横浜駅をご利用いただき誠にありがとうございます」
2体の自動改札は恭しく頭を下げると、また先程の輪に戻り、何もない空間に向かって「あなたのSUICAは不正認定されています。強制排斥を実行します」と腕を振り続けた。センサーの故障でも起きたのだろうか、と思いながらヒロトは彼らの横を通って、広場の反対側にあるエスカレータを使って上へと向かった。
人がいっぱいいた。物がいっぱいあった。
横須賀や大船もヒロトの感覚からすれば都会だったが、甲府はスケールが違った。メインの通路の両脇には、アパレル店、喫茶店、生鮮食品店、レストラン、書店といった店が立ち並ぶ。すれ違う人と肩をぶつけないように気をつけながら、ヒロトは電気製品を扱う店を探した。
「なかやま生体電機店」「お子様が6歳になる前にSUICA導入を!当店は甲府のどこよりも安い仲介料で導入手続きを行います。当店より安い店があればご連絡下さい」
という看板の前で立ち止まると、店主らしい中年男が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。御用でしょうか?」
「ここはSUICAを入れてくれる店なのか?」
「ええ。SUICAの仲介もやっておりますよ。お子様のSUICA導入でしょうか?当店はいまならデポジット込みで57万ミリエンで承っておりますが」
「いや、今は必要ないんだが」
ヒロトは少し迷って、聞いてみることにした。
「ちょっと聞きたいんだが、6歳までにSUICAを入れずに外に捨てられた子供が、成人したあとにSUICAを入れる方法ってのはあるのか?」
「うーん、まず捨てられた子供がそこまで成長することがあまり無いですし、いてもSUICAの導入にはデポジットが必要で、当然SUICAを持ってないので支払えないんですよ。中に身元引受人がいて、代わりに払ってくれれば別ですが」
「やったことはあるのか」
「そうですねえ、うちでは無いですが、聞いた話によると」
そう前置きすると、店主はちょっと声を抑えて、周囲の目をはばかるようにして「聞いた話」をはじめた。それは生体電機業者の間で語られる、出処のよくわからないうわさ話だった。
むかしむかし、あるところに金持ちの男がいた。彼はある日、甲府の近くにある小さなエキソトに捨てられていた9歳くらいの女の子を見つけた。親が貧乏なのか家庭の事情か、デポジットを払えずに外に捨てられたあと、廃棄される食べ物をあさって生き延びていたようだった。男はそれを見て「かわいそうだ」と言い、業者を呼んで女の子にSUICA導入の処理を行わせ、自分の養子として育てた。まわりの人達は、彼が人格者だと感心していた。
ところが、その男はいわゆる小児性愛者であり、その少女に夜の相手をさせていた。少女ははじめのうちは従っていたが、ある日、男の眠っている隙に、彼の家(当時の最上層でかなり広い面積を専有していたらしい)から逃げ出そうとした。
男が目を覚まし、少女が逃げたことに気づいて追いかけると、少女はとっさに廊下にあった花瓶を男に投げつけた。男は怪我を負った。少女はそのまま家から逃げ出し遠くへ逃げた。ところがそこに自動改札が現れて、少女に暴力行為によるSUICA不正認定を行った。こうして少女はふたたび駅の外に捨てられた。こんど捨てられた場所は食べ物もなにもないところで、しばらくすると少女は死んでしまった。
「結局その男は、事を大きくするのを恐れて少女は病死したことにしたそうですよ」
と生体電機店の男は言った。
「ひどい話だ」
「ええ、長く外で暮らしていたせいで、エキナカの法律を分かっていなかったのでしょうね。かわいそうに」
「…もうひとつ聞きたいんだが、これを充電する道具はないかな」
ヒロトはカバンからネップシャマイの電光板を取り出した。超電導鉄道を抜けて以来、電光板はその饒舌な赤い光を止めて、静かに眠っていた。
「うーん、見たことない端末ですね。どこのメーカーですか?」
ヒロトは口をつぐんだ。JR北海道のものだなんて言ったらどんな面倒があるか分からない。
「まあ、こういう訳の分からないものは、117階層の『根付屋』って店に持って行くといいですよ。あそこは変なものをいっぱい扱ってますから。そこのエレベータで上の階層へ行けますよ」
「わかった」
ヒロトは店主に礼を言うと、店を出た。
ひとまず、おそらくバッテリーの切れたシャマイを復活させないことにはどうにもならない。情けない話だが、甲府に行くというアイデアを思いついたのも、その手段である超電導鉄道を見つけ出したのも、それを操縦したのも、みな彼の仕事であり、ここで一人残されてもヒロトにはどうしようもないのだった。
117階層まで直通エレベータは無い。この巨大階層都市のエレベータは、垂直状に適当なスペースがあるところに、30階層分ほどをぶちぬく形で生える。人間の行き来が多い層はそれを認識してエレベータが増えるようだが、空いているスペースはそう多くないためあまり融通は効かない。ヒロトは「なかやま生体電機店」のある59階層から117階層にたどり着くまで、何度もエレベータを乗り換えることとなった。
