群馬編6話 ゴミ箱
「エッ。あれは人の声なのですか?」
ニジョーが聞き返す。青目先生はエスカレータの間に見える開きっぱなしのドアを指して、
「聞こえないのか。あっちの方で何かブツブツ言っているだろう。おそらく女だ」
「いえ、聞こえていますけど、てっきり自動改札の声かと」
そう言われると青目先生も自信が持てなくなってきた。それはエキナカ住民なら誰もが知っている自動改札の声とは、少しばかりトーンが違っていた。だが、人間の声というにはあまりに単調すぎるのだった。
ドアの中に続く通路は、エスカレータの下に入り込むような形で、山の等高線に沿って水平に伸びていた。声はその奥から聞こえてくる。火口からの距離は近く、噴火が起きれば間違いなく噴煙で埋まるような場所だ。
しばらく進むと自動改札が四体、外に向かって立っていた。青目先生たちが近づくと、四体のうち内側の二体が首だけをくるりと反転させてこちらを見た。
「ここから先は駅外となります。再入場の際には Suika が必要となりますのでご注意ください」
と、二体がすっと壁に寄って道をあけた。
横浜駅において駅構造がない場所は必然的に「駅外」となる。山間部にはとくに、地面の凹凸によって建物が形成されない場所があり、そこだけが局所的な駅外(
だが、どういうわけか建物があるのに自動改札によって「駅外」と規定される場所がしばしばあった。これはそういう場所のひとつのようだった。
「ウワー、久々の駅外ですね。ここは物理的に建物が続いているので見た目は一緒ですけど、『外』ってなんだか空気が違う感じがしますよねえ」
とニジョーが言うので、青目先生は曖昧に頷いた。
「先生は駅外に出たことはありますか?」
「何度かある。少し特殊な治療をするときだな。注射と言って、人の身体に細い針を刺して、血管に直接なにがしかの薬剤を投入する事があるのだ。そういう事はエキナカでは出来ないからな」
「治療のために針、ですか。なかなか背徳的ですねえ」
といってニジョーは笑った。
単調な声はいつのまにか止んでいたが、二人はそのまま進み続けた。通路は山の等高線に沿って少しずつ曲がっていた。奥にいくほど電灯の数が減り、暗くなっていくようだった。むっとする異臭が奥から漂ってきた。
いちばん奥は行き止まりで小さな暗い部屋になっていた。隅には黒いクッションのついた長椅子があり、その上に何か、白い布団のようなものが転がっていた。
ニジョーが布団に近づくと、
「アー、アーウー?」
と布団が動物のような声を出して、ごろりと椅子から落ちた。コンクリートの露出した床にごん、と当たって、「ギャッ」と悲鳴をあげ、それから床に手をついて立ち上がった。
それは布団ではなく人間だった。床に付くほどに伸びたぼさぼさの髪をした、8歳か9歳くらいの少女だ。
少女は青目先生とニジョーを見て「アーウワー」と動物のような声を出して、それから青目先生の腰のあたりを両手でばんばんと叩いた。
「君は……さっきの声は君か?」
と青目先生が尋ねると、
「ア?」
と少女は青目先生の顔を見上げて、それから彼の太ももをズボンの上から両手でぎゅっぎゅっと握りはじめた。まるで人間の身体が珍しいものであるかのように、興味深げに。
「ここに他の人はいないのかな?」
青目先生が足をもまれながら言うと、少女は
「イーイー」
と言って、通路のいま来た側を指した。
「言葉がわからないみたいですね」
ニジョーが後ろから言い、
「君、自分の名前は分かるか? な、ま、え」
と青目先生が言うと、太った少女は何かを理解したように手を叩いて、それから
「すいかがかくにんできません。おきゃくさまのすいかもしくはにゅうこうかのうなきっぷをごていじください」
と滔々としゃべった。それまでの動物のような喋りとは打ってかわって、機械のように平坦な声だった。それがさっきまで聞こえていた人の声だと二人は気づいた。
「あー……これはアレですよ、先生。追放された子ですね」
「そのようだな」と言って青目先生は手で少し顔を覆った。「親が Suika の導入資金を用意できなかったのだろう」
それからニジョーは部屋全体をきょろきょろと見た。部屋全体が暗いので端末を取り出してライトをつけると、部屋の隅にある大きなゴミ箱を指した。
「多分、あそこから何か拾えるんでしょうね」
そう言って、三つ並んだゴミ箱のうち「もえるゴミ」と書かれた蓋を開いた。中はどこか広い空間につながっているらしく、ごうごうという風の音が聞こえた。ニジョーが手を突っ込むと、未開封のパンや駅弁がいくつも出てきた。
「狭いですが、生活に必要なものがいくらでも拾えるみたいです。だからこんなに」
と言って少女を見た。
青目先生がこの太った少女と何かしらのコミュニケーションを試みている間に、ニジョーは部屋の隅々を漁って、天井近くに固定されているパイプの裏に手帳が1冊はさまっているのを見つけた。中を開くと、手帳に赤ペンでメモが書かれていた。
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「4月2日 ここに来てから2ヶ月が経つ。食料が供給される場所だったのは幸運というべきなのか、僕には判断しかねる。現在、食べる事しかやることがない。幸いゴミ箱は複数あるので、食料の出る可燃は綺麗に保ち、空き缶ゴミをトイレと定めた。現時点で食料事情は良好」
「4月7日 あまりに暇なので自動改札を相手にドロップキックの練習をする。意外にも一体だけなら倒せることがあるが、他の三体に阻まれて脱出はできない。何度もやると膝をおかしくしたので止める」
「4月15日 ゴミ箱の天蓋を壊せば中に入り込めるのではないかと思ったが、少なくとも素手ではびくともしない。どうやらネジで何箇所か固定されているようだ」
「4月29日 不燃ゴミから金属片を拾った。ドライバーの代わりになるのではないか。食料:良好」
「4月30日 塗装を剥がすとネジ山が露出した。この行為が駅構造破壊にあたるのではないかと少し思ったが、よく考えたら僕は既に追放されているので関係ないと気づいて少しだけ笑った。久々に笑った」
「4月30日 ネジ山をひとつ潰した。もう少し良い方法を考える。食料:良好」
「5月2日 潰れたはずのネジ山がもとに戻っていた」
「5月14日 現在地がわからないがおそらく浅間山の南側だろう。人が通ることはほとんどない」
「5月17日 最近はゴミ箱の先のことばかり考えている。どこか広い場所につながっていればいいのだが」
「時計の電池が切れたのでもう日付がわからない。食料:不安」
「人間はなぜ食いだめが出来ないのだろう」
「自動改札が女の子をひとり連れてきた。おそらく不正追放ではなく年齢によるものだろう」
「女の子はほとんど言葉を喋れない。いくら6歳でももう少し喋るだろう。おそらく生まれて間もないころに親に捨てられたのではないか。食料:困窮」
「このまま身体がやせ細っていけば、天蓋を外さなくてもゴミ箱の中に入れるのではないか」
「海の近くであればもう少しマシだったのだろうか。しかし海岸部には外の住人たちがコロニーを作っていると聞くので、それはそれで怖い。食料:危機的」
「僕はもう Suika 不正なのでエキナカには戻れないが、この子はたまたま通りかかっただれかに Suika をどう入してもらえば再入じょうが可のうになる」
「この子がまちがってこのノートをすてないように高いところにおいておく」
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手帳はそれで終わっていた。
「こりゃどうしたもんでしょうかね、先生」
ニジョーが青目先生の顔をじっと見て言うので、青目先生は少し顔を逸した。
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