第3話 スイカネット

「エレベータを使うなら500ミリエンだよ」

ドアの前に構えている太った中年女は面倒くさそうに言った。

「往復なら800ミリエン。安くしとくよ。歩いて久里浜まで行ったら2時間はかかるよ」

九十九段下から伸びる「横浜駅5772156番通路」を北上すること30分。賑々しい場所を想像していたエキナカにほとんど人の気配がなく、歩きまわっているのは自動改札ばかりで、不安になってきたところで最初に遭遇したのがこのエレベータ管理人だった。

「エレベータ?」

ヒロトは聞いた。目の前にあるのは金属製の扉だった。ガラスの窓がついていて高さは1メートル、幅は3メートルほどの棺桶のような小部屋が見える。扉は上下に開閉するらしい。「定員6名」と書かれたプレートが、なぜか横倒しになっている。

「乗り物なのか?」

「そうだよ。お兄ちゃんエレベータは初めて? これに乗れば久里浜の岬まで20分で行けるよ。こいつはまだ生えて10年も経ってないから、揺れも少なくて快適だよ」

久里浜という場所はヒロトも知っていた。九十九段下から船で東に行くとある海岸だが、九十九段下よりも横浜駅がせり出していて土地が狭く、定住者はいない。岬の漁師が道具をおく小屋があるほか、夏になるとエキナカ民の何人かが海水浴目当てで現れる。

「いや、そっちへ行きたい訳じゃないんだ。それより道を聞きたいんだが、42番出口というのはどこにあるんだ?」

「42番? そんな若い番号は聞いたことないねえ。道を知りたいならそこの端末を使うといいよ」

中年女は通路の奥のほうを指した。そこには自動改札から両腕を外したような端末が座っていた。両脚は壁に固定されており、どうやら歩行しないタイプらしい。

「あと、横須賀まで行けば人がいっぱいいるから、そこで聞いてみるといいかもね」

「横須賀か。そこまで行けるエレベータは無いのか?」

「そんなのは見たことないねえ。エレベータもあんまり欲しいところにゃ生えてくれないんだけど、いいところに生えると大手の会社とかヤクザもんの取り合いになるからねえ」

と彼女はため息をつく。

「ここはあたしの旦那が最初に見つけたんだけど、ほとんど誰も来ないから楽なもんだよ。儲けもほとんど無いけどね。あたしの旦那はもともと駅の探検家でね、駅に埋もれたお宝を探すって意気込んでたんだけど、もうちょっとまともに働いてくれりゃよかったんだけど、結局見つけたのはこのエレベータくらいでねえ」

中年女は話し続けた。恐らくこんなところで一人でエレベータ番をしているので、話し相手に不足しているのだろう。

「あんたもあまりそんな変な格好であまりウロウロするんじゃないよ。ただでさえ最近は北部の工作員が出るってんで、警察がピリピリしてんだ」

「警察? 何だそれは」

ヒロトがいうと中年女は首をかしげて

「あんた警察も知らんの? 警察ってのはねえ、悪いことした人を捕まえる人だよ」

と子供に教え諭すように言った。

「自動改札のことか」

「ああ? 何いってんのよ。警察が自動改札のわけがないでしょ」

「それもそうだな。わかった。どうも」

ヒロトはそこで会話を打ち切った。あまりに自分の無知が知れると、SUICAを持たないエキソトの住民であることがバレて面倒になりそうだったからだ。服装も改めたほうがいいかも知れない。ヒロトの着ている服は、横浜駅から廃棄されたものを収集したり継ぎ接ぎしたものだが、エキナカの感覚からすれば相当に古いもののはずだ。


設置式の端末はずいぶん昔に生えたものらしく、筐体の塗装は剥がれ、金属部分はところどころ錆び付いていた。画面に触れると

『横浜駅スイカネット☆キヨスク端末』

というポップ体のテキストと、その下にボタンが2つ表示された。

『有料会員として使用(SUICA認証が必要です)』

『無料で使用(CM動画が流れます)』

ヒロトは「無料で使用」を押した。とたんに両脇のスピーカーから大音量で楽しげな音楽が流れだした。画面には見慣れた黒富士の動画が映しだされた。どうやら九十九段下よりもかなり近距離で撮ったものらしい。

