第2話 追放者
「キセル同盟」の男が九十九段下に現れたのは、ヒロトの旅立ちの一年ほど前のことだ。
東山と名乗るその男は、三十歳くらいので小柄で色白で目が細く、動物のキツネを思わせる風貌をしていた。
「おれはツイてる方だ。同盟の仲間たちはみんな内陸部で『自動改札』に捕まっちまった。おれは命からがら海沿いまで逃げてきたんだ」
岬の漁師に助けられて九十九段下に来た日、彼はそう言った。
岬のまわりは海岸すれすれまで横浜駅がせり出しているが、干潮時にはいくらか歩ける幅ができる。東山は、SUICA不正判定を受けながらもなんとか自動改札から逃げ延び、鎌倉あたりで捕まって海岸に放り出された。そこから人里を求めて、九十九段下まで歩いてきたのだという。
「内陸部で捕まるとどうなるんだ?」
とヒロトが聞くと、そんなことも知らないのか、という顔で
「自動改札はべつに不正利用者を殺害するわけじゃない。麻酔で眠らせるなりロープで拘束するなりして、最寄りの駅外に追い出すだけなんだ。だからこそ、内陸部で捕まると非常にまずい」
本州のほとんどが横浜駅で覆われた現代でも、内陸部には穴ぼこのようなエキソトが各地に点在しているという。そして不正利用者を捕まえた自動改札は、その場から最寄りのエキソトにその利用者を機械的に放り出すのだった。大抵の場合、そこは山岳部の不毛地帯で食べるものもなく、追放者はそこで寒さなり飢えなりで死ぬのを待つしかない。
一方、海岸に追放されれば、とにかく海沿いに歩けば九十九段下のような人里にたどり着ける可能性があった。だからその男は、自動改札の目を盗んで命からがら海沿いまで逃げてきたのだった。
「おれの罪状は、横浜駅に対する反逆行為だ」
東山はそう誇らしげに言った。他のケチな不正利用者とは違う、ということを言いたいようだった。
SUICA不正利用による追放者が九十九段下に流れてくるのはそう珍しいことではない。追放の原因でいちばん多いのは、他人を傷つけたり殺したりといった「駅員および他のお客様への迷惑行為」であり、その次が「器物破損」だった。こういう追放者の多くはエキナカ社会の底辺層で、教授のように言葉が通じないケースは稀としても、岬に来てもあまり自分の話をしないタイプが多かった。そういうわけで、エキナカの事情を九十九段下の住民はよく知らない。
そんな中で、東山は例外的に饒舌な男だった。ヒロトをはじめ岬の人々は、最初のころは彼の話を聞きによく集まった。彼は「キセル同盟」と呼ばれる組織に所属していたという。
「その同盟ってのは、つまり何を目的とした同盟なんだ」
とある者が聞くと
「何ってそりゃ、人類を横浜駅の支配から解放することだよ。決まってるだろう」
という。何がどう決まっているのか分からないが、そういうものなのだろうかとヒロトは思う。
「解放ってのは何だ? 単に駅の外に出るというのは違うのか。お前らはSUICAを持ってたんだから、自由に出入りができたんだろう」
「あんた方に理解してもらうのは難しいだろうけれど、人類はもともと駅を支配していたんだぜ。俺たちのリーダーはいつも言っていた、駅に支配される生活を終わらせようって。あんたらもこんな駅の廃棄物を漁る生活からいつか抜けださなきゃいけないんだよ」
こういう具合で、彼はいつも九十九段下の住民を見下すような物言いをしていたので、最初は熱心に話を聞いていた住民もしだいに彼への興味をなくし、数ヶ月もすると話を聞いているのはヒロトだけとなった。
しばらくして冬が深まると、東山はどんどん体調を崩していった。もともとエキナカから来た人間は、外の環境に長く耐えられないことが多かった。教授は「免疫系」という言葉を使って何やら難しい説明をしていたが、ヒロトはそれを「エキナカの快適な環境で育ったので体が弱い」という程度に理解していた。
「あんたに頼みがある」
彼がいよいよという段階になって、看病していたヒロトに声をかけた。
