群馬編10話 再生

「先生、ご存知ですかー? あの削れた部分がー、戻ってきてるらしいですよー」

 と若い駅員が言いだしたのは、噴火から半年ほど経った頃だった。

 その頃になると噴火による混乱はだいぶ落ち着いてきて、駅員たちも以前ほど青目先生の求心力を必要としなくなっていた。

「戻ってきてる?」

「ええー。なんかー、崩れた駅構造がまた再生してきてるみたいですよ。スイカネットに画像回ってますよー。見ますかー?」

 といって彼女が端末の画面を青目先生に見せた。

 横浜駅の屋上に仕掛けられたカメラが常にその様子を撮影していて、再生過程がスイカネットで放送されているらしかった。放送の解像度はあまり良くないので、屋上には多くの住民や、周辺の町から来た見物客も集まって、駅構造再生の様子を皆で観察していた。

 青目先生もときどき再生の様子を見に行った。駅員に頼んで用意してもらったサングラスを使えば、外の眩しさもあまり気にならなかったし、特徴的な青い目を隠すことで移動時にいちいち騒がれずに済んだ。

 再生の過程は以下のようであった。

 最初の数ヶ月は、崩れた駅構造の瓦礫の周りに、菌糸のような糸がまとわりついてきた。もちろん糸に見えるのは距離のせいであって、近距離ではおそらくパイプのような構造物だったのだろう。

 次の数ヶ月は、その糸が徐々に太くなり始めて、作りかけのかいこまゆのような構造物になった。やがて繊維構造はほとんど見えなくなり、白いパンのような膨らみになった。

 そのあと次第にその表面に屋上や階段、エスカレータやガラス窓といった直線的な構造物ができて、一年が経つ頃には、山の外観はすっかり元通りになっていた。

 もちろん山体崩壊で崩れた土を駅構造が埋めているわけだから、内部までそっくり同じというわけではない。ちょうど虫歯に詰め物を入れるような形だ。だが、外観からは既に、どこで山体崩壊が起きたのかも分からないほど綺麗に修復されてしまった。

 暇を見てエスカレータを登ると、かつて青目先生の家があった場所には、噴火前とそっくり同じように、本棚で仕切った部屋が再生されていた。膨大な蔵書も元通りあり、隣にある錆びた金属製のドアもそのまま形成されていた。

 ただ、一見同じような部屋に見えても、細かい部分があちこち変わってしまっていた。書棚に大量に並べられた本は、ページの順番が逆になったり、同じページばかりが何百も続いたり、医学書の中に小説の記述が入り込んだりしていた。辞書は単語と意味の組み合わせがばらばらになり、使い物にならなくなってしまった。

 本棚の隅に残された写真立ても再生されていた。ただそこに入っている写真は、亡き妻のものとはどこか微妙に違っていた。同じ服で、同じ髪型なのだが、顔の印象がわずかに違うのだった。そこにあるのは写真のはずなのに、まるで写真を見て描いた精巧な絵のように、どこか人工的な違和感があった。

 青目先生はその写真を本棚に伏せたままにして、噴火以前と同じように医者の仕事を続けた。町が元通りになっていると聞いた住民たちは、徐々にふもとから戻ってきて、ふたたび住むようになった。麓にいた頃に終始ついていた若い駅員は、たまに訪ねてきて世間話をする程度になった。青目先生としてもその程度の人付き合いであれば悪い気はしなかった。

「そういえば先生ー、こないだ麓のほうにー、ちょっと変な人が来ましたよー」

「変な人?」

「はいー。たぶん先生より少し年下でー、50歳くらいのおじさんでしたねー」

「私を訪ねて来たのか」

「いえ、そういうわけじゃないと思いますけどー。なんか言葉が全然通じない人でしてー。ただ先生は変なあの英語? とかいう言語ができるじゃないですかー。もしかしたらこのおじさんとも話が通じるんじゃないかと思いましてー」

「ふむ。どんな者だったんだ、それは」

「えー、何言ってるのか全然分かりませんでしたけどー、なんかー、42番のなんかで、教授だー、とか言ってました。お知り合いですかー?」

「いや」

 青目先生は首を振った。

「心当たりは無いな。西の通路が復旧したなら、また色々と変な者が来るのだろう。あのニジョーのようにな」

 そう言って青目先生は缶コーヒーを飲んだ。ニジョーが帰ったあとの隣の部屋は、ニジョーの荷物がそのまま複製されていたが、たいした量ではなかったのでそれは部屋の隅に押し込まれ、また以前と同じように荷物置き場になっていた。

 頻発していた地震もなくなり、ニジョーが京都に帰ったこともあり、生活はだいぶ静かで落ち着いたものとなった。

 ただ困ったことは、部屋の隅に置かれた妻の写真が、ときどき増えている事だった。ダストシュートに捨てるのも忍びないので、写真立てを伏せたままで本棚の隅に積んでいるのだが、複製された写真は一枚一枚微妙に違っていた。人間の目は人間の顔を特別正確に認識できるため、わずかな輪郭の違いで大きく印象が変わって見えるのだ。それらを見ているうちに、青目先生はもう妻の本当の顔を思い出せなくなってしまった。


(群馬編・終)

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