「この夏休み、ご家族で富士山に登ってみませんか? 年々標高が上がり続けて現在は4050メートル。一度登ったかたもぜひリトライ。全経路エスカレータ完備で子供やお年寄りでも簡単に登れます! 宿泊・お食事施設つきのプランで、お一人様3万5000ミリエンから。お問い合わせ先は、スイカネット番号 0120-XXXX-XXXX まで」

けたたましい音をたててCMは唐突におわった。それから画面が切り替わる。

「何をお探しですか? (1)物を探す (2)人を探す (3)場所を探す (4)仕事を探す (5)フリーワード検索 (6)ホームに戻る」

ヒロトはしばらく考えて「人を探す」でリーダーを探すことを考えたが、そもそも自動改札から逃げまわるような人間がスイカネットで簡単に見つかるとは思えないし、むしろ探している自分に危険が及びそうな気がした。「場所を探す」を押し、

「42番出口の場所を教えてくれ」

とマイクに向かって話した。

『42番出口、検索中………』

砂時計のアイコンがくるくると10秒ほど回転し、検索結果が表示された。

『1件がヒットしました』

表示された地図はきわめてシンプルだった。 どうやら山岳地帯らしく等高線が書き込まれ、そのなかにぽつんと「42番出口」と書かれた点があるだけだった。「広域」ボタンを押して最大限にズームアウトしても、等高線がいくらか密になるだけで大まかな場所がわからない。そもそもこの駅構内案内システムは、画面全体が1キロ四方になるような地図までしか対応していないようだった。ヒロトはしばらく考えて

「行き方は? 経路と所要時間を教えてほしい」

というと

『現在地から42番出口までの経路を検索中…』

と表示され、1秒も待たずに結果が出た。

『経路が存在しません』

「どういうことだ? 遠すぎるのか」

しかし端末はその質問には答えなかった。『やりなおし』のボタンを押すと画面が最初に戻り、ふたたび大音量でのCMが始まった。ヒロトは何度もその操作を繰り返したが、42番出口の行き方についての情報にはいっこうに辿りつけなかった。そのうちにCMを見るほうが面白くなってきた。結局30分ほど端末と格闘した末に得られた情報は


・42番出口は、人里離れた山の中にある

・横浜駅の主要な観光地は、富士山のほかに、横浜駅発祥の地である横浜市、松島の大堤防、伊勢神宮、古代都市名古屋の遺跡などがある

・横須賀地区の名物はカレーライスであり、つい先週に新店舗「海自」がオープンし、開店セールで大盛り400ミリエンなので必ず行くべきである

・横浜駅放送の人気アニメ「しゅまいくん」の劇場版「しゅまいくん、宇宙へ行く」が来週公開する

・しゅまいくんとは未来の世界からやってきたしゅうまい型ロボット(フードロイド)だったが、子供に残されて捨てられて地縛霊化した妖怪であり、食べ残しをする子供を見かけると必殺100万ボルトを食らわせる


というものだった。ひとまず重要なことは、横須賀というのがこの付近での中心的な都市だということだ。頭上の案内板によると「横須賀まで12000m(150分)」とある。ふだん足場の悪い岬を歩き慣れているヒロトにすれば、こんな舗装されて平坦な道なら楽に歩けそうな距離だ。ヒロトは歩き出した。

 九十九段下から北へ向かう通路は、床にホコリが積もり、点字ブロックは剥がれ、天井の電灯も点滅を繰り返していた。窓から差し込む光がなくなれば懐中電灯が要るのではないか、と思うほどの暗さだ。さっきのエレベータ管理人が言っていたように、歩く人がほとんどいないのだろう。

「エキナカ、もう少し綺麗なところだと思ってたんだがなあ」

とつぶやいた。ヒロトの持つエキナカのイメージは、ヨースケがたまにスイカネットから拾ってくる画像のそれであり、つまり多くの人が行き交う大都市のものだった。人が多く行き交う都市間はどんどん新しい通路が生成され、都市間の接続は酷使された筋肉のように太くなっていくのだ。

 一方、ヒロトたちの住む九十九段下の近辺はエキナカ住民にほとんど用のない場所だった。いわば横浜駅の盲腸のような場所なのだ。たまに来るのは久里浜の海水浴客のほかには旧道マニアくらいだ。彼らは駅の壁に生成される看板や広告を見て、その時代性に興奮するのだった。

 とにかく横須賀まで行こう。そこまで行けば何かあるだろう。とヒロトは思った。


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