群馬編9話 山体
「ごっそりと削れてますねえー、先生」
と駅員は言った。やたらと語尾を伸ばすのが特徴的な若い女だ。おそらくニジョーよりもいくらか年下なのだろうが、青目先生ほどの年になると、若者の年齢というのがよく分からなくなってしまった。
「ん? 何と言ったんだ」
「ごっそりとー、山が削れてしまいましたねー」
「ああ、失礼」
と青目先生は少し頭を下げた。屋上では横浜駅内部と違って音が響かず、近距離でも声がよく聞き取れない。あの声の大きいニジョーと喋っていたせいで、少し耳が遠くなったのかもしれない。
「山体崩壊、というやつだろうな」
と手で太陽を遮り、目を細めながら言った。
嬬恋の屋上部分から見ると、浅間山の北部がスプーンでえぐられたように消滅していた。その爪痕の底には、おそらく駅構造であった瓦礫が沈んでいて、表面が凸凹になっているのが遠くからでも伺える。
動かざるものの象徴のように言われていた自然山がこうもダイナミックに変動するとなると、駅構造と自然地形の違いがどこにあるんだろう、と青目先生は思う。
山頂からの噴煙がようやく収まり、横浜駅屋上には火山灰が数センチほど積もっているものの、天気は突き抜けるような青空が広がっている。季節のないエキナカで過ごしている住民たちには今が春なのか秋なのかもよく分からないが、快適な気温である事は確かだ。
ただ青目先生は、青空というものがあまり得意ではなかった。太陽の出ている日に屋上に出ると、目が開けていられないほど痛くなるのだった。同じエキナカ住民でもそういう者は少ないので、おそらく自分の青目のせいなのだろう。
「先生のー、お家もあのあたりに?」
「ここから見る限りではよく分からないが、恐らくそうだろうな」
「……それは、ご愁傷様ですー」
と彼女は悲しそうな顔で言った。青目先生が父親から受け継いだ蔵書は、おそらくあの瓦礫のどこかに埋もれているのだろう。だが彼にはいまいちその実感が沸かなかった。
噴火による危機を救ったことで唐突に地域の指導者に祭り上げられた青目先生には、常にひとりの駅員が同伴するようになっていた。これは自分たちの指導者に、すぐに意見を仰げる(より正確には、自分たちの施策に承認をとりつけられる)からだ。
北側斜面に暮らしていた者たちが麓まで避難してきたせいで、小さな町に人間が集中し、食料や医療などあらゆるインフラが不足していた。また山の斜面が通行不能になったため、人間の移動経路も大きく変更になり、ふだん人通りのない場所を大勢の人間が通るようになった。
当然ながらあちこちでトラブルが発生し、そのたびに駅員たちが動き回るようになったのだが、重要な決定になると彼らが青目先生の裁可を仰いでくるようになった。つまり、彼の名前で承認を出すと、住民の納得がスムーズに行われ、トラブルが少ないとの事だった。
「自分は若いのでー、まだ人間の政府があった時代というものを知らないのですがー」
と駅員が言った。青目先生もそんな時代は知らないが、ひとまず頷いた。
「やはり顔の見える指導者っていうのがー、こういう時代にも必要だと思うんですよー。とくに災害の時はー、先生みたいな優しそうで頭の良さそうなおじいさんが、大丈夫だと言ってくれるだけで、やっぱ安心するんですー」
「そうか」
青目先生は頷いた。
「で、被災者の統計は出たのか」
「はいー。我々の戸籍と照合したところー、死者52名、負傷者が288名ですー。災害の規模を考えると奇跡的な少なさである、と当局では申しておりますー。死者はほとんど山の北側の住人ですがー、生存した方は自動改札に運ばれてきた人が多かったとー、証言しておりますー」
と彼女は手元の端末も見ずにテキパキと言った。
Suika の登録とは別に彼らは独自の戸籍を作っており、人間が管理しているという点でこういう場合に Suika よりも便利と言えた。少なくともニジョーのように、スイカネットに直接干渉できる技術者が多くない限りは。
ただ彼女たちが何を基準に「奇跡的に少ない」と言っているのかは分からなかった。同等の自然災害がこれまでエキナカで起きたことはなく、比較する対象があるわけもないのだった。
「自動改札の動員はうまく行ったようだな、ニジョー君。大したものだ」
と青目先生は言った。ニジョーはその頃、
「まあ、うまく行ったかと言われると、半々ですね。半々というのは助けられた人数が半々というわけではなく、自動改札の数ベースという事ですが」
とニジョーは説明した。
「制御フラグの反転が確率的にしか成功しないんですよ。Suika の有無と、追い出す方向ですね。両方反転すれば、Suika を持ってる人を山のふもとに避難させてくれるんですけど、片方しか反転しないのが結構多かったんですよ」
「つまり、どうなったんだ」
「Suika を持ってる人を駅外に放り出してしまいましたね。この場合は、ちょうど噴火で駅構造が吹き飛んでおりましたので、そこに被災者を放り投げたという事です」
「……仕方ないな。さすがに不可抗力だ、あの状況では他に手がなかった」
「全くですね。あの時点であの場所に取り残されていた方々は、どちらにせよ放っておいたら亡くなっていたでしょうから。半分ほど助けられただけでも儲けものです」
とニジョーは言った。自分の発言に同意しただけなのに、なぜかその言い方がひどく不快に思えた。
ニジョーはそのままラップトップの蓋をぱたんと閉じて、
「さて、青目先生。ワタシはそろそろお
とギョロ目をこちらに向けて言った。
「京都に帰る、という事かね」
「ええ。ちょっと家族にトラブルがありましてね。すぐに帰らないといけなくなったのですよ。先生にはたいへんお世話になりました。おかげで例のコードもだいたい解読できましたし、ネット制御の貴重な実体験も得られました。これだけあれば結構、楽しい事ができそうです」
彼は喋りながらすごい勢いでケーブルを壁から引き抜いて、巻いてかばんに詰めていく。
私も君には世話になった、と言おうと思ったのだが、どうもその言葉が相応しくないように思えた。エキナカのあちこちに自分の顔のポスターが貼られ、駅員の指導者などに祭り上げられてしまったのは、正直なところ迷惑な気持ちの方が大きかった。
「そうか。では、また何かあったらお会いしましょう」
と言うと、彼はぺこりと頭を下げて、北西に向かうエスカレータに消えて行った。
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