群馬編5話 置き石

 浅間山は山頂まで駅で覆われている。地面の凹凸により生成されたわずかな駅孔えきこうを除くと、典型的な成層火山式の横浜駅構造を為していた。

 直径500メートルにおよぶ火口部分は、まず周辺が連絡通路で覆われ、それを足場にしてさらに上の層が積み重なって、隙間の多いかご細工のような駅構造がドームが火口の上を覆っている。これらの連絡通路は気密ではないため、内部には硫化水素の臭いが漂っている。

 もし横浜駅が完全にこの火口を塞いでいたら、中の圧力が高まってすぐに水蒸気爆発を起こしていた事であろう。駅構造はそういう機序を理解しているのか、圧力を逃せるような籠状の構造になっているのだった。

 観光客の姿は見えない。もっぱら交通用の山であるため、わざわざ山頂付近まで昇ってくる者はそうそういない。駅構造で覆われた日本の山は、誰が決めたのか「交通用」と「登山用」に分類されていた。

「まずはこのあたりに、定置干渉アンテナを設置しましょう」

 そう言ってニジョーはかばんから手のひら大の端末を取り出し、足元に適当なコンセントを見つけると、そこに充電ケーブルを挿した。「ピッ」と音が鳴って端末の画面が点灯し、「ブート中」というメッセージが流れた。そのあとラップトップ端末を開いて、ぱらららと一定のリズムでコマンドを幾つか入力した。端末の画面は「設定完了」に変わった。

「ドームの曲率が分かれば、火口内部の圧力がある程度計測できますからね。こいつがここから干渉電波を出し続けて、この場所周辺のスイカネットをワタシの言うように動かしてくれるわけです」

「ふむ。置き石のようなものか」

「置き石?」

「囲碁は知らないか。初心者が上級者と対局する時にハンディキャップとして使うものだ。あらかじめ石を置いておくと、その周辺の地が取りやすくなるのだ」

 と青目先生が言うと、ニジョーは感心したように頷いて、

「おお、うまい表現ですねえ。さすが先生! では、これを置き石と呼ぶことにしましょう」

 と言った。

 それから彼は紙を1枚取り出して、ペンで走り書きをして「置き石」の下に置いた。


『調査目的で設置中。お手を触れないでください。2K』


「なんだ、この『2K』というのは」

「ワタシのイニシャルです。ニジョー・ケイジンですので、2K」

 そういう場合は「NK」だろうと青目先生は思ったが、特に言わないでおいた。

「だがこれでは効果が弱いな。こうした方がいい」

 青目先生は赤いペンを取り出し、新しい紙にこう書いた。


『駅構造からこの位置に生成された端末です。脱着すると駅構造破壊とみなされ Suika 不正認定に該当する恐れがあります』


「おお! 素晴らしいです。コレなら触ろうという人はまずいないでしょう。先生は医学の知識のみならず、こういう狡い方にも頭が働くのですね」

「私のアイデアではない。ずっと昔、同じようなものを見たことがあるのだ。『亀の甲よりも年の功』というやつだ」

「なるほどなるほど!」

 ニジョーはニヤニヤして言った。

 もちろん実際は、人力で出来る程度のことで駅構造の破壊が認定される事はない。そんな事はエキナカ住民なら誰でも知っている。だが、こう書かれているものをわざわざ外そうとする者はいない。

 設置を終えると、二人は南西側のエスカレータを降りていった。「置き石」として用意できる端末は全部で五個。北側には自分たちの村があるので、頂上に一個と、南側に数個並べるのが一番有効なのだという。


 山の南側は人の気配がなく、エスカレータの稼働音と、コツコツという自動改札の足音だけが響いている。時折それに混じって、

 ガシャーン、ガラン、ゴロン、ガラン。

 と、遠くから重い音が響いてくる。時計を見ると、きっかり十五分に一度の頻度で起きているようだった。

「まさか、もう噴火が始まってしまったのでしょうか?」

 とニジョーが言う。深刻そうな言い方をしながらも少しだけ嬉しそうな顔をしている。

「噴火の音というのを聞いたことはないが……あれはどちらかというと、岩石の崩落というより、機械の音のように聞こえるな」

「確かにそうですね。近くに廃棄場でもあるんでしょうか」

「三年ほど前に往診で通ったことがあるが、その時はそんなものは見なかった」

 と青目先生は返した。

 廃棄場とは自動改札の処理施設で、耐用年数を越えた自動改札が自分でそこまで歩いていって、他の自動改札に分解される施設だ。それほど大規模な施設ではないが、こんな山中に数年で生成されるものだろうか、と青目先生は考えた。

 交通の要たる浅間山西側とは打って変わって、南側に人の姿はほとんど無い。どの都市をつなぐ最短経路にもなっていないからだ。駅構造は人通りの多さを認識して発達する傾向があるらしく、人の少ない南側は通路が乏しい。エスカレータ斜面もところどころ隙間があり、電気系統の故障なのか動いていない場所が多い。こういう状況ではますます人通りが減る。このように通路が最適化されていく過程は「蟻コロニー最適化現象」と呼ばれている。