どこの階層にも自動改札が何体もいたが、どれも座ったままで動かない。8歳前後の兄弟二人が、自動改札をべたべた触り、母親が「ほらほら、早く行かないとお店閉まっちゃうでしょ」と急かしている。
ところが弟が「しゅまいパンチ!しゅまいパンチ!」と言って自動改札の腰のあたりを殴り始めると母親が顔色を変えて止めた。「駅設備を殴っちゃいけません!」と怒鳴ると、周囲の人が一斉に親子のほうを見た。警察員が来て「なんかありましたか?」と聞き、母親が事情を説明すると「大丈夫ですよ、お子さんが殴ったくらいなら自動改札は反応しませんから」「でも君、ちゃんとお母さんの言うことを聞かないとダメだよ」と優しく諭した。母親は子どもと一緒に頭を下げた。その間、自動改札の顔のディスプレイはずっと沈黙したままだった。
エキナカの監視はスイカネットに接続したカメラ等で行われ、自動改札はあくまで実行部隊である。何か問題が起きたときにすぐに移動できる場所にいればよく、甲府のように慢性的に混雑した場所ではずっと壁に座って充電を行っているのだった。せわしなく動き回っているのは、制服を着た警察員のほうだった。ヒロトは警察員を見て、横須賀や大船で見た連中とは制服のデザインがだいぶ違うな、と思った。
117階層のその店は、「根付屋」と古めかしい行書体で書かれた看板に始まり、時代劇から飛び出してきたような純和風のテイストを全面的に出していた。「機械修理全般承ります」という張り紙がなければ、とても電機屋には見えない。
「はい、いらっしゃいませ」
店の中に座っていた女が、ヒロトに気づいて声をかけてきた。ジャージの上に前掛けをつけて、髪が長く眼鏡をかけている。歳はヒロトよりも少し年上くらいに見える。
「こいつを充電したいんだが、そういう道具はあるかな」
ネップシャマイの電光板を差し出した。彼女は電光板の背面を一瞥すると、
「えっ、これってAAT互換機じゃないですか。こんなものどこから掘り出してきたんですか? 横浜駅じゃもうずっと使われていない規格ですよ」
と言った。
「事情が説明しづらいんだが、とにかくそれを動かさないととても困るんだ。ダメだったら他の店に持っていくから」
「うちでダメだったら甲府のどこに持って行っても無理ですよ。まあ、そこに座ってて待っててくださいね」
彼女はそう言って、店のカウンターの前の椅子を指すと、自分は奥の部屋にひっこんで和箪笥の引き出しをあさりはじめた。引き出しの中にはケーブルが山のように押し込まれていて、一度開いたものを閉じるのも難儀そうだった。
「AAT互換機、性能はすごく良いので戦前から使われていたんですけど、横浜駅が生産設備を生産しなかったせいでロストテクノロジー化しちゃったんですよ。北海道の方じゃまだ作ってるって話を聞くんですけど、スイカネットとの通信にアダプタが要るのがやっぱり問題で…」
彼女はケーブルを見繕いながら早口で技術用語を並べ立てた。話しかけているというよりも大きな独り言を言っているようだった。教授を思い出すな、とヒロトは思った。話に適当に「ああ」「へえ」と相槌をうちながら、店の周りをきょろきょろと見回した。彼にはまったく理解できない機械部品が店中に並んでいる。ヨースケを連れてくれば喜ぶかもしれない。
ふと部屋の隅にある文机のうえに、写真立てがあるのが目に入った。ディスプレイではなく印刷された写真だ。10人ほどの若い男女が写っている。真ん中に写っているのがこの店員の女だ。今よりも十歳ほど若くみえる。その横に、見覚えのある顔がひとつあった。
「ちょっと待ってくれ」
ヒロトが言うと、彼女は手を止めて彼の方を見た。
「この男と知り合いなのか?」
ヒロトが写真を取って、その知った顔の男を指差す。
「…東山くんを知ってるの?」
「ああ。一年ほど前に、おれの故郷にその男が現れたんだ。キセル同盟という組織に所属していたが、自動改札に追われて逃げてきたんだと。で、おれはそいつに彼らのリーダーの捜索を頼まれてここまで来たんだ」
「リーダーの捜索」
彼女はケーブルの塊を畳の上に放り出して、カウンターに戻ってきた。
「ああ。自動改札から身を隠しているはずだから、助けてほしいと」
「あなたの故郷ってどこにあるの?」
「ここからずっと東の岬だ。九十九段下というところだ」
「つまり、あなたは東山くんに頼まれて、そんな遠くからはるばる私を探しにきてくれたってこと」
そういうと彼女は、写真を写真立てから外して裏面を見せた。裏にはこう書かれている。
『キセル同盟 結成時メンバー』
ヒロトは目を丸くしてその文字を見て
「…そのはずなんだが」
と言ってから、次に店の外を見た。わずか数十メートル先のところに、自動改札がどうどうと座っている。
「どうも話が違うな。あんたは追われてる身だと聞いたんだが」
「ええ、追われてるわ。おもいっきり」
彼女はしれっと言う。
「いろいろ聞きたいことがあるけど… まず自己紹介ね。私は二条ケイハ。キセル同盟のリーダーをやっていた者です。よろしく」
ケイハはそういって首だけでお辞儀をした。「三島ヒロトだ」とヒロトは困惑しながら答えた。自分こそ聞きたいことが山程ありそうだ。
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