群馬編7話 陳情
「君の言わんとしている事は分かる」
と青目先生は言った。
「私もこういう子供や、こうなりそうな子供は何人も見てきた。近くの街に行って適当な生体電気技師を連れてきて50万ミリエンを払えば、この子をここから出してやる事はできるだろう。だが、そういう事はすべきではないのだ」
「はあ、そういうものですか」
ニジョーは数秒ほど首を傾けて、それからポンと手を叩いて言った。
「なるほど、つまりこういう事ですな。先生ほどの名士となれば、この子に Suika を導入してここから助け出すだけの資金は用意できる。でもそれを見ると、他の子供を持つ親たちが不公平に思うのですね。どうしてあの子は助けたのにうちの子は助けてくれないのか、と。だから一律に助けない事で」
「ニジョー君。お願いだから少し黙ってくれ」
青目先生が睨みつけるように言うと、ニジョーはわざとらしく手で口を押さえた。二人の会話に何かしら不穏な気配を察したのか、太った少女は
「パー、パー」
と言いながら、長椅子の下にあった菓子パンの袋を取り出して、青目先生に渡した。
少女を置いて通路を戻ると、さっきの四体の自動改札が横並びにこちらを向いていた。二人の顔を確認するなり、中の二体が壁に寄って通路を開けた。
「ニジョー・ケイジン様。Suika を確認しました。本日も横浜駅をご利用いただきありがとうございます」
「ケヴィン・シマザキ様。Suika を確認しました。本日も横浜駅をご利用いただきありがとうございます」
同じ音声のタイミングがわずかにズレて、気味の悪い反響音が通路に響いた。自分のことを名前で呼ぶのはこの自動改札たちだけだな、と青目先生は思った。
二人が浅間山を一周りし、しかるべき数の置き石を設置し、嬬恋に戻ってきたのは二日後のことだった。
「これで置き石の設置は完了です。何か起きたら、すぐに先生に知らせますね」
とニジョーは言って、彼はそのまま青目先生の隣の部屋に引きこもった。
それから暫くは、普段どおりの毎日が続いた。青目先生は自宅で診療を続けて、空いた時間は本を読んで、ときどきあの太った少女の事を気にかけた。地震の頻度はだんだん収まり、ニジョーが隣室で妙な声を挙げることもだんだん少なくなっていった。
もしかするとこれはニジョーの早とちりだったのではないか、と青目先生は思い始めた。もちろん噴火がなければそれに越したことはないが、彼がニジョーとかいう怪しい男に唆されて、二日も留守にしていた事は、ただでさえ悪いニジョーの印象をますます悪くしたようだった。
「青目先生、いい加減に限界です」
と言ってきたのは町のまとめ役のような立場にある男だった。彼は、青目先生がいないとこの町がどれほど困るのかという事をくどくどと説明したあとで、
「先生はあのギョロ目の男に
「ここは交通路の街だから、ある部屋に誰が住んでも自由となっている筈だろう」
と厳しく言うと、それまで町人の間で溜まっていたらしいニジョーへの不満が爆発したらしく、数日後には青目先生の家には陳情者の列が出来ていた。
「私は山中で修行をしている者ですが」
という女たちの集団が来た。白装束を着て、その袖口には「草木国土悉皆成駅」と書かれている。
「私どもの修行場は山の少し北側の駅孔にあり、青天井に露出した部分であります。ここで貴重な自然界の雨を受けることで身体を清めることができるのです」と彼女は自分の修行内容について説明した後、「その場所にあの男が立ち入ってですね、駅孔周辺のスイカネットは表面張力の影響で密度が高いなあ、などと騒ぎ出しまして」
「ええと、話を遮ってすまないが、なぜ男が立ち入ると修行の妨げになるのかね」
「駅の増殖能力というものは、いわば駅の女性性に基づくものなのです。このため、男性が修行場に立ち入ると、不純な気が混じってしまうのです」
と言うのだった。
またある男は、「自分たちの個人的な通信を、ニジョーが勝手に傍受している」という苦情が寄せた。だが青目先生は、この男が以前にニジョーに通信トラブルを解消してもらったという事を覚えていた。
そんな事が何日も続いたので、いい加減に仕事にならないと思い、とうとう青目先生も隣にあるニジョーの家の扉を叩いた。
「ニジョー君、いるかね。ちょっと話があるんだが」
と言って扉を開くと、彼は端末の画面を見たまま答えた。
「青目先生。山頂の置き石が消えました」
いつになく静かな声だった。この男にこんな小さな声が出せたのか、と青目先生は思った。
「消えた? 電波が途絶えた、ということか」
「いえ、物理的に消滅したんです。消える直前に、温度センサーが急激に上がったというログが残っています」
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