群馬編8話 避難

「ほら、これが屋上のカメラで、最後に撮れた画像です」

 と言ってニジョーが端末の画面に、粒子の荒い動画を写した。山頂からすさまじい勢いで黒い噴煙が上がり、数秒後に黒い影(おそらく火山弾の類だろう)がこちらに向かって真っ直ぐ飛んできて、あとは真っ暗になった。

「では先生、お願いします」

 と妙に落ちついた声でニジョーが差し出したのは、中のコーン紙がむき出しになっているが、どうやらスピーカーを転用したマイクのようだった。この男が物静かに喋っているという事が、逆に事態の深刻さを示しているような気がした。

「私がやるのか」

「そりゃそうでしょう。ワタシがやったら、ただでさえ悪い評判をますます悪くするだけですよ。ストレージが足りないので生放送でやります。カメラそこですから見てください。5秒後に接続します」

「5秒?」

 と驚く間もなく、ニジョーは指でカウントダウンを始めた。

「えー、ゴホンゴホン」

 と青目先生はふたつ咳払いをした。通路のあちこちの部屋から「あら?」「青目先生じゃないの」と驚く声が聞こえた。

「浅間山周辺にお住まいの皆さん。現在、山が噴火してたいへん危険な状態にあります。可能な限り、下りエスカレータを使って、なるべく火口から離れた場所に避難してください。えーと、駅員の皆さんは、お年寄りや子供が適切に避難できるように誘導をお願いします。繰り返します。現在……」

 自分の声が1秒ほどのタイムラグで廊下のスピーカーから響き渡り、それが妙な具合に反響していた。スピーカーを通して聞く自分の声はずいぶん違うものだな、と思った。

「お疲れ様です。では、我々もさっさと避難しましょう」

「これは、どの範囲で放送されたんだ」

「天井から下がってる案内板とかでだいたい表示されますよ。モニターがなくてもスピーカーがあるところは多いですし」

 そう言った瞬間に、どこか遠くの天井でがん、がん、がららんと何かが落下してくる音が聞こえた。頭上に火山弾が落下してきているらしかった。

 この階は上にあと何層の駅構造があるのだろう、と青目先生は考えた。自分がここに住み始めた頃よりは、ずっと増えているはずである。

 ニジョーは放送の最中に既に自分の荷物をまとめていたらしく、それを抱えてすぐに部屋を出て歩き出した。青目先生もそれについて行った。下りのエスカレータに向かう際に自分の部屋に入り、書棚に積まれた山のような本を一瞥したあと、医療器具の入ったかばんだけを掴んで走り出した。

 下りのエスカレータには、大勢の人間が列をなしていた。

「青目先生!」

「青目先生じゃないですか。さっきの放送は本当なのですか?」

 と周辺の人たちが詰め寄った。

「慌てないで下さい。とにかく今は避難を……」

 とその瞬間、再び「がん、がん、がららん」という音が響いた。上の層が薄いのか、さっきよりもだいぶ近いようだった。キャーッ、という悲鳴がどこかで聞こえた。

 開けた場所に出ると、駅構造の天井を突き破って、自動改札くらいの赤熱した岩があちこちに落ちてきている。自然の岩じたいをほとんど見たことない住民たちが、物珍しそうな顔でそれを見たり、写真を撮ったりしている。天井に開いた穴からは、ばらばらと石や灰が降り注いできている。

 横浜駅の発達によりエスカレータが主要な移動手段となると、人間が都市をつくっていた時代に比べて、人口分布が平地よりも山地寄りになっていた。火山弾が直接届くような場所に人間が住むようになったのは、駅増殖以前にはほとんど無かったはずである。


「逃げ遅れているのが結構いるみたいですね」

 とニジョーが言った。エスカレータに立ったまま器用にラップトップ端末を開いているが、その画面に表示された地図には、あちこちに赤点が表示されている。噴火の影響のせいかあちこちで駅構造が消滅している中で、避難経路を見失った人が力なく動き回っているのが見える。

「この赤点ひとつが一人なのか」

 ざっと見ただけでも、百人以上が取り残されているようだった。

「ええ。正確には Suika ひとつですが」

「駅員たちもさすがにここに助けに向かう事はできないか。……そうだ、自動改札を動かせないのか?」

「エッ?」

「君は以前、スイカネットを制御すれば自動改札の動きも制御できる、と大見得を切っていたじゃないか」

「いや、あれは営業用のトークですよ。ワタシに出来るのはせいぜい変数やフラグの値をいくつか書き換えるくらいで、逃げ遅れた人間を安全な場所につれていくなんて複雑なプログラムを仕込むのはとても……アッ」

「何か思いついたか」

「いや、やった事はないんでぶっつけ本番ですけど」

 そう言って、左手で端末を握りながら、右手だけでコマンドを入力しはじめた。

「自動改札の行動アルゴリズムのフラグを2つ反転させます。Suika 所持の有無と、移動方向に関するフラグです。普段は Suika を持たない人間を駅外に追い出すわけですが、こいつを入れ替えれば、Suika を持ってる人間を、駅外から遠ざけることになります。今は山頂のまわりが吹き飛んで駅外になってるようですから、これをやれば、逃げ遅れた住民をふもとまで運んでくれるはずです。まあ、理論上は」

 喋りながら、ニジョーは強くエンターキーを押した。

「今はそれしかない、やろう」

「もうやりました。あとは祈ってください」


 数時間下り続けて平地にたどり着くと、下はすでに避難者が大勢集まって、大騒ぎになっていた。青目先生は診療所に間借りして、被災者の診療にあたった。避難の際に天井のない場所を通って火山灰を吸ったり、慌てて避難したために転倒した者が多かった。来る人は彼を見るたびに、

「あの人じゃないか」

「あの放送の人だ」

 と騒ぎだして、廊下は人だかりでいっぱいになった。毎日がそのように、山のような患者と山のような見物人が来るので、とうとう疲労困憊となり、

「周辺地域にお住みの医療従事者は集まって下さい」

 といった指示を出した後、そのまま二日ほど眠った。

 目を覚ますと、エキナカのあちこちに自分のポスターが貼られていた。どうやら避難放送に使った映像をそのままキャプチャしたものらしかった。

「青目先生があなたを見ています。エキナカの規則を守ろう!」

 という大きなキャプションの下に、小さめの字で

「浅間山噴火の被災者の方へ:現在の医療情報および炊き出しについてはこちらを御覧ください」

「横浜駅西群馬地域駅員会 スイカネットアドレス:XXXX-XXXX」

 といった事が書かれていた。どうやらこの地域の駅員たちが発行したものらしかった。

 噴火からわずか数日の間に、求心力を必要としている駅員たちのリーダーに祭り上げられていたのだった。青目先生を実際に見たことのない住民たちにとって、彼の特徴的な青い目は、人間を超越した偉大な存在に見えるらしかった。

「嬬恋在住の医師・青目先生はいかにして浅間山の噴火を予測し、災禍を未然に防いだのか」

 という解説記事がスイカネット上に出回り、閲覧できるようになっていた。そこには「置き石」の話も書かれていたので、おそらくニジョーが自分で書いたのだろう、と青目先生は思った。スイカネットでは多く閲覧される情報は周辺地域に拡散されていくため、この記事はあちこちに出回り、あっという間に青目先生はエキナカ中の有名人となった。

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