 だが南側に動くものの姿がないわけではない。人口密集地ほどでないにせよ、横浜駅のあらゆる場所に自動改札の姿がある。踊り場に立ち止まっているものもいれば、エスカレータの昇り降りを繰り返しているものもある。

「人がいないのに、ここの自動改札たちはずいぶん忙しそうですねえ、先生」

 ニジョーが言った。

「三年前はこれほどでは無かったはずだが。あの頃も人はいなかったが、自動改札もほとんど止まっていた」

「これも噴火の兆候でしょうか。だとしたら興味深い現象ですねえ」

 といってニジョーはニヤニヤと笑った。そういえば、自然山では地震が近づくと鳥や獣が逃げ出すという話があったような気がする。人間が文明化によって失った野生の勘のようなものが、動物には残っているからだという話だ。

 ガシャーン、ガラン、ゴロン、ガラン。

 次の「置き石」の場所を目指して二人が山道を進むにつれ、妙な機械音はだんだん近づいてくるようだった。


 止まっている姿を遠目に見る限りでは人間と自動改札に大きな違いはないのだが、歩いている姿となると決定的に異なる。

 人間が狭いエスカレータを登っていくときは、前の人間が動いたのを確認してから一歩を踏み出す。結果としてコンマ数秒ほどのタイムラグが生じる。

 しかし、自動改札にはそういう誤差が無い。電気系統やモーターの動きで多少のラグが生じているはずだが、人間に認識できるほどの差ではない。結果として、列になった複数の自動改札がまるで全体でひとつの機械であるかのようにザッザッと進んでいくのだった。


「アッ! 先生! あちらを見てください」

 ニジョーが叫びながら斜面の下の方を指すと、そこにはひどく珍妙なエスカレータがあった。山の斜面に対しほぼ垂直に伸びた銀色のレーンの先は、何もないただの空中だった。遠くから見ると、斜面に突き刺さったチェーンソーのようだ。

 その突端には、四体ほどの自動改札が立ち止まっていた。細長い首の先に接続されたディスプレイがあるが、反対側なので何が写っているのかは見えない。

 やがて、エスカレータの下の踊り場から五体目の自動改札が昇ってきた。これが上にたどり着くと、そのまま押し出されるような形で、他の四体が一歩ずつ前に進んだ。先頭の一体は、何もない空間になんの躊躇もなく足を伸ばし、当然ながらそのまま落下していった。

 くるくると回転しながら落下する自動改札の顔が一瞬だけこちらを向いた。いつもどおりの、黒地に白線で描かれた笑い顔をしていた。

 落ちた先は山の斜面に張り付いたリノリウムの床だった。ガシャーンと重い音が響き、そのままガラン、ゴロン、ガランと谷底へ落ちていった。

「見ましたか、先生。大変ですね、アレは」

 ニジョーは興奮したように笑っていた。

「なんだあれは。投身自殺か」

「おそらく、自動改札の移動プログラムのせいです。彼らは、互いに一定以上の距離をとる、エスカレータを逆走しない、と規定されているはずです。だから、あの狭い場所に五体溜まってしまうと、一体は押し出されて落っこちるというわけですね。いやあ面白い!」

 とニジョーは叫んだ。

「さて、謎が解けたところで先に進みましょう。次の置き石の場所はもうすぐですよ」


 異常なエスカレータの最下部には、何体もの自動改札がうろついているのが見えた。彼らがきっかり十五分に一回のタイミングで、あのエスカレータを昇って、それによって一体が下に落下してくようだった。

 斜面の下の方には、手足が折れて動かなくなった自動改札の機体が大量に積まれているのが見える。そこに他の自動改札が集まって、バラバラになった機体をどこかへ運んでいくのが見えた。破壊された自動改札を見つけた場合の行動も、彼らの中にきちんと規定されているのだろう。

 プログラムされた自殺行動。

 想像しているとなんだか気持ちが悪くなり、青目先生はエスカレータに座り込んだ。

「おや、先生、どうしました。休憩ですか」

「ちょっと黙ってくれ、ニジョー君」

「わかりました。少し黙ります。先生も歩きづめでお疲れ様であります」

 とニジョーは彼なりに声をひそめて言った。二人はそのままエスカレータの上を、次の目的地に向かって流れて行った。

 人気のない斜面に響くのは単調な音ばかり響いている。自動改札の足音、エスカレータの駆動音、そして「手すりにおつかまりの上、黄色い線の内側にお乗り下さい」と繰り返すアナウンス。どれもエキナカの住民なら、生まれた頃からほとんど背景として受容してきた音だ。時計の秒針の音のように、こういった音は頭の中で遮断することが出来る。

 ――そんなふうに意識から音を消し去ると、ひとつだけ消えない音が残った。

「誰かが喋っている」

 青目先生がつぶやいた。

「人間の声だ。近くに誰かいる」

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