「おれたちのリーダーを助けてほしい。あの人は今でも横浜駅の中で、自動改札から身を隠している。仲間たちはみんな捕まっちまった。あんたしか頼れる人がいない」
「助ける? どういうことだ」
彼はヒロトに、手のひらに収まるサイズの箱状の端末を手渡した。
「18きっぷだ。エキナカの古い階層から見つけだしたんだ。これを持っていれば、SUICAを体内に入れていない人間でもエキナカを自由に歩ける」
ヒロトはそれを受け取った。18きっぷはその大きさに似合わずずっしりと重かった。「有効期限 利用開始から5日間」と画面に表示されている。
「リーダーならきっと何とかしてくれる。あの人は天才なんだ。きっとエキナカも、この村も、みんな横浜駅から解放してくれる」
そう言って彼は息を引き取った。
手渡された18きっぷのことを、まずヒロトは岬の酋長に報告した。有効期限が一人で5日間となれば、自分以外にも誰かふさわしい人間を募ってみるべきではないか。だが酋長は「お前は子供のころからエキナカの世界を見てみたいとずっと言っていたろう、お前が行くと良い」という。他の者たちも特に文句はないようだった。みんなエキナカに興味はあっても、それ以上にあの自動改札の恐ろしげな顔を思い出して萎縮してしまうようだった。
唯一ヒロトの旅立ちに不満を呈したのが、酋長の姪にあたるマキだった。ヒロトが自分の家でそのことを彼女に話すと
「どうしてそんな危険なことをするの? そもそも、あの人に義理立てする必要なんて無いでしょう」
ふだん冷静な彼女は、ヒロトが一人で勝手に旅立ちを決めたことに相当機嫌を悪くしていた。
「べつに義理立てしている訳じゃない。おれが勝手に行きたいだけだ。リーダーを助けるとかそういうのは、行きがけの駄賃だ。まあ、どこにいるのかも分からないしな」
「そうね。あなたは結局、この岬が嫌いだったわけでしょう。だからこういう脱出する機会を待っていたの」
「……ちゃんと戻ってくるよ。そもそも5日間しかエキナカには居られないんだ」
「どこか別の出口を見つけて、そこで過ごしたほうがいいよ。せっかくのチャンスなんだからさ」
マキはそう言うなり家を出て行った。入れちがいに教授が現れた。口論で大きな音をたてていたのを不審に思ったらしい。ヒロトは教授に、自分が18きっぷを手に入れて、エキナカへ旅立つことを決めた、と告げた。
「ほう。つまりお前は、エキナカに旅立つことにしたのだな」
ひととおりの話を聞くと教授はそう言った。普段ぼんやりとどこか遠くを見ているこの老人が、いつになく目を見開いて真剣に言った。
「ああ」
「夕飯には戻ってくるのか」
「そのつもりだ。いつの夕飯になるかは分からないが」
「いつ行くんだ」
「準備ができ次第」
「どこに行くんだ」
「まだ決めてない。人探しを頼まれてるけど、どこにいるのかも分からないし」
「42番出口に行け」
「……42番」
「そこに全ての答えがある」
教授が何を知っているのかヒロトには分からなかった。もうすっかり頭が鈍ってしまい、支離滅裂なことを言うことも多かった。だが彼はときどきこうやって、確信にみちた、予言めいたことを言うのだった。
「42番出口、どこにあるんだ、そりゃ?」
「横浜駅にある」
「横浜駅はそこらじゅうにある」
「そうだ。そこらじゅうにある。そこにもある」
といって教授はエスカレータの方を指した。「横浜駅 141592番出口」と書かれた看板が掲げられている。
ヒロトは荷物をまとめた。といっても持ち物はほとんど無かった。武器になるようなものを探したが、少なくとも自動改札に対抗できそうなものは何も無かったし、漁師の使う銛などを持っていったところでエキナカの住民に警戒されるだけで意味はなさそうだった。結局、当座の食料と水と、いくつかの身の回りのものだけを、愛用の肩かけのカバンに入れて持っていくことにした。
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